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「そう言えば、レティシア公女に聞きましたよ? 私が誘拐されている間、必死に私のことを探してくれたみたいですね」
話しているうちに、嬉しさのあまり自然と顔に笑みが浮かんでしまう。
ソファーに向かい合う形ではなく、横に座りに座る私たちの前には、甘いものがずらりと並んでいる。
どうやら、ルイスがメイドに指示を出して、この沢山のケーキを用意してくれたらしい。
「あむっ……」
一口食べるだけで、思わず笑顔になってしまうほどの美味しさだ。
「美味しいですよ、ルイスもどうですか?」
ケーキをフォークですくい上げ、ルイスに向かって差し出してみる。
しかし、ルイスは苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「残念です」
ちっとも残念がっていない声色で言うと、そのまま自分の口に運ぶ。
(まぁ、断ることは予想できていたわ。あなたは甘いものが苦手だからね)
甘党な私とは違い、彼は甘いものが苦手だ。どうやら、食べると頭が痛くなってしまうらしい。
こんなにも美味しいスイーツが嫌いだなんて、私には到底理解が出来ない。
「君を失うと思った時……」
「え?」
私が食べている様子を、口を閉ざしたまま見つめていたルイスが、突然話し始めた。
「僕は、気が気ではなかったんだ」
そう言うと、私の手を取って自身の口元に持っていく。
そしてそのまま、包帯の巻かれた、私の左手にそっとキスを落とした。
そこは、先日ヘアンの実が練り込まれたお菓子を口にした際、自らナイフを突き立てた場所だ。
少しずつ傷は治ってきているものの、未だに包帯を巻いたままの状態で、その手は痛々しく見えた。
珍しい。自分の気持ちを、正直に話してくれるだなんて思いもしなかった。
普段は、私をからかうように腹が立つ言い方をすることが多い人だけど、素直なところは、一段と可愛く見えてしまう。
(まあ、可愛いだなんて言ったら怒るだろうけど……)
「私はずっと、あなたの傍に居ますよ」
甘いケーキの香りと、二人の間に流れる穏やかな空気。けれどその奥には、互いに隠している感情が揺らめいていた。
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「こんにちは!」
「わあ! び、びっくりした……」
突然背後から声をかけられ、驚きのあまり後ずさる私に、満面の笑みで挨拶したこの男。
「お久しぶりです姫君! お加減はいかがですか?」
「ええ、お陰様で……。お久しぶりですね、アレックス公子」
公爵令息、アレックス・ヴァレンティア。
今日も今日とて、爽やかな笑顔を浮かべている。綺麗な赤髪は陽光を受けてキラキラと輝いており、ほんのりと紺色が混ざったような青の瞳が印象的な人だ。
アレックス公子はおちゃらけた性格が目立つ人だが、丁寧に整えられた髪型や無駄のない佇まいから、彼が公爵家の令息を自然と思い出せる。
「公子とルイスは、昔からの仲なのですよね?」
「ええ、そうです」
「それでは、公子に少しお伺いしたいことがあるのですが……」
「姫君からの質問なら、なんだって答えましょう!」
アレックス公子は目を輝かせて、興味津々と言わんばかりに身を乗り出している。
(なんだかこうしてみると、子犬みたいな人ね……)
見えないはずの尻尾が、ブンブンと振られている様子が簡単に想像できてしまう。
「実は、少し気になったことがありまして。……その、ルイスとレティシア公女はあまり仲がよろしくないのでしょうか?」
私はアスタリア帝国に来てから日が浅い。その上、ルイスと過ごした時間は本当に短い。それならば、この国で過ごし二人とも仲が良さげなアレックス公子に聞くのが一番だと私は考えた。
私の質問に、一瞬ポカンとした表情を見せたアレックス公子。
しかし、すぐに軽くため息をつき、少し考え込むように視線を落とした。
「……実はですね姫君。俺ら、というか、俺たちは幼馴染なんですよ」
「お、幼馴染……ですか?」
そんな話は、一度だって聞いたことが無い。
私の言葉に、アレックス公子は眉を下げて「はい」と続けた。
「ルイスは第一皇子とはいえ、皇后から疎まれ命を狙われている。そして俺は公爵家と言っても優秀な兄とは違い出来損ないの次男です。そして、レティシアは女性だ。他の全てが完璧でも、性別だけで差別をされてしまう。……欠けたものを持つ俺らは、何かと一緒にいる機会が多かったんです」
その話を聞き、なるほど、と納得した。
