◆2-37 蛇の警告と挑発
クラウディア視点
私がバーゼルの尾行を撒いて寄宿舎に戻ると、寄宿舎の案内係の職員が伝言を伝えてきた。
先に学校に戻ったイルルカは、指示した通りに、尾行が帰ったのを確認してから、別の馬車に乗り換えてメディナ家へ向かったらしい。
私は一息ついてから、改めてロビーを見渡した。
予想通り『彼女』は既に到着していた。
私は、寄宿舎の来客用ロビーでお茶を飲んでいる、茶色の長い髪と茶色の目の女性用乗馬服を着た女性に声を掛けた。
「随分と早かったですね。あれ?荷物は?」
「相変わらずクラウディアには変装は無意味ね」
「その程度の変装では私は騙せませんよ。エレノア様」
「…色硝子を入れて目の色まで変えたのに…ジェシカは?」
「今は『お友達』の所へ。ところで、頼んでいた荷物は何処ですか?」
「荷物は後からノーラが運んで来るわ。取り敢えず詳しい話を聞きたいわ。個室を借りてもらえる?」
「分かりました。経費で落として下さいね」
私は、寄宿舎の事務室に居る職員に声を掛けた。
いつか何処かで見た女性職員だった。
彼女は私を見るなり、あからさまに『げっ!』という顔をして、要件を聞きに来た。
彼女の目が冷たい。
「お久しぶりです」
「何の用だ?」
「言葉の使い方、おかしくありません?」
「…何か御用でしょうか?お嬢様!」
女性職員は苦々しい顔をしながら話した。
「本当は貴女で遊びたい所ですが、今は忙しいので。後で遊びましょう」
「用件を言え!」
…せっかちさんだなぁ…
「商談用個室を借りたいので、鍵を貸してください」
「銀貨1枚」
「何か怒ってます?」
「銀貨1枚!」
…私が大人な対応しないと話が進まないわね。しょうが無い。ヤレヤレ…
私は銀貨を渡して鍵を受け取った。
「今度、一緒にご飯でもどうですか?奢りますよ」
「御免被る!」
「まぁ、冷たい…しくしく…」
無表情のまま泣き真似をする。
「忙しいんじゃなかったの?」
「あ…しょうが無い…また後日遊びに来ますね」
「来るな!!」
…機嫌が悪いな…何でだろ?まぁいいや。
「事務所の方から怒鳴り声が聞こえなかった?」
「気の所為じゃないですか? 行きましょう。エレノア様」
エレノアの冷たい目が、私の後頭部に突き刺さる。
…信用ないなぁ…こんなに良い子なのに。
鍵を開けて商談用の個室に入る。
中には、高級感のある革張りソファに高そうな一枚板のローテーブルが、黒く光りながら存在感を主張した。
私は扉に鍵を掛けて、ソファに腰を下ろしてから、これ迄のあらましを説明した。
「ふ〜ん、かなり危険な状況ね」
「この場合、『笛』としての仕事になりますか?」
「連絡待ちだけれど…なるでしょうね」
「やった!堂々と犯罪が出来る」
「…見られたら切るわよ…」
「私の様な良い子が犯罪者になるとでも?」
エレノアがため息をついて、私をじっと見る。
…目が冷たい…どうせなら暑い日にお願いしたいわ。
「どうして、こんな娘に育ったのかしら…」
「エレノア姉様の教育の賜物ですわ」
エレノアが再び、わざとらしくため息をついた。
「その子が…クラウディア?」
私は反射的に声のした方向を向いてナイフを取り出した。
黄色いアフタヌーンドレスを着た、黒い髪、金色の吊り目と、蠱惑的な唇を持った美女がドアの横に立っていた。
一瞬で汗が吹き出た。
ガラティアも飛び起きて警戒している。
「全く、いつもどうやって入って来てるのやら」
「ホウエンから…マスター・キー…預かってる…」
「クラウディア、警戒しなくていいわよ。仲間だから。
この娘はセルペンス。私達の連絡係兼、変態のお守りよ」
変態の…?
『私の警戒網に引っ掛からなかった!?』
相手の魔力を分析したガラティアが口を開いた。
『クラウディア…この娘…人間ではないわ』
『!? 魔女?』
『それとも違うわね…何かしらこの感じは…』
「クラウディアが珍しく固まってる…?」
「…私の、1勝…かしら…?」
「…初めまして。クラウディアと申します」
「…知っている。…私…セルペンス。…よろしく」
「何処にでも入ってくる、蛇みたいな女よ」
「…あら…うれしい…例え」
セルペンスはくすくすと笑っている。
「…貴女の…事は…変態から…聞いている…」
「へ…変態に…?私が狙われてるの?」
「あ〜、変態は変態だけれど、そっち系の変態じゃないから。クラウディアは大丈夫よ。…多分」
多分!?…情報が多すぎて意味が分からない…
ガラティアがブツブツと考え事をしながら呟いている。
…お姉ちゃんが考え込むなんて…珍しい…
「あんまり…おいたしたり…しないでね。私…仲間の処理も…するから、気を付けて…ね…?」と、ねっとりとした口調で、私に話し掛けた。
私は警戒しながら頷いた。
スパーン!
