◆3-31 アゴラとスカリ
第三者視点
「姿形も毛皮の色も変わっていたから、分からなかったのよ…」
「そもそも生きている筈が無いだろう…完全に寿命を超えているぞ…」
私達は村の集会所に戻り、二人から話を聞いた。
「アゴラとスカリはワシの護り犬だったんだ…」
護り犬とは、この地方に根付く伝統的なおまじないだ。
産まれたばかりの子供に兄弟として子犬を与える。
一緒に育つ子犬が、子供を悪霊から護ってくれるようにと願いを込めて。
実際に護り犬が居る家の子供は、洗礼式まで生き延びる事が多かったので、昔から信じられて受け継がれてきた伝統だった。
とはいえ子供が産まれた時に、丁度良く子犬が産まれる事は少なく、ほとんどの場合は犬の形に削り出した木の人形を与えた。
オマリーの父親が、オマリーが産まれる半月程前に森で狩猟をしていた。
その時に、死んだ母親の乳を必死に吸っている二匹のドゥーム・フェンリルの子供達を見つけて、拾って帰って来た。
オマリーの父親は、妻が出産間際だった事もあり丁度良いと考えた。
犬ではなかったが、ドゥーム・フェンリルの子供達を産まれてくる我が子の護り犬にしようと考えたのだった。
雄と雌にそれぞれ、『アゴラ』『スカリ』と名前を付けて世話をした。
真っ白な体毛は転がる毛玉の様で、村人達からも大変可愛がられた。
近所に住んでいたハンナは、幼児の時から大人顔負けの怪力だった為に、近い年で遊べる子供が居なかった。
しかしドゥーム・フェンリルの二匹は、子供ながらに力が強く、ハンナとじゃれ合って遊べる位に丈夫だった。
ハンナは二匹を、自分の弟、妹、と呼んで可愛がった。
間もなく産まれたオマリーを二匹は自分の弟だと認識したようだった。
オマリーの母親は、残念ながら産後の肥立ちが悪く、亡くなった。
オマリーもハンナと同じ様に、幼児ではありえない程の怪力の持ち主だった。
オマリーの父親も怪力だったが、オマリーはそれを超えるだろうと噂される程だった。
力が強過ぎて木や陶器の椀だと砕いてしまうので、オマリー専用の金属の食器が用意された程だった。
やはり、オマリーと遊べるのも、ハンナを除けばドゥーム・フェンリルの二匹だけだった。
家の中では、3人(二匹と1人)一緒に行動していた。
オマリーはいつも、2つの毛玉と一緒に転げ回った。
時折、机の脚や椅子にぶつかり砕いてしまい、3人一緒に怒られた。
家具を直しても、またすぐに壊してしまうので、最後には切った丸太をそのまま机や椅子として使っていた。
家の壁も何度も壊されたので、教皇に頼んで南の国から黒くて鉄のように硬い木を輸入してもらい、家中の壁を補強した。
オマリーの家だけ他の家と違い、真っ黒な要塞の様になっていた。
毎日の様に遊びに来るハンナを含めて4人で村中を駆け回った。
泥炭地で泥炭塗れになった。
誰が1番多く掘れるかを競った。
泥炭乾燥小屋を泥炭で埋め尽くした。
オマリーが、はみ出た泥炭を無理矢理押し込んだら、小屋の反対側の壁が抜けた。
開墾地で土塗れになった。
誰が1番早く耕せるかを競った。
スカリが、開墾地の太い切株を体当たりでひっくり返し、大人達が腰を抜かした。
黒の森で木登りをした。
誰が1番高く登れるかを競った。
ハンナが、黒の森のフィクス・ベネナータと、それに巻き付かれて枯れたガラティエ・ヴィーテを折り倒した。
近くの街道に出没する狼を退治した。
誰が1番多く狩れるかを競った。
アゴラが、大人より大きい人喰い狼のボスの首を、食い千切った。
荒事に慣れている村人達でさえ驚いた。
オマリーが6歳になる頃には、4人でグレンデルを2体も仕留めた。
アゴラとスカリが、グレンデルの足に喰い付き動けなくしている間に、オマリーとハンナが、首を捩じ切った。
ハンナとオマリー、アゴラとスカリは村のアイドルであり、英雄であった。
噂は近隣領地にまで広まった。
特に、オマリーの事が話題に上がった。
まだ洗礼式前なのに、凄まじい怪力の子供が居る…と。
誘拐未遂が何度もおきた。
ハンナとオマリーの知らない所で。
村人達とアゴラとスカリが、二人を護っていた事を、オマリーは引き取られた後に知った。
トゥーバ・アポストロの育成を兼ねている村に、手を出す輩が後を絶たない。
村人達とアゴラ、スカリがハンナ達に気付かれぬように処理して、パエストゥム湿地帯に沈めていた。
しかし、処理する量が多すぎて、見えない様に隠すのも難しくなっていた。
教皇が村の内実を暴かれる事を危惧して解決策を考えた。
それが、オマリーを帝国貴族の養子にする事だった。
教皇が、聖教国と繋がりの深い帝国貴族に養子の打診をした。
貴族の息子と認知され帝国に出れば、村には手を出されなくなる。
ついでに『笛』との関係を繋げる事で、その貴族を聖教国に対して強く縛り、貴族側は教皇と強く太いパイプを手に入れられる。
教皇は一挙両得を狙った。
村の皆に、姿形と人柄を知らせる為に、バルト家当主と次期当主が村に直接出向き、村人達に挨拶した。
オマリーの家族になるという事は、村の皆に認められなければならない事を彼らは知っていた。
この村では平民と貴族の力関係は逆なのだ。
村の内実を知らされていたバルト家当主は、村で数週間滞在し、オマリー本人に気に入られた。