冷静で感情を抑えがちなルイスと、完璧な令嬢で居続けるレティシア。それぞれが抱える重圧の中で、幼い頃から信頼できる関係を築いていたのだろう。
「そうでしたか……。教えてくださりありがとうございます、アレックス公子」
「いえ、また何かありましたらお気軽にどうぞ。姫君からなら、大歓迎ですから!」
「ありがとうございます」
「では、また!」と声を上げながら走り去っていくアレックスの背中を見ながら、私は彼の姿が見えなくなるまで手を振った。
ルイスもレティシアも、私がお互いの名前を出せば明らかに皮肉じみた言い方をしていた。
だけどそれは、仲が悪いとかじゃなくむしろとても仲が良かったから。
冷静な二人がお互いのことになると感情的になるのは、信頼関係があったから……。
「…………」
二人の関係を当人からではなく、第三者のアレックスから聞くことになったことを不満に思うのは、ここだけの秘密だ。
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「イシス兄さんどういうことなの? 聞いていた話と、全然違うじゃない!」
ヒステリックに甲高い声を上げながら、ヴィヴィアンは手に持っていたワイングラスを乱暴に地面へ叩きつけた。
「落ち着くんだ、ヴィヴィアン」
彼女の怒りをたしなめるように、穏やかな口調で応じたのは彼女の兄、イシス・ウィンストン侯爵。
――ヴィヴィアン・ド・アスタリア。
ウィンストン侯爵家出身の令嬢であり、アスタリア帝国の皇后である彼女は今、長く伸びた赤い親指の爪を噛みしめ、怒りを隠せない様子だった。
そんな彼女と対照的に、イシスは冷静に妹を嗜め始めた。
「結果的には第一皇子と皇子妃の関係を明らかに出来たのだから良いではないか。私としても、ブレイス男爵という貴重な駒を失ったのは痛手だ。しかし、成功のためには犠牲が必須。それはお前も、十分に理解しているはずだろう?」
イシスの冷徹な言葉に、ヴィヴィアンは一瞬押し黙る。そして、深呼吸をして息を整え、目を伏せた。
「……ごめんなさい兄さん。それも、そうね」
ヴィヴィアンは、自分が気にくわないと感じた相手を決して許さなかった。些細な出来事でも、自身を不快にさせた者には容赦なく制裁を加える。相手が子供であろうと、貴族であろうと、自分の義理の息子であろうと、その手は決して緩まなかった。
だが、そんなヴィヴィアンにも唯一例外があった。実の兄、イシス・ウィンストンに対してだけは違ったのだ。
「それで? ブレイス男爵はどうなったの?」
「ああ、奴なら始末したよ。念のため暗殺者を雇っておいて正解だった。第一皇子たちに拘束されたところを、銃で一発さ。万が一のことがあっては困るからな」
「そう……それならいいのよ。彼の口からわたくしたちの名が漏れたら、それこそわたくし達は終わりだもの」
ヴィヴィアンは安堵したように一息つくと、ソファーに座り直した。
ワインレッドの髪を持つ二人の兄妹。その姿は、瓜二つ。
男女の差から背丈や体格は違うものの、顔だけ見ればどちらか見分けが付かないほど二人は似ていた。それは容姿だけでなく、強欲で残虐な性格までも。
「兄さん……わたくし、やっぱり不安だわ」
「心配するな、ヴィヴィアン。お前なら必ずやり遂げられる。私たちはこれまで、どんな手を使ってでも目的を達成してきた。そうだろう?」
イシスの言葉に、ヴィヴィアンは小さく頷く。
侯爵家の出身である彼女が皇后として権力を手にするまでに、どれだけの悪事を働いてきたか。それは墓場まで……いいや、地獄まで持って行くことになる秘密だ。
「私たちは双子。いつだって、一心同体だ」
「……はい、兄さん。分かっています」
イシスとヴィヴィアン。
兄妹としての絆は非常に深く、根強い。二人はどんな障害も共に乗り越え、どんな犠牲を払ってでも、どんな罪を犯したとしても、自分たちの地位を守り抜いてきた。
どこまでも支え合い、どこまでも闇へと手を伸ばしてきた双子の兄妹。
その結束は、血よりも濃く、恐ろしいものだった。
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「この大量のプレゼントは一体……」
私の部屋に山のように積み上げられたプレゼントの数々。大勢のメイドたちが整理に追われているけれど、それでも追いつかないほどの量だった。視界を埋め尽くす煌びやかな淡い水色の包装紙の海に、思わず言葉を失ってしまう。
「エリー、このプレゼントどうしたの?」
混乱の中で見慣れた顔を見つける。いつも私に仕えるメイドのエリーが、慌ただしく動いていた。
「ルイス皇子より贈られてきたものになります」
「まさか、これすべて?」
「はい……」
(し、信じられない……!)
