◆3-6 気になる事と出発の準備
ジェシカ視点
皆で買い物に行った次の日は、学校中が婚約の話題で持ちきりだった。
ハダシュト王国ヨーク伯爵家令息が、聖教国のリンドバルト侯爵家令嬢と婚約した…と。
話題の中心である二人は色々な意味で役立たずだった。
祝福しつつ様子を探りに来る生徒達に対して、デミトリクスは相手の感情を逆撫でするような返事を、意図せずにやってしまう。
嫌味で「おめでとう」と言われているのが分からず、練習通りにニッコリと笑って「ありがとう」と返すものだから、相手はこめかみをひくつかせたまま踵を返す。
ヴァネッサに至っては、恥ずかしがって俯いたままボソボソ喋るので相手は聞こえない。
その為に何と返せば良いか分からず、お互いにしどろもどろになってしまった。
代わりにクラウディアが、婚約の噂の真偽を尋ねに来る生徒達を上手くあしらっていた。
…訂正。
上手くは無かった。
言葉も返しも完璧なのに無表情なので、相手は不気味なモノを見るような目で見ながら帰る。
…クラウディアは、やっぱりクラウだったわ…
…まぁしかし、これでいちいち聞きに来る奴が減ってくれるならいいか…
先生達の間でも噂を確かめる為に、私達の所に来る人がいるくらいに面倒臭い事になっているし…
デミトリクスの年齢的にも、家同士の顔合わせ的にも、婚約も婚姻もまだ先だ。
あくまで婚約をしたいという本人同士の希望の段階。
だがヘルメス枢機卿自身が娘の婚約に対して、全く動いていない=娘に関心がない、と思われており、母親の居ないヴァネッサの婚約者を決定する権利は既にヴァネッサ自身にあった。
国の力関係的にも、貴族家としての身分的にもデミトリクスより上であるヴァネッサが、デミトリクスからの申込みを受け入れている以上、ヨーク家に『婚約』を覆す力はない。
その為に実質的には『婚姻』が決定されていた。
ヴァネッサ以外ではヘルメス枢機卿ぐらいしか『婚約』を止める権利を持つ者は居ないが、今迄の行動からも止める事は無いだろうと考えられていた。
ヴァネッサが嫁ぐ機会は、これを逃せば他には無いと考えるのが、貴族としては常識的な考え方だったからだ。
つまり、『結婚』まで他の者は誰も止められない。
本人達以外は。
噂を確かめに来た人達は、嘆く人と祝福する人で別れたが、嘆く生徒が圧倒的に多かった。
先生の中でも「私のデミちゃん…」と呟く危ない人も居た。
女生徒の中には「おのれ、デミトリクス…」と呟く人と、「おのれヴァネッサ…」と呟く人が居た。
『笛』の仕事の一環ではあるし、高位貴族なら打算や政略で婚約するのは当たり前だから良いのだけれど…。
真相を知らないヴァネッサを騙している感は拭えず、私は少し気持ち悪かった。
ヴァネッサがデミトリクスに入れ込んでいるのは、一目瞭然なのでしょうが無い。
私は、ヴァネッサの居ない時にデミトリクスに聞いてみた。
「ヴァネッサの事は好きだから構わないよ」
淡々と話したのが印象的だった。
どの程度好きなのかと聞いたら、程度…って何?との事。
私は聞き方を変えてみた。
もし『笛』の命令でヴァネッサを殺さなければならなくなったら、どうする?、と聞くと、デミトリクスは胸を抑えた。
どうしたのかと聞くと、想像したら息苦しくなった。けれど何故か分からない。と言って、苦しそうに細かく息をした。
ふと思って、私は、もし『笛』の命令でクラウディアを殺さなくてはならなくなったらどうする?、と聞いてみた。
同じ様に胸を抑えて、「やだ」と言った。
デミトリクスは胸を抑え込んだまま、ポロポロと涙を流した。
…何で涙が出るんだろう…感情はいつもと変わらず平坦なのに、目から勝手に水が出た。と言って驚いていた様だった。
「なって欲しくない事を考えたら、胸が詰まった。息が苦しくなった。涙が出た。これが、感情なの?」と聞いてきたので、そうだ。と答えた。
…デミトリクスも少しは成長してるのね…
私は少し安心して、ヴァネッサを大切にしなさい。と言った。
デミトリクスは胸に手を当てながら、頷いた。
◆◆◆
チーム登録が開始されてから間もなく、行き先が複数箇所提示された。
表向きは自由に選べる様にしてあったが、実際は本人達の能力に合わせて教師が選んだ場所を選択するように誘導された。
…お嬢様達に危険な獣や野盗の多い所へは行かせられないから…
…金持ちの世間知らず共に多少の痛い目に遭ってもらっても…それはそれで経験値になると思うけどね。
良い経験値になるか、悪い経験値になるかは知らん。
…少しは世間というものを知ってこい…!
