◆2-32 器械組立工房
ジェシカ視点
私が寄宿舎に帰ったら、クラウディアが起きていた。
ノーラとフリン商会に赴いた事を話し、これ迄の調査状況を説明した。
「なるほど…ノーラの見立ての方が正しいかもね…」と言って、何処かに手紙を出していた。
5の鐘が鳴ったので、私達は大食堂に向かった。
食堂では人だかりが増えていた。
女子生徒達の視線は、食堂に向かい合って座っているヴァネッサとデミトリクスの二人組に注がれていた。
イルルカもその他大勢に紛れ込んで居たが、私が引きずり出して、3人で見目麗しい二人組と同じ席に着いた。
一斉に嫉妬の籠もった視線が私達に注がれた。
「なんか…寒気がするんだけど…」と呟き、イルルカが震えると、
「風邪かい? 大丈夫?」と、ヴァネッサが心配した。
クラウディアは、ここを出れば治るから大丈夫よ、と、にべもなく言って食事を始めた。
「クラウディアは午後はどうするの?」
「まだ、追加納品数に足りないから…作業の続きかしら」と言って、ため息をついた。
私はどうすれば良いかと聞くと、クラウディアはイルルカとヴァネッサを見て、二人に午後の予定を聞いた。
二人共空いているとの事だったので、クラウディアが、突然で悪いのだけれど…、と言って二人に用事を頼んだ。
「ジェシカと3人でハジス工房へ行って、手工業組合の器械組立工組合のハジス組合長に会ってきてくれないかしら?」
「え?…ハジス組合長? ディードの親父の?」とイルルカが驚いた。
「え?…ディードのお父さんなの!?」…私も驚く。
「うん。まさか、今回の件に関わってるのか?」
クラウディアは、関わってるかは分からない。けど、何か分かるかも知れない。と言った。
「だから、イルルカがジェシカを紹介した形で。そうね…手動旋盤を発注してきてくれないかしら?後で、簡易設計図を描くわ」
「ボクが行く理由は…本当の事言ってるかどうかを調べる為…なんだよね?」と、ヴァネッサが尋ねた。
「それもあるけれど…一応周囲の人物にも気を配っておいて欲しいの。変な感じの人が居ないかどうかを…。
後、ヴァネッサは顔と名前は出さないで。出来ればかつらでも着けて行って欲しいのだけれど…」
「?…うん。わかった。嘘かどうかを知らせる方法は?」
クラウディアが私に視線を向けた。
私はヴァネッサに、すぐ後ろに立ってもらい、『笛』で使用している、指の打音で意思を知らせる方法の中の、簡単な物を教えた。
ヴァネッサが、私の背中を指で叩いて練習した。
その様子を見ていた女子生徒から私に、勘違いから来る嫉妬と憎悪と殺意の視線が大量に注がれた。
…うう…肌がピリピリする。心がざわつく。
我慢するのが…疲れるわ。
◆◆◆
クラウディアから簡単なラフスケッチを貰い、地味な色味のかつらに目深な帽子、襟の高い薄手のコートで変装したヴァネッサと、ロビーで待ち合わせをした。
地味な髪色と髪型しても、綺麗な顔の造形で目立つわね…。
とりあえず、本人と分からなければ大丈夫でしょ。
下町に詳しいイルルカに、ハジス工房までの案内を頼んだ。
イルルカは暗い顔でうつむき加減に歩きながら、ハジス組合長が居るハジス器械工房へと続く道すがら、ふと立ち止まり尋ねてきた。
「一つ聞いても良いか?」と、神妙な顔で彼が問う。
「もし…今回の詐欺…なのか?…犯罪にディードの親父が関わっていた場合は…どうなるんだ?」
「さあ?私は捕まえる立場でも無いし、裁く立場でも無いから」
「もし…関わっていたら…見逃してやってくれないか?」
「構わないわよ」と言った。イルルカだけでなく、ヴァネッサも「え!?」と驚いた。
「さっきも言ったけど、私は裁く立場じゃないし、正義の味方でも無いわ。どうしても見逃せない犯罪者なら、国が勝手に調べて勝手に捕まえるでしょう。頼まれても無いのにいちいち嘴を挟まないわよ」
二人共唖然としていた。
「じゃあ、何で調べに行くんだ?」
「クラウが今回の件で彼の情報が必要だと思ったから。
頭脳担当は彼女。私が手足として動けば大抵上手く行くのよ」
「じゃあ…クラウディアが必要とみなしたら…?」
「その時は通報するわ」「じゃあ!」と、イルルカが叫ぶ。
「そうならない様に貴方がクラウを説得しなさい。
…でも…なんと無くだけど、大丈夫だと思うわ」
二人は、意味が分からない、という顔をした。
「彼女が自分の使う道具を発注したでしょ。
…それに本当に疑っているなら、貴方を同行させないわよ」
イルルカは、それもそうだよな、と言って前を向いて歩き始めた。
◆◆◆
「あれ? イルルカとジェシカ! どうしてここに?」
工房の入口を掃除していたディードに声を掛けられた。
「ディード、久しぶりね。こちらはヴァネッサ。友達よ」
「ヴァネッサ?女みたいな名前だな。俺はディード!宜しく」と言って手を差し出した。
「宜しく。一応、ボクは女だよ」と言って、笑いながら握手した。
「え?」と言って、ディードは口をパクパクさせた。
「なぁ、親父さんいるか? 友達が、ちょっと高価な器械の発注をしたいそうなんだ」
