◆5-12 おねえちゃん…ってなに?
ガタガタと揺れる車輪。
馬車の振動が、椅子から腰、腰から背中にまで響いてくる。
金属バネ式の懸架装置が取り付けてある最高級の馬車でも、この激しい振動は抑えきれないみたい。
「うぇぇ…気持ち悪ぅ…」
乾いた道では縦振動。
泥の道では車輪を取られて横滑り。
その度にアビゲイルの頭が縦に横に。
顔色は、みるみる青白くなっていく。
…都会育ちは軟弱ねぇ。
「此処で吐いたら殺すから」
本を読みながら呟くエレノアの冷たい言葉。
お姉様…かっこいい。
アビーは窓から顔を出しながらも、吐かない様に口を押さえている。
侍女のノーラは、そんな二人のやり取りを眺めながら、何が面白いのかコロコロと笑っていた。
時々、申し訳程度の砂利舗装の道に入る。
泥とは違って滑らないけど、いきなり馬車が飛び跳ねる。
口を閉じていないと、歯をぶつけて痛い。
持ち込んだ本を読むにも一苦労。
弟は、ずっと外の景色を眺めている。
岩肌だらけの山道なのに、一体何が面白いのかしら?
聞いてみたら、雪の無い山に入るのは初めてだから…と、無表情のままに答えた。
今日は、雪解け時期の限定イベント。
ホーエンハイム教会へと向かっている。
久しぶりに逢える美しいモノ…
私達の馬車にはいつもの四人+ノーラとカーラ。
気の置けない親戚達のみ。
悪ガキ四人とその見張りのみ…かも知れない。
私達が気を張らないといけない各々の側近達は、全員別の馬車に押し込んだ。
「子供達の関係にまで政治を持ち込むべきではない」
そう言って、お祖父様が説得してくれたらしい。
「ま゛だ…着゛がな゛いの…?」
死にかけているアビーのうめき声が、窓の外から聴こえてきた。
「すでに峠は過ぎております。
…後半分程度で到着しますよ。アビゲイル様」
カーラの返答に、アビーは絶望した様な顔で私達を見た。
死人みたいな表情でこっち見んな。
いくら私を見ても、馬車は早くならないわよ?
いつもは平坦な大通りを行く。
その方が楽だから。時間はとても掛かるけど。
今回は近道を通っているので、一刻程度しか時間は掛からない。
けれども道はとても悪い。
何故か今朝になって、こちらの道を使うように…と、お母様からの指示があった。
お母様が言う時は、必ず何か役目のある時。
今日は何を視たのかしら?
教会自体は嫌いじゃない。
とても美しいし、心が躍る…私にとっては。
でも、道程はとても退屈。
退屈しのぎには本だよね?
叔父様に戴いた本を持って来たかった。
でも、大き過ぎるし重過ぎる。
なので今回は、片手でも持てる大きさの大衆小説を用意しました。
平民でも買える程度の安物の本。
毛羽立った茶色い藁半紙は手触りが悪い。
質の悪い印刷機での印刷は、所々掠れてて読み難い。
汚れた麻糸を縒った紐で本を綴じてるので、見た目が然程良くない。
手作り感満載の本の端っこは、切り口ガタガタ。
表表紙も裏表紙も無く、装飾も無い。
作者名だけ大きく印字され、題名はおまけ程度。
…とても粗末な品。
でも…カーラが好きなのよね。こういう本。
中身は平民の好きな恋愛小説。
富豪の成り上がり令嬢が、貴族の性悪令嬢達に苛められながらも、天邪鬼な高位貴族の令息に見初められて…とかナントカ。
喜劇なのか悲劇なのか…。暇つぶしには丁度良いのだけどね。
魔力の少ない主人公という所に共感が持てるわ。
…男の趣味は悪いと思うのだけれど?
こっちの幼馴染の男の子の方が気が楽だと思うわよ?身分差も気にならないし。
こんな事を言うと、カーラは溜息を吐きながら首を振る。
…そんなに貴族の男って良いモノかしら?天邪鬼よ?性悪よ?
