#45 あなたが、寂しそうにしていたから
「こ……穀倉地帯に……っ!?」
翌朝、早朝から聞き込みを続けた私は、昼下がりになって、ようやく彼の足取りを掴んだ。彼は宿泊した宿から駅逓所に向かい、魔法により自動騎行を行う「送迎馬」を借り受けて、穀倉地帯へ向かったという情報を得た。
……それは、考え得る限りで最悪の状況だった。
現在、穀倉地帯には「五千人規模の妖魔の軍勢が攻めてきた」と噂が広がり、情報が錯綜している。それをわかっていながら、彼は穀倉地帯へ向かった。
自尊感情が極めて低い彼が、このタイミングで穀倉地帯に向かった、その意味。
――独りになってしまったカイトさんは、きっと、妖魔の軍勢と戦って……「勇者」として、死ぬつもりなんだ。
そのことに気付いた私は、昨日の自分の行動への後悔に思考が塗りつぶされた。
どうして、私は昨日、カイトさんではなく三人の方に向かってしまったのか。
……いや、三人と別れた段階で、無理を言ってでも彼についていって、無謀な行動を止めていれば。彼を一人にした時、破滅的な行動を起こしてしまうことは、想像できたはずなのに。
溢れ出る自責を、今だけ押し殺し、私は次に取るべき行動を考えた。
カイトさんはもう、穀倉地帯に向けて出発してしまっている。
もはや、救援を頼むために、ジーンさん、メルさん、カトレアさんを探している時間もない。
彼女たちが、昨日の会話でカイトさんに対する考えを改めて、彼を助けに来てくれることには期待したいとは思う。……けれど、それが無くとも私は、彼を救出するために、行動する必要がある。
私は、カイトさんが退路を断つために「帰りの足」を返してしまう、そんな最悪の状況を想定し、「送迎馬」を二頭購入して、穀倉地帯に向けて発った。
* * *
穀倉地帯の住人の話を聞くと、カイトさんはこの村落に訪れた蜥蜴妖魔の斥候を倒した後、彼らに避難を呼びかけ、荒野へ向かったという。
……「農奴」という立場には、定住や移動の権利に制約がある。領主の指示が無ければ、村に山賊や妖魔の軍勢が攻めてこようと、この人たちはここを動くことはできない。
きっとカイトさんは、この人たちに助かって欲しいと、そう望んでいたのだと思う。けれど、彼の願いとは裏腹に、この世界において人命というものは軽い。この人たちの命は、損得勘定で切り捨てられてしまう。
それでも……あるいは「だからこそ」彼は、勝ち目のない五千人もの規模の軍隊に挑んでいった。人々が魔族に、理不尽に殺されることを許容できなかったから。
このままでは、彼は死んでしまう。そして、この村も……妖魔の軍勢に飲み込まれ、その尊厳を踏みにじられる。
……カイトさんが「生きているうちに救出する」ということは、この地に住まう人々のために「時間稼ぎ」をしようとしている、カイトさんの「勇者」としての意思に反するのだろう。
……けれど、この村の人々は逃げることはない。逃げた所で領主や地主にどんな目に合わされるかわからないから。逃げるという「発想」にすら至れない。
カイトさんの献身は、根本的にこの人たちの命を救えない。彼の死闘は、真の意味で「残り時間」を伸ばす以上の意味を持たない。
――けれど、私は「選択」を、決して躊躇わない。
たとえ、どれほどの人の命がその天秤に乗っているとしても、私はカイトさんを「孤独で無為な死」に追い込むことを、許容することはできない。
必ず、カイトさんの命を……救う。
今、この世界で、彼を助けようとする人間は、私しかいないのだから――
* * *
私は、手綱に魔力を通して操作する送迎馬で、妖魔の死体に埋め尽くされた荒野を駆け抜ける。
魔力が、体力が、動体視力が、手綱を握る力が……少しずつ、高まっているのを感じる。
これは、彼から受ける「女神の祝福」の感覚に他ならない。
――近くに、いる。
私の……誰よりも大切に思う「あの人」が――!
馬を操って接近した、私の姿を認めた蜥蜴妖魔の一団は、奇異な形状の杖を私に向ける。
「竈火魔法――ッ!」
私の手元から放たれた火種が、一体の蜥蜴妖魔に当たり、周囲の一団を巻き込んで、一帯を炎で包む。私はその中を馬で駆け抜けた。
そして、ついにその姿が、視界に入った。
地に伏した、灰色のマントの、一人の剣士の姿が――
「――勇者様っ!」
私は、馬を飛び降りて、彼に駆け寄る。
「……っ!」
彼の身体には、四肢に、胴体に、矢で射貫かれたような傷が刻まれ、どくどくと、大地に血だまりを広げている。
……まだ、まだ大丈夫。
息はある。助けられる……!
私は、旅の中でメルさんに教わった、非神聖系の簡易治癒魔法で、彼の止血を行う。
この人は、こんな所で死んでいい人じゃない……!
これからも「勇者」を続けるとしても、穏やかに暮らすことを望むとしても、この人は、もっと、報われる人生を送れなくちゃ、イヤだ。
助ける、絶対に……っ!
「エ……リス……?」
私の手の中で、彼がうっすらを目を開いて、私と目が合った。
その瞬間、私の身体を巡る魔力が、急速に高まっていった。手をかざした彼の傷が、見る見るうちに塞がっていく。
――伝わってくる。
この人は、やっぱりこの人は、まだ、私のことを……「仲間」と、思ってくれている。
私は、高揚する気持ちを押さえつけ、彼の塞がっていない傷口に手を動かし、順々に塞いでいく。
「ど、どうして……、どうして、君が……」
カイトさんは、焦燥と罪悪感に駆られたような震える目で、私を見つめていた。
「…………」
* * *
初めて山賊討伐の依頼を受けた、あの日。
彼は、殺した山賊の遺体を埋葬して、涙を流していた。
「やさしいんですね」
「……違うよ」
――それは同情でも憐憫でもないという。
この世界で人を殺し、手を汚したことへの罪悪感。
自分の生きていた世界へは、もう帰れないという想い。
彼のやさしさは、嘘じゃない。
だからこそ、他人を傷つける自分の姿を醜いと断じ、際限なく自分を罰し続ける。
彼は、この世界で誰からも、やさしくしてもらえない。
仲間に囲まれている時も、「勇者」という立場への「期待」に応えるために。
「――ただ、すこし、寂しくなっただけ」
彼は、ずっと……独りぼっちで、望まない戦いを続けている。
* * *
「『どうして』って、決まってるじゃないですか」
私は、彼の頬に一滴の涙を零した。
それを誤魔化すように、私は、くちゃくちゃに歪んだ笑顔を、彼に向けた。
「私は、あなたの仲間で……」
私は彼の最後の傷を塞ぎ、その頬に、そっと手を添えた。
今にも消えてしまいそうな、彼をこの世界に繋ぎとめるように。
「あなたが……、寂しそうにしていたからです」




