挿話3 それぞれの思惑 エレノア司教の場合
第三者視点
「今はマジスが狐に報告に行っている頃かしら?」
北方教会区の統括教会、司教執務室で蠱惑的な赤い唇を楽しそうに歪めながら、酒をあおっている女性がいた。
昨夜、マジス神父が、調査したオマリー神父の事をヘルメス枢機卿に伝える為に教会を出発した。
エレノア司教とノーラ助祭はその事を酒の肴にして、司教執務室でお酒を呑んでいた。
「彼、上手く伝えてくれるかしら〜?」
ノーラは、向かいの席に座りながら一緒にお酒を呑んでいた。彼女は、エレノア以上のペースでお酒を空にしながらも、顔色は一切変えずに微笑んでいた。
「ヘルメスの性格からすれば、疑心暗鬼に陥って身動きが取れなくなる報告になると思うのだけれど…。
私が『黒』か『白』で迷ってくれれば良いわね」
「子供達の事は大丈夫かしら…?」
「そちらはクラウディアに任せてるから大丈夫じゃない?」
「あの娘、ヴァネッサの事は知ってるの?」
「一応、クラウディアにだけ教えてある。デミも知っても大丈夫だとは思うけれど、そこはあの娘の判断に任せたわ」
「ヘルメス枢機卿は娘を使って来るかしら…?」
「可能性は五分よね…あの娘を使えば、私達の正体なんて簡単に暴けるものね。あの娘の命と引換えだけど。
あの娘が死ねば、子供達、少なくともジェシカが『笛』の関係者というのは確定として受け取るでしょうね。
…でも、クラウディアなら上手くやると思うわよ」
と言って、一杯呑んだ後…
「オマリーの能力が効かないクラウディアならヘルメス相手でもヴァネッサ相手でも大丈夫でしょうけど…問題は性格ね。
人見知りな上に冷た過ぎるのよね、あの娘。友達作るの下手な娘だから。全てを合理的に判断するあの性格は仕事上都合が良いけど…、そのせいで他人と距離を取り過ぎる」
「小さい頃から、周囲で人が死に過ぎたせいかしら…?…逆に、人間関係を上手く作り周囲とクラウディアを上手く馴染ませる性格のジェシカは、ヴァネッサの能力には弱い…難しいところですわ…」
「そうなのですね。なかなか面白そうな三角関係ですね」
二人だけで話していた応接室の窓際に、いつの間にか赤い髪の男と黒装束の女が立っていた。
「メンダクス…あんた、先触れ寄こせって、何回も言っているわよね…!いつも突然に女性の部屋に入ってくるんじゃないわよ!」エレノアは酒のグラスを机に叩きつけた。
「あら…メンダクス様、セルペンス様、お久しぶりでございますわ」と、ノーラは全く動じずに挨拶した。
「お久しぶりです。ノーラ嬢。おまけのエレノア嬢。」とメンダクスがエレノアの言葉を無視して、軽く挨拶をする。
「久しぶり…ノーラ、元気?」とセルペンスが続けた。
「誰がおまけだ!って無視するなや!」
「エレノアちゃん…言葉が乱れすぎよ…ダメじゃないの」と、ノーラがゆったりと叱った。
「突然に…入られたくないなら…窓も閉めるべき…」と、セルペンスがボソリと呟いた。
「窓から来るのなんて、暗殺者か、間者か、あんた達だけじゃないの。あんた達以外は殺して済むから良いのよ」と、エレノアは更に酒をあおった。
「それで、クラウディア嬢ならヴァネッサ嬢の能力に対抗出来るというのは?」
「うちの娘の秘密を軽々しくバラす訳無いじゃないの」
「クラウディアちゃんは魔力が低過ぎるせいで、逆に相手の魔術式の影響も受けにくいっぽいのよね〜」
「こら!ノーラ、うちの娘の秘密をバラすな!お嫁に行けなくなるでしょー」と、エレノアは意味の分からない事を言い出した。
「エレノアちゃん、ちょっと飲み過ぎよ〜」
と言って、エレノアから酒瓶を取り上げたノーラは、別のグラスを持って来て、メンダクス達に勧めた。
「ありがとうございます。ノーラ嬢」「ありがと…頂きます…」と、二人が酒の席に加わった。
「そういえば、ジェシカ嬢はオマリー殿の能力には弱かったですね…」と、メンダクスが呟く。
「なんであんたが知ってんのよ」
「オマリー殿の能力は『声』の能力。それよりヘルメス殿やヴァネッサ嬢の能力は強いですよ。 敵対した場合、クラウディア嬢が耐えられるのですか?」と、エレノアを無視して続ける。
