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【完結】親愛なるあなたに、悪意を込めて!  作者: にゃみ3
第一章 私の夫となったひと
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3


 呆れたように言い放ったエンディミオンの言葉に、隣の男が叫んだ。


「馬鹿野郎! 何言ってんだ!」


 直後、分厚い財務報告書らしき本がエンディミオンの頭に勢いよく叩きつけられる。


「うっ……! だって、本当のことじゃないか!」

「申し訳ございません、妃殿下!」


 慌てて黒髪の男性がエンディミオンと私の前に割って入ると、深々と頭を下げた。


「私は財務部副部長のキース・アンデルセンと申します。今の部長は三日ほど寝ておらず、少々機嫌が悪いのです。昔から寝不足になると途端に口が悪くなる人でして……どうか妃殿下の広いお心でお許しください」


 気にするなと言われても、はいそうですかと受け流せるほど私は寛容な心の持ち主ではない。

 私が贅沢三昧をしている? とんでもない! 第一皇子の妃でありながら、ドレスやアクセサリーを数枚購入することすら出来ておらず、システィーナから持ち込んだものと、ルイス皇子が戦地へ赴く前に彼が用意してくれたアスタリア式のドレス数枚を使いまわしている状態の何が「贅沢」だというのか。


「それで、お姫様がこんなむさ苦しい財務部へ何の用ですか?」


 先ほどから失礼な発言ばかりのエンディミオンが、にやりと口元を歪めて皮肉混じりに尋ねてくる。


「……サファイア宮の予算について相談に参りました」

「はい? まさか、まだ足りないとでも?」


 私の口から「予算」という言葉が出た瞬間、彼の顔つきが見る見る険しくなった。


 それまで彼をたしなめていたキースですら驚きと困惑が入り混じった視線を私に向けてくる。


「ええ、そのとおりですわ」

「……これだから能天気なお姫様は困るんだ」


 吐き捨てるような低い声に、私は目を細める。


 騒ぎを起こさず穏便に事が進むのを望んでいたから、先ほどからの無礼な言葉の数々に目を閉じていたが、さすがに我慢の限界だ。

 ここまで言われて私が黙って聞いてやる筋合いもない。


「先ほどから黙って聞いていれば、随分と無礼な口を利きますね? どう考えても、予算が足りていません。他国から嫁いできた私が、アスタリアで数枚のドレスも購入できないというのは、おかしいではありませんか。まもなく私の誕生パーティーが開かれます。主役はこの私で、その場にはシスティーナからの従者や使節たちも列席するはずです。もちろんシスティーナ王国だけではありません。その時彼らが目にするのは私個人だけでなく、アスタリア帝国そのもの。つまり私の装いは、単なる私的な贅沢ではなく、この国の威信に関わる問題になります」

「……ドレスの数枚も買えないだって?」


 エンディミオンの声は、あからさまに呆れと怒りを含んでいた。


「はい、そのとおりです」


 私が頷いた瞬間、彼はついに堪えきれなくなったようだった。


「あんなにも何百枚、何十個のドレスや宝石を買い漁っておいて、よく言えますね! ルイス皇子殿下は、常に国を第一に考えておられました。そんな高潔なお方の妻がこんなにも傲慢だなんて、ハッキリ言って俺はがっかりですよ! 不満があるなら、俺をクビにしていただいて結構です。もう、いい加減うんざりしていたんです。俺が忠誠を誓ったのはルイス皇子殿下であって、貴女たちのような傲慢な皇族ではありません!」

