◆2-41 心の中の葛藤
クラウディア視点
国境まで行ってネズミ狩りをして急いで帰ってきたのに、簡易裁判は終わっていた。
仕事の成果を直に見れなかったのが残念。
自分の仕事の結果…自分の目で見たかったな…
途中色々な修正はあったけど概ね予定通りだっみたいね。
良かった。
ジェシカも私も、余程疲れていたみたい。
起きたら既に3の鐘が鳴った後だった。
学校の選択授業の公開期間も終了していた。
…というか、遠征している間に休日も祝日も終わっていた。
ガラティアの言っていた『月月火水木金金』ってこれか…?
『笛』は『ぶらっくきぎょう』とか言う物なのかな?
昔の人は凄いなぁ…私は嫌だ。休みくれ…
「選択授業は適当に飛び込みながら受けるしかないか…」
食事を摂りながら呟いた。
「お姉ちゃん、今日はアルドレダの選択があるから」
と、デミトリクスが教えてくれた。
「あ、そうだ僕もアルドレダ先生の世界情勢取ったよ」
イルルカが、せっかくイリアス様が援助してくれるのだから頑張るよ、と言う。
「世界情勢か〜座学の…? 寝ちゃいそう…」
ジェシカが食事をしながら舟を漕いでいる。
「マクスウェルは来るのかしら?世界情勢の選択を取るとか言ってなかったかしら?」
と、ルーナが呟いて、後ろでサリーとパックが黙々と食事の手伝いをしている。
いや…パックは振りをしているだけだ…
サリーが邪魔そうにして、はたき落としてる。
「結局、マクスウェルの件はどうなったのかな?
ここ数日、アルカディア中が騒がしかったし、教会でも何かあった?侍女達が騒いでいたけれど…?
ボクはクラウディア達も…デミトリクスも…居なかったから寂しかったよ…」
…『デミトリクスも…』で、ほんのり赤くなった……デミちゃん、上手くやってるわね…。
目の見えない娘まで簡単に誑かすとは…お姉ちゃん、将来が心配です…。
一見、物静かな美少年…その実、何も解ってない美少年…。
デミちゃんくらいカッコ可愛いとハーレム作りそうだわ…。
私がしっかり管理してあげないと…!
おっと…思考が逸れた…
「それは兎も角、この前のセ…ルティアンナ…だっけ?の件で、ヘルメス猊下は何か言ってた?」
…必殺、話題転換! バーゼルの件は秘密。
「え…?、あ…ああ…あの女性の事は手紙で知らせたよ。
お父様からは、毎日、私を心配する手紙が届くの。
何かあったら友達を頼りなさい、側に行けなくてすまない、って謝る手紙」
…へぇ…意外。
てっきりヴァネッサを利用して情報を得ようとするか、ヴァネッサに『笛』の調査をさせて、セルペンスと再接触しようとするかと思ってたのに…心配するだけなんだ…
「本当に、返事を出す間も無いくらい毎日…正直、ここまで心配してくれるとは思ってなかったから…ちょっと嬉しいの」
アイツの事だから、娘くらい平気で犠牲にするだろう…ヴァネッサに人質の価値は無いんじゃないかな?…なんて考えていたけれど…へぇ…
…自分の娘だけは可愛いのね…
私達を地獄に突き落としておいて……………
ヴァネッサの●を送り付けてやりたい!!
私の心の中に発した突然の静かな『怒り』と『憎しみ』を感じ取ったヴァネッサは、少し青褪めて「クラウディア?…どうしたの…?」と聞いてきた。
私が心を落ち着かせている間、私の代わりに『私』が「何でも無いのよ。驚かせてゴメンね」と返した。
周りの皆は意味が分からずキョトンとしていた。
皆には分からなくても、ヴァネッサにはバレちゃう。
…落ち着け…
…ヴァネッサに『怒る』のは違うわ…
これは、私とヘルメスだけの問題…
…そう…ヴァネッサに罪はない…関係無い…
ヴァネッサは良い娘よ…何も知らない…彼女は知らないだけ…
私は何度も何度も繰り返し、自分に言い聞かせた。
◆◆◆
セルペンスがヴァネッサを虐めて泣かせた夜、私達はレンツォ工房に集まった。
大捕物の前の仕込みとして、私とジェシカとセルペンスで、魔道具組立工レンツォの工房に忍び込み、金庫からハジスと魔導具士ギルドのギルド長の名前の入った『偽装契約書』を盗み出した。
『音』を聞いていただけの筈なのに、セルペンスは鍵の隠し場所もダイアルの回す順番も解っていた。
それを直ぐにベネフィカの所に持って行った。
署名と押印だけを空欄にした全く同じ契約書を造り、1の鐘がなる前に原本をレンツォの金庫に戻した。
あの日は徹夜で疲れてたから、起きたのは昼過ぎだったわね。
セルペンスに虐められ意気消沈していたヴァネッサを慰めてあげて。と、デミちゃんに伝えてから寝たから、ヴァネッサの件は大丈夫だろうと思ってはいたけれど…。
ヴァネッサは思った以上に懐いてる感じ?
