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「お待ちください皇子妃様! 今、皇帝陛下は国政会議の最中で……」
「退きなさい」
「そんな! ロゼッタ皇子妃様お待ちくだ……!」
扉の前に立った衛兵からの制止の声を無視して、私は真っ直ぐに歩く。
高く鳴り響くヒールの音が、長い回廊に響いていた。
しかし、それでも無理やりに私の前に立ち塞がる衛兵。
この男の行動は、衛兵としての仕事は合格かもしれないけど、皇族に使える人間としては不合格だ。
「貴方は、皇族である私の道を塞ぐつもりなの?」
「……し、失礼いたしました」
歩いていた足をピタリと止めて、威圧するように衛兵に向かって視線を向けると、衛兵は顔を引きつらせながら慌てて身を引いた。
重厚な扉が左右に開かれた途端、中にいた者たちの視線が一斉に私に注がれる。
豪奢な長机を囲むのは、見慣れた顔のアスタリア帝国の貴族たちだ。中央には、アスタリア帝国の皇帝レオナード・ド・アスタリアが威厳を湛え座していた。
私は躊躇うことなく、真っ直ぐレオナード陛下の方へと向かい、深く優雅な礼を取る。
「アスタリア帝国の太陽、レオナード・ド・アスタリア皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
貴族たちは互いに視線を交わし始める。普段は一切表情を表に出さないレオナード陛下までもが、動揺を隠しきれないでいた。
そうなるのも当然だろう。影の薄い異国の皇子妃が国際会議中に割り込んでくるなんて、予想もしていなかった出来事だろうから。
「ロゼッタ妃。今が国会議中の最中だということが分かっていての行動か?」
「はい、陛下。もちろん存じ上げております。……皆さま、大切な国際会議中にも関わらずお邪魔してしまい申し訳ございません。ですが、どうか私の話を聞いてください」
会場に微かなざわめきが走る。貴族たちが、互いに顔を見合わせた。
私がこの場に現れた。その時点で、彼らの頭には先日起きた第一皇子殺害未遂事件が浮かんでいるだろう。
ヴァレンティア公爵、シャルロッテ公爵、フォンディア公爵……友人たちの父親が勢揃いね。
この場にいるのは、帝国の中枢を担う者たちばかり。
「……ほう。では、話だけでも聞いてみようじゃないか」
皇帝陛下の低く重い声が響く。
レオナード陛下、そう来ると思っていたわ。
陛下がここで私を拒めば、ここにいる貴族たちが社交界に『皇帝が事件を隠したがっているのでは?』と、噂を広めるだろうから。
アスタリア帝国を大国と呼ばせるほどまで成長させた、聡明なレオナード陛下ならば、それを理解しているはず。
皇帝陛下は私の話を無視することはできない。だから、私はあえてこの国政会議のときを狙った。
「恐らく、今回の国政会議でも、先日の皇子殺害未遂事件の話題は出ていることでしょう。その犯人は、フォンディア公爵家の使用人に成りすました者とされていますが、本当は違います」
私の言葉に貴族たちはざわざわと騒ぎ出した。
驚きの表情を浮かべる者、何かを察して眉をひそめる者。
私の、明確な人物を知っているような言いぶりが気になるのだろう。
「では、ロゼッタ妃は真犯人とやらが誰か、分かっているというのだろうか」
「はい、その通りです陛下。私は今ここで、ヴィヴィアン・ド・アスタリア皇后陛下の皇子殿下殺害未遂の罪を告発いたします!」
「……なんだと?」
レオナード陛下の、低く鋭い声が広間に響き渡る。
「ロゼッタ妃。それは自分の言葉に責任を持ってるのか」
皇帝陛下が重々しく問いかける。
その瞳の奥には、鋭い光が宿っていた。
「ヴィヴィアンは我が妻であり、この国の皇后であることを忘れていないのだな」