「やめろ、エンディミオン! 落ち着け、いくらお前でもそれ以上は皇族侮辱罪に問われかねんぞ!」

「……なんですって……?」


 無礼極まりない言葉の数々に、私の怒りは当然刺激された。


 しかし、それ以上に気に掛かったのは彼の発言。


「一体、誰が何百枚のドレスを? 誰が何十という数の宝石を買い漁っているというのですか?」


 冷ややかに問い返すと、エンディミオンは一歩も退かず、険しい目で睨み返してきた。


「貴女に決まっているでしょう。俺がこの多額の金額が書かれた書類を見て、どんな思いだったか。貴女には分からないでしょうね」


 吐き捨てるような言葉と同時に、エンディミオンは手に持っていた書類を机へ乱暴に叩きつけた。先ほどから彼が睨みつけていた文書だ。


 私はそれを手に取り、目を通す。

 書類の内容はアスタリア帝国皇宮、サファイア宮の予算表だった。


 丁寧に目を通した瞬間、私は思わず息を呑んだ。


 そこには、まるで見覚えのない出費が記されていた。

 高価なドレスの大量購入、王都の一等地にある宝石店への大量注文、豪奢な家具の取り寄せ……どれも私が指示をしたことなど一度も無い。


 しかし、そこには確かに私のサインと、皇族にしか与えられていないはずの金印が確かに押されていたのだった。


「ハッ、今更知らないフリですか?」


 エンディミオンの吐き捨てるような声が、冷たい刃のように空気を裂いた。


「……本当に、私には身に覚えがないのです……」


 私は回り続ける思考の中で、震える声で自分の容疑を否認することしかできなかった。


 システィーナ王国から来た異国の姫が、皇子が不在であるのをいいことに贅沢三昧な暮らしを送っている。そんな噂が立てば、私の立場はさらに狭まく、危うくなってしまう。


 だけど、一体誰がこんな真似をしたの? エンディミオンのようにルイスに忠誠を誓うものが私のような小国の姫との結婚は許さないと? ……いや、それは考えにくい。私に悪評が立って困るのは、私だけでなく、ルイスも同じ。

 立場の弱い夫婦の片割れが貶められれば、もう一方の評価も傷つくもの。


 これだけの金額が動いている以上、この事実を知るのは財務部の二人だけでは終わらないはず。すでに上層部、ひいては貴族社会にまで広がっているだろう。


 噂好きな貴族たちにとって「異国から来た若い皇子妃の浪費癖」など、さぞかし格好の話題に違いない。目新しく、口汚く、そして娯楽としてちょうど良いのだから。


「本当に、私は何も……」


 込み上げてくるのは、怒りよりも強い悔しさだった。

 感情を抑えようと拳を固く握る。爪が手のひらに食い込み、鈍い痛みが走った。


「これはサファイア宮の使用人が直接持ってきたものです。書類には皇族の証である金印も押されている。サインだって、貴女の名前が記されている」

「確かにこれは私の名前ですが、このサインは私が書いたものではありません。使用人にだって、財務部へ使いを頼んだことは一度だってありませんわ」


 皇族のみが所持することができる金印、それを扱える人物となれば犯人は限られてくる。皇族の人間、あるいはその直近に使える高位の側近……。


 ああ、考えるだけで頭が痛くて割れそうだ。

慎ましくも静かに自分の立場を弁えて、やるべきことをこなしていれば面倒ごとには巻き込まれないと思っていたのに。一体どこの誰が私の邪魔をしようというのか。どこの誰が私を陥れようと考えるほど恨むのか。

 故郷のシスティーナ王国でならまだしも、この国の人と良くも悪くも関係を全く築いていないというのに。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「おかえりなさいませ、ロゼッタ妃。お食事の準備は済んでおります」

「……出て行って」

「え?」

「いいから出て行ってちょうだい。……今日はもう、来なくていいわ。食事も大丈夫。就寝の準備も一人で済ますわ」


 エリーは私の言葉に一瞬、目を丸くして驚いた様子を見せたが、すぐに「かしこまりました」と言い残して下がっていった。


 エリーに対して罪悪感が沸かないわけではない。しかし、それ以上に恐怖の方が勝っていて、自分のことで精一杯な私には、彼女のことを気にかけてあげる余裕など残っていなかった。


 誰が味方で、誰が敵なのか。


 アスタリア帝国に来てからというもの、私は油断しすぎていたのかもしれない。私は自由になれたんだと、そう勝手に思い込んでしまっていた。


(これは、私に与えられた罰なの?)


