#44 愚行の代償
今宵の宴は、我がアイベリク家が、憎きグルドンドより独立を果たし、カイローン丘陵自治区を治める正統性を、その威信を、臣下に示す。そのための催しだった。
相手が魔王と言えども、部下に舐められぬために、対等以上に見せるように振舞わねばならない。その気負いをもって臨んだ爵位授与式典で、私は脱力した。
そこに現れたのは、膂力も、魔力も、何一つ脅威を感じさせない、赤髪の幼い少女だった。
私の思い描いた「魔王」とはまるで違う、実に矮小な存在。
これより、猪妖魔の名門に産まれた私が、「ヴォンレイズ=アイベリク」が、斯様な小娘に傅くという事実。
その事実を前に、私の裡に巻き起こった感情は、「怒り」ではなく「自信」に他ならなかった。
長年、グルドンドの後塵を拝していた我が一族も、これを謀略で葬り、ついにはカイローンの支配者になった。
そして、私の背後には、彼の地下秘密組織「貴種選民独立自治同盟」が存在している。
それを知る由も無い魔王は、儀礼用の剣で私の肩を叩き、その剣を私に差し出した。
くく……疑うことも無く、「敵」に武力を信任する、間の抜けぶりよ。
……そもそも、この小娘。「魔王」というには、あまりにも不自然な点が多い。
かつて、革命でベルゼアルを滅ぼしたとされる「グレタ=イーヴリット」の生年は、五十年以上も前である。
……いくら極東魔族の多くが、長命で老いにくいと言えども、これだけの月日を重ねて少女のままでいられる魔族など、存在しない。
おおよそ、親の世襲で「グレタ=イーヴリット」の名を継いだ、世間知らずの娘や孫……といった所だろう。
実子を溺愛する愚なる王が作り出した権力構造が、本来あるべき実力主義を歪ませる……その極致に居るのが、実態無き権力の座に座る、この小生意気な少女といったところか。
このような子供を、王として戴くほどの腐敗……実に好都合だ。
魔族領域は遠からぬ内に動乱の時代に突入することだろう。
他ならぬ「貴種選民独立自治同盟」が、弩杖を大量生産し、各地に騒乱の種を撒いているのだから。
そして、グルドンド家が採掘権を握っていた魔石鉱山も、もはや我が手中。プロシューダの成し得なかった猪妖魔帝国建国の悲願は、私のものだ。
……王たる器を持たず、無邪気に敵を利する無垢な小娘よ。この先、魔族領域に、己の身に、起こることを、指を咥えて見ておるが良い。
魔都を攻め落とした暁には、貴様も私の手で「保護」してやろう。
その美しい赤い髪、穢れも知らぬであろう幼げな肢体、元魔王という高貴の産まれ……実に「そそられる」。
我が愛妾として直々に、男を悦ばせる手管を、存分に学ばせてやろう。
猪妖魔の巨体に組み伏せられ、快に堕ちてゆく様、存分に愉しませて貰おうではないか。
* * *
――何が、何が起こっている?
私の横には、頭を打ち抜かれた黒蝕の魔王、グレタ=イーヴリットが倒れ伏せていた。
奴を撃ったのは、奴の連れて来た部下……混血猪妖魔の青年。そこはかとなく、プロシューダ=グルドンドの面影を感じさせる若造だ。
……もしや、奴の遺児が、復讐のために魔王に取り入り、これを撃ったのか?