「ええ、もちろんですとも。しかし陛下、皇后という帝国の母で居なければいけないヴィヴィアン皇后陛下が、長年にわたり、ルイス皇子に対して陰湿な嫌がらせを行っていたことはご存じでしょうか? いいえ、あれは嫌がらせの域を超えています。この場にいる皆さまの中にも、それを見聞きしたことがある方もいるのではありませんか?」
私の視線を受けて、何人かの貴族がぎくりと肩を揺らした。
ある者は目を伏せ、またある者は冷や汗を滲ませる。だが、誰一人として声を上げようとはしない。
(ほんと、貴族はどこの国も同じなのね……)
システィーナ王国でも、母から虐待を受ける私に手を差し伸べる者は、一人だっていなかった。
皆、いつだって見て見ぬフリをしていた。
あの時と同じ空気間を、私はこの場で感じていた。
「私はこれまで、何度も彼が苦しんでいる姿を目にしてきました。それでも、その事実を公にすることはなく、黙っておりました。何故なら、彼がそう望んだからです」
静寂が広間を支配する。
レオナード陛下は厳しい視線で私を見据える。その目の奥にある感情を、読み取ることはできない。
重々しい沈黙が場を支配し、貴族たちは誰も動けずにいた。
「しかし、もう見過ごすことはできません」
レオナード皇帝陛下、アンタだってそうでしょう? 実の息子を放ったらかしていたのに、突然戦地に送り込み、命懸けでルイスが勝利を収め、死に物狂いで戦地から帰ってきたかと思えばあっという間に手のひら返し。
いい加減にしなさいよ。
どいつもこいつも、アンタたちは子供を自分の都合の良いように動く道具かなにかかと思っているわけ?
「私は、本件に関する裁判及び審理を要請します!」
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「やはり、僕も一緒に行った方が良かったのでは……」
ルイスは心配そうに私の顔を覗き込みながら、そっと私の肩に手を置いた。
「もう、心配しすぎですよルイス。私はそんなにやわじゃありません」
私は軽く笑って見せたが、彼の表情はまだ曇ったままだった。
「……ロゼッタ、本当にすまない。僕のせいで君に迷惑をかけ……」
彼が自分を責めるように呟いた瞬間、私はそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。
そして、迷うことなく彼の唇にキスを落し彼の口を塞いだ。
「……っ」
一瞬、彼の体が強張ったのが分かった。
しかしすぐに、彼の肩の力が抜け、私の手の温もりを受け入れるようにそっと目を閉じる。
「ダメですよ、ルイス。謝らないでください」
唇を離した後、私は優しく囁いた。
彼の青色の瞳が、驚きと戸惑いで揺れていた。
「ロゼッタ……」
掠れるような声で私の名を呼ぶ彼の手が、そっと私の指に触れる。
指先がかすかに震えていた。その微細な震えが、その仕草が、彼の感情をすべて物語っていた。彼の感情をすべて物語っていた。
私はそっと彼の手に自分の手を上から重ねる。
「私なら大丈夫です。私をこんな風にしたのは、あなたなんですからね?」
微笑みながらそう言うと、彼の瞳がわずかに見開かれる。
あなたは、逃げてばっかりだった気弱な私を変えたんです。
あなたと過ごした時間が、あなたが私のためにした行動が、あなたがくれた愛が、私に強さをくれたの。
「裁判日は五日後。それまでの間、あなたはしっかりと休んで、元気になってください」
私は彼の手を優しく握りしめながら、微笑みかける。
ルイスは困ったように微笑んだ後、少しだけ安堵したように息を吐いた。
「ああ」
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「ようこそお越しいただきました、ロゼッタ様」
「頼んでおいたものは用意できているかしら」
「はい。レティシア公女様よりご連絡をいただいてからすぐ、ご用意させていただきました」
