#10 【獣王】ノア=タンジェリン
私の名は「ノア=タンジェリン」。
魔族領域の守護者、『金環の四天王』の一角にして、知性を持つ獣人種……「獣の民」を統べる【獣王】。
そして、その特異な肉体をもってして、人間社会への潜伏と工作を指揮する奇謀家だよ。
私たち猫獣人は、猫と人間の身体を自在に変えることが出来る。その特性上、人間社会への潜伏はお手の物ってわけ。
そして、「猫」の中には、百獣の王たる「獅子」、龍の喉笛すら噛み千切る「虎」、目にも止まらぬ神速の狩人「猟豹」も含まれる。
こういう姿に変身できるのは、戦闘部族の子たちだね。ただ、これって遺伝によるところが大きくて、大抵の市民は可愛らしい猫ちゃんへの変身に終始する感じ。世界一かわいい部族を自称しても許されるんじゃない?
……私が変身するとどうなるか?
ふふ……「全部」だよ。
猫の仲間であれば、私に変身できない姿はない。
潜入から戦闘……「暗殺」まで、その全てをオールマイティーにこなす、全環境対応型の突然変異。
【変幻自在の玆き神獣】の異名は、魔族領域……即ち「魔界」に轟く雷名。かつて私たちと敵対した部族なんかは、今でも「黒猫」の存在を畏怖し、道で見かけても避けて歩いているほどだよ。……ふふ、ただの猫ちゃんにもビクビクしちゃって、可愛いものだよね。
……魔王様は穏健に済ませろって言ってたけどね。
もし、この「勇者」クンが、隙のひとつでも見せようものなら、人知れずその喉笛を噛み千切り、肉片ひとつ、骨の一欠片とて残すことなく、私の忠実な側近たちと、その屍を貪り食ってやってもいい。そうすれば、しばらくは魔界も安泰だろう?
……さあ、お手並み拝見と行こうかな、勇者クン?
* * *
………………
にゃあああああああああぁぁぁぁっ♥
「お高く留まったボス猫が形無しだぜ……ほれ、両顎の下も、こちょこちょーっとな」
ふにゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ♥♥♥
「へへ、『イセエビ』ってあだ名付けられるまでは、【猫じゃらしのイセヤン】ってあだ名だった時期もあるんだぜ?よし、首の後ろも、くいくいーっと……」
何を自慢げに、ダサいあだ名を……あああああっ!!
体が自然とひっくり返るっ!!身体がマッサージを求めるっ!!
侍女長のマッサージも、こんなかゆい所に手が届かないのに……っ!!
……って、ああっ!!
部下が冷たい視線を送ってる!!
ちょっ……見ないでっ!!お願いっ!!
「ほれ、腰トントンーっと」
~~~~~~ッッッッッッッッッッ♥♥♥
* * *
「いやー……、甘えん坊だなぁ、お前。めっちゃお腹見せてひっくり返るじゃん」
……これは屈服のポーズじゃないし。もっと尽くせって下僕に催促してるだけだし。
………………
ああ、何たる屈辱……。こうも、人間に、好き勝手を許してしまうとは……。
あの後は、全身を櫛で整えられたり、干し魚のほぐし身を与えられたり、もう、やられたい放題だった。
部下たちも、子猫ちゃんのそれと化した私に、気の毒なものを見るような視線を送り、どこかに行ってしまった。
四天王の一角として、あるまじき醜態……威厳が一気に吹き飛んでしまった……。
「……異世界でも、猫ってかわいいんだなぁ。俺の世界でも、みんな猫の写真や動画とか大好きだったぜ」
ふ……ふんっ。当然だし。
猫はこの世界で最も美しい種族……そこに英知と品性が加わった猫獣人が万物の霊長なの。
……まあ、多少は見る目がある人間みたいだね、君も。
あっ……!
勝手に抱っこすんなよ、コイツっ!!
あんまり調子乗るとひっかくぞ!!
……おいっ!!顔が近いっ!
吸うなよ!?絶対に吸うなよっ!?
