◆3-22 デーメーテールの苗木
第三者視点
「何かが…物凄い速さで向かって来る!」
ヴァネッサの警告で、皆は一斉に武器を構えた。
遠くの方にちらりと見えた『それ』を見て、ジェシカが叫んだ。
「待って!武器を仕舞って!」
遠くに僅かな姿が見えたと思った次の瞬間には、それは、すぐ目の前迄辿り着いていた。
「レクトス!」
それは、真っ白な身体と一本の立派な角を持つ馬の魔獣ウニコルヌスだった。
ジェシカは、クラウディアをアルドレダに任せて、レクトスの身体に飛び乗った。
『こ…こら、止めぬか!
私の背はデーメーテール様だけの物だと言うておろうが!』
「ちょっとくらい良いじゃない!ほら、ぎゅ〜…」
皆はレクトスの美しさに一瞬見惚れた。
「初めまして、貴女がレクトスね」
クラウディアが声を掛けると、レクトスは驚いた様に目を見開いた。
レクトスの声が、皆の頭の中に響いた。
『長い生の中で、これ程驚く事があろうとはな…ニグレドの言う通りだ…。
まるで小さなデーメーテール様ではないか…』
レクトスはクラウディアの顔に鼻を近づけながら、外見をまじまじと見つめた。
「そんなに似てるの?」
『魔力器や持っている魔素の質…匂い迄似ている…違いは身体の大きさくらいだ。
初めはニグレドが間抜けなだけかと思ったがな。区別つかないのも首肯ける…。
ところで、何故この様な所で横になって居るのだ?』
クラウディアは、さっき迄戦っていたグレンデルを指して説明した。
『成る程…そこの者、私に代わりなさい』
レクトスがアルドレダを退けて、治癒魔術式を使用した。
「あ…いたたたた!痛い、痛い!」
『すぐ終わる。我慢しろ』
凄く大きい魔力の流れが、クラウディアの脚に流れ込む。強過ぎる魔力で周囲が一瞬明るくなった。
『ほれ、終わったぞ。立てるか?』
「うん…、あ…普通に脚が動く…」
「流石、私のレクトスね」
『貴様のではないわ!私の御主人様はデーメーテール様だけだ!』
「良いじゃん、私に背中を許してるんだし〜」
『この…小娘…』
レクトスがジェシカを振り落とそうとするが、ジェシカは鞍も鐙も無い馬の背中から器用に離れない。
「こらこらジェシカ。もう降りなさい。
我が娘が失礼した、レクトス殿。
私はオマリーと申します」
そう言って、オマリーが頭を下げる。
はーい、と言って、ジェシカはレクトスの背中から、オマリーの背中に飛び移った。
『これは丁寧な御仁。
我が種はウニコルヌス。ニンゲンの間では魔獣と呼ばれる種族だ。
名をレクトスと申す。宜しく』
オマリーとレクトスがお互いに頭を下げる。
皆も、次々と挨拶を交わしていく。
「凄いわね…ウニコルヌスと言ったら伝承にしか登場しない魔獣よ…神の愛馬と言われているのよ…」
アルドレダは驚きながら、皆に説明する。
レクトスは誇らしげに、
『我が主様は、まさに女神様と言っても過言では無いからな!』と威張った。
それを聞いたパックは、
「ちっちっちっ…本当の女神様を知らないから。
…本当の女神様は、ここに居るルーナなんだよー!」
そう言って、ルーナの周りを飛び回った。
レクトスはパックを一瞥して、鼻で笑った。
『確かに、その小娘も凄まじい魔力の持ち主だがな…。
我が主様には遠く及ばんわ』
「魔女様もクラウディアと同じ魔素なんでしょー!
ならルーナの方が断然美味しいじゃない!」
『魔素の良し悪しは美味い不味いでは無いわ。
いくら良い香りの魔素でも、体質に合わねば毒になろうが。
その点、デーメーテール様の魔素は側に居るだけで傷も癒えるし、心が落ち着く。
その小娘の魔素は、心がざわついて落ち着かんわ』
「それが良いんじゃないか!側に居るだけで元気が出て飛び回りたくなる、この良い香り!
…ああ!枯れた年寄りには分からないか!ゴメンね!」
『フフ…ヨチヨチ歩きの小僧の癖に、口だけは達者だの。
ああ…手脚の短い小僧だから口だけしか出せないのだな。
これは悪い事を言った。許せ許せ』
「この!
