◆5-8 可愛い私の妹
ガラティアお姉様視点
「…それでね、本まで貰えたの!しかも、デリア様の幻の稀少本なのよ!」
『幻で稀少…ねぇ』
「レア中のレアってことよ!
…えー…うるとあれあ、だっけ?」
『ウルトラレアね。
古い言い方を覚えてたわね。偉いわ』
「そうそう、そのウルトアレアなのよ!
デリア様の本は特別なの!
読み易い、解り易い、覚え易い!」
『声に出さなくても聴こえるわ。
もう少し静かにしましょう。カーラに怒られるわよ?』
仄暗い灯りひとつ点る寝室。
ベッドの中では頭から寝具を被り、ニコニコとしながら喋り続ける可愛い妹。
私はフレイスティナ自身であり、姉である。
私の名前はガラティア…多分。
彼女の中にある意識であり、別の個であり、独立した魂である。
何故、別の身体を持っていないのかは分からない。
この娘の中で目覚め、この娘を導く存在。
私の使命は、私の持つ膨大な知識を彼女の柔らかい頭脳に複写する事。
一度にやると壊れちゃうから、ゆっくりと確実に…
何の為?…分からない。
問題なのは、私自身の中にある知識が穴だらけである事。
開けられない鍵付きの扉が無数にあり、今の私の権限では中の知識を覗けない。
恐らくは、鍵を開ける為の前提知識が必要なのだ。
その為に、この時代の記憶媒体を読解し、己の力で足りない知識を補完する必要がある。
毎日私達はベッドの中で、今日起きた出来事や読んだ本、新しい思考方法について話し合う。
第一は私の為。第二は妹の為に。
知識を復習し、復唱し、複写して、補完する。
冬の間は図書館か教会しか行ける場所が無いから、出来うる補完は少ない。
新しい人にも遭わないので、既に知っている物事・事象ばかり。
もう少し…人の営みや情緒に関する更新が欲しい。
多分、足りない鍵はそこら辺。
今日は、私の寝ている間に発生した人々の繋がりを、可愛いこの娘が話して聞かせてくれた。
長い冬が明けた直後、短い夏の到来故に、これからイベントは目白押し。
今日は今年初の来客。
多数の悪意ある他人と少数の親族。
緊張の晩餐会と楽しかった親族会議。
次々と新しい情報が更新されていく。
美味しい。
…本体へ接続…
情報フォルダ…新ヒト科…アクセス許可申請。
…許可…
イリアス=メディナ…仕分け、血族、直系、南部…マイア正教国…順位2位…枢機卿…
エルフラード=トゥールベール…仕分け、親族、北東部…テイルベリ帝国…順位4位…侯爵…
エレノア=トゥールベール…仕分け、血族、傍系、南部…順位…位…司教候補…
アビゲイル=メディナ…仕分け、親族、北東部…順位…位…
その他多数…
直系血族遺伝子情報をメインフォルダ…
傍系血族遺伝子情報をサブフォルダへ…
権限者の情報を更新…
各種情報の修正完了。
上書き保存許可申請。
…本体の承認確認…アップロード。
更新終了…接続切断。
………。
ふぅ、終わった……ん?
何が…?…本体…ってなんだったかしら?
まぁいいや。
人間の情緒情報更新…うまうま。
彼女は、親族会議で稀少本を手に入れた事ばかりを繰り返し話してくれた。
「今日はもう遅いからと、カーラに取り上げられちゃったけれどね…。
でもいいの。今度、図書館に持って行って存分に堪能するからね!」
…ふむ…
確かにそれ自体も嬉しいのだろう。
このコの表情や発音の抑揚から判る事がある。
…本当に嬉しかった事は別。
隠している事を当てて欲しいのかな?それともどうやって話すかを迷っている?
恥ずかしがり屋め。
久し振りのお姉ちゃんテストかしら?
オッケー。当てて見せようじゃないの!
…過去の情緒情報にアクセス。
『お祖父様は、変わらずお元気だった?』
「そうね。表情からは旅の疲れを感じさせたけれど、血色も良く、声に張りもあったわね」
音質・波長に変化無し。
…違うか…イリアス枢機卿に対しては結構蛋白。
『エルフラード様とお逢いしたのは何年ぶりだったのかしら?』
「…?…ああ、本をくれた人ね。
え…?初対面じゃなかったかな?カーラが何も言わなかったし」
『…初対面じゃないそうよ?