お父様とお兄様以外に魅力的な男を見た事が無いからなぁ…。
リーヴは…うん…まぁ可愛いとは思うけどね。
私は静かに本を閉じて、窓の外を眺めている弟の横顔を見つめた。
物憂げに遠くを見つめる彼の様子は、儚げで硝子細工みたい。
未だ数え四つの幼児であるのに、妙に大人びて落ち着いている彼の居住まい。
その様子から、彼が厳しく躾けられている家の出である事が判る。
…すっかり高位貴族の令息の態度が身に付いて。
あんなにも幼かったのに。早いなぁ…
お母様の大きくなったお腹に自分の耳を当てながら、うつらうつらと夢見心地で聞いた言葉。
「もうすぐお姉ちゃんになるのよ。ティナ…」
…オネエチャンニナルノ…
そう言いながら、頭を撫でてくれたお母様。
あの頃は、お母様の言葉の意味が解らなかったっけ…
リーヴバルトル…私のひとつ下の弟。
私と同じ色の髪。
私と同じ色の瞳。
私と同じ色の肌。
違うのは髪の長さくらい。
…妹だったら良かったのに。
…髪を伸ばしたら双子ごっこが出来るかな?
今度、私のドレスを着せてみようかしら。
こんなに線が細くて頼り無いのに…
本当に、大きくなったらお兄様みたいに格好良くなるの?
ちょっと…信じられないなぁ…
同じ本邸に住んではいるけれど、あまり顔を合わさない子。
私と違って恵まれたギフテッドで、私と同じ憐れなギフテッド。
◆◆
『初めましてフレイスティナ…私はガラティア。
ガラティアお姉ちゃんと呼んで頂戴』
あら…貴女、お姉ちゃんなの?
私もお姉ちゃんなのよ。
リーヴバルトルっていう弟が居るのよ。お揃いね。
ところで一つ聞いてもいい?
…お姉ちゃんって…何?
『生き方を示し、行き先を照らし、自分より小さい者達を導く。それがお姉ちゃん。
私は貴女のお姉ちゃんだから、私が貴女を導くわ』
ガラティアお姉ちゃんが私を導く?
なら、私もリーヴバルトルを導くの?
『そうよ。貴女も彼の道行きを照らし、導き護る者なの』
そっか…私は『導き護る者』なのね。
もっといっぱい教えて。お姉ちゃん。
私があの子を、導き、護れる様に。
『貴女は私の妹。私は貴女のお姉ちゃん。
立派に育て、貴女を導く事が私の役目』
…私はお姉ちゃんの妹…
お姉ちゃんの反対が妹…?
なら、リーヴバルトルも私の妹なのね?
『あ…え〜と…そこは少し違うかな…うんと…ね…』
◆
『ティナ…どうしたの?
何故、泣いているの?』
昨日の魔力検査、ほとんど反応しなかったの。
…私、魔力無しだって…
検査役人達が、可哀想な者を見る目で私を見たの。
部屋は静まり返って、あのお父様でさえ言葉を失っていたわ。
私の弟。
私が護ると誓ったのに…
あの子の魔力は私と真逆。桁違い。
お母様とも約束したのに…
魔力無しで、どうやって護るというの!?
あの子は天才。私とは違う。
皆から一目置かれる子。
彼に向けられる眼差しの意味は子供でも解る。
彼は誰もが無視出来ない存在。
私は無能。あの子とは違う。
皆から見られる事は無い。
差別の言霊は、口に出されずとも耳まで届く。
私は誰の目にも映らない存在。
無能が天才を導き護る?
滑稽よね?惨めよね?哀れよね?
『落ち込まないで。
実は貴女もギフテッドなのよ、フレイスティナ。
あの子と同等以上のギフテッド。
器では彼を凌駕する程なのよ』
…嘘よ!検査機は全く光らなかった。
弟は検査機を破壊した。
使用人達の拍手は全て弟に向かったわ。
私を素通りして!
どうやって私は…私の価値をお母様に証明したら良いの?
誰が私の価値を見出してくれるというの?
『才能は一つではない。
己の価値は己の力で証明するのよ。ティナ
誰にも、あの子にも負けない才能。
貴女にはそれがある』
ガラティアは私の頭に手を乗せながら微笑んだ。
『自信を持ちなさい。
貴女は、この私の妹なのよ?』
「…ティナ姉様。湖が見えてきました」
弟の声に意識が引き戻されて、私はハッとして窓の外に目を向けた。




