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「おい、ロゼッタ!!」
「……ウィリアム皇子……」
ずかずかと、許可も出していないにも関わらずサファイア宮に入り込むウィリアム。
使用人たちめ。あれほど私が許可するまで、中には誰一人居れるなと言ったのに。ウィリアムがここへ来ていることすら私は聞いていないわよ。
その上、夫が不在の状態で私の自室に男性のウィリアムを通すだなんて信じられない。いくら皇后の息子だからといって、とんだ横暴状態じゃない。
「なんだロゼッタ、どうしてそんなにみすぼらしい服を着ているんだ?」
突然押しかけてきたにも関わらず、その上この男は私の着ている服にまでケチをつけた。
「ウィリアム皇子、何度も申し上げておりますが私のことを名前で呼ぶのはお辞めください。そして、この服はお客様をお迎えする予定が無かったため着替える暇が無かったのです」
頭の悪い人間でも分かるように丁寧に分かりやすく説明したつもりだが、ウィリアムは「ふーん」と何一つ分かっていない顔で返事をするだけ。
「まぁいいじゃん、一緒に飯でも食べようぜ!」
やはり、この男は話が通じない。
ああ、私の夫よ。
あなたのバカな弟を、どうにかしてください……。
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【アスタリアの食事はとても美味しいですね。ですが、どうしてこんなにも量が多いのでしょうか? いつも食べきることに必死になってしまいますわ。】
【システィーナ式の食事を口にしたことが無いから何とも言えないが、皇子妃である君が無理をしてまで食事を口にすることはない】
【お言葉ですが、あなたは私の状況を分かっていないからそのようなことが言えるのです。近頃は何故か第二皇子がサファイア宮までわざわざ来て、一緒に食事をしようと来られるのです。ただの貢女の私が、皇子からの申し出を断り、その上食事を残すことが許されるとでもお思いですか?】
【ウィリアムはあの皇后の息子なだけあって、かなり強引なところがあるからな。僕は彼に嫌われてしまっているから、君がウィリアムに好意を持たれていることには羨ましく思うよ。まぁ、僕だったら耐え切れないけどな】
【あなた、それは私を馬鹿にしているでしょ? 私は本当に困っているのよ!】
悪態を着くときもあれば、アスタリア帝国とシスティーナ王国。お互いが育った国の話をすることもあった。
ルイスから送られてくる文章はいつだって冷静沈着で、それでいてどこか腹立たしく感じる文章だった。
私は感情のままに返事を送って、それをまた彼にからかわれる。それの繰り返し。
私とルイスは、数えきれないほどの手紙のやり取りをした。
もちろん戦地にいる彼からの返事の数は、私の贈った手紙よりもずっと少なかったけれど。それでも私は、彼から贈られる手紙をいつも心待ちにしていた。唯一、仮面を被らずにいられる貴重な時間だったから。
しかし、今日届いたルイスからの手紙の内容は様子がおかしかった。
【もしも、僕がこの戦地で命を落とすことになったら。君は未亡人となり、皇后の手により修道院にでも送られることになるかもしれない。】
「ふん……よく分かってるじゃない?」
いつもの余裕たっぷりなあの腹立たしさを感じられない、どこか普通じゃない様子。
【だが、僕が生きている間なら、皇子という立場を使い婚姻を破談してシスティーナ王国に戻れるように手配できる。】
「……え?」
システィーナ王国に帰れる? 私の生まれ育った、あのシスティーナに。
……それも、悪くないかもしれない。きっと、それは私にとって最善の選択だろう。
いい加減、ここにはうんざりしていたの。
私に偉そうに命令する皇后にも、兄の妻である私にしつこく付きまとうあの第二皇子にも。皇后に虐められている自分の息子を気にも留めない意気地なしの皇帝にも。いつも私を見下しているただの使用人たちにも。
私を誰だと思っているのよ。私は、システィーナ王国の姫なのよ。
腹が立っていたの、本当に。みんなみんな私をバカにして。この場所を去れるなら、願ったり叶ったりだわ。
だけど……そうなればあなたはどうなるの?
あなたはずっとこの環境で生きてきたのでしょう? たった18歳という若さで戦場に送られて。
対面の状態では数えられるほどしか会話が出来てなかったけれど、一年間も手紙を交わして、情が湧かないほど私は冷酷な人間ではないの。
「この際何だっていいわ。私に対しての怒りでも何でもいいから、さっさと勝って帰って来なさいよ」
一度他国へ嫁いだ私が今更システィーナに帰ったところで歓迎されることはないだろう。
だったら、夫であるあなたが帰ってきたらいいだけじゃない。
早く、帰ってきて。あなたと言い争いをしている時の方がずっとマシだわ。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
【あなたが死ななければ良いだけのことでしょ?】
【それが分かっているなら、さっさと戦争に勝って、早く帰ってきてください。】
「……勝手なことを言ってくれるな」
美しく整った筆跡からは到底想像もできないほど、ぞんざいで強気な物言いの手紙。
けれど、そこに綴られた素直ではない気遣いがどうしようもなく胸に沁みる。
「おーいルイス! お前、さっきから何をそんなにニヤニヤしてんだ?」
突然、後ろから肩に肘を置かれた。振り返らずとも声で分かる、腐れ縁の男。
「近頃嬉しそうに見ているその手紙は一体何なんだ? わざわざ移動石なんて高価なものまで使って……ハッ、まさか愛人か?! いやぁ、お前も隅に置けないな!!」
「どうして愛人になるんだ……。この手紙は、僕の妻からさ」
あっさりと否定されたアレックスは、驚きに目を丸くした。
「妻っていったら……あのシスティーナから嫁いできたっていうお姫様のことか。だけどお前、結婚してすぐ戦地へ来たんだからお姫様とはろくに話もできていないんだろ?」
「ああ、そのシスティーナのお姫様のことだよ」
「なんだよルイス。お前、そのお姫様に惚れ込んじまったのか? まあ、無理もねぇか。お前はずっと皇后に制御されて、まともに令嬢と話もできなかったもんなぁ……。神聖なるシスティーナ王国の美しくお淑やかなお姫様の虜になっちゃったってわけか」
軽口混じりに肘で突きながら囁くアレックス。だがルイスは返事の代わりに小さく笑みを浮かべ、ほんの僅かに呟いた。
「お淑やかな、お姫様ね……」
その言葉に「なんて?」と聞き返すアレックスだったが、その声にルイスが返事をすることは無かった。
代わりに、指先に残る手紙の感触を確かめるように視線を落とす。
「僕の妻は、噂に聞いていたよりもずっと面白い人なのかもしれないよ」
「あ? なんだそりゃ」
「そろそろ行こう、アレックス。さっさとこの戦争を終わらせて僕らの国に帰ろうじゃないか」
急に立ち上がったルイスに、アレックスは驚いたように目を見開いた。
「おいおい、どういう風の吹き回しだよ。あんだけ皇后に会わなくて済むって喜んでいたのは他でもない、お前じゃないか!」
思い出したように声を張り上げるアレックス。
しかしルイスは肩越しに振り返り、薄く笑っただけだった。
「そうだったかな」
飄々とした声色の裏で彼の胸中に灯っていたのは、たったひと言の文。
「早く帰ってこいと、言われてしまったからな」
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