カーラとの会話データに、彼についてのログが残ってるわ』
「え…?………あー、そうそう。覚えてる。たしか…」
覚えてないでしょうが。
『言祝用情報収集ファイルでヒットしたけど?
昨日のデータですけど?』
「…私…過去は振り返らない女なのよ」
『4歳児が何言うか…』
…完全に興味無し。論外。
『お姉様達と久し振りに会った感想は?』
「相変わらずお美しかったわよ、エレノアお姉様!
いえ、増々お美しくなられてたわ。
長旅を感じかせない肌の張り。髪の毛の艶。
あれが大人の女性の美しさなのよね?
そして、言葉の端々から感じる知性!…アビーは別としてね」
『酷くない?』
「アビーはポンコツなトコがあるからねぇ」
…可哀想なアビゲイル。
このコは、昔からエレノア推しでアビゲイルには少し厳しい。
彼女を少し下に見ている。
「あ〜、でもアビーは頭良いし、可愛いし…
一応は好きよ?」
『エレノアはお美しい…で、アビーは可愛い…か…』
「…エレノアお姉様程天才ではないし…」
…ふむ…音質は変わらず。
この二人の事でもない。
…となると、話していない領域に答えがあるわね。
隠している事は…
晩餐会終了時から親族会議までの間…妙に情報が少ないわ。
会場から応接室への道のりを計測。
弟とカーラのみで?
いえ、応接室到着時点で妹が居た。
乳母を加える。
弟の側仕えは親族会議に出られない。
カーラだけだと何か足りない。
乳母以外に、もう一人の大人の存在。
状況から、行動可能な人物。
………
『お母様に褒められたわね?』
「………!!」
私が指摘すると、フレイスティナの頬が赤く染まった。
『…撫でて貰えたのかしら?嬉しかったのね?』
「なんで分かるの!?」
『分かり易い顔してる。
何ヶ月ぶりかしら?』
「…昨年末の出産の前に、こっそり撫でてもらった時以来…。
その後お母様は寝込んじゃって、離宮から出られなかったから。
元気になっても、理由が無いと本邸に来るのはね…」
『…そっか……
良かったわね!会えて』
「…うん!」
はにかみながらも、年相応の子供らしい笑顔を見せた。
今の彼女の笑顔は、他人用の冷たい仮面を外した自然な太陽。
撫でられた頭を手で触りながら、クスクスと小さく笑う。
布団の中でしか見れない私だけの素顔。
この娘は飢えている。
立場的にも仕方が無いとはいえ、まだ4歳。
堂々と触れ合える近しい肉親は弟妹のみ。
父親の周りは、常に第一夫人か第二夫人が目を光らせている。
肉親同士でも、他人のある所での甘えは許されない。
側近達も、全てがホーエンハイムの血縁という訳では無いから。
夫人達は、厳しい教えを自他共に貫いている。
女であっても、決して隙を見せず、弱みを晒さず…と、教えられ、育てられてきた。
寒い北国で育った強い男達に対抗出来る、より強い女としての矜持。
故にティナが両親と堂々と触れ合える機会は、目溢ししてもらえる今日の様な親族会議か、教会での祈祷時のみ。
『…教会に行くのは明後日?予定に変更無し?』
「ええ。明日は執務室での集会。
私達も呼ばれてるから、お姉様、お願いね?」
『頑張って起きる。寝てたら起こして頂戴』
「起こしたらちゃんと起きて頂戴ね、お姉様。
いつも必要な時に寝惚けてるんだから…」
『う…言う様になったわね…』
「先月の様なトラブルはゴメンよ?」
『…早く寝ましょうか…。お休み、ティナ』
「…うん。お休み…ガラティアお姉様…」
私は、愛に飢えている少女の頭を撫でる仕草をしながら意識を沈める。
私の手では彼女に触れる事は出来ないけれど、彼女はくすぐったそうに微笑みながら、静かに目を閉じた。
窓の外では、夏の到来を喜ぶ虫たちが、涼やかな音楽を奏でていた。