「多分ね。もし無理そうなら、拘束して人質として使うから連絡を入れるようにと言ってあるわ」
無視されても構わず返答した。
「学校内で…手出し出来ないなら…誘拐うから…連絡頂戴…」とセルペンスが小さく呟く。
「ところで…ヘルメス枢機卿にはどの程度の扱いが許可されてるのかしら〜?」
「そこなのよ」エレノアが続ける。
「狸は何を考えているの?狐の裏って何? それが理解できないと、この後、動けないんですけど?」
「教皇猊下のお考えはなんとも…ただ、ヘルメス枢機卿の能力は『声』を使った魅了。多分、それ以上の危険な能力を持っている黒幕が居るのだろう…と考えておられる様です」
「狐が、更に大きい狐に魅了でもされてるって事?」
「魅了とは限りません。魅了ですと対象者に頻繁に会わないと簡単に解けてしまいます。
むしろ、魅了の様な強力な洗脳ではなく、思考誘導や欲望の増幅等の軽い洗脳の可能性を考えておられます。その場合は頻繁に被対象者に会う必要もなく、一度掛ければ長期間効果が続きますからね。
ただ、それでもヘルメス殿並の魔力持ちに掛けるとなると、かなり強力な使い手かと…」
「軽い洗脳の方が魅了より怖いのね…。でも、そこまで予想しているなら、その相手の事も知ってるんじゃないの? それなら暗殺して終わりじゃない?」と、エレノアが聞くと、
「恐らくご存知かと…。ただ…その黒幕が『人間』なら問題は簡単なのですがね…」
メンダクスがその言葉を発した瞬間、部屋に沈黙が訪れた。
「まさか…魔人か魔女…?」エレノアが声を潜める。
「ヘルメス枢機卿の能力と魔力はギフテッドを除けば、この世界でも最高峰。それをどうにか出来る者は限られます」と、メンダクスが静かに答える。
「セルペンスちゃんは、魔人や魔女に勝てるかしら…?」
とノーラが聞くと、
「…無理。あれは…殺せない。動きを止めるのがやっと…」と答えた。
ノーラは、「そうなのよね〜。私の毒も効くのかしら…?」と、ゆったりと話した。
「もし、仮に魔人や魔女が黒幕だったとして、そいつらの目的は?」とエレノアがメンダクスに尋ねる。
「教皇猊下は、黒幕はホーエンハイム領地に残っている『神代の魔導具』を狙っている…と、見ています」
「だから、この数年の間に起きた一連の事件の黒幕だと考えているのね。でも今、その魔導具はコルヌアルヴァが占拠しているんじゃないの?既に黒幕の手に落ちてない?」
「噂だと…コルヌアルヴァは…『神代の魔導具』を壊した…らしい…」とセルペンスが呟いた。
「壊した…!?バッ…カ!? 女神様の遺産を!? 人類の至宝の一つなのよ!」
エレノアはグラスを叩きつけた。
「あくまで『噂』ですよ。しかし、貴女も侵略されたホーエンハイム領地の現状、聞いているでしょう?
この数年、旧ホーエンハイム領地は不作だと。それどころか、当該領地は冬が終わっているのに、まだ雪に覆われているそうですよ。
その上、年々、空気中の魔素が高濃度になってきていて、魔獣が増えているとの報告もあります」
「完全に、あの魔導具が動いていない状態じゃないの…」
「そもそも『神代の魔導具』は破壊出来ない筈。だから、ただの噂なんです。しかし、状況からも停止しているのは確実の様ですね」とメンダクスが言う。続けて、
「しかし、エレノア嬢はホーエンハイム領地の『神代の魔導具』に詳しそうですね。見た事がおありで?」
「…昔ね。どうせ知っているんでしょ。
それよりもコルヌアルヴァのバカ共のせいで『女神様の遺産』に何かあったとして、現状のヘルメスとどういう関係なのよ?」
「そこはなんとも…教皇猊下の予想では、『黒幕』は『神代の魔導具』を入手する為に、帝国の者と、ヘルメス枢機卿、そして、亡くなった東方区の枢機卿…故ミハウ氏を使っていた…と。ただ…入手した魔導具を巡って行き違いがあり、魔導具を停止させた者が居るのではないか…と」
「つまり、前回の侵略戦争に、そいつ等を使って女神様の遺産を手に入れたのは良いけれど、途中で仲違いでも起こして意図的に停止させた…
でも、神代の魔導具は再起動できた筈よね? 壊れてなければ」
「そこの意図が分からないのですよ。何故再起動しないのか。仕様が分からないのか。しかし、帝国も『神代の魔導具』の一種を所持しているから、再起動の方法が分からないとも思えませんし…」