……だとすれば、なんと愚かなことをしてくれたのだ。
確かに、私はいずれは魔王勢力に剣を向けることを考えてはいた。
だが、それは今ではない。
軍の再編が途上であり、森王と龍王の配下が領内に常駐する今では、決してない。
私の魔王に向けての態度は、現時点では牽制に過ぎない。
奴の直参を領内に常駐させないために、私がこの地を治める正統であると顕示し、配下の猪妖魔としての自尊感情を慰撫し、極東勢力への対抗心を刺激する。
所詮は領民に主を誰だかわからせるための、演技に過ぎぬ。
それが、猪妖魔の手で魔王が暗殺されたなどという事態になっては、四天王の率いる極東勢力との戦争は避けられない。
グルドンドの兵を失った今のカイローンに、魔王軍に対抗する力などあろうものか。
宴席の参加者は、騒然と魔王の死体を見つめる。現実を認識する臣下たちは、顔面を蒼白にしていた。
起こってしまった状況に、私の心胆は冷え込み、冷たい汗が滝のように流れ続ける。
――終わった。
その実感だけが、腹の底から、吐き気とともに押し上げられていた。
「――案ずるでない」
低く重い、聞き覚えのある女児の声が、ホールに響き渡った。
その声に意識を引き戻された私は、ぼやけていた焦点を、再び魔王の死体に合わせる。
彼女が床に倒れると同時に広げていた、その短い手指は、気付けば拳として力強く握られていた。
そして、カーペットにしみ出していた赤い染みは、吸い寄せられるように彼女の背面に集い「腕」の形を成す。
血によって形成された「赤い腕」は、彼女を支えるように背中を押し、再び彼女を自立させる。
「……余としては、取るに足らぬ『余興』のつもりだったのだが、いささか過激だったやもしれぬ。まったく、貴殿の自慢の道化のようにはいかぬものだよ、アイベリク候」
私は、魔王に名を呼ばれ、血のように赤い瞳で微笑みを投げかけられた。
「陛下……お、お怪我は……」
「……ふふ、この程度で『死ぬことができる』者に、ベルゼアル=イーヴリットを殺し、一代で広大な魔族領域を統一することなど、叶うまいよ」
……私は、身を震わせた。
この小娘は、決して「魔王の一族」などではない。
先代を殺した「魔王」その人なのだと、確信した。
私の目の前にいるのは、魔族の理の外側の存在。
頭を貫かれれば死ぬという、あまりにも当然の理すらも屈服させる、殺しても死ぬことのない絶対の存在。
「余は、東に遍く『魔なる者』たちの世界を統べる、王の中の王」
彼女の背中を支える「赤い腕」は、再び血液へと姿を変え、彼女の頭部に開いた風穴に吸い込まれていき、その傷痕を塞いだ。
まるで、最初から銃撃などなかったかのように、こともなげに、彼女はその場に、静かに立って、私を「見下ろして」いた。
「――黒蝕の魔王『グレタ=イーヴリット』である」
彼女の赤く長い髪、その揺れが収まった頃。
その場で立ち上がっていた、私は、配下は、道化は、給仕は、その尽くが、その場で傅き、魔王に頭を垂れていた。
――この世界には、決して敵に回してはならない、理外の存在がいる。
たった今、我々はその事実を叩きつけられたのである。
「……ふふ、このように、弩杖で余は殺せぬわけだが、龍王と森王は、この武器についてどう思う?」
気付けば、魔王に二人の「王」が近寄り、その傍らに控えていた。
……それをたしなめる者など、この場にいようはずもない。
「斯様な武器で傷を負う弱卒に、金環の四天王は務まらぬでしょうな」
龍王は、海原の大将軍は、弩杖を一瞥し、鼻で笑った。
「鍛錬を怠る者を甘やかす武器ですね。あるいは、文民や女子供に持たせて、素人の軍を組織でもするつもりなのやもしれません。怠惰と卑劣の産み出した、愚なる戦いの象徴と言えるでしょう」
森王は、魔王軍剣術総師範は、魔王を撃った混血猪妖魔に視線を移す。
青年はその場で弩杖を、真っ二つに叩き折った。
「この青年……ジャンヴォルンは、森王の元で鍛錬を積んだ。そして、勇猛を誇る猪妖魔の名を穢す、惰弱な武器を製造する『反逆者』どもを根絶やしにするため、余の剣となることを誓った者だ」
……「反逆者」。
その言葉を受け、私の背筋が、僅かに伸びた。
「……余は、龍王と森王の預かりである彼を軸に、人魔境界の治安を守る治安部隊『灰塵の盾』を組織し、我々の見据える『敵』の調査と壊滅に乗り出したいと考えておる。アイベリク候には、その協力を頂きたい」
「…………」
私は沈黙していた。
魔王は、「敵」を、「貴種選民独立自治同盟」を、認識しているのだ。