王女としてシスティーナ王国にいた頃に迎えた誕生日でも、誰かにこれほどまでのプレゼントを贈られたことは無かった。
システィーナが小国だということももちろんあるだろうけど、皇太子のお兄様や、第一王女のお姉様と違って、私の影はとても薄かったから、それは仕方がないことだった。
「ルイス皇子様は、ロゼッタ妃を本当に大切にしていらっしゃるみたいですね。こんなにも沢山の贈り物をされるとは、なんてロマンチックなのかしら……」
エリーがうっとりとした表情で言う。その瞳は、どこか夢見る少女のようだった。
(あらあら、真面目なエリーをここまで乙女な顔にしちゃうなんて……)
「そうかしら」
思わず口ごもってしまう。いざ人から言われると、どうにも照れてしまう。
こんなにも沢山の贈り物をされたら、自分が大切にされていることくらい嫌でも自覚してしまう。
「彼は、一体何を考えているのかしら」
つぶやくように口にした言葉は、エリーには届いていないようだった。
改めて目の前に広がる贈り物の山を見て、小さくため息をつく。
黄金の宝飾品や美しいドレスの数々……。嬉しさを感じる反面、こんなにも沢山の贈り物を貰ってしまってどうお礼をすればいいのかと頭を抱えてしまうわ。
本当に、なんとも贅沢な悩みだ。
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「おや、こんなところでお会いするとは珍しい……」
ルイスが居るであろう執務室へと足を向けると、執務室の前で背丈の高い赤髪の男性と出会った。
優雅な身のこなしと穏やかな微笑みが印象的なその姿は、長年の貴族社会での洗練を物語っている。
(赤髪に青の瞳……本当、ヴァレンティア家は皆そっくりね)
彼の名は、アルベルト・ヴァレンティア。ルイスの友人である、アレックス公子の実の父親だ。
ヴァレンティア公爵は、ルイスが戦地に居る一年間。アスタリアに来て日が浅く、右も左も分からず皇子妃としての仕事に苦戦していた私に、丁寧に色々と教えてくれた人物だ。
(いつ皇宮から追い出されるかもわからない、ポンコツ皇子妃の私に優しくしてくれた超絶良い人! そして何より、超が付くほどのイケメン!)
ヴァレンティア家の人たちは本当に眩しいくらい顔立ちが整っている。その上、親子そろって皆親切な人だ。
「ヴァレンティア公爵、お久しぶりですね」
「ここにいらっしゃるということは、ルイス皇子殿下にご用が?」
「はい、ちょっと話がありまして……」
話というか、文句を言いに来たというか。嘘はついていないが、微笑ましいとでも言いたげな顔で私を見つめるアルベルトを騙してしまっているようで、なんだか罪悪感が押し寄せる。
「ルイス皇子殿下は近頃、本当に沢山笑顔を見せてくれるようになりました。それは他の誰でもない、ロゼッタ妃のおかげでしょう」
「……そうでしょうか?」
「ええ、そうですとも」
(公爵ってば、時々大げさな時があるのよね。ルイスは昔から、笑ってばかりじゃない。あのニコニコと腹の立つ笑みがお上手な皇子で有名なんでしょ? ……まぁ、これは私が今考えたことだけど)
「私は、皇帝陛下のご命令で、幼き頃から皇子を見守っておりました。だからこそ分かるのです。戦地から帰った皇子は本当に楽しそうで、私も一体何があったのかと思っておりましたが……ロゼッタ妃が誘拐された事件の日、私は確信しました」
アルベルトの顔を見ていれば、心からルイスを想って考えていることが分かった。
「ルイス王子殿下は、本当に苦労をされて来たお方です。ですのでロゼッタ妃、どうか皇子をよろしくお願いいたしま――」
アルベルトが話を終える前に、重厚な執務室の扉が音を立てて開いた。
「その辺にしておいてもらえるか? 公爵。妻にそういった話をされるのは、困るんだ」
突如、背後から聞こえたその声に、急いで振り返る。
するとそこには、眉を下げてニッコリと笑みを浮かべるルイスの姿があった。
「申し訳ございません皇子。いけませんね、歳を取るとついつい口数が増えてしまいます。……ではロゼッタ妃、私はこれで」
「は、はい。お元気で、ヴァレンティア公爵」
アルベルトは軽く一礼すると、その場を去った。
