挿話2 それぞれの思惑 ヘルメス枢機卿の場合
ヘルメス視点
「それで、エレノアの様子はどうだ?」
険のある目をした青い髪と髭の壮年の男性が、黒髪に黒目の若く穏やかな顔の神父からの報告を受けていた。
「エレノア司教はオマリー司祭への接触を意図的に避けている節があります。彼への連絡は全て私を通して行っております。
エレノア司教は私に彼を監視させ、定期的に彼の現状を報告させています」と、マジス神父が答えた。
ここは、神授国家マイア聖教国の北東にある、ヘルメス枢機卿の治めるリンドバルト侯爵領。その中心の街にある彼の実家。
ヘルメス=ススルム=リンドバルト枢機卿が、普段の穏やかな表情とは真逆の厳しい顔をして、エレノア司教の居る教会に送り込んでいる間者からの報告を聞いていた。
「接触を避けている…?」
…エレノアがオマリーとの接触を避ける事で、自身がトゥーバ・アポストロと無関係だとアピールする為か?『黒』か?
いや、オマリーが『鬼』の可能性を考えて、自身は近寄らない様にしているのか?『白』か?
いやいや…本当に『白』なら、尻尾を出させる様な仕事を割り振る等で調査するだろう…あの女なら、効率的な方法を探る筈…
『黒』とも『白』ともとれる行動だな…
「枢機卿猊下のお話にあった、『間者』がオマリー司祭だとしたら、オマリー司祭を執務室に近付けない為でしょうか?
それとも『間者』だと疑われているオマリー司祭とエレノア司教が無関係であると装う為でしょうか?」と、マジス神父が尋ねてきた。
…私と同じ考えか。
…マジスには『笛』の事は教えずにエレノアを探らせている。『他国のスパイ』が入り込んでいると教えて…
「まだ、判断はつかん。
オマリー自身が、確実に間者である証拠も無い。
ただ、オマリーが間者で、且つ、エレノアがオマリーと組んでいた場合、下手にオマリーに接触してエレノアに逃げられても困る。
対して、無関係だった場合はエレノアを疑っていた事により彼女との関係が悪化する事による損失も考えねばならん…
エレノア自身に価値が無ければ、両方纏めて切り捨てれば済むのだがな…」
…もし、エレノアとオマリーが『笛』ならマジスを切り捨ててエレノアと交渉すれば良い…オマリーだけが『笛』なら、エレノアを介してオマリーと交渉する。
「それで彼女は、どの様な指令を出している?」
「特別変わった事はありません。いつもの業務内容です。ただ、定期的に開かれていたエレノア司教のお茶会に、彼だけが呼ばれていません」
「オマリーだけ…?エレノアには、お気に入りの補佐連中がいたな。その中にオマリーの娘が居たはずだが、娘だけが茶会に参加しているのか?」
「ああ…子供達の報告を忘れておりました。
エレノア司教のお気に入りの補佐…その中のジェシカという娘がオマリー司祭の養子ですが…その娘を含め、貴族籍を持つ子供達は、現在エレノア司教のお茶会には参加しておりません。参加しているのは執務室付きの大人の補佐達だけです」
「参加していない?確か…子供達が茶会で孤児院や、併設棟の貴族階の現状報告をしていたのではないのか?」
「なんでも、学校に通わせる準備をしているとか…各種報告は執務室付きの補佐達が行っております。報告内容にも特段変わった物はありませんでした」
…学校だと…?確かに貴族籍の子供達が、教会勤めだとはいえ学校に通わないのは外聞が悪いが…このタイミングでか?
