#46 この子だけは
「――報告します!勇者の遺体を確認に向かった射撃部隊が、勇者側の増援により壊滅!救援者の女は勇者を回復させ、そのまま騎馬にて撤退を開始しました!」
「ぐっ……!」
ようやく、あの、忌々しい勇者を仕留めたと思えば……。
――何故だ。
何故、脆弱な人間如きに、吾輩が翻弄されねばならぬ。
イサミ=サイジョウ……ベルゼアル……グレタ……金環の四天王……。
長年の屈辱を耐え忍び、魔族領域に、人間領域に、覇を唱えんとする、我が悲願の物語がようやく始まろうという時に――何故、あのような些末な小僧に邪魔立てされねばならぬ。
「……いかがなさいますか、グルドンド侯爵閣下」
――許せぬ。
人間風情が、我らの叡智の結集、誉れ高き武器を使ったこと。
あまつさえ、吾輩に、「恐怖」を味わわせたこと。
ただ殺すだけでは飽き足らぬ。
この吾輩の手で、地獄を……見せてやらねばならぬ。
「……決して、勇者を逃がすなっ!」
「し、しかし……勇者との交戦で、我が軍には損耗も……人間領域の兵との連携もあるやもしれませぬ。ここは隊列を立て直し……」
――吾輩のハルバードが、臆病な讒言を漏らした愚臣の胴を両断した。
声を漏らす側近どもの前で、吾輩は弱卒の骸を、踏み砕いた。
「我ら、精強なる猪妖魔の戦士が!人間の兵士如きに遅れをとるなどと思っておるのか!?……勇者だ!奴だけは、ここで逃がしてはならぬ!回復などさせてみよ!この穀倉地帯の制圧も困難となる損耗が出かねぬ!」
「!」
恐怖に引き攣る臣下の眼つきが変わる。
ヤツを逃がすことが、更なる被害を、我らの野望の成就を遠ざけることを、理解したのだ。
「……楽に殺してもならぬっ!救援者の女もろとも、その心身を犯し尽くし、考え得る限りの責め苦を与え、その表情に絶望を刻み込み、然る後に首を刎ねるのだ……っ!」
吾輩に恐怖の眼差しを向けていた、伝令を務める斥候の瞳にも、下卑た炎が宿る。
「我らに手向かう者が、どのような末路をたどるか……勇者のその惨めな首級を晒すことで!人間領域に!魔族領域に!知らしめよっ!」
――死と向かい合う戦場。
ここに立つ兵には、体面も良識も必要ない。
ありのままの獣性を剥き出しに、敵の全てを奪い尽くさんとする「欲」こそが、兵がその場に生きることを肯定する。
「……飢えたる獣どもよ!敵を殺せ!財を奪え!女を犯せ!彼奴らの我々に向ける『恐怖』こそが、戦場に生きる貴様らにとっての、ただ一つの誉れ!」
鬨の声が上がる。
「勇者と、救援者の女、その魂に至るまで、凌辱の限りを尽くし――殺せッ!」
* * *
――魔力弾が土埃をあげ、矢が雨のように飛来する。
俺は、エリスとその胴をロープでくくられて、一頭の「送迎馬」に乗って身をかがめ、敵に背を向け、不規則に蛇行を繰り返し、戦場から走り去っていた。
「障壁魔法……っ!」
貧血でもうろうとする意識の中、ほとんど動かない右手を無理に持ち上げ、後方に障壁を展開した。矢はこれで弾ける。魔法の銃も数発は耐える。
そして、銃については向こうも恐らく訓練が充分ではない。馬のような移動標的に命中させられる名手はそういないと見える。
「向こうに、もう一頭の送迎馬を待たせています!そこまで……」
「ああ、持ちこたえる……っ!」
――俺は、今日、ここで死ぬつもりだった。
所詮は国軍の出動までの時間稼ぎのつもりだったが、少しでも被害が減るなら御の字だと思った。
けれど、エリスは「来てしまった」。
自分のことを手ひどく突き放した、惨めなリーダーである俺を助けに。
なんでこんな危険な所に来たんだって、怒りたい気持ちもある。
俺が消えたら農場の人々の命はどうなるって、不安な気持ちもある。
助けてくれたことが嬉しくて、泣きそうな気持ちもある。
酷いことを言ったことに、謝りたい気持ちもある。
けど、今は――
今だけは、この子を無事に、べートリーまで撤退させること。
それだけだ。
……俺は、たいがい薄情で、現金な人間なんだと思う。
俺は、農場の見知らぬ人々の命より、俺に優しくしてくれる彼女の命を取った。
でも、俺には、俺が「勇者」でなくなってしまったとしても、俺の命を助けに来てくれた彼女を見捨てて、勝手に死んで満足することも、正しいこととは思えなかった。
……俺がもっと強ければ「すべて」を守れるのかもしれない。
けれど、今の俺に護り切れるものは多くなんてない。
――なら、選ばなきゃいけない。
彼女が、何を捨ててでも、俺を守りに来てくれたように。
だから、今だけは――
――周囲の空気の流れに違和感を覚えた。
俺は、狙撃への警戒から、周囲に意識を分散した。
俺たちの右側面。
何か、大きな影が、こちらに近づいてくる。
馬に乗り、高速移動する俺たちの元に、謎の、大きな影が。
「――陸騎龍っ!?」
エリスが声を上げると同時に、黒く巨大なトカゲに騎乗した猪妖魔が、太く鋭い投槍を投擲し、俺たちの乗る「送迎馬」の横腹を貫いた。
