21
「わたくしの可愛いロゼッタ! ああ、無事だったのね」
皇宮に帰った私を、一番に出迎えたのはヴィヴィアン皇后だった。
彼女は涙を浮かべているかのように、ありもしない涙を拭う。そのうえ、悲しげな表情を作り、両手を広げて私に歩み寄ってきた。
ブレイス男爵邸――彼女の実家ウィンストン侯爵家の分家。これが、単なる偶然ではないことは明確だった。
「ご心配をおかけしてしまい申し訳ございません。ありがとうございます、皇后陛下」
ヴィヴィアンに笑顔を向け、頭を下げる。
なんて白々しい女なのかしら? 本当なら、私をあんな目に合わせて、心配げに私を見つめる中でもルイスへの殺気だけは忘れないこの忌々しい女に。一発ビンタでも……いいえ、グーで殴り飛ばしてやりたいくらいだけど。
けれど、ここで感情を剥き出しにしては全てが水の泡になる。
今はダメ。我慢よ、ロゼッタ。
「お心遣い、感謝いたします。こうして無事に戻ることができましたのも、全て皇后陛下のおかげです」
「まあ、何を言うの。当然のことよ、貴女はわたくしの大切な、家族なのですから」
(家族? 笑わせないでよ。私を殺そうとしておいて、よくそんなことが言えるわね)
私は表情一つ変えず、ただ静かに彼女の言葉を受け流した。ここで表情を崩しては、彼女の思う壺だ。
ふと視線を横にずらすと、私を心配げに見つめるルイスの姿が目に入った。その目に浮かぶ不安の色を和らげるため『心配しないで』と言う意味を込めて笑みを向けた。
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「そう言えばレティシア公女、クララさんは……」
昼下がり、サファイア宮にレティシアを招いて二人でお茶会を開いていた。
しかし、この場が和やかな世間話に終始するような典型的な令嬢たちのお茶会でないことは、招いた私自身が一番よく分かっていた。先日起きた、皇子妃誘拐事件について話だ。
「彼女のことなら大丈夫です。ロゼッタ様はお気になさらないでください、それ相応の処罰を致しましたので」
「そうですか……」
私は頷きつつも、胸の奥にわだかまりを感じた。
クララはレティシアが幼い頃から仕えていたメイドだと聞いている。いくら反逆者だからと言っても、長い間傍にいたクララを処罰をするのはとても心苦しかったことだろう。
「ですが、皇子がクララを切り捨てようとしたときは流石に焦りましたね」
「……えっ、ルイスがですか?」
思わず声が上擦る。あの冷静沈着なルイスが、人に剣を向ける姿が想像できなかったからだ。
「はい。ロゼッタ様の誘拐を引き起こしたのがクララ張本人だと知った途端に目の色を変えて襲い掛かっておりました。彼を止めるのは、本当に大変でしたわ」
剣を握った男を止めるなんて、どれだけの覚悟が必要だったのだろう。
やっぱり、レティシアはクララに対して強い思い入れを抱いていたんだわ。だから剣を持ったルイスを止めて……。
彼女に処罰を下すきっかけを作った私を、心のどこかで恨んでいるのではないか――そんな嫌な考えが、頭をよぎる。
「まったく、クララには存分に拷問を行い、情報を割らせないといけないというのに」
「あ、あはは……」
私はその言葉を聞いて、苦笑いを浮かべることしかなかった。
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「やはり、裏で手を引いているのはヴィヴィアン皇后だと思います。どうして私に目を付けたのかは分かりませんが……」
「もしかすると、皇后陛下はロゼッタ様を攫い、ルイス皇子が動くかどうか、それを確かめたかったのではないでしょうか?」
「私のために、ルイスが……?」
「皇后の狙いは、やはり第一皇子である彼でしょうから。ロゼッタ様が使える駒かどうか確かめたかったのではないでしょうか。そうなると、恐らくですが、またロゼッタ様の身に危害が加わることがあるかもしれません」
確かにその話だと、色々な点に利点が効く。
それなら、ヴィヴィアンはこれからルイスに何かを仕掛けるつもりなのだろうか。その時、私が使える駒なのかどうか試すため、こんな真似を。
(こんな思いをするのは、もう嫌。自分自身が被害に合うことも、夫が命を狙われている状況も。周囲の人間にまで被害が及ぶことも。もう、うんざりよ……)
「そうですね……では、暫くの間、私たちは会うことを控えましょう」
レティシアは私の言葉を聞くと、ピクリと眉を震わせた。
「何故です?」
「私の傍に居たら、レティシア公女にも危害が加わるかもしれないじゃないですか。私のせいで、公女が危険に巻き込まれるわけには――」
そう言い切る前に、レティシアは笑みを浮かべて、私の言葉を遮った。
「あら、ロゼッタ様。私を何だと思っておられるのですか?」
彼女の瞳がこちらを射抜くように見つめ、次の言葉を静かに紡ぐ。
「私はレティシア・フォンディア。帝国一の騎士道精神を誇るフォンディア公爵家の娘です。心配はご無用です。自分の身くらい、自分で守れますわ」
そう語るレティシアの瞳には、一片の迷いもなかった。
気高さと覚悟――私が憧れた、レティシアという女性の本質なのだと改めて思い知らされてしまった。
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「ルイス!」
レティシアを見送った後。自室へ戻ろうとしていると、少し先に居たルイスの姿に気が付いた。私は彼を見つけるやいなや、駆け寄り声をかける。
「ロゼッタ、走ると危ないといつも言っているだろう」
ルイスは私に気が付くとわずかに眉を寄せ、まるで子供に話すかのように私に注意した。
「……あなたは私のことを子供か何かかと思っているのですか?」
私の言葉に静かに微笑むルイス。
(なによ、この余裕たっぷりの態度は。返事くらいしなさいよ。その腹立つ笑顔はなんなのよ)
「レティシア公女との茶会は楽しかったか?」
(あっ、話を逸らした……)
今回のレティシアとの茶会を進めてくれたのは、他でもない、ルイスだった。
誘拐事件のせいで疲れが見えていた私に、少しでも気を休める時間をと考えてくれたらしい。
上辺では大丈夫だと笑って見せていたが、正直助かった。帰ってきてすぐに皇子妃としての職務や、ヴィヴィアンとウィリアムからの異様な好意を避け続ける体力は残されていなかったから。
ヴィヴィアンは何度も私を皇后宮へ呼び出したけれど、レティシアとの予定があると言えばすぐに静かになった。
レティシアはフォンディア公爵家の姫君。ヴィヴィアンも、自身の生まれがレティシアよりも下の侯爵家であることを、引け目に感じているところもあるのだろう。
「ええ。ですが、先日の事件の話ばかりでしたけどね」
「彼女は聡明だが、公爵に似て空気の読めないところがあるからな」
「……もしかして、ルイスはレティシア公女と仲がよろしくないんですか?」
何か引っかかる言い分に思わず問い返すと、彼の微笑みが一瞬だけ曇る。
そして、すぐに作り直した笑顔で言った。
「そんなことはないよ」
いやいや。今更笑顔を作ったところで、先ほど見せた嫌悪感の溢れる顔は見過ごせませんよ。
「あいつが僕の悪口でも言っていたか?」
「まさか、レティシア公女がそんなことを言うはずがないじゃないですか」
「それもそうだな。彼女なら不満に思うことがあれば直接言ってくるだろう」
レティシアのことを知り尽くしているかのような言い方が少し気になったが、これ以上私は、レティシアの話を追求することは無かった。
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