「え? ああ、ちょっと待ってて。呼んでくる」と言って、ヴァネッサから手を離すと、慌てて奥へ駆け込んだ。
しばらくして、奥から浅黒く日焼けした筋肉質で大柄の男性が出てきた。
「イルルカ、久しぶりだな! おっと、お待たせした。うん?…もしかして、貴族か…?」
「ああ、貴族だけど大丈夫だ。友達のジェシカとヴァネッサだ」と、イルルカが紹介した。
「少し複雑な器械道具の発注をしたいそうなんだ。部屋を借りて話せる?」
「ああ、少し待ってろ。掃除してくる」と言って、奥に戻って行った。
部屋は狭くて、4人も入れば窮屈だった。そして、まだ少し埃っぽい。木材を削った時の濃厚な木の香りが部屋に充満していて、鼻がムズムズする。椅子と机は、木を簡単に削り、ヤスリがけをしただけの簡素な物だった。
「ええと…ゴホン! すまない、貴族と直接話す機会なんて無いから、話し方がわからん…」
私が「気にしないで。私もこういう話し方のほうが気が楽だし」というと、彼はニカッと笑って、そうか良かった!と言った。
私は、クラウディアの欲しがっている手動旋盤のラフスケッチを渡した。
「成る程な…確かにこれは…かなり精密な加工をしないと作れないな。いや、自分なら作れるから安心しろ」と笑う。そして、少し難しい顔をして、「ただ…少し値が張るかもしれん…」と言った。
まず、図面を引いて、最小単位値まで正確に機構を決めないといけない。
その際に、製図費用として羊皮紙代込みで、1枚につき金銀貨2枚がかかるそうだ。
更にその後の話合いで、細かい設計変更を話し合う。それが決まらないと正確な費用が出せない。
「今迄の経験上、この手の精密な器械だと、金貨2〜3枚になるかもしれん」と、言いにくそうに話した。
私は、「構わないわよ。それでお願い」と言って、金銀貨4枚を机に置いた。
ハジス工房長は、あまりの即断即決に目を丸くしていた。
「そういや、つい忘れて雑な話し方になっちまってたが、貴族様だもんな」と笑った。
私は「そう言えば、貴族と話す機会が無いって言ってたけど、帝国の魔導具士ギルドからは貴族じゃなくて平民の人が来るの?」と尋ねた。
ハジス工房長は「うん?…魔導具士ギルド?」と聞き返してきた。
「帝国の魔導具士ギルドの人が来たんでしょ?」
「どこに? うちにか? 知らんぞ」と答える。
ヴァネッサが私の背中を指示した方法で叩く。
「え? ここに帝国の魔導具士ギルドから、よく人が来ると聞いたの。外国からも発注受けてるなんて評判が良いのねと思って来たのだけれど?」と言うと、
「いや?聞いてないぞ? うちの組員が大きい仕事でも貰ったのか? 報告は受けてないが…」と困った顔で話した。
ヴァネッサが再び私の背中を叩く。
「そうなの?勘違いだったかしら。ごめんなさいね」
「いや、構わん。俺が知らないだけかもしれないしな。しかし…どうする? 評判と違うなら依頼を取り下げるか?」
「いえ。お願いするわ」
「そうか、承った!」と言って、ニカッと笑った。
工房を後にする際に、少し気になった事があったので、ハジス工房長に尋ねた。
「そう言えば、表の工房に人が少なかった様だけれど?」
私は、この大きさの工房に対して、工員が半分程度しか居なかった事が気になった。
「ああ…今、うちの副工房長が工房員達連れて魔道具組立工組合に行ってる。何でも、大きな仕事を受注出来そうだと言ってな」
「魔道具組立工組合とも仕事してるの?」
「ああ!うちのお得意様だぞ。細かく複雑な魔道具の制作には、うちの精密な器械を使わないと作れないからな。
組合長のレンツォが、バーゼル…今はうちの副工房長の事だが…を紹介してくれてな。うちと魔道具組立工との連携が良くなったんだ!」
「へぇ…副工房長は有能なのね…」
「ああ!バーゼルの奴、元々は魔導具士だったらしいんだがな」と言って、ペラペラと話し始めた。
魔導具を作る為の製作器械やベースとなる魔道具の事も勉強している内に、もっと詳しく学びたくなったそうだ。
魔道具組立工組合から紹介されて、魔導具士ギルドから異動してきたらしい
真面目で勉強好きで、手先が器用。
人当たりも良く、工房員の評判もいい。
「去年来たばかりなのに、大型案件をいくつも取ってきてくれてな。とても重宝してる。良い奴だぞ」と豪快に笑う。
そうなの凄いのね、と適当に相槌を打ち、挨拶をしてから、ディードとハジス工房長と別れ帰途についた。
「イルルカ、良かったわね」
私は帰る道すがら、イルルカに話し掛けた。
「そうだね。彼は嘘をついていなかったね」
ヴァネッサが『視えた』事を説明した。
「そうか…良かった」と、イルルカは安堵した。
状況的には悪いんだけれどね…と思ったけれど、口には出さなかった。
「ノーラとクラウはこれを予測していたのね…」
私は独り言ちた。そして、
「悪いけど、ヴァネッサには明日も付き合って貰う事になりそうだけれど…大丈夫?」
「ボクは構わないよ。嫌われてたボクの力が皆の役に立つのは嬉しいよ」とヴァネッサは微笑んだ。
6日目




