#17 転移勇者と奴隷売買
「じゃあ親父さん、領収書切ってもらえる?」
「……うちでは、そういうのやってないよ」
……マジか。
まあ、そりゃそうだよなぁ。識字率の問題もあるし、この世界じゃ紙だって羊皮紙で高級品だ。
漂白魔法で再利用できるっていう現世にはない強みもあるけど、店を構えてるわけでも無い露店では馴染みもないだろう。……ウチみたいに国がバックにいるパーティーばかりでもないし。
表の大店にこんな薄汚い格好で入るわけにもいかないからと、冒険者向けの露店を掘っていた俺は、この店の着心地の良さそうな生地のマントとシャツに、心惹かれてしまった。けれど、領収書出ないんじゃ思わぬ自腹になりそうだ。
「……銀貨一枚、は行き過ぎか。……銅貨十枚……いや、五枚ほどでも、負けてもらえない?」
「……冷やかしはお断りだね」
……あー、ダメか。
現世にいた頃も、海外旅行とか行くアクティブさ無かったし、相場観も交渉術も身についてないんだよな。
多少高くても、店とギスるぐらいなら妥協しちまう。相変わらず典型的な日本の小市民だ。
「……わかったよ。はい、銀貨四枚」
「まいど」
まあ、正直こっちの世界に来て、金使う用事もそんな無いからな。あんまり節約しても意味はないか。
……しかし、この世界の「ゴールド銀行」、通信魔法のネットワーク敷いてて、現世の銀行窓口みたいな感覚で金下せるの、すごいよな。やっぱり商人ってのは、どの世界においても最新技術には聡いものってことか。
ふと、広場の時計を見上げる。まだ、宿の浴室の男女が切り替わるまで時間がありそうだ。
……ああ。
この世界にも時計はある。ゼンマイでも電気でもない、魔法動力によるものだ。
ちょうど、ローブを着た男性が、時計台のふもとに埋め込まれた水晶球に手を触れて、魔力を補充している。
大抵は、魔術師ギルド所属のE等級の魔術師が、こうした地域のインフラ作業に従事しているらしい。
人力と自動化の過渡期ゆえの仕事か……ガス灯の点灯夫みたいなもんだな。
「……風情、ってのも違うか。これがこの時代の最先端で、俺も当事者だもんなぁ」
異国情緒にしみじみしてしまうのは、まだ自分の心が日本を離れていない証拠だろう。
なまじ「現代知識」とか「チート」を持ってしまうと、そういう懸命な人の営みを、前時代的なものとして軽んじてしまうんだろうな。
……もう、「現代人」なんて気取らず、この世界に馴染んでいかないと、本当に居場所が無くなっちまうよ。
* * *
人々の談笑に耳を傾けながら、街を歩く。
やはり、この街でよく聞く話題は猪妖魔の山賊の動向だ。
アルフィード東部は魔族領域に国境を接しており、国境沿いのこの街「ベートリー」は、奴らの動向に敏感だ。
一方で、その近郊には国の消費量の五分の一を支える穀倉地帯も抱えており、奴らの襲撃は穀物相場にも影響を与える。それゆえに、商人たちはこの街に拠点を置き、いち早く情報を集め、先物取引で富を確保しようと腐心する。
……まあ、人間ってのはどの世界でも変わらないよな。
江戸時代の米相場だってそんなもんだ。手旗信号で高速通信やったり、お上の規制とイタチごっこしたり……。
別に他人の命を遊びでベットしてるわけでも無い。農家も、商人も、みんな生き残るのに必死なんだろう。
そして、この世界には自然災害の他に「魔族」という別の脅威が相場を左右している。それだけの話だ。
……ふと、ある露店に目が止まる。
麻布の貫頭衣を着た、不安げな表情の少年。その頭を、筋骨隆々の男がワシワシと撫でて、元気づけている。彼らの足には、太い鉄の環と、それに連なる鎖、微動だにしない鉄球が連なる。
――「奴隷」だ。
……現代日本との一番大きなギャップはこれだ。この世界の人権思想は明確に未発達で、大きな街に行くと、必ずと言っていいほど、こうした奴隷売買の光景を目にする。
店主の顔を見ると、その顔つきは極悪非道の悪辣商人という趣でもない。客と麦相場の話題に触れ、明日の生活への不安を漏らしながら、銭勘定をしている。「人間を売り買いしている」という一点を除けば、日本にいても何らおかしくない、ただの小市民だ。
この店の「商品」である「人間」は、大地主に向けた「レンタル品」として、猪妖魔の襲来が危険視される穀倉地帯での労働のため派遣されるらしい。
……奴隷も「高級品」だ。資産家も無闇に「壊れる」ことを良しとはせず、管理も行う。運が良ければ、食うに困ることもなく毎日の食にありつけ、生活が保障されるだろう。
……巡り会わせが悪ければ?妖魔どもに襲われ、殺される。彼らは「高級品」だが、市民の安全のために危険地帯で働かされ、いざとなれば切り捨てられる「消耗品」だ。命を賭してまで、彼らを守ろうとする者は、いない。
……俺は、彼らを見て、先日のエミリア=ターコイズとの邂逅を思い出していた。
彼女に託した青魔族の少年。悪辣な貴族や商人の慰み者として飼い殺しにされそうになっていた、魔族領域の住民。
多くの市民にとっての奴隷は「道具」だが、特権階級にとっての奴隷は「玩具」だ。
あの洞窟の少年が、山賊どもの手引きで「買い手」に渡っていたら?
