#13 青き参謀、襲来
……なんてこと。
まさか、青魔族の子供が捕らえられているなんて……。
青魔族は魔族領域の東部、魔都近郊に住んでいるものが大半だ。人間領域に単独でやって来ることはもちろん、人間の人さらいが誘拐することだって、不可能に近い。
……つまり、魔族の中に、この子の誘拐を手引きした者がいる。魔都でこの子をさらい、はした金のために人間界へ越境し、ここの山賊に引き渡した、そんな外道が存在するということだ。
人間領域にアウトローが存在する様に、魔族領域も決して一枚岩ではなく、賊の類は枚挙に暇がない。それでも、魔都近郊は比較的治安は安定しているが、それでも「漏れ」は発生する。私の悪魔の瞳の監視網と言えども、万物を見通せるわけではない。
「…………」
「勇者様……?」
「……見ない方がいい」
勇者は、木製の机の上に置かれていた、おそらく奴隷商との売買契約書と思われる羊皮紙の書類を、魔法で焼失させた。
……何が書いてあるかは、おおよそ想像がつく。
青魔族は強大な魔力と膂力を持つ種族。人間界で飼い殺しに出来るような存在ではない。
……では、どうするのか?
考えられるのは、四肢や感覚器官の欠損、魔力を練り上げる「角」の切断と言った所だろう。
主に歯向かう力を奪い去った上で、下卑た欲を持った貴族や商人の慰み者として、その一生を檻の中で過ごすことになる。この子も、危うくそうなりかけていた……ということだ。
私は、湧き上がる怒りを、下唇を強く噛んで堪えていた。
……魔王様は穏健派だが、決して人間を信用しているわけではない。だが、魔族領域の市民に血が流れることを好みはしない。そのため、自ら人間界に侵攻しようなどとは考えないだろう。
先代魔王は、己の野心や、人間への憎悪から、人間界侵攻のために暴政を敷いた。私たち、現魔王旗下の四天王は、その暴虐に立ち向かってこれを除き、魔界に安寧と秩序をもたらした。
……だが、このような人間の醜さを目の当たりにすると、自身も人間への憎悪に飲み込まれそうになる。
「先代魔王にも一分の理はあったのではないか」と、そう考えさせられてしまう。
……許せるものか。
邪悪で、醜い、人間どもめ。
――がちゃり
錠の開く音で、私は我に返った。
勇者は、鉄格子の鍵を開け、中に入っていった。
そして、麻布の質素な服を着て震える少年に、勇者は自身のマントを脱ぎ、包み込むように羽織らせた。
「……大丈夫か、坊や?」
「……ゆ、勇者様っ!?何を……」
「……っ!?」
少年は眼を見開き、腰を抜かしたように尻もちをつき、後ずさりした。
「ゆ、『勇者』……?」
……無理もない。勇者とは、魔族にとって恐るべき殺戮者に他ならない。
事実として、先代勇者は魔族領域で数多くの魔族を虐殺し、全土を震撼させた。当時を知る者たちも健在であり、決して「昔話」ではないのだ。
今なおグレタ様を悩ませる、先代魔王の熱狂的支持層も、「悪しき勇者を殺した」事績を賛美しており、民を暴政で苦しめたその後も、その一点だけは評価する者が多いのだ。
そんな「恐怖の象徴」は、少年を、そっと抱きしめた。
「もう大丈夫。坊やをさらった賊はもう居ない。俺も君を傷つけたりしない……だから、大丈夫」
「ゆ、ゆう……」
メイドは、勇者の視線を受けて、口を噤んだ。
「とりあえず外に出よう。人間界だと坊やの姿は目立ってしまうから、マントは羽織ったままで、な」
勇者は、少年の背中に手を添えて、隠し部屋を後にした。
* * *
……最悪の状況だ。
勇者の手に、青魔族の子供が渡ってしまうなんて。
彼の素性を探るために、私は自身の姿を隠さなくてはならない。私の存在を知られるわけにはいかない。
……ならば、この子を見捨てるか?
………………
……断じて、NOだ。
私たちは、先代魔王の暴政で苦しむ人々を、その困窮から救うために革命を起こしたんだ。理不尽に苦しむ民を見捨てないために。希望を持って明日を迎えられる、そんな国を作るために。
なのに、その未来の象徴たる子供を、むざむざ目の前で仇敵に渡し、あまつさえそれを見捨てると?
そんなことは、決して許されはしない。
私は、魔王陛下の懐刀。「金環の四天王」の一角、エミリア=ターコイズだ。
魔王様の名誉にかけて、この子を見捨てることなんて、許しはしない。
助ける。
人間どもの手には渡さない。必ず、私の手で――
* * *
「……でも、どうするんですか、勇者様?私たちで匿うわけにはいかないでしょう?」
「ああ、危険だけど……、素性を隠した上で魔族領域に入って、送り届けるしかないか……」
「……っ!無茶です!人間が単身で魔族領域に入るなんて、そんなことをしたら……」
「けど、他に道はないからな……せめて、こっちで言う所の国軍に保護を任せて、すぐに逃げ帰れば……」
「……魔族領域は、部族がばらばらに治める社会だって聞きます。この子を届けたって、無事に家に帰れるかは……」
「そうか、国として統一された警察機構がないのか……じゃあ、どうすれば……」
「虚影散刃――」
「!!」
上空で翼を広げた私の手元から、無数の影の剣が、勇者に向けて一斉投射される。
子供に当たらぬよう軌道を敷いた刃は、ただ一点、勇者だけを狙い、刃の先を向け、降り注ぐ。
彼は、ロングソードを抜き、その黒い刃を一本残らず斬り落とす。
無駄のない関節の駆動。異常な加速を伴った身のこなしで、私の放った魔法の刃を捌き、逸らし、砕き続ける。
やがて、大地に突き立てられた無数の漆黒の刃は、勇者に傷ひとつつけることなく、暗い靄となり、霧散していった。
――人間技とは思えない。
この……化け物め……っ!!
「いきなりご挨拶だな……あんた、何者だ?」
「お初にお目にかかるわね、勇者カイト」
「……ああ。魔族の友達は居ないからな」
軽口を叩きながらも、勇者は臨戦態勢を崩さない。
……まだ成長途上と思っていたが、この異常な戦闘能力。
この男に、果たして、私の力が通用するのか……?
「エミリア……様……?」
奴の後ろでは、不安そうに震える子供が、私を見つめている。
そして、その名を聞いたメイドは、自身が目を疑うように、私に視線を移す。
「えっ……エミリア=ターコイズ……?魔王傘下の……『金環の四天王』っ!?」
……もはや、私の素性を隠す意味もない、か。
……ならば、だ。
たとえ虚勢であっても、私はここで、「王」たる示しをつけねばならない。この憐れな子を、安心させ、魔族の世界に送り返すために。
私は、地上に降り立ち、背中に広げた影の翼をたたんで、勇者を睨み付けた。
「……いかにも。我こそが魔の民を統べる者。『金環の四天王』の一角。『鬼王』エミリア=ターコイズである」
勇者の足元に突き刺さった黒い剣が、一本、また一本と消失していき――、
やがて、すべて、消えて、なくなった。




