13
「お初にお目にかかります皇子妃様。私はレティシアお嬢様のメイドのクララと申します」
レティシアに用意された控室に入ると、そこには赤毛に、そばかすが特徴的なメイドのクララが居た。
「皇子妃様、お嬢様。どうぞ優しく抱いてあげてください」
クララは部屋の隅に置かれた網かごを手に取ると、それを私に差し出した。
「か、か、かわいいっ……!」
真っ白で、小さい、手のひらだけに治まってしまうような小ささだ。そんな小さい存在が一生懸命に『みーみー』と鳴き声を上げている。
「ふふ、そうでしょう? ロゼッタ様ならきっと喜んでいただけると思いましたの」
彼女が見せたいと言っていたもの、それは子猫だった。
わざわざ見せたいものがあると言うものだから、てっきり高価な宝石か何かかと思ったが、そんなものよりもずっと尊いものがそこにはあった。
「この子猫、どうされたのですか? レティシア公女のペットですか?」
「いいえ。それが、この子猫は昨晩我が公爵邸の前に籠に入れられた状態で置かれていたのです。恐らく、捨て猫かと」
「まあ……」
どうしてこんなにも愛しい子にそんな下劣なことができる人間がいるのか。本当に不思議で仕方ない。
アスタリア帝国の季節は冬。夜になればマイナスにもなる気温で放置されては、凍え死んでいたかもしれないのに。
「可哀想に、あなたは捨てられちゃったのね」
私の言葉に返事をするかのように『みー』と鳴く子猫。
あんまりにも愛らしくて、何度も何度も頭を撫でていると……ふいに、肌に冷たい風が当たった。
「ちょっと何しているの? どうして窓を開けるのよ、ロゼッタ様が風邪をひかれたら大変だからすぐに閉めなさい!」
レティシアの鋭い声で、クララが窓を開けたことに気づく。
窓の外から入り込む夜の風は骨の芯まで凍らせるような冷たさだった。
「すみません、お嬢様。それはできません」
「あなた、一体何を言って……」
突然雰囲気が変わったように見えるクララ。
(なに? 急にどうしちゃったっていうの……?)
「よくやった」
低く、荒れた声が部屋を満たした。
開かれた窓はとても暗く、その暗闇の中にある影が揺れたかと思うと、大柄な男が身を乗り出すようにして室内へ入り込んできた。
粗い息遣い、暗がりの中でもその大きな体躯と筋骨隆々の腕。黒いコートの下には武器の影がちらつき、厚手のブーツが床を鈍い音で踏みつけた。
「フン、これでいいだろ。さっさと報酬を渡してちょうだいな!」
「ああ、ほらよ」
大柄の男はポケットから取り出した小さな膨らみのある袋をクララに向けて投げる。袋は軽い音を立てて彼女の手元に収まる。チャラチャラという金属音と大きさからして、あの袋の中身はお金だろう。
この光景を見れば、誰しもが状況を把握できた。
「……ああ、そういうこと。貴女、裏切ったのね?」
レティシアの冷たい声が、部屋に響く。
(この警備が厳重な皇宮に不審者が入り込むなんて……)
レティシアのメイド、クララが裏切ったのだ。
「どうかお許しくださいお嬢様。私にも守らなければならない家族が居るのです。……ですが、大丈夫です、お嬢様には危害は加わりませんから」
「そうさ、俺たちの目的はお嬢さんじゃない。こっちのピンク髪の方だ」
暗闇の中からもう一人、痩せた背の高い男が姿を現した。
男は剣を携えており、冷たい鉄の輝きが部屋の明かりを反射してぎらついている。私を睨みつけるその目には、迷いの欠片も感じられなかった。
ピンク髪……ピンク髪……。
あはは、いくら見渡してもピンク色の髪をしているのは私しかいないわね。
「貴方たち、どこかで会ったことがあったかしら? ごめんなさい、人の顔を覚えるのは苦手なの」
震える声を必死に抑え、平然なフリをして男に話しかける。
男の意識を私に向けさせて、不安げにこちらを見つめている子猫の入った籠をそっと閉めた。
(ごめんね、驚かせてしまって。あなたには危害はけして加えないから、少しの間そこでじっとしていてね)
まずは、男たちの目的は一体何なのかを確かめなければ。
システィーナ王国を恨む者? 皇子妃としての私を恨むもの? それとも……私自身を恨んでいる相手なのか。
心当たりが多すぎて分からないなんて、心底情けない話だわ。
無理に大声を出して助けを呼んだところで、ここは来客者用の一室。それも、公爵令嬢であるレティシアに用意された特別な部屋だから、近くの部屋に人っ子一人居ないはず。
それに、たとえ近くに人が居たところで賑やかな宴会場の音で私の微かな叫び声などすぐにかき消されてしまうだろう。
相手は凶器を持っているし、必死に声を上げたところでそれは逆上の道具にしかならない。
(……これはもう、相手の要望を飲むしかなさそうね……)
「これはもう、戦うしかないみたいですね」
「へっ?」
私の考えとは全く違うことを言い出したレティシアに驚き、思わず変な声が出た。
戦うとは、どういう意味なのだろうか。
レティシアは顔色一つ変えずに、すぐ側の机に置いてあったワイン瓶を手に持った。そして、それを勢いよく机に叩きつける。
「キャアッ! ちょ、ちょっと、何をしているんですかレティシア公女!」
叩きつけられた瓶は鋭利な破片となり、彼女はその破片を男に向けて構える。
(待って、戦うって物理的な話だったの?!)
「レティシア公女、どうか落ち着いて……!」
「大丈夫です。どんな緊急事態でも平常心で居られるよう教育されていますので」
「フォンディア家では一体どんな教育がされているのですか!」
いくらクララの助けを借りたからといって、武器を皇宮に持ち込める人間。きっと相手はプロだ。そんな相手に私たちが叶うはずもない。
戦闘モードに入っているレティシアを必死になって止めるが、レティシアはそれでも目の前の男に向かって殺意をむき出しにして睨みつけていた。
「ロゼッタ様は後ろに隠れてください。貴女のことは、この私、レティシア・フォンディアの名に誓って守り抜きますので」
「もう、なんですか! その無駄にかっこいいセリフは!」
ああ、危ない。彼女が男性だったらきっと私は恋に落ちてしまっていただろう。
(というかレティシア、いくらなんでも男気ありすぎよ!)
男たちの目的は私、ただ一人だ。一体何の事情があるのか分からないが、大切な友人であるレティシアを巻き込むことはできない。
私が、この状況をどうにかしないと……。
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