…駄目駄目…。
妬むと人間は顔が醜くなる…と、クラウが言ってた。
私は妬まない…私は妬まない…。
私はクラウに認められている凄い子なんだから。
私は凄い…。他人を妬む必要はない。
よし…!
宿泊施設が用意されているとは言え、万が一を考えてしっかりと準備しないと落ち着かない。
私はクラウディアとデミトリクスを連れて、必要になるであろうものを選定した。
最初になめし革工房を訪れて、野営しなければならなくなった時の為に、人数分の雨具と寝袋、そして大きめのタープを注文した。寝袋は羽毛入りで防水加工がしてある高価な物だ。
加工に時間が掛かるので、数日待ってくれ、と言われた。
出来た商品は、後程学校に届けてくれるそうだ。
外泊する時は屋根のない所で寝る事も想定しておかないと落ち着かないのよね…。
昔の経験のせいかしら。
クラウも同じみたい。
クラウは雪国仕様の寝袋を注文していた。
行く予定の場所は寒くない所なんだけれど…
「今後も使いたいからね…」
そんな事言っていた。
寒い地域に行く予定あったっけ?
その他にもクラウディアと相談した上で、乾パンや燻製肉、ワイン樽等を注文して、到着日の前日迄に目的地の村の隣村に送って貰えるように手配した。
アルドレダが言うには、手配した護衛役が隣村まで取りに行ってくれるらしい。
何か他の荷物を送る時は、隣村に送るように指示された。
…何故か隣村。
なんで予定地の村じゃないのか聞いたら、届かない可能性があるらしい。
そんなに危険な村なのかしら?
何か裏がありそうね。
そう言えば、私達の目的地の村は黒の森の近くだっけ?
危険な魔獣でも居るのかな?
それなら良い魔石が手に入る可能性もあるから嬉しいんだけどね。
その後も、川があれば釣りが出来る様に釣具工房で釣竿一式を購入し、武器が心許ないので、イルルカの鍛冶工房で余った剣と槍を纏めて格安で譲ってもらった。
魔道銃だけだと…慣れてないから嫌なのよね。
いざという時の為、近接武器も用意しなきゃね。
思った以上に量があって、デミトリクスでも運べなかったので、後で寄宿舎に送り届けて貰えるように手配した。
イルルカから君達の話は聞いているよ、と言われた。
…なんて話したのかな?
お淑やかで優しい美少女とか?
