◆3-12 ヴァネッサの覚悟
第三者視点
「私は…人質なの?」
唐突なその質問に、クラウディアは答えを迷った。
「その質問の理由を聞いてもいい?」
迷った結果、質問で返した。
「お父様が言っていた『笛』の事、ずっと考えてたの。今迄一言も言わなかったのに、急に人が変わった時から言い出した『笛』って何だろうって…」
ヴァネッサは、この数日の間何度も、父親に言われた事をジェシカに尋ねようとした。
しかし、父親の態度や、父からの手紙を読み上げた侍女の緊張した様子を思い出して、もしかして『笛』という言葉の意味は悪い物なのではないか、と思って躊躇した。
もし悪い物なら、そんな物にジェシカが関わっていると考える事自体が失礼なのかも知れない…そう考えて、今迄の関係が崩れてしまうのが恐ろしくて、話せなかった。
「クラウディア…クラウって呼んでいいかしら?
ジェシカ達みたいに…」
「好きに呼んで良いわ」クラウディアが頷く。
「クラウに聞いた時ね…、
そう言えば、あの時は取り乱してごめんなさい…。
今考えると、とても恥ずかしい態度をとったわ…」
思い出して、少し照れながら続けた。
クラウディアに商談室で質問した時、全く感情が変わらなかった事から、クラウディアは知らない事だったのかと思ったそうだ。
今迄の経験からクラウディアの嘘は読めなくとも、感情の波から彼女の感じている事はおおよそ分かったから。
「でも、あの獣へ使った魔道銃…なのかな?
初めて視る形だったわね。
威力も私達の…いえ、他のみんなの持つどんな魔道銃とも違っていたわね。
ジェシカが、彼…デミトリクスは射撃の威力で右に出る者は居ないと言っていたわ。嘘じゃなかった。
彼の魔力検査の結果では、たしか…普通より低いくらいだったと聞いたのだけれども。
王族レベルに近いジェシカよりも…強いと。
クラウも圧縮魔術式が使えない筈なのにね…。
誰に対して誤魔化しているの?
誰を騙そうとしているの?」
高等部程度ではありえない強さを持ち、ルーナを含め同年代とは次元の違う位の頭の良い集団。
「初めに言った、『友達になりたい』って言うのは心からの言葉だったの。本当よ。
でも、側に居るとクラウ達の異常さがはっきりと分かったわ。時々…怖くなったの。
言葉の節々から、心を読める私に対して意図的に言葉を選びながら、濁しながら、『何かがバレない様に、気を付けながら』話していたのは解ったわ」
怖いのと同時に頼もしくもあり、クラウディア達の役に立つことで、護ってもらえるという打算もあったそうだ。
怖いけれど、懐に居れば安心出来ると。
「まさか、デミちゃんの事が好きなのは…演技?」
クラウディアの感情に僅かな怒気が混じる事に安心して、ヴァネッサは口を開いた。
「好きなのは本当よ。彼を愛してる」
会ってから、そんなに時間も経っていないのにね、と呟いた。
「彼を好きなのも、クラウ達の輪の中に入って安心したかったのも本当よ。
だから、貴女達の『不自然さ』から目を逸らしたの。
知らない事は、知らないままの方が良い…そう思ってね」
そう言って、疲れた様に笑った。
選択授業中、騎士見習い達をたった一人で滅多打ちにするジェシカ。
その彼女が崇拝に近い信頼を寄せるクラウディアは、子供にはあり得ない策謀で、外国の軍人の調略を解析して粉砕。
