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「はい? 今、なんと……?」
エンディミオンが目を大きく見開き、口までぽかんと開けて、まるで信じられないものを見るかのように私を凝視する。
「ですから、偽装書類を作り、それを財務部まで持っていたメイドを特定しました」
私は落ち着いた声で繰り返す。何度目かの説明を終えると、エンディミオンはしばし沈黙し、ようやく納得してくれたのか、低く息を吐いた。
「名は、ディアナ・ソレリア。元々、ヴィヴィアン皇后陛下に仕えていた使用人です」
「チッ、やっぱりヴィヴィアンが関わっていたか……」
「エンディミオンさん……あなた、それこそ皇族侮辱罪で捕まりますよ?」
私がドン引きだという顔をしてみせると、エンディミオンは一瞬むっとした表情を見せたが、すぐに「ふん」と鼻を鳴らして話を逸らした。
「ならばそのメイドを呼び出して、すぐには吐かせなくてはならないな」
「それも既に済んでいます。証言を務めてくれると、約束もしてくれましたわ」
ディアナの話をエリーにした途端、エリーは「けして悪い子ではないのです」「どうか許してあげてください」と涙ながらに私に縋った。自分はどうなってもいいから、あの子だけは……と。
(甘い決断だったかもしれないけど……自分に良くしてくれているメイドの涙を無視できるほど、私は冷たい人間じゃないのよ!)
エリーとディアナ。二人は母親同士が親しく、幼い頃から常に共に育ってきたのだという。互いの存在が当たり前で、離れがたい絆――まさに腐れ縁と呼ぶにふさわしい関係。だからディアナは、エリーをヴィヴィアン皇后の味方に着こうと誘ったという。私がキッチンで盗み聞いた会話だ。
「…………」
ふと気づけば、エンディミオンがじっとこちらを見ている。何か言いたげなその視線に、思わず首をかしげた。
「私の顔に、何かついていますか?」
問いかけてみると、エンディミオンは妙に真面目な顔を作りながらわざとらしく咳払いをした。
「コホン! ……申し訳ございません。見かけによらず、拷問がお得意なのかと思い……」
「し、心外ですね! 拷問だなんてしていませんよ!」
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今回の件は、集め得る限りの物的証拠、そして当人の口から語られた証言を添えて、皇帝陛下へと正式に報告されることとなった。
当初、皇帝陛下はこの件にさほど関心を示してはいなかったが、エンディミオンが直々に謁見を願い出、事の詳細を自らの口で伝えたことで空気は一変した。
エリーの話によれば、皇帝陛下は以前からエンディミオンの才を高く評価していたという。
ルイスを追い、皇宮入りを望んだ彼を財務部部長に抜擢したのも、他ならぬ皇帝陛下の意志だったという。
すべてが上手くいったと思った。
証言も取れた。証拠も揃った。皇帝陛下の耳にも届いた。エンディミオンも味方についてくれた。
――しかし、ヴィヴィアン皇后はそう易々と落ちるような相手ではなかった。
問題の核心、すなわち金印の件について問われると皇后はまるで心外だと言わんばかりにきっぱりと否定したのである。
ディアナが涙ながらに告発した真実も、皇后の前では何の効力も持たなかった。
皇后の持つ金印を、一介のメイドが持ち出せた。
それがどれほど異常であり、常識ではあり得ぬことか、誰の目にも明らかなはずだった。
しかし、疑問を口にする者も誰一人おらず、すべては「皇后陛下が仰るならば」という薄氷のような前提で塗り固められてしまった。
「ディアナは、修道院へ行くことになったと聞きました」
そう告げたのは、事件の間、休暇を理由に実家に里帰りさせていたエリーだった。
久方ぶりにサファイア宮へ戻ってきた彼女は、手慣れた所作で茶器を扱い、薫り高い紅茶の入ったカップを私の前にそっと置いた。
「そう……ごめんなさいね、力になれなくて」
その言葉は、気づけば私の口から自然にもれていた。
結局、揃えた証拠も、集めた証言も、皇后を追い詰めるには至らなかった。
断罪されたのはヴィヴィアン皇后ではなく、ただの一使用人に過ぎないディアナ。
彼女が罪をすべて背負ったことで、周囲は帳尻が合ったかのようにように処理された。なんとも皮肉な幕引きだった。
「ロゼッタ妃が謝ることは何一つありません。あの子は図太い人間なので、きっと修道院でも上手くやっていくことでしょう」
笑みを作り上げて、あっさりとそう言ってのけるエリーに、私も笑顔で「そうね」と言葉を返した。
私は目の前に置かれたティーカップを持ち上げて、ひと口含む。
「やっぱり、エリーの淹れるお茶が一番ね」
「光栄です、ロゼッタ妃」
エリーは私を見て満足げに微笑むと、仕事に戻るため身を翻して扉へ向かおうとした――その時だった。
「ろ、ロゼッタ妃! これは一体……!」
まるで、何かを見てはいけないものを見たような慌てた声。
普段、あまり感情を露わにしないエリーの叫びにも似た大声だった。