無駄に長生きしてるだけのクソジジイ!」
ルーナは、パックを止める為に必死に捕まえようとする。
しかし、興奮したパックは、ルーナの手の届かない位置を飛び回り、レクトスと口論している。
ルーナは、小さい身体で何度も飛び跳ねているが、パックはそれに気付かない。
見かねたジェシカが、一足飛びでパックを捕まえ、口を押さえた。
「むぎゅ! ふぐぐ!むがー」
そのまま、ルーナの両手にパックを握らせてから、再びオマリーの背中に戻って行った。
「パックもレクトスも落ち着いて。
魔素の味とか香りとか、興味ある話だけれども、それは後にしましょう。
本題に入って頂戴」
ルーナに掴まれて喋れないパックを見て、再び鼻で笑った。
「ふがー!」
暴れようとするパックを、ルーナが自分の服の中に押し込んで黙らせた。
溜飲が下がったレクトスは、若造に心が乱されるとは、我ながら情けない、と言って反省していた。
『本題は我が主様の木『ガラティエ・ヴィーテ』の苗木の受け渡しだ』
本来の目的である、フィクス・ベネナータを枯死させるための薬剤開発だけなら、この辺りでやってもらっても構わない。
しかし万が一、その薬剤がデーメーテールの苗木にまで影響を及ぼすと困る。
だから、苗木を渡すから、出来るだけ離れた場所に実験室を造り、薬剤が苗木や成木に影響が出ないかを確かめて欲しい。
更に、苗木の受け渡しついでに、苗木の管理人をつけたい。
苗木の成育と、悪用されないかを監視する為でもある。
ただ、管理人は人と違う見た目なので、人間達に迫害されると困る。
故に人里離れた場所に造って欲しい。
「ちゅ…注文が多い…」
『注文が多いのは理解しておる。
だからこれは、そちらの善意で解決させるのではなく、御主人様からの正式な依頼として、トゥーバ・アポストロに話を通しておるのだ』
え?、と言って、クラウディアとジェシカとオマリーがアルドレダを見た。
「ええ、『ボガーダンの獣』の問題解決のついでに、デーメーテール様からの依頼を正式に受け、手順を決める話をつける事。それが今回の私の仕事なのよ」
『私が直接依頼内容を話す事で、御主人様からの依頼となる。我々にとっては、これが正式な契約方法だ』
「ま…待て待て…魔女様と教皇猊下は知り合いなのか!?」
オマリーが目を見開いて驚いた。
「既知の仲だったそうよ。お互いの連絡手段もあるらしいわ」
黒の森自体が聖教国内の領土だし、デーメーテールの発明や薬草で聖教国の役に立つ物もあるそうなので、昔から秘密裏に商売をしていたと、ホウエンから聞いたらしい。
「昔から不自然に黒の森の情報が出て来ないのも『笛』が隠してたから?」
「それは単に、行き来する事が出来ないからだって」
「行き来出来ないのに商売…?」
「森の民や魔女様の魔獣達が仲介して商売してるんだって。
『笛』の一部門に魔女様専門の部隊があるらしいわ。
秘密主義なんだから…今迄全然教えてくれなかったのよ」
「今迄、フィクス・ベネナータを枯らそうとする試みは無かったの?」
「デーメーテールの苗木がね…」
枯死させようとすると、どうしても苗木への影響を考慮しなければならなかった。
その為に、今回みたいな苗木の受け渡しの話も出たのだが、デーメーテールが躊躇した。
彼女の苗木は彼女の魔素でしか育たない。
植物を枯死させる薬剤の研究は、豊穣の森ではやりたく無いし、やって欲しくない。
デーメーテール自身は命を狙われているから、研究の為とはいえ、頻繁に森の外に出るわけにも行かない。
でも、クラウディアが居れば、森の外で苗木を育てて研究出来るのではないか…と、教皇からもデーメーテールに提案があったらしい。
「クラウディアがデーメーテール様と繫がりを持ってから、教皇猊下は監視をしていたんだって。
クラウディアの魔素がデーメーテール様と同じと聞いて、苗木の研究が出来るかもしれないと、今回の研究に関しては以前から説得していたそうよ」
「じゃあ、私が提案しなくても、『笛』の仕事としてやることにはなっていた可能性が?」
「そういう事ね…」
『確かにそういう事ではあるのだが、二人から説得されたからこそ、御主人様も動く事を決意したとも言える。
このままフィクス・ベネナータにやられっぱなしで良い訳が無かったからの』
レクトスは周囲の黒い蔦を見て、ようやく、この目障りな物を排除出来るかもしれんな…、と呟いた。
クラウディアの魔素はお香。
ルーナの魔素はエナドリ




