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「僕が留守の間、よろしく頼むよ」
大勢の人々が見守る中、ルイスは私に笑みを向けた。初めて会ったあの日のように、完璧な王子スマイルを。
銀色の髪が陽光に煌めき、彼の青い瞳はどこまでも澄んでいて、まるでこの瞬間だけを切り取れば絵画のように見える。
ほんと、憎たらしいほど絵になる男ね?
こちらも負けてられるかと、システィーナ王国仕込みの完璧な姫スマイルを返した。
演じることは慣れている。人々の注目が集まる今、夫を愛する献身的な妻を演じることこそがこの場における私の役割だ。
(誰があなたの帰りを心待ちにしているものですか。できることなら、ずっとここへ帰ってきてほしくないくらいよ)
戦地へと向かう夫に対し、このようなことを考えてしまうなんて私はなんて捻くれているのだろう。
それでも、新たな国で上手くやっていくためには面倒なことはできるだけ避けたいのだ。皇后の座にもさほど興味はないし、継承権の争いごとに巻き込まれるだなんて絶対に嫌よ。
皇帝や皇后が集うこの地獄の空気から抜け出したかった私は、戦地へと向かう夫を最後まで見届けたいと皇帝に頼んだ。
了承を得た後、すぐに自室へと走り、部屋に備えられているテラスから身を乗り出して外を眺めた。
ここからは、城を後にしていくルイスと騎士団員たちの姿がよく見えた。
暫くボーッとしながらその光景を眺めていると、ルイスはまるで野生の勘でも働いたかのようにこちらに振り返り、目が合った。
そして、彼はひときわ目立つほど手を上げると、私に向かって敬礼をした。
(……なんのつもり?)
私はルイスに気づいていないフリをして、それを無視した。
(なにが君を愛することはないよ。そんなの、こっちのセリフだわ!)
愛していない男が戦場でどうなろうとも、私からしたらどうだっていいこと。死のうが生きようが、どうだっていい。
そんなわけで、私は戦地へと向かっていった夫を想い涙を流す日々を送る……なんてことはサラサラなく。
「あ~、アスタリアの皇宮って最高……!」
私は今日も、アスタリア帝国での生活を満喫させていただいていた。
「喉が渇いたわ、何か飲み物を持ってきてくれるかしら」
「かしこまりました」
「甘いものが食べたいの。ケーキを持ってきてちょうだい」
「すぐにお持ちいたします」
ふと周囲を見渡せば、私の周りには大勢の使用人。私の言葉にすぐさま反応し、誰もが二つ返事で従う。
システィーナではいつも制限された生活を送っていたから、こんなにも自由で快適な日々は私にとってまさに天国そのものだった。
私が今暮らしている、サファイア宮。聞けば、ここは元々ルイス皇子が使用していた宮殿らしい。
大国アスタリアの皇子の宮殿にしては、内装のあちこちに古びた部分が目立つ宮殿。使用人の数も、システィーナの宮より、ずっと少なかった。
一瞬、胸に疑問が過ったものの「彼がこういう細かいことに関心を持たない人なのだろう」と納得することにした。
そのうえ、私に与えられた予算も驚くほど控えめだった。
もっとも、私は元から浪費を好むような性格ではないので、気に止めてはいなかったのだが……。
「ロゼッタ妃、皇子様にお手紙を書かれてはいかがでしょうか?」
慎ましくも、穏やかな日常が続いていたそんなある日。突然、メイドのエリーがそんなことを言い出した。
「手紙?」
エリーは私の問いに「はい」と答えると、シンプルなデザインの便箋と移動石を私に手渡した。
移動石、それは貴族や皇族が文通や贈り物をする時に使われる魔法がかけられた道具。とても高価なもので、中々手にすることができない品だった。
「ええ、きっと皇子様も荒くれた戦地でロゼッタ妃からお手紙が届けばお喜びになられるはずです」
「そうかしら? 面倒に思われるだけだと思うけれど……」
戦地へ行っている夫に手紙の一枚も書かないというのは、世間的に印象が悪い。だから突然手紙を書けと言い出したのだろう。
しかし、改めて手紙を書けと言われても困る。私と彼は長い時間を共にしたわけでも、親密な関係な訳でもない。