側面からの衝撃と、馬の身のよじりで、俺たちは、勢いよく宙に投げ出された。
大地に顔を打ち付けた俺は、辺りを確認する。エリスは、俺とは別方向に、数メートルの距離を開けて落馬していた。俺は彼女に駆け寄ろうと――
後頭部に押し付けられる感触。俺の頭を丸ごと掴む掌。
それは、勢いをつけて俺の顔面を、乾いた大地に打ち付けた。
何度も、何度も、打ち付けた。
やがて、額から血を流す俺の頭を掴んだ、筋骨隆々のその存在は、猪妖魔の男は、俺の顔を自分の方に向け、下卑た笑顔を投げかけた。
――何かを言っている。
――聞き取れてもいる。
――だが、脳が理解を拒む。
やがて、その猪妖魔は、俺の首を掴み、顔を前に向けさせた。
そこには、他の猪妖魔の兵士たちによる人だかりが、形成されつつあった。
――剣を抜く音が聞こえる。
――大トカゲから降りる足音が聞こえる。
――ベルトのバックルを外す音が聞こえる。
――彼女の、悲鳴が、
やめてくれ。
それだけは、それだけは、
俺は、彼女に、傷ついて欲しくなかった。
つらい目や、悲しい目に遭って欲しくなかった。
そのために、そのために、彼女を突き放したのに。
なんで、どうして、こうなる。
俺は、無様に暴れた。
左手で、後ろの猪妖魔を殴りつけた。
まったく応えていないような顔で、奴は俺の顔を再び地面に叩きつける。
集まってきた猪妖魔に踏みつけられ、右手が、両足が、その骨格を粉砕する。
奴は、奴らは、
お互いに目配せをし、下卑た笑みを浮かべ、
俺の頭を掴んだまま、その全身を持ち上げ、
彼女の方に、連れて行き、
これから起こることを、俺に見せつける。
エプロンを引き裂かれたエリスの、
黒いワンピースの胸元に、
猪妖魔の手が伸びる。
エリスは、
彼女は、
俺を心配させまいと――笑って見せた。
この時、俺は、本心から、他者を殺したいと、殺さなければならないと思った。
この場にいる猪妖魔の外道を、一匹残らず、根絶やしにしてやらないといけないと、そう思った。
体裁も良心もない、心の奥底からの殺意。
「生かしておけない」という魂からの叫び。
――その叫びは、誰にも届かない。
俺がどれだけ顔を歪めようと、四肢は一寸も動かず、力なくぶら下がってる。
――女神のチートでもいい。悪魔の契約でもいい。
今ここで動けなければ、俺は何のために、この世界に戻ってきたんだ。
俺じゃなくたっていい。
事故でも、天災でも、裁きでも、
誰か、こいつらを、こいつらを止めてくれ。
――お願い、します。
どうか、どうか、助けて下さい。
俺は、もう、どうなっても、かまいません。
だから、
どうか、
どうか、この子だけは――
――降り注ぐ「黒い刃」。
それは、祈りにも近い俺の心の叫びに呼応するように。
悪しきものを滅ぼす神罰のように。
生命を刈り取る悪魔の業のように。
猪妖魔の暴漢の心臓を、四肢を、脳天を貫く。
振り向いた他の暴漢どもも、同様に。
黒い剣が、槍が、奴らを貫き、地面に縫い付けて行った。
エリスに覆いかぶさった暴漢も、半身を起こす。
それと同時に体の正面から無数の刃に貫かれ、背を地面につくことなく、串刺しで地面に自立した。
俺は、エリスは、その黒い刃を知っていた。
青魔族の子供を巡って戦ったあの日。
俺に向けて放たれた、自由軌道の影の刃。
「虚影散刃――」
俺たちは、天を見上げた。
そこには、月夜に浮かぶ無数の黒い刃。
そしてそのはるか向こうには、四体の翼を持った巨竜が、こちらを見下ろしながら羽ばたいていた。
* * *
一通りの刃を打ち込んだ私は、翼騎龍の上で、残る虚影散刃を待機状態に戻した。
「……警告前に攻撃するのは、先走ったかしらね?」
……状況が状況だけに、少し冷静さを欠いていたわね。
「いや、いいーんじゃない?戦場でパンツ下ろしてるアホは、後ろから刺されて当然でしょ」
「……栄えある魔族領域の兵として、恥を知るべきでしょうね」
「命令系統考えると、私らが殺っちまうのは……あんま良くは無いだろうけど、無断で人間領域の只中に攻め入って、お気楽に強姦に興じるとか、舐めてんのかって話だ」
……魔王も、四天王も、女になった最近じゃ、この手のアレは見なくなってたけど、統制の乱れってのはどこも大変よね。
「……それにさ、これで一応、エミリアも『借り』は返せたんじゃないの?」
ノアが、私に向かってけらけらと笑いながらそう言った。
「借り――?」
……あっ。
たしかに、それもそうかも。
ちょっと自作自演みたいな感じはするけど……
「人間の子がさらわれて、ひどい目にあってるのを見たら、助けてやってくれ」か。
……まさか、それが自分のことになるとは、あの子も思ってなかったでしょうね。
私は……彼の言うような「やさしい人間」なんかじゃないけれど。
それでも、約束は確かに果たしたわよ、勇者カイト。




