11
「……戦場はお辛かったですか?」
「そりゃあ、今までの人生で経験してきたどんなことよりも辛かったさ。あの大蛇に泣きついて、皇太子の座ならウィリアムに譲るから帰らせてほしいと願いたいほどにね」
「どうしてそうしなかったの?」
別に、特別そこまで興味があったわけではない。
会話の流れ的に、質問してみようかなと思った……ただ、それだけの話。
(ああ、こんなことなら令嬢たちと上辺だけのつまらない世間話をしている方がマシだった)
庭園でルイスに捕まった後、すぐに逃げようと適当に言葉を選んでみたが、結局私よりもずっと口の上手い彼に流され、こうして庭園に置かれたベンチに横座りして話をしていた。
「そうなれば、君は今ここにいないだろうな」
ルイスは少し寂しげな声でそう呟くと、ゆっくりと私に向かって腕を伸ばし、その手は優しく私の頬に触れた。
驚きとともに、彼の手の温もりが伝わってくる。
どうしてあなたは、こんなにも愛おしそうな目で私を見つめるのか。
久しぶりに彼の姿をきちんと見た。実に1年ぶりだ。
背丈が少し伸びているように感じる。顔立ちも、あの時よりも更にかっこよく成長している。
「アスタリアでの生活はどうだ。僕が居ない間、何か苦労はなかったか?」
「それなら沢山お伝えしたではありませんか」
「それは手紙で?」
からかうように言う彼に少し腹が立ち、「そうですよ」と不満げに答えると、彼はまた軽く笑った。
手紙の話題を出したくなかった私はあえてそれを避けるようにして話していたのに、彼の方から出されてしまった。
「なるほどな。君がどうして僕を避けるのか不思議に思っていたが……そうか、あの手紙のことを気にしていたんだな?」
「……やっぱり怒っていらっしゃるのね」
「僕が怒る? どうして」
「だって私は、あなたにあんなにも失礼な態度を……」
「へえ? 失礼だと自覚していたんだな」
ルイスの目がわずかに細められ、からかうような笑みを浮かべる。
「……そうですよ、分かっていましたよ。分かった上で、私はあなたに手紙を送っていたのですから!」
「君は本当に面白いな、ロゼッタ。自分で失礼だと思いながら、あんなにも僕に言いたい放題だったのか」
「それは……」
顔に熱が昇っていくのを感じる。
初めは、手紙を書いていた時はどうせ読まれることはないだろうという考えで思うままにペンを走らせていた。けれど後々彼がそれを読んでいたと知り、手紙の返事が届いた後も私は変わらず自分をさらけ出した手紙を書き、彼に送り続けた。
(ああ、穴があったら入りたい……)
あんなにも無礼な言葉を並べたのだから、何を言われても仕方がない。どんな処罰を受けたとしても、私はそれを受け入れるつもりだった。
「どうして僕が怒ると思うんだ?」
ルイスが身を屈めて、私の顔を覗き込む。その視線はあまりにも真っ直ぐで、思わず目をそらしてしまう。
「そんなの当然でしょう? 戦場で命をかけて戦っているあなたに、皇子であるあなたに……ただの皇子妃である私が、あんな無礼な言葉を送りつけたのだから……」
「それは違うよ、ロゼッタ。あの手紙が僕にとってどれだけの救いになったか、君には分からないだろう。君のその飾り気のない言葉で僕に向き合ってくれたことが、どれだけ嬉しかったか」
夜空に漂う春の冷たい風が、彼の低く柔らかな声に吸い込まれていくように感じた。言葉の一つ一つが、私の胸の奥深くを静かに揺さぶっている。
「戦場は本当に過酷だった。誰かを信じることも出来ず、自分の正しさを疑うこともある。だが、そんなときに君の手紙を読むと不思議と気持ちが軽くなったんだ。君が僕に怒ったり、不満をぶつけることで、僕は自分がただの人間であることを思い出せたよ」
彼の言葉を、私はただ黙って聞いていた。
胸の奥に広がる感情を、どう言葉にすればいいのか分からなかったから。
「怒るどころか、君に感謝しているんだよ。僕を皇子ではなく、一人の人間として見てくれる君に」
そう言うと、ルイスはまた優しく微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、心の中で長い間閉じ込めていた感情が少しずつ解けていくのを感じる。
「私は……」
言葉を紡ごうとしたとき、ルイスの手が再び私の頬に触れた。その温もりが、春の冷たい風を忘れさせるかのように暖かく……。
「それに、着飾った君よりも本性を現した君の方がずっと可愛らしかったしね」
