◆3-9 経験と覚悟
第三者視点
朝一番で村を出発して、暫くはゆったりとした時間を過ごした。
御者台のジェシカが、鼻歌を歌いながら馬を操縦していた。
馬も彼女の機嫌にのせられたのか、歩く足音がリズムを奏でている。
目的地が近づくにつれて、ジェシカはますます機嫌が良くなっていく様だ。
「朝起きたら、道端で寝てる人がいたのよ?流石に夜はまだ寒いと思うのだけれども…。獣とか危険じゃないのかしらね?」
マリアンヌが、そんな事を話していた。
「酔っ払ってたんじゃないかしら? あそこの村は柵に囲まれてたから、獣に襲われる事もないでしょ」
クラウディアが外を眺めながら眠そうに欠伸した。
「寝不足?寝心地悪かった?」
「そーね…枕が替わるとねー」と言って、また欠伸をした。
「クラウディアは寝てても良いわよ。先は長いし。午後から仕事してもらうから」とアルドレダが言うと、そ~する…、と言いながら、1番後の席に横たわった。
寝袋を布団代わりに掛けて、すぐに寝息を立て始めた。
「午後から何かあるの?」
ルーナが尋ねるとアルドレダが、
「少し、治安の悪い場所を通らなきゃいけないから」と答えた。
マリアンヌが、野盗?怖いわ…、と言うと、アルドレダが、すぐに武器を取り出せる様にはしておいてね。と注意した。
「そう言えば…アルカディア周辺ではほとんど見なかったわね。北方区では時々あったのにね…」と、ルーナが話すと、マリアンヌとヴァネッサが「え!?」と言って驚いた。
「私、産まれてから一度も野盗なんて会った事無い…」マリアンヌが言うと、ヴァネッサも同意して頷いた。
ヴァネッサが、聞くかどうか逡巡した後に、意を決して皆に尋ねた。
「その…もしも…、野盗とかに会ったら…どうするの?」
「どうするって?」
ルーナは意味が分からなかった様だ。
ヴァネッサが小さな声で、殺すの…、と聞いた。
マリアンヌは口元を抑えた。
ルーナは意味が分からない…という顔をした後で、
「普通は殺すと思うのだけれど?なんで?」と答えた。
自分より小さなルーナが、簡単に『殺す』という単語を発した事に驚いた二人は、顔を見合わせている。
「私、変な事言った?」ルーナがサリーに尋ねる。
「首都以外に住む人や、平民、農民の間ではわりと普通ですが、首都に住む貴族には、一生経験する事の無い人も居るようですよ?」
二人が「経験…ってまさか…」と呟いたので、サリーは「ええ、人殺しの経験ですわ」と答えた。
「あれ?でも、軍部や騎士団って首都の貴族が多いよね。
人を殺した事なくてもなれるの?
治安維持や戦争の指揮をとったりもするのよね?」
「そこが以前は問題になっていたのよ」
アルドレダが話に入ってきた。
アルドレダの話では、『人を殺す』という事が想像出来ない貴族が、遊戯でもしている様に軍隊を動かすと、戦場での過剰攻撃や民衆への残虐行為に走る傾向にある。
それで、いざ前線に出て戦争の現実を知ると、兵士を残して逃亡する指揮官が後を絶たない。
それが問題視されていた。
「だからね、卒業時の遠征訓練では狩る『獣』の中に『野盗や犯罪者等』も加えられているの。関係無い人には言っちゃいけないんだけれどね」
軍部や騎士団を目指す者への卒業試験に、この『遠征訓練』を加えてから、命を軽んじる発言をする者が少なくなったそうだ。
「じゃあ…まさか…私達も…?」と二人が震えながら言うと、
「強制はしないわ。今回は『簡易』ですからね」と答えた。
「ただ、知っておいて欲しいの。貴女達が人殺しをしないで済む世界の裏では、両手を血で洗っている子達がいるのよ。
そういう子達を見て、軽蔑するのはやめて欲しい。
だから、現実を見せる為に遠征訓練に貴女達みたいな『綺麗な手』の子達を参加させたの」
ホウエン校長先生の意向よ。とアルドレダが説明した。
真剣な顔で話すアルドレダを見て、現実感が出てきたのか、二人は青い顔をして震えていた。
二人は、ルーナやサリー、御者台に居るジェシカや、後ろの席で寝ているクラウディアを覗き見た。
次いで、自分の手を見て考え込んだ。
アルドレダは頷いて「無理なら私達だけでやるから安心して」と笑顔で落ち着かせた。
ヴァネッサは「デミトリクスも…経験者…ですか…?」と聞いてきた。
ルーナが「デミトリクスは上手いわよ。近接でも遠距離でも、相手が気付かない内に片をつけるの。ジェシカと同じくらい速いわ」と、仲間を自慢するように言うと、ヴァネッサは口元を抑えて、嘔吐いた。
ルーナが、どうしたの?大丈夫?、と聞くと、マリアンヌが「まさか、私達以外みんな…?」と聞いてきた。
ルーナが「うん?だって殺さないと殺されちゃうでしょ?当たり前じゃないの?」と答えた。
ヴァネッサもマリアンヌも唖然として一言も発せなかった。
その後は、二人共何も言わずに自分の手を見続けるだけだった。
◆◆◆
「ふぁ〜、良く寝た。 …うん、どうしたの?」
