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「ロゼッタ妃!」
バンッと大きな音が鳴り扉が開くと、そこに立っていたのはメイドのエリー。
「そ、そんなに慌ててどうかしたの?」
普段は大人しいエリーが興奮気味に息を荒げる様子を見ると、ただ事ではないようだ。
私の問いかけに、エリーは息を一気に吸い上げると、目を見開いて答えた。
「皇子様が、ルイス皇子様が……戦争に、勝利したそうです!!」
持っていたティーカップが手からすり落ち、パリンと音を立てて砕け散った。
「……それ、ほんとう?」
私の口から零れ落ちた言葉は震えていて、声を出すのがやっとなほどだった。
彼が、私の夫が、あの北部戦争に勝利したというのか。
ルイスが帰ってくる。その報告を聞いたのは、彼が皇宮を発ってから一年間が経ってからのことだった。
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朝もやの晴れた大通り。城門の前から広場にかけて、ぎっしりと市民が集まっていた。人々は首を伸ばし、まだかまだかと兵の帰還を待ち望んでいる。
やがて、遠くから軍鼓とラッパの音が高らかに響きわたり、地面を揺らすような馬蹄の音が近づいてきた。
城門をくぐったのは、鎧に身を包んだ兵士たち。陽光を浴びて磨き上げられた鎧兜がまばゆく輝き、列を成して進むその姿は戦場の荒々しさではなく勝者の誇りそのものを映していた。
先頭を進むのは、凱旋を果たした皇子だった。
(ルイス・ド・アスタリア……)
馬上の彼は高く掲げた軍旗を風にはためかせ、堂々たる気迫を漂わせる。群衆は歓声を上げ、花びらを撒き、勝利の帰還を祝福した。
そう。今日は、長きに渡って国のために戦った英雄たちを称えるべく、凱旋式が開かれたのだった。
宮殿の正面には玉座を模した壇が設けられ、皇帝と皇族、そして高位の貴族たちが並んで兵を迎えていた。
第一皇子が戦争に勝利を収めた。
その話を聞いた皇帝陛下は大喜びで、この盛大な凱旋式を開いた。皇室の予算をこれでもかとヴィヴィアン皇后やウィリアムは今頃、顔面蒼白になっていることだろう。
しかしここに、皇太子争いなど関係なく第一皇子の帰りを焦っているものが居た。
(それが、私だ……)
今更すぎるかもしれないが、彼と直接会うと考えた途端、急に焦りが襲ってきた。
(やっぱり、まずかったわよね? 貢女として嫁いできた私が皇子であり次期皇帝候補になった彼にあんな暴言を……)
どうしよう、どうしよう、と慌てる私に流れる時間が止まってくれるはずなく……。
「ロゼッタ妃、是非とも妻である貴女様が一番にお出迎えしてあげてくださいませ!」
エリーはとびきりの笑顔を浮かべ、後方へ下がっていた私の背中を押した。
(ああ、もう! 覚悟を決めるのよ、私!)
そう心の中で強く決心し、一歩前に出る。
「お、お帰りなさいませルイス皇子殿下……」
気まずさのあまり、視線を下に落としたまま前を向くことが出来ない。
視線の先には、目の前まで来たであろうルイスの足先が見えた。
「皇子の帰りを、心待ちにしており……きゃっ!」
震える声を必死に抑え、出迎えの挨拶をしている途中。突如、私の身体は抱きしめられた。
(ちょっ、はあ?! なんでこの男は私に抱き着いてるわけ?!)
アスタリア帝国の貴族たち、ましてや皇帝や皇后が見ている前にもかかわらず、ルイスは私を抱きしめた。
こんな異常行動をするなんて、やはりあの手紙のことを怒っているのか。
まさか、ここで私を皇族侮辱の罪で処刑するつもりなんじゃ……。
「あの、皇子?」
私を強く抱きしめたまま、何も言わない彼に恐る恐る声をかけてみる。
しかし、それでもルイスは黙り込んだままだった。
「えっと……」
「……やっと、帰ってこれた」
やっと放たれたルイスの言葉は、確かに震えていた。
この場に居る大勢の人々にはけして聞こえていない、私にだけ聞こえる小さな声。
どう返事をするべきかと悩んでいると、その沈黙を破ったのは皇帝陛下の一声。
「皇子と皇子妃は夫婦にも関わらず、戦争のせいで共に時間を過ごせていなかった。しかし、彼らは戦場に行っている間も手紙のやり取りをかかさなかったと聞いた。これほど美しき夫婦愛はあるだろうか!」
(ふ、夫婦愛って……)
大声で呆れるようなことを言い放った皇帝陛下に呆れつつ、どうして手紙の交流をしていたことを皇帝が知っているのかが気になった。
あのヴィヴィアン皇后がわざわざ伝えるはずないし、私とルイスが文通を行っていたことは誰もが知っていることではない。
他に、私とルイスが文通を行っていたことを知る者は……。
皇帝から視線をずらすと、こちらをニコニコと笑顔で見ている者が居た。
私の専属メイドであり、手紙を書けと進めてきたエリーだ。
(エリー! 絶対にあの子だ!)
まさか皇帝陛下、あの手紙の内容を見ていないわよね?
移動石を使ったから、恐らく第三者の目には入っていないはず。そうでなければ、頃私は皇族不敬罪であの世に行っているはずだから……。
「皇子は妃をとても大切にしているようだな。これは、我が国アスタリアとシスティーナ王国にとっても喜ばしいことだ」
自身の顎を触りながら、満足そうに微笑む皇帝陛下。
「……皇子?」
(ちょっとちょっと、何か返事をしなさいよ)
私が声をかけると、やっとルイスは私の身体を離し、彼のサファイアブルーの瞳と目が合う。
「まあ、なんですか皇子! 皇帝陛下がお声をかけられているというのに、返事の一つもしないなんて!」
「は、母上の言う通りです!」
ヴィヴィアン皇后とウィリアムは、揚げ足を取るかの如く必死に声をあげる。
彼らは今、この場にいる誰よりも焦っていることだろう。ヴィヴィアン皇后はウィリアムに「お前が皇太子になるのだ」と言い聞かせてきていたし、それをウィリアムもまともに受け止めていた。
しかし、ルイスが無事帰ってきた今、皇帝は長年の悩みであった北部戦争に勝利を収めた息子を寵愛するだろう。
そうなれば、いくら皇后からの後ろ盾があるウィリアムでも、次期皇帝になることは難しい。
「口を閉じろ皇后、第二皇子。構わん、第一皇子も長い戦で疲れておるのだろう。まずはゆっくりと休むがよい」
皇帝の一声で、ヴィヴィアン皇后とウィリアムはすぐに黙り込んだ。
皇帝陛下が、ヴィヴィアン皇后とウィリアムを注意したところを見たのは、初めのことだった。
今までルイスに関心を見せた素振りは一度だって見たことがないのに、そこまで憎き敵を打ち取った息子が愛おしくてしかたなくなったのかしら。
「お気遣いいただきありがとうございます、陛下。……行こう、ロゼッタ」
彼らのことなどまるで気にしていない様子で、ルイスは私に優しく話した。
行こうと彼に手を差し出されては、私に残された選択肢はその手を取ること。それだけしか残されていない。
「……はい」
きっと今出た私の声は、アスタリア帝国に来てから一番と言っても過言ではないほど恐怖に震えていたはずだ。
(お願いだから処刑だけは勘弁して……!)
なにせ、自分の生死がかかっているのだから。
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