「学校か…なんとかオマリーの娘から接触してみるか…?」
「確かサンクタム・レリジオだそうです。私達は呼ばれない限り近付けないので、今後、オマリー司祭の娘の報告は難しいかと…。
そういえば、枢機卿猊下の御令嬢が通われておりましたか。そちらから接触させるという事も出来るのでは無いでしょうか?」
…確かにヴァネッサが通っているが…あれは必要のない事まで探ってしまう可能性が高い。もし、オマリーが『笛』で、その娘にもその事を話していた場合、ヴァネッサが意図せずに『笛』に接触する事になる…
…それは流石に不味い。
…私から娘に『笛』の事を話さずに、オマリーの娘が『笛』の事を知っているかどうかを、ヴァネッサが知る方法は……
………無理だ。
あの子には間者や工作員に相対する教育や訓練はしていない。裏の仕事や汚い仕事に免疫が無さすぎる。探りを入れさせた場合、相手に気づかれずにやり過ごす度胸があるとは思えない。
ましてや相手は『笛』の可能性もある。下手に足を突っ込めば、ヴァネッサが消される可能性が高い。ただのスパイでは無い。破壊工作と殺人のプロ集団だ。
…そもそも、オマリーが『笛』の事を子供に話すとも思えんしな。娘から接触する必要はないだろう…
…うん?
…何か頭の中にチクチクとしたモノが…何かおかしい…
…私は他の枢機卿を出し抜く為にもトゥーバ・アポストロに接触しなければ…ならない…なら…ない?
何故『笛』なんぞに、こんなに拘る? 教皇になる為に?
…あの方がホーエンハイム領を攻撃したのは…何故だ…
…ホーエンハイム領の『神代の魔導具』を手に…?
『手に入れろ…』…『戻りたい…』
…うっ! 頭が痛い…
…頭の中に声が響く…
『笛を探れ…』『神代の魔導具を手に入れろ…』
…そうだ…トゥーバ・アポストロの力を私が使える様にしなければ…教皇を陥れ…聖教国の魔導具を…
ホーエンハイム領の『神代の魔導具』は手に入れたのではないのか?何故聖教国の『神代の魔導具』まで…?
…その為には… …娘を…
ヴァネッサを…犠牲にしてでも……
…いや!駄目だ!…娘を危険にさらすわけにはいかない!
「猊下? どうなさいましたか? 大丈夫ですか?」
マジス神父が頭を押さえる私の様子を見て、怪訝な顔で見ている。
「…はぁ…ええと、何の話…だったかな…」
「?…オマリー司祭の娘を、枢機卿猊下の御令嬢が探っては如何でしょうか?と…」
「ダメだ!!」
…反射的に大声で叫んでしまった。マジスが目を大きく開いて私を見ている。しまった…
「いや…すまない。ヴァネッサは駄目だ。私の仕事には関わらせない」
「…そうですね。『間者』の可能性のある者の娘ですから、お嬢様を近づけさせる訳にはいきませんね。危険な仕事になるかもしれませんし。賢明な判断です…」
「あ…ああ…何だ…そうだ、オマリー司祭、オマリーは今は何をしている?」
「は…彼は…私がこちらに来る前にエレノア司教より、例年行っている東方教会区の町や村への伝道と救済を命じられて、食糧を積み込み出発しました。
現在私は、エレノア司教に命じられた、彼を監視する任務を解かれたので、こちらに報告しに来る時間が取れました」
「あ…ああ…そうだ、そうだったな…」
「以上です。 次の指令はいかが致しますか?
オマリー司祭が戻り次第、接触した方がよろしいでしょうか?」
「…いや、さっきも言ったが、下手に接触してこちらの意図を感付かれても不味い。現在維持でエレノアに従っていてくれ。誰かと接触があったら、すぐに連絡員を寄こしてくれ」
「畏まりました」
マジス神父は静かに部屋を出ていった。
…これでいい…何故か嫌な予感がする。
…下手に動かず、娘にも知らせない様に…
私は自分自身が蜘蛛の巣に囚われている様な、強烈な不快感を覚えた。
…さっきの頭痛は…いったい…
…何かを思い出した様な気がしたのだが…何を考えていたかが思い出せない。
…に会わなければ…いけない…
…誰に…?
本当は、複数人の思惑を書こうと思ったけど、ヘルメス枢機卿の思惑だけでかなりの量になってしまったので、分割します。