俺とエリスが違和感に気付くことなく、牢に閉じ込められたままだったら?
俺がエミリアを殺してしまっていたら?
……あの子はどうなっていたのだろう。
……フィクションだったら、そんなのは面倒でウジウジとした葛藤だと、本を閉じていたかもしれない。
けれど、俺にとってはこれが現実だ。今回の一件は、幸運にも噛み合った歯車が、取りこぼしを防いだだけ。勇者だなんだと持て囃されようと、俺の存在は世界を大きく変えはしない。
この露店の少年奴隷も、それを励ます壮健な男奴隷も、猪妖魔の襲来を受けて、安寧の地を奪われ、殺されるかもしれない。……かといって、情に駆られて、この子に無責任に手を差し伸べるのも、俺に与えられた「勇者」という役割とは、また違う。
……闘うしか、ないんだろうな。
囚われの魔族の少年、そして四天王エミリアとの邂逅は、「魔族も、案外悪い奴らではないかもしれない」という気持ちを、俺に芽生えさせた。
だが、それが淡い期待であることも承知している。なぜ彼女が魔族領域を越境し、敵地であるアルフィードに侵入していたのか。
……薄情ではあるが、市民の子供一人を取り戻すためだけに、そんな危険を冒すはずもない。何かしら、俺たち人間を害する目的をもってこの地にやって来て、その過程であの子を見つけて保護に動いたと見るのが妥当だ。
人間だって善人ばかりではない。……同時に悪人ばかりでもない。
魔族だって悪人しかいないわけではない。だが、人間世界に侵攻し略奪したり、魔族の奴隷を人間世界に売り払ったり……それは鬼畜の所業だ。
人間であれ、魔族であれ、世の中を回し続けているのは、いつだって冷たい損得勘定だ。王だろうと、英雄だろうと、その勘定の外で生きることはできない。
……情勢は決して待ってはくれない。
せめて、この子たちが、危険な地域で殺されないように、この国に攻めてくる魔族を防ぐ。……必要とあらば、魔族領域にも討伐に向かうし、悪しき企みがあるなら、四天王も、魔王も、殺す。
……「国を変えよう」とか、「近代的価値観を根付かせよう」とか、そういう話は、まだ、遥か遠い未来の話だ。
俺は、日の沈んだ街で、新調した灰色のマントを翻し、宿に向かって帰って行った。
* * *
「おかえりなさい、勇者様!」
宿の出入り口で立っていたエリスが、俺を見つけて、大きな声で出迎えの挨拶をする。……まさか、表で待っていたのか?
「エリス……、わざわざ待ってなくていいのに……」
「い、いえ、もう汗は流しましたから、お気になさらず……」
「じゃあ、猶更だよ……風呂上がりですっきりしたのに、泥まみれの血生臭い男なんかと顔つき合わせることないだろ」
俺はみすぼらしい自分の姿を想像して、小さくなっていたが、対するエリスは満面の笑みだ。
……なんで?
「お召しになっている服は、脱衣場の外に出して頂ければ、すぐ洗濯します!私の家政魔法で、染みひとつ残さず、綺麗にしますから……!」
「あ、ああ……。いつも、ありがとな……」
俺からの礼を聞いたエリスは、るんるんと廊下の向こうに歩いて行った。
……なんなんだ、一体……?
「あー、小汚い成りで帰って来たわねぇ……」
「……私のハズレかぁ、はいよ」
……宿の入り口に視線を移すと、メルとジーンが並んで椅子に座り、銀貨を受け渡ししている。
なんか、俺のことで賭けでもやってやがったな。脇に立ってるカトレアに聞いてみようか。
「……カイトさんが、娼館に寄って帰るかどうかって賭けですよ。体が綺麗になってるかどうかって」
「…………」
「いやー、絶対抜いて帰ると思ったんだけどなぁ……」
「……私もそう思ってたけど、同じじゃ賭けが成立しないし。それに、二人して『寄る』に賭けちゃ、エリス怒らせちゃうからね」
うっわぁ……こいつらコンプラ意識欠片もないな。ハラスメントもいい所だ。
……って、エリスも参加したのか?
「カトレアとエリスは不参加よ。……でもまあ、見ての通り、『寄らない』に賭けてたってコトでしょ」
「……私は、寄っても不思議じゃないと思ってましたけどね」
奴隷市見て、人道語ってた人間が、同じ口で女を買うような真似できるかよ。
……まあ確かに、俺も日本でお気楽に過ごしてたら、そうでも無かったとは思う。
初任給で大人の店に入って「卒業」みたいな、浮かれたこと考えてたかもしれない。俺だってそんな聖人みたいなこと言える人間じゃない。
でも、女だらけのパーティーを抜け出して、そんな浮かれた遊び出来るほど、俺も無神経じゃない。それに、身につまされる奴隷制のある世界で娼館遊びなんてしてたら、文明人失格だろ。
……エリスにも、嫌われたくないしな。
「……エリスはともかく、私らは別に咎めないし、我慢できなくなったら店に行ってよ?獣に襲われたくないわ」
……文明人の自制心を、舐めんなよ。