軽快な音が響く。
エレノアがセルペンスの頭を叩いた。
「うちの娘を虐めるなって言ってるでしょ!」
「エレノア…酷い…」
「ノーラに、セルペンスがクラウディアを虐めていたって、言い付けるわよ!」
急にセルペンスがアワアワとしだして、「それだけは…ヤメテ…」と涙目でエレノアに縋り付いた。
…なんだコレ?
『ガラティア、何これ?』
『…未だに分からないわ…一番、近い存在が…魔獣かしら…』
『人間にしか見えないわよ?それに知能も高いし』
『知能の高い魔獣なら、何匹か知ってるでしょう?』
…ああ、猫とか馬とか…馬は会った事は無いけれど。
「魔獣…?」と、私が考え事をしながら小声で呟くと、セルペンスが、ぐりんと首をこちらに向けて、音もなく素早く近付いてきた。
彼女の目が私の目を捉えた時、身体が強張って動けなくなった。
その為に、彼女の素早い動きに対応出来なかった。
セルペンスは私の耳に、蠱惑的な唇をつけて、「ヒ・ミ・ツ」と囁いた。
私の頬を汗が伝う。
セルペンスが私の汗を舐め取って、顔がピッタリと着く位の距離で私の目をじっと見て、ニヤリと笑った。
いきなり、エレノアがセルペンスの首を掴んで、私から引き剥がした。
「アンタは!いきなり何をやってるの!」
「…味見…?」
再びエレノアがセルペンスを叩いた。
『完璧な擬態と高度な知性を持った魔獣…』
ガラティアがびっくりしていた。
『…いや…あれと…あれが組み合わされば…出来なくはないのか…?しかし、この世界でそれを実現出来るの…?そこまで発展して…無いわよ…ね』
『お姉ちゃん。結局、アレは何なの?』
『あれは……………よ』
『え?聞こえないよ?』
『…まだ…教えられないわ…』
…お姉ちゃんが隠してる?珍しい…
エレノアがセルペンスにこれ迄の事を説明すると、彼女が口を開き「…午後のお散歩には…私も同行する。」と言い出した。
…久しぶりのジェシカと二人だけのデートだったのに…
「…なにか…残念そうな…顔をしてる…?」
セルペンスが私の顔を覗き込みながら聞いてきた。
…他人には能面と言われる事に定評のある私の表情を読む…だと…
「セルペンスが同行するなら、不安だけど安心ね」
と、エレノアが嫌味を言う。
「ノーラに…褒めて貰える…様に…頑張る…」
エレノアの嫌味を無視して、彼女は答えた。
◆◆◆
エレノアは、この後すぐに教皇庁へ行かなければならないそうなので、5の鐘で別れた。
ジェシカが帰って来るのを待って、魔獣という事は伏せてセルペンスを紹介した。
セルペンスが、ヴァネッサに挨拶したいと言うので、少しだけ打ち合わせしてから、一緒に食堂に入った。
食堂と茶会室が繋がる扉のすぐ横の席に、ヴァネッサとデミトリクスが並んで座っていた。いつも座っている席とは違う場所に腰掛けている二人。
何故か、ヴァネッサは少し上気した顔をしている。
その隣のデミトリクスは、いつも通りの顔で座っていた。
遠巻きにヴァネッサ達を覗いている女生徒達も、何故か上気した顔をしている。
…これは…! まさか! 重要イベントを見逃したのか…!?くそぅ…
離れて二人の様子を見ていた生徒達も、セルペンスが近づくとギョッとして、怯えた顔で彼女をじっと見た。
普段は成人未満の子供達しか利用しない食堂に、侍女ではない大人の『何故か怖い』貴族女性が現れたので、皆はびっくりして道を空けた。
生徒の前を堂々と歩き、セルペンスはヴァネッサの向かいの席に座った。
私とジェシカはセルペンスの隣に腰掛けた。
「お姉ちゃん…この人は…誰?」
デミトリクスが首を傾げた。
「初めまして。私はルティアンナと申します。
貴女様にご挨拶をしたくて、直接参りました。突然の訪問による無礼をお許し下さい」
さっきまでのたどたどしい喋りとは別人の様に、彼女は流暢に挨拶をした。
「ヴァネッサ様ですね。ヘルメス猊下のお嬢様の。
以後、お見知りおき下さいませ。