バルト家の長男が、度々、オマリーの家で寝泊まりして、本当の兄弟の様に付き合った。
オマリーの父親は、バルト家の人間達の人柄を認め、教皇の考えを理解し納得した上で、引き渡す事を了承した。
ハンナは、4人の噂の為に村人達が困っていた事を知らされ、数日間泣き喚いた後、諦めて言葉を呑み込んだ。
しかし、最後まで抵抗したのが、アゴラとスカリだった。
二匹はオマリーが村を出る時、彼の周りから離れようとしなかった。
村の出口まで一緒に来て、オマリーが馬車に乗り込もうとするのを邪魔した。
二匹を止めたのは、オマリーの父親とハンナだった。
二人は、泣きながら二匹を押さえ込んだ。
二匹と二人は地面に縫い付けられた状態のまま、オマリーの乗った馬車が見えなくなる迄、泣き続けた。
アゴラとスカリは家に戻された後も、何度も脱出してオマリーを探しに行こうとした。
二匹がオマリーの匂いを追跡して、帝国まで侵入すると大変な事になる、と、村人達は考えた。
ハンナの父親とオマリーの父親は一計を案じた。
ハンナとオマリーの父親が二匹を家に閉じ込めている間に、村人達総出で、村から帝国まで通じる街道やその周辺に、黒の森で疎らに自生していた特殊な花を抜いて、植え替えた。
強い香りを発する花だった。
犬の鼻を狂わせる為、昔から猟師達に嫌われていた花でもあった。
湿地帯や薄暗い黒の森と違って、明るく湿度の低い草原に植え替えたら、物凄く早く繁茂した。
村人達の予想通り、オマリーの匂いは花の香りと混ざり判らなくなった。
アゴラとスカリはその花の群生地まで行くが、その先はオマリーの匂いを辿れず断念して戻って来た。
余談だが、その香りの強い花を見た帝国の商人が、その花から香水を作り出して売り出した。
爆発的に売れた。
貴族の間で流行った。
あまりに売れた為に、村人達が植えた花はほとんど花盗人に毟り取られ、元の草原に戻っていた。
だが、その時にはオマリーの匂いも完全に消えていた。
二匹はオマリーの追跡を諦めた。
数年後、ハンナは結婚適齢年齢になったが何故か成長がとても遅く、15になっても子供にしか見えなかった。
その為に、誰とも婚約出来なかった。
村では、成長の遅い子が産まれる事は時々あった事なので、馬鹿にする村人は居なかった。
しかし、ハンナは1人で勝手に疎外感を感じていた。
その頃、スカリは子供を四匹産んだ。
アゴラの子供だった。
数のとても少ないドゥーム・フェンリルは、種族維持の為に近親交配も問題なく出来た。
ハンナは、婚約出来ない事による疎外感と、オマリーの居ない寂しさを紛らわす代償行為で、アゴラの子供達をとても可愛がった。
赤と白の毛玉達で、顔は小さい頃のアゴラとスカリそっくりの可愛らしい子供達だった。
7人となった家族は、オマリーが居た頃の様に頻繁に色々な悪さをした。
数が増えた分、被害も増した。
瞬く間に、再び噂が広まった。
ハンナも20歳を過ぎた頃には、婚約も出来た。
15過ぎて暴れまわる娘を心配した両親が、『笛』の伝手を使い、方方手を尽くし、何とか適齢に見える年齢まで成長した娘を婚約させた。
それでも高等部生徒と間違われる位の外見だったが。
婚約者は、ハンナより5つも下だったが、それでようやく釣り合いが取れる外見だった。
ハンナが婚約者との顔合わせの為、村の外に出ている間に、アゴラとスカリ、そして、その子供達が姿を消した。
村人達は村の外や黒の森の行ける範囲まで探しに行ったが、見つからなかった。
知らせを受けたハンナは、婚約者と一緒に急いで村に帰ったが、アゴラ達は行方知れずだった。
「その後も帰って来るのを待っていたんだがね…」
アゴラ達の帰りを待ちながら暮らして数年後、サムエルが産まれた。
「ワシも大学部を卒業し、義兄が家督を継いで落ち着いた後、ようやく村へ帰れた。
その時に、アゴラ達の事を知ったのだ」
「一緒に育ったからドゥーム・フェンリルの特性を良く知っていたのね…。
『ボガーダンの獣』がアゴラ達だというのは、間違い無いのですか?」
「間違い無いわね。あの、尻尾の振り方…一緒に育ったのだから…間違えない…」
「しかし、ドゥーム・フェンリルの寿命は長くて30年…。
本当にアゴラ達だとしたら、ワシより年上…40超えだぞ…」
ハンナもオマリーも、腕組みをして唸った。
「アゴラとスカリの子供達だという可能性は?」
「いや…歩き方や尻尾の振り方が違った。
あの子達は人間の言葉を喋れない。理解はしていてもね。
昔、私とは尻尾で会話してたんだ。
アタシの事を『お母さん』ではなく『お姉ちゃん』と呼んだ。だから、間違い無い…」
「姉ちゃんが、アゴラ達の言葉を理解していたのは、そういう訳だったのか…!」
「アタシがあの子達に教え込んだのだからね。
…単純な呼び方や簡単な作戦合図だけしか理解出来ないけどね」
「本当にアゴラとスカリなら、何故生きている?何故あんな姿になったのだ…?
そして、何故魔術式を使える…?
昔は魔力の欠片も無かったのに。
あれは…完全に魔術式だったな…」
オマリーは、二匹の魔術式の竜巻と痺れる吠え声を思い出しながら、椅子の背にもたれ掛かった。
「仮説で良ければ説明出来るわよ。
あの二匹が、何故生きているのか。
そして、何故魔術を使う事が出来るのか…を」
皆が、クラウディアに注目した。