お昼の休憩時に小川の側に馬車を停め、アルドレダが馬を休ませていたら、クラウディアが起きてきた。
皆の雰囲気が重苦しくなっているのを見て、首を傾げていた。
「私達みんな、殺しの経験がある事を知って、マリアンヌとヴァネッサが落ち込んじゃってね…」とジェシカが説明する。
「どうぶつが、他のどうぶつを食べるのはフツーなんだし、ナンデ落ち込むのー?」とパックが聞いてくる。
なるほどね…、とクラウディアは呟き「こればかりは、自分や大切な人の命が脅かされないと理解するのは難しいわよね…」と答えた。
ヴァネッサが、クラウディアは初めて人を殺した時、どう思ったか?、と聞いてきた。
「殺さないと、私かデミちゃんが殺されてたから…別にどうとも思わなかったわね。
デミちゃんの命以外に大切な物は、その時には全部無くしていたもの」
クラウディアが冷たい目で淡々と答えた。
ヴァネッサは、深く考えた後で震える手を抑えて、意を決して顔を上げた。
「私、やります…愛する人や友達に『汚い事』をやらせておいて、自分だけ『綺麗な所』に居るのは…嫌。
歩くのなら…同じ所を歩きたいの」
ヴァネッサが宣言した。
サリーが『尊い者』でも見るかのように感動していた。
「わ…私だって…我が家の尻拭いだけじゃなく、汚い事や大変な事を全部友達に押し付けて…。
私だけ何も知らないで居るのは、もう嫌なの。私もやるわ!」
マリアンヌも宣言した。
ルーナとジェシカが「おお〜」と言いながら拍手した。
◆◆◆
硬いパンと煮沸した小川の水、そして干し肉だけの簡単な食事を済ませて、皆で今後の事を相談した。
「これから先は少し強行軍になるから、覚悟しておいてね」
「何かあるのですか?」
アルドレダが説明する。
実は近年、この先の街道で『黒い獣』に襲われる事例が、時折発生している。
今迄、『騎馬』は襲われても、何故か『馬車』は襲われてないから大丈夫だとは思うけれど…用心はしておくように、と。
「黒い獣?」
「離れた所で見た人の話では、遠くて良く分からなかったらしいのだけれど、熊くらいの大きさの犬っぽい何か…らしいわ」
「襲ってくるのは野盗の類じゃ無かったの!?」
心を決めていたヴァネッサとマリアンヌの顔が、再び青くなった。
街道を抜けて、目的地の村の境界に入れば大丈夫らしい。
「ボガーダンのパエストゥムっていう村でしたっけ?湿地帯の中にある」ルーナが確認の為に聞いてくる。
「そう。護衛役は既に村に到着しているから、そこで合流よ」
それを聞いて、あれ?、と言ってヴァネッサが質問した。
「私達、そんな危険な街道を通るのに護衛役が居なくて、街道を抜けた後に護衛役が付くのですか?」
あっ…と顔を見合せた後で、アルドレダは、
「…危険と言っても、馬車は襲われてないからね」と誤魔化した。
「さっき、用心しておくようにって…」
と、マリアンヌが言うと、
「つまり、村の外で馬車を降りると危険だと言う事ね。
だから村の外を探索するのに護衛役が必要だと」
ジェシカが慌ててフォローした。
「なるほど、これの退治がアビーの依頼なのね」
いきなり、アルドレダがクラウディアに拳骨を落とした。
アルドレダのいきなりの暴力に、見ていた二人は驚いて口を開けた。
涙目で頭を抑えながら、「もう…いっその事、巻き込んじゃえば?色々と面倒くさいし…」と呟いた。
「本人達に覚悟が無いうちは、駄目よ…」
アルドレダが言うと、ヴァネッサは「私は覚悟を決めましたわ。彼の為なら人殺しくらい…」と震えながら言った。
マリアンヌも、顔を上げて頷いた。
アルドレダは頬を掻きながら、そういう事じゃ無くてね…、と、ため息をついた。
「あれ?そう言えば違和感無かったけど、ヴァネッサの喋り方が女言葉になってる…」
ルーナがふと呟くと、ヴァネッサは恥ずかしそうに、
「学校では男装で女言葉だと目立つから…。他の人が居ない時は女言葉なの」
「パンツスタイルの女性服があれば楽なのにね…」
「創るのは簡単だけれど…周囲が慣れないと。奇異の目で見られちゃうからね…」
「そうそう、忘れるところだったわ。皆、これを塗っておいて」
そう言って、軟膏の大瓶を持ち出した。
「これは…何ですか? あ…スーっとして気持ちいい…」
「これは…蚊除けの軟膏ね…」
「これから行く村は蚊が多いのですか?」
ジェシカが軟膏を首筋に塗りながら尋ねた。
「パエストゥムは湿地帯の真ん中の台地にあるのよ。
村人は蚊の病気に抗体があるけれど、貴女達には無いだろうし。
刺されると肌がボロボロになるからね」
「しっかり塗っておきますわ!」
サリーがルーナをベトベトにした。
「やり過ぎよ! 薄く塗れば十分だから!」
「ボクも塗ってみたーい」
「パック! 軟膏に頭から浸かるな!」
「キャー! 目がー!」
「妖精も薬がしみるのね…面白いわ…」
「相変わらず、馬鹿妖精よね」
その様子を見て緊張が解けたのか、ヴァネッサとマリアンヌは笑い合っていた。