万が一の時、デミちゃんなら迷わないと思うけれど。
少しは心が痛むわ。
そうならない様に祈りましょうか。マイア様。
「それなら、この前の怖いお姉さんの虐めから立ち直ったの? お父さんの手紙のおかげ? デミトリクスは慰めてくれなかった?」と、ジェシカが聞いた。
「落ち込んでいるみたいだったから、一緒に馬で街の外まで行って来たよ」と、デミトリクスは淡々と報告した。
それを聞いたルーナが、唖然として食事の手を止めた。
「もしかして…この前の馬術の授業の時と同じ乗り方で…?」
デミトリクスはコクリと頷いた。
「ヴァネッサは、まだ一人で馬に乗れないからね」
「二人きりで?」
デミトリクスは再びコクリと頷いた。
「野盗や獣くらいなら、僕一人で撃退出来るよ?」
「婚約していない男女が?」
信じられないという顔をして、ルーナが尋ねた。
「婚約?しておいた方がいいの?」
デミトリクスは、意味が分からないという顔をしていたが、ヴァネッサは耳まで真っ赤になって、両手で顔を覆って俯いた。
サリーは後ろを向いて鼻と口を抑えて震えていた。
離れた席でこちらを伺っていた女生徒達にも、私達と同じ様に、唖然とした表情の娘達と顔を覆って悶えている娘達が居た。
周囲から、ナイフやフォークを食器や床に落とした音が響いた。
ジェシカはため息をついて、
「面倒くさい事になる前に、婚約だけでもしておいた方が良いんじゃない?」
と投げ遣りに言い放った。
周囲から、悲鳴と嬌声と泣き声が響き渡り、食堂内が大騒ぎになった。
ヴァネッサは恥ずかしさのあまり、顔を覆ったまま侍女達と一緒に部屋に逃げ帰った。
私は周りが五月蝿くなったので、さっさと食事を済ませて部屋に戻った。
デミトリクスだけは、最後まで首を傾げたまま、理解していなかった。
…婚約ねぇ…ヘルメスに対する切札としては最上級のカードになるかしら…?
『貴女は…!復讐のためにデミトリクスを利用するの!?』
『お姉ちゃんは黙ってて…目的の為の手札は多ければ多い程、強ければ強い程良い。と、教えたのはお姉ちゃんでしょ…』
『自分やデミトリクスを犠牲にしてまで、とは言ってないわ。それにヴァネッサは関係無いって、自分に言い聞かせたのは貴女でしょ…』
『でも!チャンスじゃないの!二人が相思相愛になれば、文句無いでしょ!』
『それで後で、デミトリクスにヴァネッサを殺させるの?』
『…もし、それが近道なら…そうするわ…』
『…!自分の顔を鏡で見てみなさい…』
…鏡には苦しそうに泣いている少女の顔が映っていた。
初めて見る表情をしたその顔が、私には誰の顔だか判らなかった…
◆◆◆
4の鐘が鳴り、アルドレダの世界情勢の授業が始まった。
ここで教えているのは、あくまで表向きの情勢だけ。
今回起きた、『みなし属国』であるティルベリ帝国から聖教国への侵略未遂の全容やバーゼルの正体は、市民にも下位貴族にも知らされない。
バーゼルは、このままずっとバーゼルとして指名手配されるだけだ。
聖教国の教皇派高位貴族だけが知らされて、帝国の高位貴族達を強請るのに消費される情報だ。
…今頃は、帝国の『少佐』とやらの身元も判明している頃よね?
エレノア様曰く、『狸爺』なら全て知ってて利用してるでしょうね。既にね。…私も同意見だわ…
生きているか死んでいるか、それは関係ない。
彼を引き渡せ、出来ないならば代わりに〇〇を寄越せ。とか言うのかな?