ノーラが「ところで〜、東方教会区の亡くなったミハウ枢機卿が侵略に加担していたとすると…もしかしてミハウ枢機卿が天に召された、例のベヘモトの事件も『黒幕』とやらが関係してるの〜?」と、疑問を口にする。
「魔人や魔女ならベヘモトを操れる…かしら?でも、『黒幕』が部下?それとも協力者?、を殺したって言う事?辻褄が合わないわ。それに、たとえ腐っても枢機卿、それを殺した魔獣を、何故狸は放置してるの? ベヘモトを操った者を知っているの?」
「教皇猊下が放置しているのは、何かお考えがあっての事でしょう。ベヘモトに関しては教皇猊下預かりなので、私は関与する気はありません。勝てるとも思えませんし」
「ふ〜ん…まぁいいわ。どちらにしろ、『黒幕』とやらの手掛かりが、ヘルメスと帝国の連中だけになると、下手にヘルメスを処分出来ないわね」エレノアは面倒くさいわ〜と呟いた。
「その通り。少々手間でしょうが、ヘルメス枢機卿殿とは今の関係を続けて下さい。出来るだけ殺さない様に。
…それと、くれぐれも枢機卿の『魅了』にはお気を付け下さい」
「私にはアイツの能力は効かないと知っているでしょう?」
「貴女に効かなくても、周りの人には効きますから。特にノーラ嬢や子供達…気を付けるようにと、教皇猊下からの伝言です」
ノーラが真面目な顔をして「承りました」と頷いた。
「そう言えば、オマリー殿は今どの辺りに?」
「たしか〜、次はボガーダン地方に行く…とか言ってましたわ〜」
「…ボガーダンですか……それは丁度良い。いっその事、オマリー殿には英雄になって貰いましょうか」
「何を考えてるのか知らないけれど、オマリーに何かしたら…アンタ、ジェシカに殺されるわよ?」
「私が『何か』する訳、無いではないですか」
信用ないですねぇ、と言って、
「オマリー殿に『何か』して貰い、ヘルメス殿からの関心を更に強めて貰うだけですよ」
「それで〜?なんて連絡を入れれば良いのですか〜?」
「実は、今ボガーダン地方ではですね………」
◆◆◆
メンダクス達が立ち去って、窓も全て閉めた後、
「さっき言ってた事本当?」と、エレノアがノーラに尋ねた。
「さっき?」
「クラウディアがヴァネッサの能力に対抗出来る理由。
魔力が低すぎるから、相手の魔術式が効きにくいって…」
「ああ…適当。私も知らないわ。あの娘の秘密」
「サラッと嘘ついたの…流石お姉ちゃん」
エレノアは苦笑した。
「それにしても…メンダクス様はベヘモトの件は触れられたくないみたいね」
「そうね…あの狸かメンダクスか…ベヘモトの裏を知っているのは間違いないわね」
「あまり藪をつつくのは良くない…けれど、知らないと危険な事かも知れないし…」
「しかし、ヘルメスだけで済む話じゃないとなると…もっと根回しと協力者が必要ね…帝国の『お父様』にも協力を仰ごうかしら…アビー経由で頼む方が良いかしら?」
「ふふ…そう言えば、クラウディアちゃん達ビックリしたかしらね」
「もしかしてアビーに気付いていない可能性もあるわよ?顔も変えてるし」
「クラウディアちゃん、変装も簡単に見破るから気付くと思うわよ。それにアビーの方からバラすかも知れないし」
「アビー…あの娘…諜報部向きじゃ無いわよね…」
「能力は最適なのにね」
と、ノーラとエレノアは二人で笑った。
◆◆◆
深夜の教会の近く。薄暗いガス燈で照らされた道を歩く二人組がいる。
「お酒美味しかった…良いの呑んでた…。ノーラも相変わらず…綺麗で鋭い……好き…」
フラフラと歩きながらセルペンスが呟く。
「フフフ…」
メンダクスが含み笑いをしている。
「…御主人…気持ち悪い…」
「私ね………が大好きなんですよ…面白いですよね。……って…」
「知ってる……御主人が気持ち悪いヘンタイ…という事も知ってる…」
「正直は美徳でも何でもないのですよ? 少しは主人に優しくしなさい」
「前向きに善処する可能性があるかもしれない事を検討します…」
「何故、こういう時だけ流暢に話すのかね…キミは……。
まぁ良い。貴女にも仕事ですよ。この後…………」
街のガス燈の光だけが、二人を照らしていた。




