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「悪いが、僕は君のことを愛するつもりはない」
アスタリア帝国に足を踏み込んだその日に、私たちは結婚式を迎えた。
私たちというのは、今この目の前に立つ男と私、ロゼッタ・フォン・システィーナのことだ。
その日の夜、私より歳が二つ上の夫になったばかりの男は私を愛することはないと言い出した。
私のピンク色の髪とは似ても似つかない銀髪の髪に、サファイヤのように輝くマリンブルーの瞳が綺麗な人。
大国アスタリア帝国第一皇子ルイス・ド・アスタリア。
彼は聡明でいて、勉学だけでなく剣術にも優れており、完璧という言葉がこれほど似合う人間は他にいないと言い切れるほどの人だった。
あえて欠点を挙げるとすれば、それは彼の母親が皇帝の側室だったということ。
皇帝の正妻である皇后には、実の息子であるウィリアム第二皇子が居た。皇后は自分の息子であるウィリアムを次期皇帝にしようと考えた。邪魔者である、ルイスを排除して。
ヴィヴィアン皇后――侯爵家の令嬢として生まれた彼女は、侯爵令嬢という身分だけでは飽き足らず、女性として最高権力である皇后へと成り上がった。
そして今、彼女は自分の息子を皇帝とし、皇帝の母親になろうとしている。
彼女以上に欲深い人は、きっと他にいないだろう。
「……そうですか」
(まあ、当然よね。私だって、この結婚で夫から愛されることになるとは考えていないわ)
私とルイスの結婚を後押ししたのは、皇后ヴィヴィアンだったと聞いた。ヴィヴィアンと敵対関係にある彼が、私を警戒するのは当然のことだった。
私の育ったシスティーナ王国は、それこそ経済には恵まれていたが、歴史が浅い成金王国。それに比べ、アスタリア帝国は大国と呼ばれるだけあり、歴史も経済力も他の国とは段違い。
そんな偉大な大国の第一皇子との縁談の話が、成金王国の落ちこぼれ姫の私に来たと聞いた時は一体何事かと思ったが……。
まさか、皇后の嫌がらせを受けた可哀想な皇子様だったなんて。
そんな混沌とした状況で、私のことを愛せという方が無理な話だろう。
「僕はソファーで寝る。君は長旅で疲れているだろうから、ゆっくり休んでくれ」
「分かりました」
私たち夫婦に用意されたベッドはとても広く、一人で眠るには自身の熱が布団へ中々広がっていかない。
だけど、そんなことも気にならないほどに私は疲れていた。
普段は中々外へ出してもらえなかったのに、突如結婚を言い渡され、何十時間も馬車に揺られやっとアスタリアに着いたかと思えば結婚式に、お披露目パーティー。私の体力は、とっくの昔に限界を超えていた。
冷たい布団を抱きしめながら、目を瞑る。
私が寒いということは、ソファーで寝ているあの人はもっと寒いのではないだろうか?
そんな疑問が一瞬浮かんだが、すぐに気にならなくなった。
夫は私のことをちっとも愛していないし、私もまた彼を愛していない。だから私がするべきことは、皇子妃として完璧な妃を演じることだけだ。
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「ください……ですか……システィーナの姫!」
「んんっ」
「全く、いつまで寝ているつもりだ?」
誰? 私のことを呼んでいるのは。
これは男性の声? うーん、私の使用人に男性は居ないはずだけど……。
「ううん……誰ですか……?」
目を擦りながら、意識をはっきりとさせようとする。
ぼやける視界の中で見えたのは、輝く銀色の髪。
その美しい銀髪は、カーテンの隙間から差し込んでいる光に照らされて、キラリと煌めいていた。
「君は自分の夫の顔も分からないのか」
まだ寝ぼけている私の耳に届いた『夫』という言葉で、私はようやくハッとした。
もう一度目を擦り、目を見開いて前を見る。すると、目の前にあった水色の瞳と目が合った。
その美しい瞳を見れば、私に話しかけている相手が一体誰なのかすぐに分かった。
「ご、ごめんなさい!」
昨日より何トーンも低くなった声色と、少しだけ雑になった口調に混乱してしまう。
「その、昨日までのあなたとまるで違うものですから……」
逆に、声だけの情報であなただと気づく方がおかしいでしょ? ……そう、言い返したくなったが、ぐっと堪えて目の前の男に笑顔を向けた。
「勘弁してくれ。僕は自分の部屋の中でまであの面倒なキャラを通すつもりはないさ」
「面倒なキャラ、ですか……」
キャラだと言い切るところを見ると、私の前で猫を被るつもりはないらしい。
親同士が決めた政略結婚だと言っても、一応は夫婦となったわけだ。その点では、私を妻と認めてくれているのだろうか。
「どうした? 幻滅でもしたか?」
「……そんなはずないではありませんか」
薄ら笑いを浮かべながら話すルイスの様子を見ていると、その姿がなぜか自分と重なった。
幻滅というより、あの完璧だと名高いアスタリアの皇子にも裏があったということへの驚きの方が大きい。
いいや、この人も私と同じ人間なんだという安堵と言った方が正しいか……。
「はっ、システィーナの姫君は流石だな。ここには君と僕しかいないのだ、遠慮することなんてない。心配しなくとも、僕はもうすぐこの宮を離れることになるから君はすぐに自由になれるだろう」
ルイスの言う『離れる』とは、北部戦争への出征を刺しているのだろう。
ヴィヴィアンは自分の子供であるウィリアムを皇帝にしようとしている。だからこそ、邪魔者のルイスを戦地へと送ることにしたのだ。それも、新たに隣国から妻を迎えた10日後に。
皇后が第一皇子を蔑ろにしている。その事実は、システィーナ王国にまで噂が届いていた。つまり私の両親はその噂を知った上で、私を嫁がせたということ。
親の都合で振り回されるのはもううんざり。そこだけは少し、あなたの気持ちが分かる気がするわ。
ヴィヴィアンはルイスが戦場で死ぬことを本気で願っているのだろう。わざわざ彼が生き残った場合の保険として私を用意するくらいだ。
もしかすると、何か罠を仕掛けているかもしれない。戦場は、いくら皇族といえど簡単に命を落とす場所だから。
「私は、一日も早くあなたが帰ってくることを願っています」
心の奥底では捻くれたことを考えていても、それを表に出すことは許されない。彼に逆らえるような立場ではないことくらい重々承知の上だ。
「上辺だけだとしても、そんな戯言を言うのは君くらいだろうな」
そう呟いたルイスの顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
私と同じ、王族という恵まれた身分で生まれてきた選ばれた存在のはずなのに、自身の親によってその身を利用され、国の利益のために扱われる。
彼と私の育った環境はどこか似ている。
だからこそ、彼の考えていることが少し分かるような気がした。
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