◆5-11 わたくしのおしごと
初老の女性に捕まった犠牲者二人、引き摺られながら隣の部屋へと消えていった。
そして境の扉が静かに閉まると、反対側から鍵が下ろされた。
…大の大人二人を…あんなに非力そうなおばあちゃんが?怖ぁ…
人は見掛けによらない…とはこのことなのね…
「こほん!」部屋に響く咳ひとつ。
しん…と静まり返った執務室の空気を、お父様が振り払った。
「本来は午後に行う予定だったがな…お前達だけ先に済ませてしまおう。
兄達の後だと待つのも退屈だろう」
今なら人払いも出来ていて丁度良いからと呟いて、私と弟を自分の側に呼んだ。
弟には初めての作業だけど、私は慣れたもの。
「リーヴ、お姉様のやり方を見てなさいね」
弟を自分のすぐ横に連れてきて、私は執務机に手を置いた。
そこに、お母様から『待った』が掛かった。
「あなた…まだ部屋にエレノアが居りますが……宜しいのですか?」
私が作業に入ろうとするのを見て、お母様が慌てて口を挟んできた。
私は手を止めてお父様達の様子を伺う。
すると、お父様とイリアスお祖父様が顔を見合わせ、二人は黙って頷いた。
「…私はこの場を失礼さ…」
「いや…。エレノアも見ておいてくれないか?」
部屋を出ようとしたエレノアお姉様を、お父様が引き留めた。
「正教国の司教候補ならば、知っておいてもらう方が良いかも知れん。今後の為にな」
お父様の言葉にお祖父様も頷く。
「私は立場的に動き辛いし、色々と邪魔される恐れがある。
エレノアならば安心だ。
万が一の時、私より上手く立ち回るだろう…」
お祖父様は彼女を見つめながら、軽く微笑んだ。
「しかし…原則では…」
お母様は何故か、焦った様子で止めようとする。
「操作法には傍系が行う特殊操作項目もある。
万が一の事を考えて、覚えておいてもらった方が良いだろう」
お父様の言葉にお母様は顔を曇らせる。
「刻印持ち以外の傍系には極秘ではあるが…彼女は君の妹だ。問題なかろう?」
「そう…ですわね…。それしか…」
最後にお母様は何かを呟いていたけれど、私には聞こえなかった。
お母様は静かにエレノアお姉様に歩み寄る。
…えっ?
いきなり彼女に抱き着いて、涙を零した。
「後は…頼むわね」
「…?は…はい、お姉様…?」
彼女は、何が何だか分からないという顔でお母様を見つめ返した。
お父様もお祖父様も皆、呆気に取られた顔で二人を見ていた。
…お姉ちゃん…ガラティアお姉ちゃん!
これは何?お母様は何をしているの?
『………』
私の問に彼女は何も応えない。
いったい何?
お母様には何が見えているの?
◆◆◆
これから行う作業は直系血族のみが行える一種の儀式。
ホーエンハイム領主が、絶大な権力の所持を許される理由の一端。
2千年以上続く、世界を護る大切な仕事。
正教国の中枢に席を置く者ならば、神代の魔導具に関わる者ならば、いつかは識らなければならない隠された真実の一端。
私とバルバトスが執務机に手を置いた。
イリアス枢機卿が合図をすると、傍に居た執事が壁際の魔導灯を全て消してまわる。
同時にルキナが窓に向かい、一筋の光も漏れない様に窓の板戸をピタリと閉じた。
部屋は真っ暗になってシン…と静まり返った。
誰かの唾を飲み込む音が聞こえる程だった。
暗黒と静寂の部屋。
暫くすると、魔導灯の刺す様な光とは違う、薄っすらとした優しい光が点り始めた。
執務机全体が仄かに光っている。
陽の光の下では、ただの木目調の古臭い執務机だった。
それが今では、金属光沢を放つ四角い箱に変貌している。
箱の表面では青白い光の直線が絡み合い、複雑な幾何学模様を浮かび上がらせていた。
その光の束が、バルバトスと私の手が置かれた場所に収束し、卓上に光を溢れさせていた。
卓上に置かれた二人の手の内側から溢れる光。
やがてそれは光る水となり、二人の手を覆った。
