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#38 一人ぼっちの朝

 俺は、宿のベッドで目を覚ました。

 エリスと別れた後、俺は冒険者向けの安宿に部屋を借り、夜中までしこたま酒を飲んだ。酔いつぶれかけていた俺は、マスターに呆れられながらも、這うように二階の客室に戻り、かび臭いベッドに倒れ込んだ。それで、この時間までぐっすりというわけだ。


 ……現世の夢を見たのは久しぶりだ。

 これまでは、もう戻れない世界のことを想い出すのは、いささか悲しく、つらかった。


 両親も、兄貴も、弟も、きっともう、会うことは叶わない。

 もう会えないと思うと、悪友の大河(タイガ)や、小言の五月蠅いバイト先の店長すら恋しく思えてしまうものだ。

 そんな気持ちを忘れたくて、俺は勇者として、冒険者として、走り続けてきた。

 それがパーティー解散で途絶え、抑えていた郷愁が堰を切ったのだろう。


 ……だが、今の俺にとっては、そんな侘しい夢であっても、救いだった。

 もし、今日の夢にエリスが現れていたら、それが楽しい夢でも、悲しい夢でも、どちらであったとしても、きっと死にたくなったはずだ。


 窓を開けると、既に日は高く昇っている。すっかり寝坊をしていたわけだが、今の俺には迷惑をかけるパーティーメンバーも、使命も、何もない。


 この旅の中、どうしようもなく疲れて宿で即寝落ちしても、翌日にはエリスが俺の部屋までやって来て、朝の挨拶をしてくれた。疲労から寝坊をしそうになった時には、肩をゆすって起こしてもくれた。

 俺は、朝一でやってくる彼女の顔を見るのが楽しみで、学生時代からは信じられないぐらい、朝に強くなっていた。見栄を張って、彼女が来る前に寝ぐせを整えたりもした。

 そんな中、ノックせずに入って来やがったジーンに「ちょっと待って!エリス!」と言ってしまい、クソほど笑われたこともあった。朝食の席でメルやカトレア、エリスにバラされ、しばらくの間笑いの種にされた。


 今日の客室のドアは、微動だにせず沈黙を保っている。

 ……当然だ。エリスは、仲間たちは、もう俺と一緒にはいないのだから。


 二日酔いでガンガンする頭を押さえながら、一階の食堂に降りていく。

 ……迎え酒で、頭痛を、孤独を、誤魔化すために。



   * * *



 俺は給仕の女性に蒸留酒とつまみを頼もうとしたが、朝は酒を提供していないと断られた。

 仕方なく俺は、硬パンと豆のスープ、エール酒を頼んだ。異世界においてエール酒は酒に含まれないらしい。


 ……これから先の身の振り方についても、考えねばなるまい。

 ゴールド銀行の口座は凍結したわけではないので、これまでの依頼の報酬でしばらくは暮らせるだろう。だが、それでも一生暮らせる資金があるわけではない。

 必然、手に職をつけねばならないわけだが……冒険者を続けることになるんだろうか。

 ……チートの効力が消えかけてる今じゃ、難度の低い依頼にもリスクはありそうだな。


 【無自覚最強】の恩恵は、少なくともアルフィード国内では、知名度の問題で得られなくなってくるだろう。他の国に移動することも考えたが、アルフィードの戦士として召喚されたことを考えると、同盟関係にない国に移動したら国際問題になりそうだ。


 そして、【ランク反転】。盗賊技能は消滅。剣術、舞踏術、忍術技能は二段……B等級相当だな。徒手空拳はもう一段上だから、C等級相当まで降格。魔術はA等級相当か。まったく機能しないわけではないが、良くも悪くも器用貧乏と言った所か。神聖魔法は今のところ影響はないが、アルフィードの任務を放棄したと知れたら破門扱いで消失するかもしれない。即時的な回復手段がなくなるのは痛いな……。


 【ハーレムバフ】は……今さら仲間を作るのか?一時的にパーティーを組む時にバフがかかるって程度にとどめて、伏せるべきか。

 いや……バフが掛かってることに無自覚で実力を誤認させたら、過信で死なせちまうかもな。そうなると寝覚めが悪いし、一人での活動か、男パーティーでの活動にとどめた方が良さそうだ。


