◆2-26 男爵家の事情
クラウディア視点
…またこいつか…
相手を見た途端、うんざりとした。
気持ち悪い糸でも繋がってるのかしら…?
膝と手を着いて頭を下げている茶髪青眼の男子生徒…
それをニヤニヤしながら見ている差別主義者。
名前…なんて言ったっけ…?
子爵家の…たしか、『顔面包帯男』だったかしらね。
もう一人は…名前知らないし、『土下座男』でいいか。
まさか、ニヤニヤ笑いの顔面包帯男の方が善で、頭を下げていた方が悪だった…なんて事は無いとは思うけれどね…状況的に。
…私にとっては、正直どちらでも良いのよね…
気持ち悪い差別主義者は嫌い。
嫌いな奴が目の前に居る。理由はそれだけで十分。
あ…でも昨日の朝、怒られたばかりだわ…どうしようかしら…何か理由が欲しいわね…例えば…そうね…
あいつが『目の前の土下座男を殺そうとした…』のを止めたとか…? 良くないかしら?
でもそうなると、彼には多少なりとも怪我をしててもらわないと…しかし、あの状況だと武器を抜きそうに無いわね。
取り敢えず挑発してから考えよう。
「気持ち悪い音を出す貴方の口、縫い合わせてくれないかしら」
二人共、私が何を言っているのか分からないという顔をしていたが、顔面包帯男は意味を理解したのか、みるみる顔が赤くなる。
「一昨日は…運良く助かっただけの癖によぉ…てめぇは相変わらず口が悪いなぁ…」
顔面包帯男は私の方へ歩み寄って来た。
その途端、
「キャーーーーー!」と、鋭い悲鳴が上がった。
すぐ後ろに来ていたジェシカが叫んだ。
!!!…うっるさ…耳元で…耳が痛い…
叫び声を聞いた途端、両手を着いていた土下座男が跳ね起きて、私達と顔面包帯男の間に立ち塞がり、
「彼女達は関係無いだろう! 手を出さないでくれ!」と叫んだ。
顔面包帯男は、何を言っているんだ、コイツ?、と言う顔をしたあと、「お前こそ関係無いだろう?そこを退け!」と怒鳴った。
土下座男は「自分は騎士だ!目の前で女性に手を出させる訳にはいかない!」と怒鳴り返す。
…おお、ジェシカ、グッジョブ。
この土下座男も、なかなか善い奴じゃないの。
か弱い私、助けたくなるよね!ヨシヨシ。
顔面包帯男と土下座男の「退け!」「退かない!」の言い争いが激しくなっていく。
怒りで顔を真っ赤にした顔面包帯男は腰の剣を抜いた。
「そこを退かねぇと斬り殺すぞ!」
覚悟を決めた土下座男も腰の剣を抜いた…が、木刀だった。
剣槍術授業を取っているけれど、剣を買うお金の無い生徒に渡される備品。日常から腰に下げる感覚を掴む為だけに装備する、ただの飾り。無くしても怒られる程度の代物。
剣を持たない騎士見習い様?
…貧乏なのかしら? 学費払ったらお金が無くなった系?
自分が鉄剣を抜いているのに、木刀を出した土下座男に対して、酷く侮辱された気になったのだろう。顔面包帯男の目は血走り、まさに怒髪天を衝く状態。
「退かねえなら、てめぇを動けなくしてから、その女を殺してやる!腕の一本くらい無くしても泣くなよ!」と叫びながら、飛び掛かろうとした。
土下座男は覚悟して、ギュッと目をつむった。
「戦闘中に目をつむると危ないわよ」
私は、私を庇って前に立つ土下座男の横をくぐり抜けて、低い姿勢のまま前に飛び出した。
顔面包帯男は一瞬ギョッとしたが、逆に丁度良いと考えて、そのまま剣を振り上げた。
相手の剣を振り上げる動きに合わせて、私は姿勢を低くしたまま、素早く相手の懐に滑り込んだ。
顔面包帯男は、いきなり直ぐ目の前に飛び込まれて、ビックリして足が一瞬止まった。
その一瞬で私は、左手で相手の右肘を下から抑え、右手で相手の喉下に手を差し入れる。
相手が剣を振り上げた上向きの力に併せて、私も膝と腰の力で上向きに力をかけると、相手の身体は斜め後ろ方向にフワリと浮き上がった。
相手の身体が浮き上がり力が抜けた瞬間に合わせて、今度は相手の喉を抑えていた私の右手に体重を掛けて、下向きに引っ張る。
相手は、剣を持った方の腕の肘下を抑えられている為に受け身が取れず、後頭部から一気に地面に落ちた。
顔面包帯男は一瞬で気絶した。
「相変わらず、酷いわね」と、ジェシカは微笑みながら近づいて来て、大丈夫?死んでないかしら?、と聞いてきた。