「どの様に聞いてます?」と聞いてみたら、言葉を濁された。
…帰ったら〆るか…
工房の隅に変な物が置いてあったので聞いてみたら「呑み屋で知り合った旅人から教えてもらい、面白いかと思って作ってみたけれど、扱いが難し過ぎて誰も使えなかった」と言って見せてくれた。
庭に置いてあった試し打ち用の丸太人形を狙って、試用してみた。
刀身が蛇のようにうねうねと動く。
金属の鞭みたいだ。
そして、かなり長い。
下手に扱うと自分が斬り刻まれそう。
…なるほど、これは難しいわ…でも、面白い。
丸太人形は数瞬でボロボロになった。
イルルカの父親が、初めて触って使えるのか…、と、驚いていた。
クラウディアが、いいわね…相変わらず羨ましい才能ね…、と褒めてくれた。
…天才に褒められた。嬉しい。
妬みにも聞こえたけど、気の所為よね。
私が、コレ貰うわ、と言って支払いをしようとしたら「タダでやる。息子が世話になっているし、アンタ以外じゃ使えないだろう?」と言って、私にくれた。
〆るのは、また今度にしてやろう…親に感謝なさい。
名前は何ていうの、と聞いたら、旅人は『ウルミ』とか呼んでたな。と言ったので。『ウルミちゃん』にした。
普段は丸めて腰に引っ掛けるんだそうだ、と言って革ベルトもくれた。
イルルカの鍛冶工房を出た後、クラウディアが用事があると言うので、フリン商会に立ち寄った。
既に慣れたもので、私達を見た店員は即座に応接室へ案内した。ディアッソスも急いで部屋にやって来た。
私は塩と胡椒を注文した。
クラウディアは、表の店には置いていない薬を数種類注文して、金貨を支払った。
「そんな物、何に使うの?」
私は、店を出た後にクラウディアに聞いた。
「実は、アビーから連絡があってね…」
と言って、アルドレダ先生から聞いた事を説明してくれた。
「なるほど…」と言った後、もし、黒の森に関係あることなら、レクトスにも連絡しておいた方が良くない?、と聞くと、今晩にでも『間抜け猫』を呼び出す、と言った。
私達が寄宿舎に戻ると、買った物が既に到着していたので、購入した武器を皆に振り分けた。
マクスウェルが代金を支払おうとしたので、格安で手に入れた物だからいらない、と言った。
タダで貰うわけにはいかない!、と強情に言い張るので、今度食事を御馳走してもらう事で、手を打った。
それとは対照的にリオネリウスは、安物だな〜と言いながら持って行こうとしたので、文句があるなら置いて行け、と言ったが、こちらを無視して持ち帰った。
セタンタが必死に謝って、リオネリウスの頭を叩いていた。
マリアンヌに短剣を持たせたら腕が震えていた。
振りかざそうとして、よろめいた。
短剣なのに、小柄なマリアンヌには長剣位の大きさだ。
仕方無いので、私の予備のナイフをあげた。
「なんで、何本もナイフ持ってるの?」と聞かれたので「北方区の田舎道では時々、野盗や獣が出るからね。護身用」と説明した。
…嘘ではないから大丈夫…だよね…?
ヴァネッサは特に気にした様子は無かった。
リオネリウスが行った後で、イルルカに、残りの武器の刃先を『鍛造』しておいて、と密かにお願いした。
イルルカは「任せて!」と言って、武器を持ち帰った。
◆◆◆
夕食も終わり皆が部屋に引き上げた後、私達の部屋に鍵をかけてから、呼び出す準備をした。
クラウディアが、以前使った長持を閉じて、ニグレドの名を呼びながら魔力を流す。
ガタン!ガタガタ…と長持が揺れ、バタン!と蓋が勢い良く開いた。
「呼ばれて、飛び出て、ニャニャニャニャーン!」
と言いながら、ニグレドが二足歩行で飛び出してきた。
…なにそれ?
私が呆気にとられていると、クラウディアが「古い」と呟いた。
…古い?何が?
「はて、デーメーテール様に教わった、出る時の掛け声だったのですが…ウケませんでしたか…?」
…デーメーテールって、そういう性格なの…?
クラウディアがため息をつきながら、呼び出した理由を話した。
今度、学校の行事で黒の森の近くの村に滞在する事になった。
そこで魔木に関する相談をしたい。
手順や詳しい日程等は、向こうに着いてから連絡する。
そして、こちらの仕事の関係でレクトスに頼む事があるかもしれない、と。
ニグレドは「かしこまりましたニャ」と言って二足で立ち上がり、片足を引いて貴族式の敬礼をして、消えた。
…あれは本当に猫なのかしら? 背筋が伸びていたわよ…
◆◆◆
後日、注文しておいたタープや寝袋が届いた。
学校側が用意した馬車連結用の荷車に、準備した道具類がどんどん積まれていく。
密かに頼んでおいた『鍛造』ナイフや短剣も隠して積み込んだ。
野菜等の食料は行き先の村で買えるそうなので、『塩』を余分に積み込んだ。
往復時に必要な携帯食料も積み込み、魔道銃やウルミちゃんも用意して、準備が出来た。
学校から密かに聞かされた護衛役を聞いて、私が小躍りしていると、ヴァネッサとマリアンヌに心配された。
私は、大丈夫、大丈夫、と言いながら、スキップして部屋に戻った。
いよいよ、出発の日になった。