 ……総じて考えると、基本的には偽名でも使って、アルフィード国内でしょっぱい山賊や妖魔退治を一人で続けていくのが良さそうだ。指名手配されたら国外に逃げよう。

 なんなら、肉体鍛錬や本を読むことで、チートと関係なく地力をつけてもいいな。……っていうか、チートに引き摺られて、自分を鍛錬することに意識が向いてなかったな。散々「チート嫌い」自称しておいてこれとは、人は易きに流れるってことか。

 それでも、上位クラスに行けるとは思えないが、保険をかけるという意味でも、地力をつけるに越したことはない。今回の失敗を糧に、堅実な努力と誠実な人付き合いを心がければ、まだやり直しは……




 ………………


 ……なんだか、なぁ。

 


 考え事を遮るように、パンとスープ、エール酒が運ばれてきた。考えを中断し、俺はパンを手づかみし、かぶりついた。


「今回の件で穀倉地帯に駐屯する兵も警戒を――」

「それじゃあ小麦の市場価格が――」


 ……酒場で聞こえてくる会話。昼休憩を取る露天商たちだろうか。麦の相場についてを話している。

 俺は、噛み千切ったパンをぼんやり眺める。


 小麦……穀倉地帯……妖魔の襲来…………


 ……そういや、少し前に露店で売られてた奴隷の子供、穀倉地帯に送られるって話してたよな。

 俺が勇者として抑止力になっていた時は、まだよかった。けど、これから先、あの子供はどうなるんだろう。

 勇者の雷名が地に落ちて、猪妖魔(オーク)が国境を脅かすようになったら……あの子は、奴らに殺されてしまうのだろうか。

 あるいは、国軍による防衛体制の強化で、侵攻は食い止められ、平穏無事に過ごすことも叶うのだろうか。


 ……「平穏無事」、ね。

 彼ら奴隷や農奴は、この街の市民や王宮、輸出用の穀物を生産するが、自分たちの食事は粥や質の悪いパンになるという。武装することも許されず、危険な地域で働く彼らには、見合った見返りなどもたらされはしない。

 現代日本においても、エッセンシャルワーカーの賃金問題や社会的敬意が取り沙汰されていたものだが、中世世界においてのそれらは文字通り「奴隷」の仕事だ。彼らに職業選択の自由などありはしない。


 ……そう考えると、王宮に雇われた俺は何だろう。既成の権威の守護者というのが近いか?

 現時点まではガス抜きと、決戦に向けた下積みの面が大きかったんだろうが、いずれは対魔族領域の戦争に駆り出されることになったかもしれない。……あるいは、人間国家に攻め込むのに利用されたかもな。この世界にも建前はあるが、権力者の欲深さは現世より露骨だ。

 もっとも、頼りのチートを失ったことを知った国が、俺に関心を持ち続けるかも怪しいが。野垂れ死ぬまで放置されるか、下野した俺を危険視する王弟のどっちかの刺客に始末されるかもな。


 ともあれ、これまで俺が既得権益の上に座り、彼らの労働の結果を収奪する側にいたのは事実。手元の食いかけのパンも、その表れだ。


 ……初志貫徹、ってわけにも行かないよな。

 社会体制が中世である以上、豊かな生活を求めたら、必然的に搾取の側についてしまう。「文明人らしく」は、この世界においてはあまりに空しいお題目だ。


 俺は、エール酒をぐいと煽った。感覚の鈍化で、ほんの少し頭痛が和らぐ。


 ……ああ、なんだろう。

 もう、何もかもやる気が無くなってきたな。大学生の頃の、腐ってたあの時期が、またやって来たみたいだ。


 努力、努力ってなんだ。


 俺はずっと「頑張った人に報われて欲しい」と思ってたし、「頑張って報われる」自分になりたいとも思っていた。「頑張れる人」には羨望を抱きつつも尊敬していたし、「頑張れない自分」に自己嫌悪は尽きなかった。