「大丈夫。地面の比較的柔らかい場所狙ったから。気絶しただけよ…多分ね」
その様子を見ていた土下座男は、ビックリして茫然と立ち尽くしていた。
私は、振り向いて「ねぇ、貴方」と声を掛けたら「は…はい!」と怯えた返事をした。
「怖がられてない?」「理不尽だわ…」
ひとまず私は、顔面包帯男をその場に残して皆の所に帰ることにした。
帰る途中で土下座男に向けて「私が殺されかけたのを、貴方が体当たりして助けたのよ!顔面包帯男は、その際に転んで脳震盪を起こした。良いわね?」と言い含めておいた。そして、私がやった事を言い触らさないよう釘をさした。
ルーナが「お帰りなさい。ジェシカのわざとらしい悲鳴が聞こえて、ちょっとした騒ぎになってるわよ」と話すと、
「でも、何処から聞こえたかは分かって無いみたいだから、大丈夫…」とデミちゃんが答えた。
「ヴァネッサは大丈夫?」
「うん…ボクは大丈夫。ジェシカの悲鳴も演技だって分かってたよ」
「こっちは耳元で叫ばれて、耳が痛いわ…」
「手伝ってあげたんでしょ。向こうに非が無いと、また怒られるんじゃないの?」
「怒られたの知ってたの?」
「やっぱり怒られたのね。予想はつくわよ」
「ところで、その人は?」とイルルカが、私が助けた土下座男を指して聞いた。
「ああ…拾ったの。名前は…」と言うと、
「マクスウェルだ。マクスウェル=ブラウ」と答えた。
「取り敢えず、場所を移動しましょうか」
移動しながら私は、皆に出来事を簡単に説明した。
◆◆◆
まだ授業中の為か、寄宿舎の食堂には誰も居ない。
丁度良いので、そこで事情を聞くことにした。
マクスウェルは寄宿舎の食堂に入るのは初めてなのか、キョロキョロと見回していた。
「あら?貴方、大食堂は初めてなの?」
「うん? ああ…普段は自炊してるから…。この寄宿舎は大食堂を使わなければ、お金が節約出来るからね」
聞くと、洗濯、掃除、食事の用意を全部自分でやれば、寄宿舎のお金は掛からないらしい。寄宿舎の費用は、生徒の代理世話料という名目だからだそうだ。
家賃は学費に含まれている事になっているので、生徒は無料。主に、お金に余裕のない下位貴族への救済措置だという事なので、高位貴族は利用出来ない。
知らなかった。あの寄宿舎担当の女性職員教えてくれなかったな…今度会ったらイジメよう。…どの道、私は使えない制度だけどさ。
「ところで、私、貴方に会ったことない? 何処かで見た顔の様な気がする」とジェシカが聞くと、
「今朝会ったのに…覚えてないのか…」とガックリしていた。
どうやら、今朝ジェシカが打ちのめした相手の一人だそうだ。ジェシカは「ああ!覚えてるわよ。凄く打ち込みの強い人!あれね!」と言った。
…それは『覚えている』では無く『思い出した』では無いのか? …あれ?そう言えば私も見覚えが…?
「ああ! 一昨日の!人工森林で木刀折った人!」
「え? 何故それを?」
…私も『覚えてた』わね…
「それは兎も角、何故あんな事になってたの?」
「…まず、御礼を言わせてくれ。改めて。僕は、マクスウェル=ブラウ。ハダシュト王国のブラウ男爵家の者だ。助かった。そして…みっともない処を見せた…」と言って、騎士の礼をした。
「ブラウ男爵家…!?」ルーナが息を呑んだ。
「?…実はカニス家の者に…借金していて…いや、まだ借金はしていないのだが…説明が難しいな…」
彼の説明を要約すると、彼の父親がカニス家と浸礼契約を結んだらしい。その際の、契約不履行の項目に間もなく抵触しそうになっていて、その項目の期限を延ばして貰えないかと交渉に行ったそうだ。
「交渉…というより、お願いだった様な…」
「う…確かに…そうなんだが…」
「結局、あの様子だと、『交渉』は決裂してたでしょ」
「…そうだな…寧ろ、こうなる事が分かっていて甚振っていたのだろうな」
「分かっていた?」
「ああ…恐らく父上は、嵌められたのだろうな…。しかし、父上が浸礼契約を行った理由が、私と妹にあると思うと…責任の一旦は私にもあるのだろう…」
そう言って、彼は契約内容を話し始めた。
マクスウェル=エスタス=ブラウ




