◆3-15 一杯呑みながら…仕事ですから仕方無く
ヴァネッサ視点
午後の調査では、クラウディアは、パートナーとしてのマリアンヌを私と交代させた。
クラウディア曰く、マリアンヌと一緒だと仕事にならないそう。
彼女はルーナの侍女のサリーに、首根っこ掴まれて引きずられて行ったみたい。
絶望と恐怖の心音がしていた。
クラウディアと離れるのが、そんなに嫌だったの?
それとも、何か怖い事でもあったのかしら?
「それで、商人の事を教えてくれたのは誰?」
「村の東にある酒場の店主よ。件の商人が帝国へ荷売りに行く前と、襲われて帰ってきた時に会ってるらしいわ」
私達は軽食酒場に入って、朝会った店主に挨拶をした。
店主は、朝来た兄ちゃんみたいな姉ちゃんか、と言って麦酒を出してくれた。
「ワインばかりで飽きてたのよね」
そう言って、クラウディアは大きいカップで麦酒を呷った。
朝からお酒ばかりで辛い…そう言ったら、煮沸した水を出してくれた。
悪いので、腸詰めを頼んで銀貨を2枚払った。
店主は喜んで、食事と一緒にもう一杯水を出してくれた。
クラウディアが腸詰めをつまみながら、もう一度同じ商人の話を聞かせて、と言った。
「ああ、朝話した死にかけた奴の事か」
そう言いながら、彼は私達と同じテーブルに座った。
首都アルカディアから帝国へ抜ける道は、黒の森を北から迂回する道と、南から迂回する道の2本ある。
南側の道を通る時は、必ずこの湿地帯を抜けなければならないが、ボガーダンの獣の噂が広まってからは通る者が少なくなっていた。
しかし、上手く通り抜けられれば、帝国の首都までは北回りより遥かに近いので、早く往復が出来る。そして、その分利益が増える。
そもそも、平民は襲われないらしいという噂も広がっていたので、平民の商人達の中には危険を承知でこの街道を選ぶ者も居た。
今回話題の商人も、そのタイプだった。
行きの時も護衛役は居た。
帰りの時に亡くなった者と同じ者だそうだ。
今迄も同じ道を複数回往復出来ていたので、今回も大丈夫だろうと高を括っていた。
「今迄の襲われなかった時と、何か違いはあった?」
「いや、商人や護衛役の人間も、使ってた馬車も馬も、全部同じだったと思うがな…?
結構儲けているみたいでなぁ、護衛役達も含めて仕立の良い服に、いっつもキツイ香水つけてなぁ…。
毎度毎度、そいつが店に入ると鼻がむず痒くなるんだ。
馬車も細かい装飾が入っていて、いつもと変わらず立派だったなぁ…」
店主は、特にいつもとの違いには気付かなかったなぁ…と、腕を組んで考え込んだ。
「…そうなの…何を売りに行ってたのかしら?知ってる?」
「以前聞いた時、奴の地元で採れた宝石を売りに行くとか何とか…言ってたっけな。
その時も同じだったんじゃねえかな?」
「宝石ねぇ…見せてもらったの?」
「ああ、奴が酔った時に見せてくれた。
真っ青で綺麗な石だった。晴れた空の色ってやつだ。
若しくは、雨上がりの水溜まりの色か?
学の無い俺でも、成程、これは売れるな…と思ったもんだ。
そうそう、そこの姉ちゃんの髪の毛みたいな綺麗な色だったな。
そいつの出身地の山で銅鉱石が採れるらしいが、時折宝石も少量だけ採れるらしい。
帝国の金持ち連中が、かなりの高値で買ってくれるそうだ」
「青い…宝石ねぇ…サファイアかしら…?
でも、それなら帝国まで行かなくても、首都で高く買ってくれるし…危険を冒してまで貿易するかしら…?