「卿は、かつての主であるグルドンドの命令に背き、我らに剣を向けず撤退を選んだ。卑劣を拒み、郷里を愛する真の勇士……まったく、余には過ぎた忠義者よ。卿の統治下で、カイローンは更に豊かに栄えることであろう」
我々を賞賛し、魔王はニヤリと笑った。
……決して、本心からの言葉ではない。
これは――
「余の『耳目』は、貴殿の活躍を決して逃さぬ」
――「魔王は常に、貴様の動向を見張っている」。
「余の『剣』は貴殿の傍らにある」
――「魔王の意に背けば、いつでも貴様を殺す」。
「……今後も変わらず、二心なく余に仕えよ。ますますの働きを期待しておるぞ」
「は……ははぁっ!」
私は、懇願するように頭を床に押し付けた。
もはや、私の命は、魔王の掌の上だ。
協力を拒む選択肢など、とうにありはしなかった。
* * *
祝宴が終わってしばらく、魔王とヴォンレイズ=アイベリクは、個室に移って何やら密談をしていた。
そして、部屋から出てきたアイベリク候はやつれ顔、魔王は満面の笑みだ。
「あのオッサンから、たいそう『搾り取った』みたいっスね、陛下」
「お前……」
龍王が、オレを睨む。
……いけねェ、軽口が過ぎたか。
「ふふ、領内の魔石鉱山の採掘権をはじめとした各種権益、旧グルドンド家の資産……対組織のために、あらかた供与させることにしたよ。常設の魔王軍兵士宿舎の建設のための費用も、いくらか負担させるつもりだね」
……本当に、エグいぐらい搾り取ってんな。
「……まあ、その対価として『身体で払ってもらう』のはジャンヴォルンの役目さ。しっかり働くんだよ」
「……アイベリクの当主が童女趣味って噂は聞いてたっスけど、男の方もイケるとかは聞いたことねェっスね」
魔王からも軽口が返って来たので、俺も軽口で返す。
……言うまでもねェが、あのオッサンとヤれって命令じゃねェ。領内の治安を安定させるために働けって話だ。
……そのはずなんだが、俺の返答を受けて、魔王は露骨に「うげぇ」って顔をしていた。
「……爵位授与の時点で、どうもイヤな気配は感じたんだけど、そういうことかぁ……。いい加減、ウンザリだなぁ……」
知らずに密室に着いていったのかよ。危なっかしいな、オイ。
……まあ、この期に及んで、この女をどうこうしようなんて男がいるとも思えんが。
「……ぶっ殺してきますか?」
……龍王の血管が浮いてんな。
師匠も、普段は止めそうなもんだが、腹に据えかねてんのか、無言だ。
「うーん、実際に連邦法を破って子供を囲ってるなら、粛清して頭を挿げ替えたいけど……まあ、ノア達の報告だとグルドンドの奴隷売買に、ヴォンレイズは噛んでなかったみたいだし、一旦保留で。その気配があったら、ジャンヴォルンから報告して」
「……うす」
……どうやら、命拾いしたみたいだな。
まったく、ガキ相手にムラムラ来るとか、変態の考えることはわかんねェな。
「……はぁ、まったく、イヤになるなぁ。こんな姿のせいで、昔からロクな男が寄ってこないんだよ。……やっぱり、私に結婚は無理だね」
……そういや、金環の四天王よろしく、魔王もいい歳だって話だったか。こんな恐ろしい女でも、結婚願望はあるんだな。
龍王も師匠も、何とも気まずげで、励ましの言葉も浮かばねェらしい。オレも、藪蛇をつついた感じで、大分気まずい。
……アイベリクのオッサンも、本当に忠義者だったら、てめェ好みのちいせぇ魔王様の御眼鏡にかなって、「寵愛」を頂けたかもしれねェのに、勝手に墓穴掘ったってワケだ。
やっぱり、猪妖魔ってのは、賢そうに振舞おうと、目先のプライドばっかで政治に向いてねェんだろうな……。
「……そういえば、魔王様。カイトの調査をしてる頃の会議では、『彼を婿に取っちゃおうか』とか言ってましたね」
「!」
うお……今度は、龍王が藪蛇かよ。
師匠が露骨に挙動不審になってんじゃねェか。やめとけよ。
「……私は、やめておくよ」
魔王は、深くため息をついた。
「……彼に童女趣味のレッテルが加わったら、キミらの【戦乙女の祝福】にも、悪影響が出るだろう?」
「……あぁ、それはまあ……そうかもしれないですね」
奥歯にものの挟まったような龍王の横で、師匠は安心と後ろめたさの混ざったような、落ち着かねェ顔でキョロついていた。
男が……野郎が絡むと、嘘みてぇにみっともねェ姿を見せるな。正直、弟子としちゃ見たくねぇ絵面だな。
……ま、カイトの野郎も、師匠も、似たもの師弟ってところかね。
師匠も大概、童貞くせェ女だぜ。