更に溢れ続けた光る水は、捻れながら細長く纏まり、二本の光線の束と変成していった。
光線の束は立ち上がり、ゆっくりと天井へと伸びて行く。
天井に到達した光の線は弾ける様に飛び散り、まばゆい光で部屋を覆った。
「うっ…」
驚いたエレノアは目を覆った。
その後、ゆっくりと開けていき、彼女は目を見開いた。
「凄い…」
部屋を見渡した彼女の口から、感嘆の言葉が漏れた。
部屋の天井には、幾つもの魔法陣が浮かび上がっていた。
「我は管理者の末裔バルバトス。
神代の魔導具に告ぐ。
対象…フレイスティナ=ホーエンハイム…
展開…承認要請…走査許可……」
バルバトスの目の前の空間に、文字の書かれた半透明のパネルが現れては消えていった。
エレノアは目を白黒させながら、卓上のパネルと天井の魔法陣を見比べている。
バルバトスが一言発する度、天井の魔法陣から光の線が伸びて私の身体を通過する。
光が私の身体に触れる度、見えない手が私の魔力器を調べている様に感じた。
一通り探り終えると、己の役目を終えたかの様に、魔法陣は消えていった。
「ふぅ…」
まだまだ数多く残る天井の魔法陣を数えて、私は思わず声を漏らした。
重苦しい感覚。
額に汗がにじみ出る。
私が息苦しさを感じていると、頭の中から声が聴こえた。
『力を抜きなさい。
大丈夫。全てこちらに任せなさい』
その声に許可を出すと、途端に身体が軽くなり、息苦しさが消えた。
魔法陣から受ける走査が目に見えて速くなった。
次々と光が貫き、役目を終えた魔法陣は片端から消えていった。
そして間もなく、全ての魔法陣が掻き消えた。
「ふむ…随分と早く終わったな…?」
イリアスが顎を撫でながら天井を見上げた。
「ティナだと何故か早く終わるのですよ。
体調を崩す事もありませんし…。
もしかしたら、魔導具に愛されているのかもしれませんね」
バルバトスは、卓上から離した手を揉み解しながら微笑んだ。
「ほぉ…普通は大人でも気分が悪くなり、下手すれば倒れ込むのにな…こんなに幼いのに大したものだ…」
イリアスは私の顔を見ながら、何かを納得した様に頷いていた。
「お疲れ様、ティナ。
大丈夫?気持ち悪く無い?」
ルキナが、自らの手で私の汗を拭った。
「問題ございません、お母様」
「強いお姉ちゃんね…良い子。
リーヴを任せたわよ…」
「…?…はい、お母様。リーヴが倒れない様に支えますわ」
私の頭を撫でていたルキナは、突然私の身体を引き寄せて抱き締めた。
「お母様…?」
普段の彼女にはあり得ない行動に驚き、私は少し混乱した。
しかし、すぐに気を取り直して、私は素直に彼女の行為に身を任せた。
◆◆
エレノアは天井を見上げている。
「もしや…この部屋全体が神代の遺跡…?」
彼女は魔法陣のあった場所を見ながら呟いた。
「…それは少し違うな」
彼女の呟きに応えたのはイリアス枢機卿。
「これは、ただの端末…だそうだ」
彼は執務机を軽く叩いた。
「端末…ですか?」
「ああ…本体の場所は誰も知らない。
管理者が知っているのは端末の場所だけだ。
…この事は他言無用だ」
彼の言葉を受け、彼女は無言で頷いた。
「では次、リーヴバルトル。
ティナ…支えてあげなさい」
バルバトスの言葉に従い、私は弟の手を取った。
ちょっと複雑なので覚書を…
①直系当主『管理者』が決まった時点で、他の直系兄弟の子は傍系登録へと変更。管理権限の統一。
②傍系登録者は、直系当主の管理権限で直系登録に戻す事が出来る。
③後継に承継せずに直系当主が消えた場合→緊急シークエンス発動。
手順に従っての再起動・再登録が必要。作業は傍系でも可。
直系弟 イリアス 直系兄先代当主バルバトス父
直系現当主 バルバトス
イリアス子 直系登録→傍系登録へ
傍系娘 エレノア 傍系→直系配偶者 ルキナ
直系ルキナ子 フレイスティナ リーヴバルトル 他
直系配偶者第一夫人、第二夫人子 直系子複数名