通関手数料も馬鹿にならないだろうし…」
「俺も疑問に思ってな、その石はサファイアってやつか、と聞いたんだが…奴は笑って答えなかったな。
ガラス容器に密閉されててな、これはデリケートで貴重な石なんだ、とか…。
他にもサイコロみたいなキューブ状の変わった銀色の石とか、血のように赤い鉱石も持っていたな。
見た目と違い、ずっしりと重かったのでびっくりしたよ」
私は見えないので宝石には興味が無い。
青と言われても、どんな色か分からない。
空の色だとか水の色だとか…例えられても見えないから…。
見えない分、耳と鼻は良いのだけれど。
そう言えば、この村に来てからは鼻が利かないわ。
泥炭の臭いが強過ぎて。鼻が痛い。
臭い…匂いかしら…?
「ねぇ…クラウ。あの獣は犬みたいな外見だったわよね?
襲う相手を匂いで判断しているのではないかしら?」
クラウディアは口元に手を当てて考え込んだ。
「それも考えてはいたのだけれどね…今回の商人の話で、逆に分からなくなったのよ」
クラウディアは、あの獣が、貴族のつける香水の臭いを辿って襲っているのかと考えたそうだ。
今迄襲われたのは、金持ちや貴族達。
聖教国で流行っている香水は、当然帝国でも流行っている。
私達も同じ香水をつけている。
逆にお金のない旅商人や平民の兵士達は、香水にお金をかけられない。
余分なお金があれば食べ物にするからだ。
クラウディアは、その商人が行きには香水をつけずに通り、帰る前に帝国で香水を買って、使ってから帰途に就き、その為に襲われたのではないかと、考えていたそうだ。
「でも、その商人はいつも同じ香水をつけていたのでしょう?」
「ああ、そうだ。いっつも臭くてな。
ああ…悪い。あんたらも同じのつけてるのにな…。
誤解しないでくれ。
アイツはアンタ達よりかなり強い香りを振り撒いていたもんだからな。こっちの鼻が利かなくなるくらいにな。
うう…思い出すだけでくしゃみが出る」
「私は泥炭の臭いで鼻が痛いわ」
私が言うと店主は、何を言ってる?泥炭に臭いなんてないだろう?、と言った。
お互いに意味が分からず、顔を見合わせてしまった。
見えないけど。
「人は、生まれた時からすぐ側にある臭いは感じにくくなるらしいわ。『嗅覚の順応』とか言ったかしら…」
クラウディアが説明してくれた。
私は、店主と一緒に感心して聞いていた。
店主は、「成程なぁ…だから貴族の連中は、あの花の匂いに気付かないのか…」とブツブツと呟き、一人で何かに納得していた。
「その商人は宝石だけを売りに行ったの?それなら馬車はいらなくないかしら?」
クラウディアが疑問を投げると、店主は少し迷ってから話してくれた。
「まぁ…恐らくだけどな…他の鉱石も運んでいたんじゃないかと思うんだ。
…あくまで思う…というだけだ。確認してないからな」
何故そう思うのかと聞くと、その商人の馬車が木道を通る時、行きと帰りで木道の沈む深さが違ったそうだ。
その商人の馬車が、聖教国から帝国へ向かう時の木道の沈み込み深さは、この村が泥炭を輸送する時に使う馬車列の沈み込み深さより深かったそうだ。
逆に帝国から聖教国に帰る時は、木道の沈み込みはほとんど無く、帝国で仕入れた物は軽い物だったのだろうと思ったそうだ。
「多分、銅鉱石でも運んでたんじゃないか?国に内緒でな。
地元にある山が銅鉱山だと言っていたし」
金銀銅や鉄鉱石は、一度国を通さなければならない。
取引される金額は決まっているから、儲けは少ない。
更に金銀の密輸は極刑だ。割に合わない。
「密輸ねぇ…銅鉱石も多少は高く買ってくれるでしょうけど…
馬車一台分程度じゃ、大した儲けにならないでしょう?」
「だよなぁ…だから、いちいち報告してなかったんだがな」
デリケートな青い宝石にキューブ状の石と重い赤い石。そして密輸…ねぇ…