小等部の年齢で高等部を卒業するルーナは、クラウディアの影に隠れて分かりづらいけれども、あの歳ではあり得ない位に人生を達観している。
「他の生徒は勿論論外。普通の大人達ですら達したことのない位置に居る…そんな気がするわ、貴女達。
イルルカも私もマリアンヌもギフテッドなのに、貴女達と居ると…存在が霞むのよね。
私なんて、今迄は腫れ物に触る様に扱われてきたのに…。
…愚痴じゃないのよ。誤解しないで。
存在が霞む現状に助かっているのよ。本当に」
そんな中で、デミトリクスだけは自分に近いと感じた。
彼の考えは相変わらず読めなかったけれど、何となく私と近しいものを感じたの。と、ヴァネッサは言った。
「選択授業の乗馬の時に、貴女がデミに、私に迫るように指示してたのは知ってたのよ」と言って彼女は笑う。
「彼が私の腰を抱いた時に彼の心音が早くなったの。
私の首筋に彼の顔が近づいた時、体温が上がって呼吸が僅かに早くなったの。
彼が演技ではなく、私なんかに少しだけれども…興奮してくれているのを感じて、何故か嬉しくて、彼を…意識したの…」
あの時は皆に注目されて、とても恥ずかしかったわ。
貴女のせいよ、と、冗談めかして頬を膨らませた。
クラウディアは、何も反応せず黙って聞いていた。
「皆の居ない時にデミと何度も話してて、何となく分かったの。
この人達は、私には理解出来ない場所に居るって。
でも、その頃には彼が好きだったから、私も輪の中に入りたいって思ったのよ。
彼と一緒に居るためにね」
だから、クラウディアが私とデミトリクスをくっつけようと色々と画策している事に便乗したのだと、言って笑った。
でも今回の旅行で、アルドレダ先生までもが『理解出来ない場所』の仲間なのだと判った。
聖教国の中心的な学校の校長先生の孫娘が、クラウディア達の仲間。
「この村のハンナ村長だけじゃなく、貴女達の上司のエレノア様も教皇猊下を『狸』呼びしているのね」
あの体型だからね。少しはやせた方が良いのにね。と、クラウディアは何でも無い事の様に話した。
「お父様が調べたがっているジェシカ達の情報…『笛』。
そして…お父様の手紙を読んだ時の…正確には『笛』に関する部分について読んだ時の、私の侍女の緊張感。
貴女の上司と教皇猊下の関係に貴女達の異常さ。
『理解出来ない立場』とは『笛』の事なのよね?」
ヴァネッサは、見えない目でクラウディアをじっと見つめる。
「お父様は、『笛』の情報を欲しがっているから、『笛』ではない。
枢機卿であるお父様すら、私を使わないと探れない情報。
私の侍女は『笛』から私に付けられた間者かしらね?
『神代の魔導具』の情報に触れられるなら、アルドレダ先生も『笛』よね。
その先生と、物凄く近しい間柄…クラウは先生の親戚よね?
…もしかしたらお姉さん…とか?
先生の言った『覚悟』は『笛』を知る覚悟かしら?
教皇猊下に対する気安い態度…」
ヴァネッサはひと息ついた。
「これらの事から、『笛』は教皇猊下の『何か』。
秘密組織みたいなもの?
侍女が『笛』である以上、私の命はいつでも奪える。
お父様と教皇猊下が対立しているのかしら?
貴女達が『意図的に隠している事』は、私からお父様へ、貴女達の『笛』の情報が漏れる事よね?
それでも私から離れず、すぐ側に置こうとする。
この簡易遠征訓練にも無理矢理参加させたしね。
情報が漏れる危険性より重視するのは何?