プレゼントを買いたいと、レティシアに相談したところ、自身の行きつけの商店を教えてくれ、そのうえ事前に話を通してくれた。
本当ならば、店主を皇宮まで呼びつければいい話なんだろうけど、そうなると必ずヴィヴィアン皇后の耳に届いてしまうから、それはできなかった。
ただ私が宝石を買うだけなら、ヴィヴィアン皇后も気にしないだろうけど、今回はプレゼント用。渡す相手が、相手だものね。
「こちらになります」
「ふむ……」
サファイア、ルビー、エメラルド……どれも一級品だ。
流石、レティシアがお勧めする店なだけのことはある。
(どれもあの人にとっても似合いそうね……)
目の前に並ぶ宝石を一つずつ手に取り、慎重に選び始めた。
「このサファイアは、どこの鉱山で取れたも……あれ?」
悩んでいる時間が長すぎたのか、ふと顔を上げたときには、さっきまで居たはずの店主の姿が消えていた。
代わりに、背後から静かな声が響く。
「ごきげんよう、レディー」
一瞬で、全身が緊張した。
この店には今、私と、この声の主の二人きり。
バッ、と急いで振り返る。
そこにいたのは、モノクルをかけた男。穏やかな微笑みを浮かべ、静かに佇んでいた。
店内の薄暗い照明と、付けられたモノクルのせいで、顔がはっきりと見えない。
(この男、誰かに似ているような……)
しかしその男が漂わせる只物ではないそのオーラには、妙な既視感があった。
今私は、変装をしている状態で、身分を隠している。
そのためか、彼は私を「レディー」と呼んだ。
どうやらこの男は、私をただの貴族の娘と勘違いしているみたいだ。
「そちらを購入されるのですか?」
男が視線を向けた先には、私が手に持つパールのピアスがあった。
「……えぇ、何か問題でも?」
「いいえ、とんでもない。随分とシンプルなものを購入されるのですね。プレゼントですか?」
どうしてこんなにも話しかけてくるのかと疑問に思いつつ、私は無言で頷く。
すると、男は微笑を深めた。
「この店の店主は長々と裏に籠もる癖があるようでしてね。私が話を通しておきますから、どうぞ安心してお帰りください」
その言葉に、少しの違和感を覚えた。
なぜ彼が見ず知らずの私にそんな親切をするのか。彼の態度には、どこか不自然な余裕があった。
「ありがとうございます、紳士様」
怪しげな男を紳士様と呼ぶことは少し癪に障るが、この場を早く切り抜けるためには致し方ない。
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「おや、ウィンストン侯爵様。……こちらにいらっしゃったご令嬢は?」
「隠さなくたっていいさ。システィーナから来た皇子妃のことであろう」
男は付け慣れないモノクルを外すと、笑みを浮かべた。
「おや、ご存じでしたか……」
「彼女なら既に宝石を選んで帰って行かれたよ。請求書は家に送ってくれとのことだ。ハッ、皇宮が家とは、よく言ったものだな」
店主は微妙に困惑した笑みを浮かべつつも、男の言葉を否定しなかった。
男の名前は、イシス・ウィンストン。
ウィンストン侯爵家の当主であり、皇后ヴィヴィアンの双子の兄。
顔立ちこそ整っているが、どこか冷ややかで、人を見下すような余裕を漂わせている。双子の妹であるヴィヴィアンとよく似た目元をしているが、彼の方が遥かに感情を隠すのが上手い。
「はは……。それで、ウィンストン侯爵様はどのようなものをお求めで?」
「私の妹、ヴィヴィアン皇后陛下に似合う宝石を探しに来たんですよ」
その一言に、店主の背筋がわずかに伸びた。
ロゼッタがここを訪れた直後に、ヴィヴィアンの兄が現れる――偶然にしては、出来すぎている。
「それは光栄でございます。では、皇后陛下にふさわしいものをすぐに用意いたします」
「ああ、よろしく頼むよ。私の妹に、最も似合うものをね」
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