クラウディアがブツブツ言いながら考え込んでしまった。
「そう言えば、その商人が命からがら辿り着いた時の馬車は、ほとんど空っぽだったな」
「え、中見たの?」
「ああ、負傷した護衛役達が馬車の中の隔離された荷台に押し込められていてな。俺が治療の為に運び出したんだ」
途中で依頼主を置いて馬で逃げ出した護衛役を、獣が追い掛けて行った。
その間に、負傷した護衛役達を荷台に回収して逃げたらしい。
逃げた護衛役は多分死んでいるだろうと言っていたそうだ。
荷物の事を聞いたら、帝国で仕入れた物は、その時に全て放り出してきたと言っていた。
馬車の扉は3つ付いていた。
とても変わった造りだったので、よく覚えていたそうだ。
扉は前、横、後ろの3箇所バラバラに設置してあったそうだ。
「前…は御者交代用かしら?…後ろは…荷台用?大型の馬車だったの?」
「いや…うちらが泥炭を運ぶ馬車より小さいヤツだ。
変な造りだったな…ありゃ、訳アリ品だなぁ…」
前の扉は商人と侍女と交代役の御者が震えながら乗っていた。
御者台に直接通じる小さな扉もあり、そこからも出入り出来るのだが、荷台に通じる扉は無かった。
そして、馬車の大きさに対してとても狭かった。
二人掛けの椅子と補助椅子のみ。
「雨の時以外は御者台に二人掛けだそうだが、怖くて相方に操縦を任せて引っ込んでいたらしいな」
後ろの扉を開けて驚いた。
完全に密閉されている個室になっていた。
窓もなく、まさに見られたくない品を運ぶのにうってつけと言える造りになっていた。
そこに怪我をした護衛役が4人も詰め込まれていた。
そして、4人共ぐったりと倒れていた。
密室の中は、強い香水の匂いに混じって何とも言えない刺激臭がしたそうだが、香水の香りを嗅ぎたくなくて息を止めていたので、よくは分からなかったそうだ。
荷物は何も無かった。
「じゃあ、何を密輸していたかは分からなかった…?」
「そうだな。物凄く香水臭くて気持ち悪くなってな。
みっともねえが吐いちまったよ」
「放り出してきた荷物が目当てだったのかしら?」
「そう思って聞いたんだがな、いつもの品と同じ物だったと言ってたな。
どんな物かは見てないから、そいつの言う事が本当かどうかも分からんが」
店主はそう言いながら、思い出した事を話しだした。
「そう言えば、その時そいつ、いつもより商売が上手くいって、多く仕入れられたのに全部無くした!って嘆いていたな」
「商売が上手くいった…と言ったのね?」
店主は、成功した直後の損失だったからか、物凄く落ち込んでいたぞ。と話した。
「実はな、大変だったのはその後でな」
助け出した護衛役達が、昏倒したり、吐いたり、酷い頭痛を訴えたりと、治療にかなりの時間が掛かったそうだ。
軽傷でも、痺れて立ち上がれなくなる者も居たらしく、いつもは一晩の滞在で通過するのに、怪我が治った後も一週間近く起き上がれない者まで居たそうだ。
「獣に襲われた傷口が化膿したのかな?」
私が聞くと、
「それが不思議な事に、直接獣に触ってない奴まで倒れてな。
そいつは落馬して手首を折っただけなんだが、乗っていた馬が逃げ出したから、一番最初に荷台に飛び込んだそうだ。
そいつは、ここに着いた時は意識がなかったなぁ…」
おかげで「ボガーダンの獣は呪いも使うのか?」と、御者も侍女も怖がってそいつに近寄らなくなった。
周りの仲間であろう護衛役達すらも、そいつに触れるのを嫌がったので、店主と村の兄弟達とで運び出したんだと、話してくれた。
そこまで黙って話を聞いていたクラウディアが、突然「ああ…成る程…」と呟いた。
私と店主が、何が?、と聞いたら、商人がそれ迄襲われなかった理由と密輸していた物が解ったわ、と答えた。
店主が、銅鉱石じゃなかったのか?、と聞いてきた。
クラウディアが一言
「多分、フィロソフムストーンと、麻薬かな?」と言った。