彼女の大声を初めて聞いた私は、慌てて反射的に立ち上がる。
「何があったの?!」
声を上げ、急いで私も振り返ると、そこは部屋に備え付けられているテラス。そこは、ルイスが戦地へ旅立った時に私が彼を見送った場所だった。
エリーが震える指で示した先にあったのは、淡い光に包まれ、ふわりと宙に浮かぶ一通の手紙だった。
緑色の光。
それは、移動石の魔法が放つ光だった。
移動石なんて高価なものを使って、私宛に手紙を送ってくる人間。
相手が誰なのか、すぐに分かった。分かりたくなくても、勝手に頭がその相手を分かってしまったのだ。
「う、嘘でしょう? 返事、来ちゃったの……?」
すぐに窓を開け、浮かぶその手紙を手に取ると、光は弾け飛び消え去っていった。
まさか、ルイスがわざわざ手紙の返事を送ってくるなんて……。
あの日、『私のことを愛すことは無い』なんて偉そうに言ってきたものだから、頭のおかしい奴なのかもと思ったけれど、わざわざ返事を書くなんて意外と律儀な人なのね。
ルイスがエンディミオンに私の名前がサインされた封筒を送っていた時点で手紙が彼の手元に届いていることは分かっていた。
封は開けられていたし、彼が帰って着次第なにか良い言い訳をと考えていたけど……まさか、返事が返ってくるとは思ってもいなかった。
恐る恐る手紙を開き、美しい字で書かれた手紙を読む。
【ごきげんよう、ロゼッタ妃。お元気にしておりましたか?】
怒りの感じられない丁寧な文章に、安心した途端。
すぐ下の文に目が入り、思わず「うっ」と声が漏れた。
【沢山のお手紙、ありがとうございました。一つ残らず、全て拝見させていただきました。多忙のあまり返事を書くのが遅くなったことをどうかお許しください。】
【ロゼッタ妃は想像よりずっと、お茶目な方のようですね。】
この一文を見ただけで、全てを察した。
これは、私は彼にバカにされているのだと。
(もしかして、私が途中で気づいて送ってこないように返事をわざと書いてなかったんじゃないでしょうね?)
不満は浮かぶものの、あの手紙を書いたのは私だ。何も彼に言い返すことは出来ない。
怒りと焦りで震える手を落ち着かせて、まだまだ続く手紙に目を通していく。
【あの人を大蛇と呼べる君なら、少しくらい言い返してみてはどうかな?】
【噂ではシスティーナの天使だと称されるほど美しく可憐で、純粋無垢なお姫様だと聞いておりました。ですが、どうやらその噂は違っていたようですね。】
「エリー、すぐに新しい便箋を持ってきてちょうだい」
「ロゼッタ妃?」
エリーは普段と様子の違う私の様子に驚き混乱しているようだった。
「ルイス・ド・アスタリア。ははっ、好き勝手言ってくれるじゃない……」
怒りのままに握りしめた便箋は、悲鳴をあげる代わりに小さくクシャリと音を鳴らしたのだった。
それから私たちは何度も手紙を交換した。
いつしかそれが、私たちのコミュニケーションの一つとなっていた。移動石は使用すれば一秒もかかることなく届けることができる。いずれ、彼との手紙のやり取りは3日に1度のペースにまでなっていた。
【メイドから聞きましたが、現在アスタリア軍は押されているようですね? 一国の皇子が戦地へ向かっているというのに、一体どういうことなのでしょうか?】
【システィーナのお姫様はか弱いだけでなく、戦地の状況すら耳に入っていないとはとても心配ですね。そんなことでアスタリアでやっていけているのでしょうか? 君がこの手紙を送った時点ではアスタリア軍が優勢になっていたはずです。】
そんな悪態をついた文章を送り合うにつれて、いつの日か他愛のない会話もするようになった。
戦地で手紙を書く彼の姿は、宮殿で優雅に過ごす私には想像もできない。
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「どうして皇后宮の騎士がここに?」
サファイア宮の玄関先に並ぶ騎士たちの姿は、朝焼けの中にあっても不気味なほど整然としていた。
今日は私の誕生日。
本来なら、皆が私を祝う準備に追われているはずの朝。けれど現実は、祝いの歌どころか、冷たい呼び声と靴音に叩き起こされるという最悪の始まりだった。
慌てて寝間着の上から薄手のローブを羽織り、髪も整えきれないまま玄関へと駆けつけた。
「皇后陛下がお呼びです」
そこで私を出迎えたのが、ルビー宮、つまりは皇后に仕えている仏頂面な騎士様だった。
「誕生パーティーの朝にですか? 主役であるロゼッタ妃は準備が忙しいのですよ。時間がどれだけあっても、足りないくらいですのに」
「大丈夫よ、エリー」
「ですがロゼッタ妃……」
私を庇うようにして前に立ったエリーを下がらせ、ルビー宮の騎士に向かって笑顔を向けた。
「偉大なる皇后陛下からのお呼び出しに、私が断れるはずありませんから。もちろん行かせていただきますわ」
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