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「生意気なお嬢様には少し黙っていただこうか」
その言葉と共に、男が手を高く掲げた。
その手に持っているものが何なのか、それを理解した途端に私の心臓が跳ね上がる。
それは、ルイスとの手紙交換で何度も使った移動石だった。
移動石なんて高価なものをどうしてこの男たちが持っているのか。……いや、それよりもこれは大変なことになってしまった。移動石さえあれば、すぐにここから立ち去れるし、腕を触れられでもしたらすぐに連れ去られてしまう。
移動石……それは一般には流通しないほど貴重で高価な品物。手にすることが困難なだけあって、使用方法はとても簡単なものだった。石を軽く握ると直ぐに崩れ、それを移動させたい対象に振りかければ、たちまち光に包まれて姿が消える。
しかし、それはあくまで物に使うものであり、人間に使う場合は魔法使いの同行が必須なはずだ。お遊び半分で使って片腕一本落とした……なんて恐ろしい事件も聞いたことがある。
そんな危険なものをこの男たちは今、レティシアに向かって使おうとしているのだ。
(ああ、もう、なんなのよ! あんたたちの狙いは私だけなんでしょ? 正々堂々と、私を狙いなさいよ!)
「待ちなさいな! レティシアお嬢様には手を出さないと言っていたはずだろ!」
「ハッ、いつ俺らがそんな約束をしたっていうんだ?」
「そんな……お嬢様!!」
悲鳴にも似たクララの叫びが響く。
仮にも長年仕えた主人への情はあるのだろう。クララは男を必死に止めようとしているが、男はそれを気にも留めない様子だ。
次の瞬間、男がレティシアへと一歩近づく。
それでもレティシアの顔色は何一つ変わらない。恐らく、レティシアは男の持つものが移動石だと気づいていないのだろう。
不審者相手にも引かない所は流石だけど、もし私が生きて帰れたのなら友人として説教させていただくわ。いくらなんでも、危険な真似をしすぎよ。
「ダメよ、レティシア!!」
必死に声を振り絞り、彼女の名前を叫んだ。
その瞬間、レティシアは驚いたようにこちらを振り返る。
「ろ、ロゼッタ様?!」
私を庇う形で前に立っていたレティシアを追い抜く形でレティシアと男の間に割り込む。
(庇ってくれてありがとう。とても嬉しいわ。でも、私のせいで貴女まで被害に合うことない)
「っ、! 何をして――」
男の驚愕の声が耳に届くと同時に、移動石が眩い光を放った。
その光に包まれた瞬間、宙を舞うような感覚に襲われる。目を開けているのか閉じているのかもわからない、体が吸い込まれるような感覚に襲われる。
そして、衝撃とともに私の身体は固い地面に倒れ込んだ。
再び目を開けたとき、私の目に飛び込んできたのは、古びた木造の小屋だった。
丁寧に整備された王室育ちの私はどうしても違和感があり、湿った木の匂いと、腐敗した木の匂いが鼻をつく。
直ぐに全身を見渡してみるがとくに痛みも不備もない。どうやら運良く五体満足でいれたみたいだ。
(……わぁ、すっごい怒った顔してるわね)
自分の体を確認した後、周囲を見渡してみると一緒に移動してきた男たちの姿が目に入った。
「くそっ、やってくれたなお姫様よぉ!」
「別にいいでしょ? 貴方たちの狙いは、初めから私だったんだから」
男の言葉に、精一杯の冷静さを装いながら返事をした。
足元から緊張が這い上がるのを必死に抑えつけて、背筋を伸ばす。
システィーナの姫として、アスタリアの皇子妃として。いくら相手が誘拐犯とはいえ、民の前でいつまでも惨めな姿ではいられない。
「……まぁ、それもそうか。はっ、誘拐されたってのに随分と威勢のいいお姫様だな」
男は嘲笑を浮かべながら、ゆっくりと私の方へ一歩近づく。その視線は鋭く、油断したら全身を貫かれそうだ。
人を何人も殺してきたような。そんな悪人の目。
「お褒めにあずかり光栄よ」
私を鋭い目つきで見つめる男に、精一杯の威勢を張った。
せっかくルイスと話し合えたばかりだったのに。まさかこんなことになってしまうなんて。
本当は全くもって平気ではない。たった一人で、目的も分からないまま誘拐されて、怖くないわけがないのだ。
でも大丈夫。きっと、私の勇敢な夫が助けに来てくださるはずだから。
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「貴女、よくやってくれたわね!!」
歪に割れたワイン瓶を地面に叩きつけ、レティシアは怒りに震えながら声を上げた。
普段は冷静沈着な彼女がここまで感情を露わにするのは珍しいことで、その怒りの矛先であるクララは酷く怯えた素振りを見せた。
「嘘、なんで、私を連れていくって話だったじゃないか……これじゃあもう、逃げられない……」
クララは顔を青ざめさせてその場で座り込んだ。
おそらく誘拐が成功した後、クララ自身も男たちと共に皇宮から脱出する手はずだったのだろう。
しかし、ロゼッタの予想外の行動によってその計画は完全に狂わされてしまった。
「退きなさい、貴女の処罰は後よ」
床に座り込んで震えるクララに向かってレティシアはそう冷たく言い放つと、迷うことなくその場を後にした。
「皇子!! ルイス皇子殿下!!」
レティシアは淑女らしからぬほど荒々しく声を張り上げ、乱れた姿のままパーティー会場を走り抜けた。
華やかな宴の最中、普段は完璧で気高く美しい彼女の豹変ぶりに貴族たちは一様に困惑しざわめく。
「レティシア? 一体何事だ」
「不躾ですが挨拶を省かせていただきます。どうかお許しください、緊急事態です!」
普段のレティシアならば、きっと正しくルイスに挨拶をしただろう。
しかし、それどころではなかったのだ。急がなければならない緊急事態。それを知らせるために、レティシアは乱れる髪やドレスを気にせず走った。
「ロゼッタ様が……ロゼッタ皇子妃様が誘拐されてしまったのです!!」
会場が静まり返る中、レティシアの声がはっきりと響く。
彼女の言葉に、その場に居合わせた全員が凍りついた。
「……なんだと?」
そして、やや遅れて響いたのは低く抑えたルイスの声だった。
次の瞬間、貴族たちの間からどよめきが広がり混乱の声が飛び交った。
「皇子妃が誘拐されただと? そんなまさか、この皇宮内で?」
「システィーナにはなんと言うつもりだ!」
「これではアスタリア帝国は面目丸つぶれではないか!」
瞬く間に、皇宮内は大混乱に陥った。
——皇子妃が誘拐された。
警備の厳重な皇宮で、そんな前代未聞の事件が起きた事実に誰もが衝撃を隠せない。貴族たちは互いに顔を見合わせ、困惑と動揺が広がる。
誰もが混乱に陥る中。ただ一人、この状況に対し満足げに微笑む者がいた。
その人物は、喧騒の中でそっと杯を口に運び、小さく呟く。
「……これで、全てが上手く行くわ」
杯を傾けた手元に微かに覗く深紅のルビーの指輪が一瞬だけ煌めいた。
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