 ……だが世界には、個人の頑張りや、才能だけで越えられない高い壁が、社会を覆う手の届かない高さの天井が、存在している。


 俺は為政者でも無ければ、英雄でもない。仲間とすら信頼を築けなかった俺に、世の中を変えることなんて叶うもんかよ。

 力だってチートの借り物だし、それをフルに使っても四天王に届かない。それすら失った今の俺は、ちょっと動ける程度のゴロツキに過ぎない。


 俺一人が頑張って、何が変えられるよ。


 ……結局、俺はこの世界でも、既存の社会の枠組みの中で、折り合いをつけた消極的な現状追認に終始することになるのか。

 異世界転生……イヤな立場だとは思っていたが、それでも、自分を変えられる最後の機会として、期待している所はないわけではなかった。


 けれど結局は、俺という人間の卑小さと、現代日本以上に露骨な格差、世のままならなさを突きつけられただけ。俺は何かを変えるために動くことはできなかった。



 ………………



   * * *



 血相を変えた男が、酒場に転がり込んで来た。

 朝食をとっている露天商と思しき二人に詰め寄り、なにやら話している。


 ――小麦の値上がりは確実。

 ――復興に際して奴隷需要も高まるので、今はとにかく買って備えろ。


 二人は状況を察せていないようで、落ち着いて順を追って話せと、男をなだめる。


 ――国境線の警備兵が、べートリー近郊まで撤退し、詰所の兵士と合流している。

 ――他の地方にも連絡魔法で伝達し、騎兵をかき集め部隊の再編を行っている。

 ――事前に情報を入手した大商人は、作物と奴隷を内地に動かしている。

 ――中小富農は損切りでこれらの資産を置き去りに、着の身着のままで脱出した。


 そんな話。

 酔った頭が、ゆっくりと回り始めた。つまり、これは――


 ――猪妖魔(オーク)が、五千人規模の猪妖魔(オーク)の軍勢が、

 ――人魔の境界線を越えて襲来した。




 ……ああ、そうか。

 ついに、その時が来てしまったのか。


 安全策のために、奴隷を使って耕作をしているということは、こうした事態を想定したものだ。

 つまり、あの子供は、屈強な男奴隷は、何も持たざる農奴たちは……見捨てられ、奪われ、殺される。

 生き残ったとて、魔族領域に奴隷として連れさらわれる……人間領域のそれより厳しい差別や酷使を受けることは、火を見るより明らかだ。


 ……誰も、彼らを助けない。

 彼らは、同胞である人間からも、道具としての冷たい損得勘定でのみ扱われる。救いのない話だ。




「勇者……か……」


 俺はもう、パーティーを解散して一人の身となった。力を失った今では、もはや国からも期待はされまい。


 ……だったら、だ。

 俺は、きっと、これまでの人生で、一番自由な状況にいるのかもしれない。

 居ても居なくても同じ。何をしてもかまわない、そんな自由な存在。


 ……それなら、俺の望む「勇者」を演じて幕を引くのも、悪くないかもな。

 みんなの期待を裏切ったまま、ゴロツキとしてその日暮らしを続けるぐらいなら、最後まで「勇者」でいた証を残して、そのまま死んでいく方が、きっと清々しい終わりを迎えられるんじゃないかと感じた。


 俺は、自分がどんな気持ちでいるのかも、よくわからないままに、笑っていた。

 客室に戻った俺は鎧を着こみ、剣を腰に下げる。


 ……なんだろう。

 チートも、仲間も、期待も、何もかもをなくしたのに。

 ようやく俺は、やるべきことに向かって一歩を踏み出せた気がする。


 自分の意思で前に進む、その納得感は、ここまで背中を押すのだろうか。




 宿を出た通りでは、普段通りの往来の中に、大慌てで走り回る商人たちが混ざる。


 俺は、穀倉地帯に向かう足を確保するため「送迎馬」を扱う駅逓所へと向かった。

 自動操馭魔法(オートライド)の魔導術式を仕込んだ鞍を着用した、目的地への自動送迎を行う馬の貸し出しだ。これなら、危機の迫る穀倉地帯へも、問題なく送り届けてくれるはずだ。

 危険地帯への送迎は渋られる可能性もあるが、店主に勇者の身元証明を見せれば、王命と認識して、きっと貸し出してくれるだろう。



「さて、と。じゃあ……最後のひと仕事といこうかね」


 かくして俺は、空に浮かぶ髑髏と狼のふたつの月を見上げながら、異世界人生最後の戦場に向けて、ゆっくりと歩き出した――




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