5-6:蛍花
ところが、予想もしなかった出来事が起きた。
家に帰ったとき、玄関のカギが開いていたのだ。
施錠を忘れていたのだろうか。
アスカノフを起こさないよう、こっそりと家に入る。
そしてそれぞれの自室がある二階に俺とミーシェは行く。
自室に入って着替えて布団にもぐる。
かなり身体を動かしたので、身体を横たえた途端、疲労と眠気がどっと押し寄せてきた。
まどろみの中、どのタイミングでアスカノフに蛍花を贈ろうか考える。
「お兄ちゃん! 大変!」
そのとき、ミーシェが大声を上げながら俺の部屋に飛び込んできた。
眠気が一気に消し飛んで、なにごとかと起き上がる。
「アスカノフちゃんが部屋にいないの!」
アスカノフの部屋の扉は開きっぱなしになっていた。
部屋はもぬけのから。
ベッドの中にもいない。
クローゼットを開けてみるが、当然いない。
「アスカノフ、いるか!」
「アスカノフちゃん!」
呼びかけにも応じない。
居間やキッチン、トイレをさがしてみるも、彼女はどこにもいない。
「ドロボウにさらわれちゃったのかな……」
「それはないだろう」
彼女に危害を加えようものなら、炎の息吹で消し炭と化すだろう。
それに、争った形跡も荒らされた形跡もない。
だとするとアスカノフは自発的に家から消えたとしか考えられない。
「外をさがしてみよう」
外出て庭を見てみるが、やはりいない。
家から離れて町の中をさがす。
静まり返った夜の町を、目を凝らしながら歩く。
焦りが生じる。
アスカノフになにかよくないことでも起きたのだろうか。
焦りは不安を際限なく生んでいく。
さいわいなことに、その焦りも不安もすぐに消えた。
「アスカノフ……」
「よかったあ」
アスカノフは公園にいた。
水が流れる噴水の縁に腰を下ろしてしょんぼりとうなだれていた。
俺とミーシェは胸をなでおろす。
「貴様ら……」
俺たちの気配を察すると、アスカノフははっと顔を上げた。
立ち上がってこちらに駆け寄ってくるかと思いきや、思い直したようにぷいと顔をそむけた。
「どこに行ってたんだ。我をのけ者にして」
「えっ」
「我を置いてどこに行っていたのだと尋ねている」
その不機嫌な態度で彼女がここにいた理由がわかった。
「のけ者になんかしてないよ、アスカノフちゃん」
「ならばなぜ、我に秘密にしていなくなったのだ」
目がうるんでいる。
「我は見捨てられたと思ったんだぞ」
アスカノフには大変申し訳ないが、そのしぐさはとてもいじらしかった。
俺たちが家からいなくなったのに気づき、俺たちをさがして夜のムーンバレイをさまよい歩いたのだろう。
普段は尊大な態度を常に取っている彼女だが、実際のところは俺たちに依存していたのだ。
「逆に尋ねるがアスカノフ。俺たちがお前を見捨てると思うか?」
「……」
アスカノフは無言で首を横に振った。
今が絶好のタイミングだ。
俺がミーシェに目配せすると、彼女は「うん」とうなずいた。
「アスカノフちゃん。はい、これ」
ミーシェが一輪の蛍花を差し出す。
それを見た途端、アスカノフは目をまんまるに見開いた。
「これはね――」
「蛍花ではないか!」
「知ってるの?」
「ああ。知っているとも」
「ということは、蛍花を贈る風習も……」
「知っている」
蛍花を受け取るアスカノフ。
蛍花は彼女の小さな手のひらで淡く発光している。
「そうか、貴様たちは我にこれを贈るために……」
「ナイショにしててごめんね。アスカノフちゃんを驚かせたかったの」
「ならば仕方あるまい」
アスカノフがにこりと笑みを浮かべる。
「我はずっと待っていたのだぞ。蛍花をくれるのを」
「えっ?」
「ムーンバレイの風習なのだろう? 蛍花を贈ることが、新たな住人として認めるあかしだという」
「その風習はずっと昔にすたれたんだぞ」
「そうだったのか!?」
驚くアスカノフ。
「わ、我はてっきりまだムーンバレイの住人だと認められていないとばかり……」
「なるほど」
「もー。アスカノフちゃんはとっくにこの町の一員だよ」
もしかしたら、俺たちが蛍花をさがそうとしなかったら、アスカノフはずっと疎外感をおぼえていたのかもしれない。
ミーシェが蛍花の風習を知ったのは、単なる偶然では片づけられない運命を感じた。
「ありがとう、ミーシェ。それにエリオ。大切にするからな」
「うーん、でも、花瓶の飾ってもいつかは枯れちゃうよね」
たしかに。
それは少々もったいない。
できればずっと残しておきたいな。
俺はこう提案する。
「押し花にするっていうのはどうだ?」
「あ、それいいね」
「押し花とはなんだ?」
「花を圧縮して乾燥させたものだ。台紙に貼り付けて本のしおりとかにするんだ」
「ほう、それはなかなかしゃれているな」
後日、ミーシェに手伝ってもらい、蛍花を押し花にして本のしおりにした。
アスカノフはそれを大変気に入ったようで、彼女の本には常にそのしおりが挟んであった。
「もらってばかりでは不公平だ。我からも貴様らになにかくれてやろう」
アスカノフが言う。
「そうだ、我の牙を一本くれてやろうではないか」
「アスカノフちゃんの歯!?」
竜の牙と言えば格好いいが、そう言われるとなんだか微妙に感じてしまう。
「人間の間では、竜の牙は骨董品として扱われているらしいな。部屋に飾るといいぞ」
アスカノフは「はっはっはっ」と高笑いするのだった。
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