ただ、政略によって結ばれた名ばかりの夫婦というだけ当然、手紙で綴るような思い出もない。
だけど私も、こんなにも良い生活をさせていただいているのだから、妃としての責務を果たさなければならない。
「ありがとう。……手紙、書いておくわね」
笑顔で頷いてはおくものの、あの男が私の書いた手紙を見るとは到底思えなかった。
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アスタリア帝国に来てから、あっという間に三カ月が経過していた。
未だに、ルイスは戦地からは戻っていない。
そんな中、私は17回目の誕生日を迎えようとしていた。
第一皇子ルイスと婚姻を結んだ私は、形式上とはいえアスタリアの皇族の一員だ。そのため、今回の誕生日には皇宮内で誕生パーティーを催すことが決定された。
程なくして、従者伝いに誕生パーティーのすべてを私に任せるとの伝言が皇帝陛下から送られて来た。
もしも、私がとてつもなくポジティブな性格だったなら、皇帝陛下が私を信頼して任せてくださった! と、能天気に喜ぶことができたかもしれない。
けれど、現実はそう甘くない。「すべてを任せる」とは、裏を返せば丸投げであり、もし何か不備や不興があれば、それはすべて私の落ち度とされるという意味に他ならない。
もっとも、そこまでは百歩譲って納得できる。他国から嫁いできた私を試そうとしているのだと思えば、まだ筋は通っている。
だからこそ、今私が本当に頭を悩ませている問題はこっちだ。
「予算が足りないって、どういうことなの?」
私は誕生パーティーにふさわしい新しいドレスを新調しようと、いくつかの候補を選び、それに合わせたアクセサリーも一緒に注文しておくよう侍女のエリーに指示を出した。
ところが、エリーは困ったように眉をひそめて、「そちらの品物は予算が足りないため購入できかねます」と口にしたのだ。
大国アスタリア帝国の第一皇子の妻として公の場に出るのだから、当然見合った品位のある装いが求められる。
だからこそ、選んだドレスや装飾品はそれなりに高価ではあったけれど、決して度を超した贅沢をしているわけではない。
むしろ、ヴィヴィアン皇后が身にまとう煌びやかな衣装と比べれば、私が選んだものなど雀の涙のような質素さだ。
「本当に申し訳ございません……」
エリーは深く俯いたまま、謝罪の言葉を繰り返すばかりだった。
「謝ってほしいわけじゃないわ。どうして予算が足りないなんて事態になっているのか、理由を知りたいの」
問いただすように強く言うと、エリーは一瞬だけ視線を上げたものの、またすぐに逸らしてしまう。
そして、絞り出すように小さく呟いた。
「本当に申し訳ございません」
まるで何かを隠しているかのような態度。
問いに答える気がないのか、それとも答えられないのか。
どちらにしても、私の胸にじわじわと冷たい不信感が広がっていく。
「……もういいわ。下がってちょうだい」
痛む頭を押さえて、静かに言い放つと、エリーは深く頭を下げて部屋を出ていった。
(答えてくれないなら……こっちから探るしかないわね)
そう決めた私が向かった先は、アスタリア皇宮の財務部。
「どちら様ですか?」
「部長、無礼ですよ。この方はルイス皇子殿下の妃になられた、ロゼッタ皇子妃様です!」
大きなあくびをしながら乱れた髪をガシガシと搔き、皇子妃に向ける態度とは思えないほど無礼なふるまいをした男に、慌てて隣に立っていた男が怒鳴る。
やや間を置いて、目の前の無礼な男は驚いたようにこちらを見つめ直した。
「……この方が、ルイス皇子の?」
まるで品定めするかのような目で私を見つめる男。
栗色の髪は寝癖で跳ね、目の下には深い隈。だらしない印象だが、顔立ちは整っておりモノクルが妙に似合っている。
この人が、アスタリア帝国財務部部長エンディミオン・ボルジアン……。
「あー、なるほど。貴女が夫が戦争に行ってるにも関わらず毎日贅沢三昧だというシスティーナの姫ですか」
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