◆3-30 ドゥーム・フェンリル達の奥の手
クラウディア視点
ハンナに押さえ込まれていた方のドゥーム・フェンリルが、一声高く、大きな声で泣いた。
ドゥーム・フェンリルとハンナの周囲に魔素が引き寄せられて、二人を中心として強烈な竜巻が起こった。
私の周囲にまで突風が吹き荒れ、髪の毛が激しく乱れる。
小石が顔に飛んできて、咄嗟に腕で顔を覆った。
突然の事で驚いたが、ハンナは飛ばされない様にドゥーム・フェンリルの首から腕を離さなかった。
風が止んだ後、その獣は、ハンナを首にぶら下げたまま立ち上がった。
ハンナをぶら下げたまま動こうとしたドゥーム・フェンリルは、毒の効果とハンナの重さで、脚が縺れて倒れてしまった。
まだ毒が苦しいらしく、息が荒く、何度も立ち上がってはふらついて倒れるを繰り返した。
その度に、ハンナは右に左にと振り回された。
…危なかった…ハンナさんが引き剥がされていたら、襲われていたわ。
まさか、魔獣でもない獣が魔術を使うなんて…。
ルーナよりは威力は弱いけれど、局地的な竜巻を起こせる獣なんて…信じられない…!
「避けろ!クラウディア!!」
私は声の方を見ずに、すぐさまその場を飛び退いた。
オマリーに押さえ込まれていた方のドゥーム・フェンリルが、オマリーを首にぶら下げたまま、丁度私の立っていた場所に、その鋭い爪を振り下ろした。
…やられた…!
さっきの竜巻で硫黄ガスが吹き飛ばされた…!
オマリー様が巻き付いて、コイツの身体の動きを制限してなかったら、殺されていた…。
オマリーが力を入れて、更に獣の動きを止めようとすると、今度はオマリーに押さえられていた方のドゥーム・フェンリルが、大きな声で吠えた。
!!!
身体が…痺れる!
耳から入る獣の声が、私達の脳を震わせた。
ほんの僅かな時間だったが、皆の身体が跳ねた。
時間が止まった様に硬直した。
こ…これも…まさか…魔術?
なんで、ただの獣が…こんなにも…?
痺れる吠え声を、獣のすぐ近くで思いっきり浴びたオマリーは力が緩んだ。
緩んだ隙をついて、ドゥーム・フェンリルはオマリーの腕から自分の首を抜いた。
オマリーの拘束を外した際に思いっきり振り回し、彼を私に向けて放り投げてから、すぐさま踵を返した。
投げられたオマリーが、私を圧し潰した。
「むぎゅ…」
私は、一瞬息が出来なくなり気絶しかけた。
オマリーは、すぐに立ち上がり獣の後を追った。
…お…重かった!オマリー様に殺されるかと思ったわ…!
ドゥーム・フェンリルは、ハンナが押さえ込んで倒れている方の、毒で弱っているもう一匹に駆け寄った。
マズい!…ハンナさんが殺られる…!
駆け寄ったドゥーム・フェンリルは、ハンナの腕に噛み付いた。
しかし、噛んだ瞬間、ビクリとしてすぐに離した。
…なに…?
ハンナさんの魔術式?
ドゥーム・フェンリルは、またも痺れる吠え声を放った。
すぐそばで聞かされたハンナは、オマリー同様に、首を絞める力が緩まった。
皆がビクリと硬直した隙に、吠えたドゥーム・フェンリルはハンナに体当たりをして、ハンナに押さえ込まれていた方のドゥーム・フェンリルを助け出した。
まだ、毒で倒れたまま満足に動けないドゥーム・フェンリルを護るように立つもう一匹。
すぐ傍らには、痺れる吠え声で硬直したまま倒れるハンナ。
そこへ向けて走るオマリー。
護っていたドゥーム・フェンリルが、今度は別の魔術式を使った。
毒で動けなくなっていた方のドゥーム・フェンリルが、ふらつきながらも立ち上がった。
…解毒の治癒魔術式!?
身体の内部構造を理解してないと使えない魔術を?
『人間の言葉を理解する獣』
サムエルの言葉を思い出した。
私は、ドゥーム・フェンリルの体内魔素の流れを走査した。
体内に小さな魔石が育っている!
獣ではない、半魔獣だ…
あの小さな魔石であれだけの魔術式を使えるの!?
潜在的な魔力器が、かなり大きい…!
魔力の使い方は本能的…?いや…
魔術式を理解出来る位の知能だと考えるべきね…。
言葉を理解する程度じゃない、遥かに高い知能じゃない…!
今の魔術で、獣の魔石の魔素は空になったようだけれど…
でも、どうしよう…。
打つ手がない…。
硬直から立ち直ったハンナと、駆け付けたオマリー。
体勢を立て直した二匹のドゥーム・フェンリル。
すぐ傍で対峙した。
…作戦が全て失敗した!