引き渡されない、若しくは死体は消えている。という状況が聖教国にとってはベストなのだろう。
死体を貰った処で片付けに困るだけだし、『バーゼル』が帝国軍人でしたー、と正体を曝されて、反帝国派貴族が調子に乗り過ぎるのも良くない。
バーゼルは、あくまでただの帝国の一貴族、一魔導具士。
そのまま行方不明になってね。
それが、教皇派貴族も帝国も幸せになれる落とし所。
帝国の軍部が納得しないかもしれないけれど、そこから先は帝国のお仕事。
もし生きて戻っていたら、帝国の貴族が説得するだろう。
…出来れば、帝国の尻拭いまでさせられませんように…
などと考えながら欠伸をしたらアビーに睨まれた。
この連日は本当に忙しかった。
ジェシカ達と一緒に盗み出した、バーゼルの作った『偽装契約書』の更に『偽造した偽装契約書』を作成。
私の旋盤図面に押された押印跡を元に、ベネフィカにハジス工房と組合長の偽造印の作製を依頼。
バーゼル自身は今迄書類に署名をせず、手柄は全てハジスやレンツォに譲っていたそうだ。
諜報員だからね。自分の筆跡は残さない様に行動する癖があるのは知ってる。
だから、適当にバーゼルのサインをした処で、照合出来ないから偽の署名とは証明出来ないと思っていた。
バーゼルっぽいサインと偽造印を押して、バーゼル側は準備出来た。
問題は、もう片方のサインと押印だった。
裁判で証明する為には副ギルド長のサインと魔導具士ギルドの押印が必要だった。それがネックだった。
そこはセルペンスが解決した。
彼女がクリストフ=ゴート枢機卿を連れて来たのだ。
何故かクリストフ枢機卿も楽しそうに協力した。
…余程テイルベリ帝国の事が嫌いらしい。
私が魔導具士ギルドの中の様子を外から観測し、ギルド長以外が退出している時間を探った。
副ギルド長自身は、頻繁にバーゼルに会いに行っている様で、居ない時間を探るのは容易だったが、出来れば他の職員にも見られたく無いと言う。
そこでエレノアに協力してもらった。
『魔素抵抗値可変式魔導ランタン』(クラウディア作)を見せたいからホテル迄来るようにと、副ギルド長が居ない時に魔導具士ギルドに連絡を入れ、ホテルの茶会室で新作魔導具のお披露目会を開催した。
受付を残して皆が出払った時に、セルペンスがクリストフ枢機卿を連れてギルドに入った。
セルペンスが受付の意識を反らして、クリストフの事を忘れさせて、二人はギルド長の部屋まで素通りした。
そこで何があったかは聞いてたけれど、私は聞かなかった。
穏便に言えば、枢機卿の権威を利用してギルド長を脅し、副ギルド長のサインの入った書類とギルド印を、強制的に接収した。
穏便に言わなければ、ギルド長が可哀想に思えた。それだけ。
セルペンスが、奪い取ったそれをベネフィカに届け、『偽造偽装契約書』が出来た処で、再びレンツォの所に侵入した。
そして、『元の偽装契約書』と交換した。
ギルド印と書類はギルド長の部屋に放り込んでおいた。
すぐに騎士団に通報し、レンツォや副ギルド長達が動き難い状況をつくり、ルーナパパに連絡を入れて浸礼契約を即座に行った。
騎士団がヘマをしてバーゼルが逃げ出す。
その為に、関係者全員の緊急逮捕。
裁判の為の証拠の即時確保。
レンツォが『偽造偽装契約書』に気付く前に終わらせた。
証拠保全と偽証防止の為に、レンツォの金庫の中身は、工房員達が立ち会いの下で確認させながら回収。
これは騎士団の行動規則にある行為だからやるだろうと考えていただけだったが、しっかり規則通りに行動してくれた。
むしろ、レンツォ自身が工房員に「書類を良く確認しろ」と駄目押ししてくれたらしい。
…ナイスプレイよ。レンツォ…
全て予定通りにいった。
正直、ここ迄上手くいくとは思わなかった。
いや、バーゼルを殺せなかったのは私にとっては失敗か…
デミちゃんの魔導銃の威力を知られて逃げられた。
殺して黒の森に放り込み行方不明。それがベストだった…。
しゃーなし。全部が全部、上手くいく訳もないか…
今迄の事を考えていたら、また欠伸が出た。おっきいのが。アビーに強力な拳骨落とされた。…痛い…
…後の問題は、器械組立工ハジス工房のバーゼルに買収されていた工房員達。皆逮捕された。
ハジスさんの所は工房員が半分に減って大変らしい。
帝国の諜報員が忍び込んでいた事は箝口令が敷かれ、表向きは突然の集団退職という事になっている。
おかげで、ハジスさんが工房員を虐めたのじゃないか?、と噂になってる。
…私が支援してあげないとね。大型の工作機械欲しいの…。
…イルルカの友達の親だし…応援の為の散財は仕方無いよね…。
『笛』の秘密道具作成に必要だ、とか適当に言って経費で落とせないかしら…?
私が、よし!と気合を入れ直したのを、私が勉強をする気になったと勘違いしたアビーが嬉しそうにしていた。
…ゴメンねアビー…授業、全く聴いてなかったよ。
◆◆◆
授業が終わって退室しようとした時に、マクスウェルから声をかけられた。
隣に少女がいる。妹だそうだ。
マリアンヌ嬢。11歳。
茶色のロングヘアに、くりっと大きな青い目をしたお人形さん。
小さくて可愛い娘ね…
入学試験の魔力検査の時に目をつけていた娘だ。
…だのに、マリアンヌちゃんとは話す機会も暇も無かった。
知らない人に声をかけるのが怖かった…訳じゃないのよ。
私が話し掛けると子供が逃げる…と孤児院ではよく言われたから、小さい子に話し掛けるのが怖かった…訳じゃないのよ。
こういう事は、いつもジェシカの役目だったからね。
役目を譲っただけ。
食堂にも来なかったしね。
話し掛けるチャンスも無かったからね。
まさかブラウ家だったとは。
受験時に家名を呼んでいた気もするけど…。
ガラティアお姉ちゃんが居ると、人の名前が覚えられなくて困る。
うん、お姉ちゃんが悪い。私は悪くない。
「君達に御礼がしたい。何処か…静かに話せる所は知らないかな?」
「そう言えば『四阿』が有った筈よ。行った事は無いけど」と、ジェシカが提案したので、私達はそこで話をする事にした。