「あ……」


 その時、机に置かれた淡く光る移動石と数枚の便箋が目に入った。


 エリーに勧められてから、私は何通かの手紙を戦地にいるルイスへ送った。しかし、どれだけ手紙を書こうとも彼からの返事は一通たりとも返ってこなかった。

 

 特に、驚きも悲しみもない。最初から分かっていたことだ。

 私のことを愛することはないと結婚初日に言い放ってくるような冷徹な男が、私からの手紙を読むはずがないのだから。


「……そうよね、私の手紙を彼が読むことはないのよね?」


 それなら、少しくらいこの不満をぶつけても許されるのではないか。

 私にだって言いたいことが山ほどあるのだから。


「私だって……私だって、好きでここに来たわけじゃないのよ」


 私は傍に置かれた羽ペンを持ち、躊躇うことなく便箋に字を書きだす。

 思っていることを全てぶつけるように感情的な文章を書きだした。


 彼に読まれることのないこの手紙に想いを……いや、悪意を込めて。




∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴




「乾杯!!」

「乾杯!!」

「いやぁ、こっちには偉大なる皇子殿下が着いておられるのだ! 負けるはずがない!」

「見たかよお前、あの敵兵の情けない顔ったら!」


 燃え盛る焚き火を囲むようにして、兵士たちが盃を片手に声を張り上げていた。

 そこから少し離れた所には、兵士たちの主であるアスタリア帝国の皇子が佇んでいた。


「ルイス、本当に行かないのか? みんなお前を待ってるぞ」


 騎士団長のアレックス・バレンティアは、からかうような笑みを浮かべながら上司であり、幼馴染でもある皇子を覗き込んだ。


「なぁ、おーい、聞いてんのか? ……いってぇ!!」

「お前は僕を誰だと思っているんだ?」


 何度も肘で肩を突かれる鬱陶しさに、ついに堪忍袋の緒が切れたルイスは無表情のまま、アレックスの頬をつねり上げた。

 ギリギリと力を込められて抓られた頬に、アレックスは情けない声を上げる。


「お前のことは俺が一番よく知っているさ、ルイス・ド・アスタリア皇子殿下?」


 強引に頬を引っ張られながらも、アレックスは負けじと笑みを崩さず言い返す。


 アレックスは由緒ある公爵家の次男。物心つく前から遊び相手に選ばれ、剣を交え、戦場では背中を預け合う仲間となった。

 互いに唯一無二の信頼を置いている関係だからこそ、彼は皇子であるルイスに臆さず軽口を叩けるのだ。


「それで? どうするんだよ、行かないのか?」

「ああ。悪いが、どうにも僕は戦争の勝利を祝う気持ちにはなれないんだ」

「そうか……お前はそういう奴だもんな。まあ、任せておけって。お前の代わりに親友の俺がバッチリあいつらの機嫌を取っておいてやるよ」

「恩に着るよ、アレックス」


 小さく笑みを返すルイスに向かって、アレックスは「ああ!」と快活に笑うと、兵士たちの輪の中へと戻って行った。


 焚き火の熱に背を向け、ルイスはひとり夜空を仰いだ。


 ルイスが戦地に赴いてから、もう三ヶ月が経っていた。


「これで、六通目か」


 ルイスの独り言をかき消すように、淡く緑色に光りが目の前に現れた。

 その光の中から、封をされた一通の手紙が姿を現す。


 ぱらりと開かれた便箋を手に取り、視線を落とした瞬間、ルイスの顔から徐々に表情が抜け落ちていく。


 淡い焚き火の光に照らされる横顔。眉が僅かに寄せられ、口元は固く結ばれる。呼吸すら忘れたかのように、ただただ文字を追い続けた。


 そして無音の時が数秒続いた後、ルイスは笑い声をこぼした。


「これは、どういうことだ?」


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