だから…私は、教皇猊下がお父様に対して所持している『人質カード』…切り札なのかな…と思ったの」
パチパチパチ…
静かな部屋にクラウディアの拍手の音だけが響き渡る。
「そこまで覚悟して…仮にその考察が合っていたとして…。
その場合、貴女は、どちらにつくのかしら?」
「お父様…と言いたいところだけど…お父様が何かおかしい事は私にも分かる。
以前と別人の様だわ。
危険な『笛』を調べる為に、『私』が殺される可能性も知っているみたいだったわ。
そして、それでも構わないと考えている。
だから、私に人質としての価値はほとんど無い」
ヴァネッサは、そこまで喋って一拍おいた。
「それに…デミとの婚約関係も手放したくないわ。
貴女の意図に乗って手に入れた関係だけれども。
好きなのよ。…本当に。」
私のこの気持ちも貴女の計算の内なのよね…。と言ってため息をついた。
「それで?」
クラウディアは誤魔化しは要らない、という態度で応えを求めた。
意を決した様に、ヴァネッサはクラウディアをじっと見ながら口を開いた。
「私…諜報戦力としてなら価値はあるつもりよ。
高く買って頂けないかしら?」
その言葉でクラウディアは呆然とし、あんぐりと口を開いた。
それから、ぷっ…と吹き出した後、大声で笑い出した。
彼女がクラウディアと成ってから、初めて口から自然に出た笑い声だった。
「命乞いでも敵対宣言でも無く、戦力の売込みとはね。
やっぱり好きよ貴女。私が高く買ってあげる!」
クラウディアは笑いながら答えた。
初めて視る、誤魔化しも偽りも無いクラウディアの心に、ヴァネッサの方が驚いた。
◆◆◆
初めて聞く様子のクラウディアの笑い声に驚いたのか、ジェシカが、大丈夫?、と言ってドアをノックしてきた。
クラウディアが笑いを抑えながらドアの鍵を開けて、扉を開くと、そこにはジェシカとルーナが立っていた。
二人は心配そうに彼女を見つめていた。
初めて見る、クラウディアの笑いを堪えている顔を見た二人は、本気で彼女が狂ったのかと思った様だ。
クラウディアは二人を招き入れて、扉に鍵を掛けた。
初めてクラウディアの本心に触れて驚いたヴァネッサと、彼女の笑い顔に驚いた二人は、彼女を中心にして椅子に腰掛けた。
「ヴァネッサに全部、バレちゃった」
クラウディアの言葉に二人は目を丸くした。
ジェシカはヴァネッサの方を見ながら、初めて感じる冷たい感情で、それで?、と聞くと、ヴァネッサはつばを飲み込み、改めて話した。
「そりゃね〜。やっぱり無理よね〜。
初めから無理だと思っていたわ。
心を読める娘を『騙して』仲間にするなんて。
いつかは必ずバレる事だしね」
ジェシカが椅子にもたれ掛かりながら天井を仰ぐ。
「無理だと解っていたからね。
全部理解した上で判断してもらおうとして正解だったわ。
ヒントをばら撒いたら、ちゃんと拾ってきてくれたわ」
「え…わざとだったの?」ヴァネッサが驚いた。
「万が一ヘルメスに報告されても誤魔化せる程度のをね。
アビー…アルドレダやジェシカにわざと口を滑らせてもらってね…。
でも、貴女の侍女が『笛』の仲間だったのは知らなかったわ。本当よ。
貴女を心配している様子に見えたし。」
もし、ヒントに気付かなければ、騙したまま仲間に引きずり込むつもりだったの、と話す。
「じゃあ、もし私が、お父様側につく、と話してたら…どうするつもりだったの?」
ヴァネッサが恐る恐る聞いてみた。
「私、貴女が好きよ。
デミちゃんにとっても、良い情操教育になっていると思う。
私の大切なデミちゃんを預けても良いかな、とも思ってる」
クラウディアがニコニコと笑いながら言った。
「私も、ヴァネッサの事好きよ。
まだ短い付き合いだけれど、心が読めるせいかしら?
よく気が利くし。
見た目も好みだしね。良い香りがするし」
ジェシカも楽しそうに言った。
「私も貴女の事は好きよ?
パックも貴女の事を好いてるみたい。
心根の優しい人なのね。
クラウやジェシカと違って、性格が捻くれてないし」
ルーナも嬉しそうに言った。
『でも…』3人の声が冷たくなり重なった。
『私達に敵対するなら、貴女もヘルメスも殺すわ』
3人の声が『本気』だったのを視て、ヴァネッサの顔色が一気に青くなった。彼女はベッドに倒れ込んだ。
クラウディアがヴァネッサの頭を撫でながら、『笛』の説明をした。
教皇直属の諜報暗殺部隊である事や、ヘルメス枢機卿が人格を乗っ取られていて聖教国に敵対する可能性がある事。
そして、誰が『笛』か、お互いに知らない事。
「お父様を救う事は出来るの…?」
「それをしたいなら、貴女が自分でやるのよ」
「私が…?」
「残念だけれど…『私』も『笛』も、ヘルメスを助けるつもりは無いの」クラウディアは突き放した。
「クラウはヘルメス枢機卿に恨みでもあるの?」
ジェシカが尋ねると、クラウディアは黙ってしまった。
クラウディアの重い沈黙のせいで、皆、口を開く事が出来なかった。