赤髪の背中が遠ざかるのを見送ったあと、私は視線をルイスへ戻す。
「早速着けてくれたのか」
ルイスは私の頭上へと視線を向けた。
その視線の先に合ったのは、私の頭に乗せられた黄金の髪飾り。
「着けてくれたのか? じゃあ、ないですよルイス! あの大量のプレゼントはなんですか!」
「薔薇の花冠のお礼さ」
「お、お礼って……」
あれは、誕生日のプレゼントとして渡したものなのに、そのお返しを貰ってしまったら、プレゼントの意味が無いではないか。
ルイスは私の頭にそっと手を伸ばし、ミニ薔薇の髪飾りに触れた。
「君によく似合っているよ」
低い声でそう告げると、ルイスは静かに微笑んだ。
私が今付けている髪飾りは、ルイスからのプレゼントの中にあったものだ。
せっかくだから何か身に付けて行こうと、豪華な品々に目を通していた時。エリーが「きっとお似合いですよ」と言いながら手に取ったのが、この髪飾りだった。
「……ありがとうございます」
照れくささと戸惑いが入り混じり、自然と視線を逸らしてしまう。
あの日のお礼が、ミニ薔薇だなんて。
私の名前、『ロゼッタ』は小さな薔薇という意味を持っている。もしかすると、彼はそれを意識してこのプレゼントを贈ってくれたのかもしれない。そう考えると、ますます照れてしまう。
「もしかして、あなたは私をからかうことを楽しんでいるのですか?」
「ははっ、からかってなんかいないさ。ただ、僕は君に似合うと思っただけだよ」
真剣な顔つきで、真面目に話すルイスを見ていると、恥ずかしすぎて顔に熱が集まった。
ダメだ。こっちが本気になれば本気になるほど、恥ずかしくてどうにかなりそうになる。
「はぁ……」
大きくため息をついて、熱くなった顔を押さえた。
∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴ ୨୧ ∴∵∴
「そろそろ気を直してくれたか?」
「別に、初めから怒ったりしていません」
紅茶を置いた私は不貞腐れたようにそう呟く。
テーブルの上にはいつにも増して沢山の種類のケーキがずらりと並べられていた。
「いくらなんでも、これはやりすぎじゃないですか? あなたは一口も食べないくせに」
「君は甘いものが好きだからな。僕の分まで、君が食べてくれればいいよ」
そう言って微笑む彼の顔が、やけに穏やかで腹が立つ。
「……私のことを、甘いものにつられる簡単な女だとでも思っているのですか?」
少し冷たく返してみるが、ルイスは動じる様子もなく、それどころか楽しそうに笑った。
「どうかな。でも、気に入らないなら無理に食べなくてもいい」
「嫌とは言っていません」
小さく呟き、目の前のケーキに手を伸ばす。
口に入れると、柔らかな甘さと繊細な味が広がった。
(悔しいけど、やっぱりスイーツは美味しい……)
「まあ、反省しているのなら許して差し上げます」
「それはよかった」
しかし、許すかどうかの前に、私は本当に怒ってなどいない。確かに少し困惑はしたけれど、ルイスからの想いは十分に伝わっているし、嬉しかったのも事実だ。
(だけど、そうね。確かにちょっと、私の行動や言動は少し生意気だったかもしれない)
「少し感情的になりすぎました、ごめんなさい。あんなにも沢山のプレゼントを誰かから贈られたことは初めてだったので、どうすればいいか分からなくなってしまって。それに、私の身体は一つです。使い切れるかどうか……」
「それなら大丈夫だ。次のパーティーで、気に入ったものを付けてくれたらいい」
「……パーティ―?」
「ああ」
ルイスの一言に、私は動揺してしまう。
近日中のパーティーの予定はルイスの誕生日くらい。それはもう済んだし、あとは皇子妃として私が公爵家や侯爵家のパーティーに出向くくらいのはず。
「待ってください。そのパーティーとは、一体何のことですか?」
少し警戒するような口調で尋ねた私に、ルイスは穏やかに微笑みながら言った。
「パーティーを開くことにしたんだ。言ってなかったか? ちなみにそのパーティーの主役は、ロゼッタ、君だよ」
・・・はい?
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