「……最悪だわ……」
私の言葉に、ルイスはただ笑っていた。
先ほどから彼が何度も見せるその笑顔は、皇族らしい仮面を被ったものではなかった。見ていて、さほど嫌な気分にならないもの。それどころか、その笑みを見ているとこちらまで、自然と口角が上がってしまう。
「ロゼッタ・フォン・システィーナ様」
私の旧姓を呼ぶ声が、真摯な響きを帯びている。
「君が居たから、僕は生きて帰ってこれた」
いつの間に用意していたのか、彼の手元には小さな箱があり、わざわざ地面に膝をついて、それを私に差し出した。
「どうか、僕の妻になっていただけませんか?」
その言葉と共に、ルイスは持っている方とは反対の手で箱を開いた。
大きなダイヤモンドが真ん中に置かれており、繊細でシンプルな装飾が施された指輪。
「……何を言うのよ。私は、既にあなたの妻ではありませんか」
静かにそう言いながら、私は彼の真摯な眼差しから目を逸らすことができないでいた。
ルイスの言葉には矛盾があった。だって、私は既に彼の妻なのだから。
今からちょうど1年前。私たちは政略結婚によって夫婦となった。
だから私は彼の妻だし、彼は私の夫だ。
どうしてルイスがこんなことを言い出したのか、私にはまるで理解が出来ない。
結婚式を終えた後、彼が私に向かって言い放った「君を愛することはない」という言葉は、いつまでも私の頭に残っていた。だからこそ、彼が膝を地につけ真摯な表情で結婚を申し出る姿に戸惑いを隠せなかったのだ。
私たち王族の人間にとって、愛は贅沢品。
親が選んだ相手と国家の繁栄のために結婚する。それが私たちの宿命。
それなのにどうして突然妻になってくれなんて言い出したのか。
この国で今一番と言っても過言ではないほど名誉を得たあなたが、私に跪いてまで頼むことではないはず。
「ああ、そうだ。君は僕の妻だ」
「分かっているなら、どうしてそのようなことを仰るのですか」
「君を愛していない。そう、あの日君にかけた言葉がずっと心残りだったんだ」
今から一年も前の話を覚えているはずがないと思っていたのに。彼もまた、私と同じようにあの日の出来事を覚えていた。
「だから今改めて君に伝えたい。君を、愛していると」
そう告げる彼の声は暖かく、サファイアのように光る瞳には嘘偽りのない誠実さが宿っていた。
(なんなの……? 愛している? 私のことを? 急に、どうしたっていうのよ。私を愛すことはないと言っていたのは、あなたのほうじゃない)
私の頭に、今までため込んでいた不満が流れ込む。
慣れない地で、顔見知りが一人も居ない土地で、私がどれだけ不安だったか。
それなのに唯一心を許せると思っていた夫から、君を愛すことは無いと言われた私の気持ちがあなたには分かる? どれだけ辛くて、寂しかったか。
不安で、寂しくて、怖くて。それでもシスティーナの姫として恥ずかしくないように、必死になって頑張ってきたのよ。
(あなたに、私を愛してるという権利なんてない!)
……だけど、私の目を真摯に見つめて、柄にもなく緊張しているのか垂れ気味の眉をギュッと吊っている彼の顔を見ていると……そんな怒りも簡単に去ってしまった。
「仕方のない方ですね」
小箱を掴むルイスの手に、下から手を添えるようにして触れると、ピクリと彼の手が揺れる。
「いいですよ、あなたの妻となって差し上げます。私のことを愛している、あなたの妻に」
私の言葉に、ルイスは暫く何も言わず私を見つめた。
その顔は何を考えている時の顔なのか。私はまだ、彼のことをちっとも知らないから分からないけど。
「仕方がないでしょう。私だって、自国に帰りたくないと思ってしまうほどあなたを愛してしまったのですから」
これが私の答えだということに変わりはなかった。
何を考え、何を行動しようと構わない。惚れた弱みというものは恐ろしいもので、あなたが例えどんな選択をしようとも笑顔で受け入れ、付いていけてしまう気すらした。
人を愛するということがどれほど過酷で辛いものなのか、私は重々承知しているつもりだ。
しかし、それでも私は愛してしまった。
この先、私たちにどんな結末が待っているのかは分からないけれど……あなたの傍に居るためなら、地獄に落ちたって構わないと思えてしまうのよ。
「……ロゼッタ」
ルイスは安堵したかのように微笑むと、優しく私を抱きしめたのだった。
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