ヘルメス猊下とは、上司共々懇意にさせて頂いておりますのよ」
セルペンスはニヤリと笑った。
「あ…は…初めまして…?」
いきなり話し掛けられた為にびっくりしたヴァネッサは、上手く挨拶を返せなかった。
ヴァネッサは、彼女がわざとらしく偽名を使った事を知って怪訝な顔をした。
何かを察したデミトリクスは口を噤んだ。
「クラウディア、ジェシカ、この人…誰?」
本名は…?と聞きたかったのだろうが、雰囲気にのまれて声に出なかった。
ジェシカが、「さっき会ったばかりの人。ヴァネッサに会いたいって言うから…」と言う。
『私』は「良く知らないの。ヘルメス枢機卿猊下のお友達らしいわ」と答えた。
「ええ。ええ。お友達?…の概念は良く分かりませんが、お会いしておりますわ。お話は…しましたっけ?はて?」
セルペンスは首を傾げて考え込んだ。
段々と支離滅裂になっていく。
…何をしたいんだ…コイツは…
私は無表情のまま、心の中でジト目で見た。
ヴァネッサは意を決して「ルティアンナ様、本当に父様とお友達なのですか?」と尋ねた。
…が…がんばぇ…ヴァネッサちゃん…
心の中だけで応援する。
「そう…言われてみれば…一緒に居ても…ヘルメスと…話し…したのは…うちの変態だけ…だっけ?」
セルペンスは顎に指を当てながら考え込んでいた。
「…あら?よく考えたら、お話ししてませんでした。ごめんなさいね。でも、貴女のお父様は、私達とお友達になりたがってますわぁ」と、気持ちの悪い綺麗な笑顔で嗤う。
ヴァネッサは彼女の発言に嘘はないと知った。
「と…父様の知り合いなのは分かった。なんでボクに会いに来たの?」
頑張って、気丈に振る舞う。
セルペンスはニタァ…と嫌な笑い方をして、
「…ヴァネッサ様は…本当に可愛らしいですわね…本当に…本当に…美味しそう…今すぐ『食べて』しまいたくなるわぁ…」
と言って、唇を舐めた。
凄まじい本気の殺意と共に。
私とジェシカとデミトリクスは、反射的に椅子から立ち上がった。
警戒をしていたヴァネッサは、瞬時に真っ青な顔色に変わって震えだした。
「な…なんなのよ…貴女は…本当に人間なの…?」
ヴァネッサが怯えている。目に涙を溜めて。
セルペンスは舌で唇を舐めながら、
「とても良い恐怖の味ですわ…」と呟いた。
デミトリクスは腰に差した剣に手をかけた。
『私』は「ルティアンナ様。ヴァネッサに危害を加えるつもりならば…私が相手になりますよ?」と警告した。
ジェシカも服の下に入れているナイフを握った。
「いやぁね。ちょっとした冗談じゃないの。…ああ、そうでしたわ。要件を伝えないと。貴女からヘルメス猊下にお手紙を出して欲しいの」
「お父様に…?」
「そうそう。『あの晩、赤髪の男と一緒に居た女が会いに来た』と。貴女を大切に思っている『お父様』なら…どちらの反応をするかしら? …愉しみ」
と、愉悦の表情を浮かべていた。
「必ず伝えてね…」と言いながら席を立ち、ロビーの方へ優雅に歩いて行った。
離れてこちらを伺っていた生徒達も、蛇に睨まれた蛙の様に動けなくなっていた。
セルペンスがゆっくりと食堂を出て行くと、止まっていた時間が戻ったかの様に、皆が一斉に息を吐き出した。
食堂内が、さっきの女性の話題で染まった。
ほとんどが恐怖の声で、泣き出した娘も居た。
…一部に恍惚とした表情でセルペンスの後ろ姿を追っている可怪しな娘も居たみたいだけど…
「な…何?何なのよ…あの人…」
ヴァネッサが机に顔を突っ伏した。
『私』は、ため息をつき「怖い人だったわね…」と呟いた。
ジェシカも、額に汗が滲んでいた。
よほど怖かったのか、ヴァネッサは机に顔をつけて泣いていた。彼女の頭をデミトリクスが優しく撫でていた…
セルペンス
セルペンスの絵がえっちぃイブニングドレスになってますが、心の眼で、袖付きで首元まで隠れているアフタヌーンドレスだと思って見て下さい。
AIがアフタヌーンドレスを描いてくれない…(ノД`)シクシク