ドゥーム・フェンリルは魔術を使えないと聞いていた…。
知能が高くても、『魔獣』の括りに入っていない…。
だから、魔術式の対策は取っていなかった。
まさか…
『半魔獣になっていたドゥーム・フェンリル』だったなんて…
二匹のドゥーム・フェンリルは動こうとしない。
何か考え込んで居る様にじっと二人を見ていた…。
「クラウ…どうすればいいの…?」
馬から降りたジェシカが、静かに近づいて来た。
「まって…今考えてる…」
後ろの馬車では、ノーラとルーナが新たな毒を流す準備をして居るが、正直、間に合いそうに無い。
ここまで作戦が失敗したのは初めてだわ…
どうしよう、どうしよう…
『落ち着いて、冷静に銃をいつでも撃てるように…』
ガラティアが静かに助言する。
ここまできたら、適宜対応しか無い…
作戦が思いつかないし、準備する時間も無い…
突然、考え込んでいたドゥーム・フェンリル達が一斉に動き出した。
同時に、正反対の方向に二手に別れた。
二匹は、立ち塞がるオマリーとハンナを、左右に大きく避けて、弧を描く様に走り出す。
ドゥーム・フェンリル達は、私とジェシカを狙ってきた。
いくら、力ではドゥーム・フェンリルに匹敵するオマリーとハンナでも、素早さでは全く勝てない。
そう考えて、獣達は二人を無視して私達に狙いを定めた。
二匹の考えを理解したオマリーとハンナは、急いで私達の方へ向き直し、すぐに駆け出したが、脚の速さの差は歴然としていた。
大きく弧を描く様に走る獣達は、直線で戻って来ようとするオマリー達よりも、私達の所に先に着きそうなくらい速い。
これは…間に合わない…!
私の銃では、一匹は倒せても二匹同時は不可能だ。
「ジェシカ!」
「大丈夫!任せて!」
…ジェシカの魔道銃やウルミでは傷も付けられない筈…
無理だわ…
せめて、ジェシカに向かって来ている奴だけでも…!
私は、ジェシカに向かって走って来ている方のドゥーム・フェンリルに、狙いを定めた。
ジェシカは懐から『金属の棒』を取り出した。
「耳を塞いで!!」
ジェシカが叫んだ。
…あれは!
私は咄嗟に耳を塞いだ。
キーーーン!!
くう…頭の中まで響く!
釣りに行った時に見せてもらったサムエルの持っていたデーメーテール様の魔導具…。
サムエル…ジェシカに渡してたのね…
オマリーとハンナは、魔導具を知っていたから、走りながらすぐに耳を塞いだ。
ドゥーム・フェンリル達は、音に驚いて毛を逆立て、思わず脚を止めた。
獣達が足を止めたその隙に、オマリーとハンナが私達に向かって距離を詰めてきたが、ドゥーム・フェンリル達も、再び体勢を立て直して走り出した。
僅かな足止めにはなったけれど…!
オマリー様達が間に合うか…!?
私は銃を左右に向けて威嚇した。
二匹も、私の魔導銃の威力を知っているからこそ警戒し、狙いをつけられない様にジグザグに走って来る。
ジェシカはウルミを取り出して、範囲内に相手が入るのをじっと待つ姿勢を取っている。
これは…ドゥーム・フェンリル達の方が僅かに早く到達するか…?
私達がオマリー様達の方向へ走り込むと間に合うだろうけれど、そうすると後ろのルーナ達が狙われる。
ルーナ達じゃ毒が効くまでの間に喰い殺される…。
此処を動けない…!
その刹那の時、大気を震わす凄まじい吠え声がした。
これは…痺れる吠え声!?
…そんな!獣達の魔力は空っぽの筈…!
私もジェシカも筋肉が硬直して動けない。
手の筋肉が硬直し、魔導銃を落としてしまった。
…あ…これは死んだわ。
…ゴメンねデミちゃん…先行くね。
お父様、お母様、お兄様、お姉様、叔父様、叔母様…皆。
随分待たせちゃった…。
身体が硬直し、目から入る映像だけが、ゆっくりと音もなく動く。
ジェシカも動けない様だ。
持っていたウルミを手放して、落としている。
構えた姿勢のまま、目だけ見開いて硬直している。
あれ?…おかしいな…
ガラティアから聞いていた『走馬灯』とかいうの…
全然起きないんだけど…どういう事!
昔の事を思い出すのじゃなかったの…?
死ぬ前に皆の姿を見れると思ってたのに…
ガラティア姉ちゃんめ…死んだら文句言ってやる…
私は刹那の時の中で、襲い来るドゥーム・フェンリル達を見た。
…え?
彼らも動いていない…?
全身の毛を逆立てたまま四足を突っ張って、転ばない様に必死に立っている様だ。
獣達は、目を見開いて歯を食いしばって、何とか姿勢を留めている。
熊のような大男が、私とジェシカに覆い被さって来た。
私達は硬直したまま、押し倒された。
オマリーだった。
まさか…これ!?
オマリー様の魔術式だったの!?
こんなに凄いものだったなんて…
先程のドゥーム・フェンリルの魔術より遥かに強力な縛る吠え声。
いつも「大した事のない魔術だ。見せる程の物ではない」とか言っていたのに…。
オマリーの魔術式による硬直から立ち直ったハンナも駆け付けて来た。
私達を護る様に覆い被さるオマリーの背中を、ハンナが護る。
頼もしいのは良いけれど…やっぱり重い…苦しい…
もう少し痩せて…
二人の隙間から見えるドゥーム・フェンリル達は、躊躇している様に見える。
脚を止めてウロウロしている。
何度か小さな声で吠えている。
襲撃に失敗したのに逃げない…?
何故?
二匹は走るのではなく、ゆっくりと歩いてハンナとオマリーに近づいて来た。
…尻尾をブンブンと振りながら…
尻尾…を?
え?
ハンナが、ハッとして目を見開き呟いた。
「…まさか!…お前達…アゴラ…スカリ?」
その声に驚いてオマリーが身体を起こして振り返る。
「…お前達…なのか?」
オマリーも驚いて呟いた。
その言葉を聞いた二匹は嬉しそうに尻尾を振った後、一声鳴いて黒の森の方向へ向き直し、風のように走り去った。
た…助かった…の…?
訳が解らないのだけれど…