「……本当の所、こっちに来た時はさ」
……ん?
「俺の居た世界とは違う、剣とか魔法とかある世界……少なからず、浮かれてたところはあったと思うんだ」
……異世界の身の上話か?
これは……何か情報が得られるかもだし、大人しく聞いておいた方が良さそうだな。
「……けど、こっちで曲がりなりにも『勇者』なんて呼ばれるようになってさ。いくら女神の力があろうと、元の世界より辛いことや大変なことも多いんだってわかって……あっちにいた頃って幸せだったんだなって、少しホームシックになってんだ」
………………
「俺の居た世界じゃ、殺し合いなんて滅多になかった。俺も、のんびり自堕落な学生でさ。斜に構えて……刺激は欲しかったんだと思う。誰からも頼られる男になって、カッコよく戦いたい、みたいな」
………………
「……これも、温室育ちの発想だよな。別に、親兄弟や友達と別れてまで、そんなこと、叶えたいわけじゃなかったのに……、さ」
……男は、私の眉間と頭を、親指でそっと撫でた。
私が目を開くと、男は私に笑顔を向けた。
「それでも……この世界も俺の故郷みたいに、みんな殺し合ったりせず、平和に暮らせたらいいって、そう思うよ……」
………………
「………………」
「もう、向こうには戻れないけど……昔を思い出せて、楽しかったよ。お前みたいなノラが怖い目に合わないように、これからも頑張るからさ、安心して暮らせよ」
男は、私を木箱の上に解放し、背を向けた。
………………
「……にゃーん」
「はは、名残惜しいな。機会があったらまた遊びに来るから……その時は、な」
「………………」
* * *
「……で、そのまま帰ってきたわけ?」
「…………」
エミリアは、腰に手を当てため息をついた。
……うっさいな、私だって恥ずかしいんだよ。こんな報告したいわけないだろ。
「まさか、勇者に猫かわいがりを受けて懐柔なんて、魔王様の懐刀たる四天王の面汚しでしょ……」
「……そこまで言う?」
「正体露見してたら、首を刎ねられてたのかもしれないのよ?無防備すぎるわよ」
「……その辺は、こっちに危害加えないように、魅了魔法だってかけてたよ」
「それで、向こうのテクニシャンぶりに魅了されてんじゃ、世話ないわね」
「…………」
ぐうの音も出ない……。
「……まあ、さ。あの坊やについてはさ。まだこっちの世界に慣れてない、箱入りのお子様って感じだよ。直近で手勢を引き連れて、侵略行動を起こそうって感じじゃないね。あくまで王都近隣の山賊や、人間領域の妖魔退治をしてるだけみたい」
「けど、直接的な害意はなくても、勇者としての使命感を持ってるなら、いずれは魔族領域に侵入して、魔王様を討伐に行くでしょうね。今は経験を積む過程なんじゃない?」
エミリアは、その青い指先で、頭に生えた立派な角を撫でながらそう言った。
確かに、少し絆されてしまった所はあったな。あいつが、すべて真実を話してたとも限らないのに。
……いや、猫相手にわざわざ嘘の身の上話するか?って所はあるけど。
「あなたも、『悪い人間じゃないかも…』なんて、淡い期待で見誤ったりはしないことね。そういう子供っぽいピュアな期待は、得てして命取りになるものよ」
「……わかってるよ。勇者と魔王なんて、いつの時代も、殺し合いが常だもんね」
「なら結構。……けど、少し頭を冷やすって意味でも、しばらく調査は私に任せなさい。私のゴーレム【悪魔の瞳】でも、情報収集は可能だから」
「うん……」
私は、エミリアの幕舎を後にした。
四天王の一角として、不甲斐ないが……情に絆されたんじゃそれも当然だ。
しばらくは、あの子に任せて、部下の信頼回復に勤めよう。
………………
「……『みんな殺し合ったりせず、平和に暮らせたら』、かぁ」
……子供みたいに、ピュアなやつだよなぁ。あいつも。




