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神代の魔導具士 豊穣の女神  作者: 黒猫ミー助
降り積もる雪
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◆5-2  子供らしくない私の主

カーラ筆頭側仕え視点




 図書館の天窓から入っていた光が傾き始め、六の鐘(午後2時)に差し掛かろうとしていた。


 私は眠気を振り払う様に頭を振り、痛む膝を庇うように立ち上がる。


 …イタタ…この歳になると身体が…杖が欲しくなるわね…。

 でも、まだ筆頭側仕えとしての矜持(きょうじ)を忘れてはおりませんよっ…と。


 私は固まった筋肉を動かしながら背筋を伸ばし、広背筋に力を入れて首を解す。

 そして、頭の天辺から引っ張られている感覚で首筋の後ろを伸ばして顎を引いた。

 姿勢を整えたら、今度は一度肺の中の空気を全て押し出す。

 一度息を止めてから、ゆっくりと大きく空気を吸い込み、綺麗な酸素で胸の中を満たした。

 最後に、心の中でエイッ…と気合を入れて準備万端。


 …下のお坊ちゃまは、確か今日は訓練でしたか。

 まだ、棒を振り回している最中かしら?

 あちらは直接行くだろうから、任せましょう。

 こちらはこちらで、そろそろお嬢様に支度をさせないと間に合わなくなるわね。


 私は目の前にある円卓を目指して、ゆったりとした足取りで歩き出す。

 円卓には、朝昼と続いて然程変わらぬ量の光が集中して降り注いでいる為、充分明るい。

 その光の中、己の身体より高く積まれた本の山に埋もれているのは、洗礼式すらまだまだ先の、小さな小さな女の子。

 私は靴音を立てない様に気を付けながら、静々と彼女に近付いた。


 …はぁ、なんと表現すべきなのかしら…?

 『凄い…』としか言いようが無いわね…


 円卓を占拠するその少女に近付くと、私はいつも、おかしな感覚に陥る。


 重厚な本と、それを真剣に見つめる少女の小さな顔との対比。

 大きな本になると、一冊が彼女の上半身よりも大きい。

 古くてボロボロのページを大切そうに捲る彼女の手は苦労知らず。真珠の様に綺麗な色。

 まだ背が低く、椅子に座る彼女の足は床に届かない。

 その様子は、一見、幼子が大人の真似をしているかの様な可愛らしい仕草。


 …知らない者がこの光景を見れば、背伸びした少女が親に褒められたくて、読めもしない本で勉強している振りをしている…と、思うでしょうねぇ…。


 少女の瞳は片時も本から離れない。

 すぐ側に居る私は、彼女の視界の端にも入っていないらしい。

 私は、彼女の手元を覗き見た。


 彼女が読んでいる本は、大学部の言語学の教授でも読めない様な本。

 特殊な古代言語で書かれたそれは、非常に解読難度の高い古代文書。

 すぐ横には、その言語を解読した女性言語学者が著した、とても古い希少本。

 二冊を見比べながら、嬉しそうに読み進めている。

 時折、虚空に向けて独りで呟いた後、手元に置かれた高級紙に素早く何かを書き込んでいる。

 私は、彼女が書いている内容を覗き見た。


 …何?これは…変わった文字…?

 絵にも見えるけれど、落書き…ではないようね。

 整然としすぎている。


 どうやら、古語を現代語に訳しながら筆記している様子。

 正しい内容なのかどうか私には判らない。

 書き加えられていく注釈から、やはり彼女には意味が解っているようだ。

 少女は一心不乱に書く手を動かしながら、反対側の手で次々とページを捲っていっている。


 …邪魔するのは、とても心苦しいのだけれど。

 そろそろ止めさせないと間に合わなくなるわ…。


 私は息を吸い込み、わざと小さく咳をした。

 「お楽しみのところ申し訳御座いません、フレイスティナお嬢様。

 もう間もなく約束のお時間で御座います。

 そろそろ…お支度をお願い致します」

 私が声を掛けると、少女はハッとして顔を上げた。


 「あら…?もう時間ですか?

 …楽しい時は早く過ぎる…ですね…」

 少女は名残惜しそうに呟きながら、大事そうに、両手でゆっくりと本を閉じた。


 「半刻後には、お客様が到着する予定です。

 後片付けは司書にお任せください。

 湯を準備するように申し付けて御座います。

 一度お部屋に戻り、お身体を拭いて下さいませ」

 「…汚れてないのに、お湯が勿体ないわ…。

 拭う時間を節約すれば、もう少し此処に居られるのではなくて?」

 「お嬢様は長女なのですよ?

 御自身がホーエンハイムの顔であるという自覚をお持ち下さい」

 「私みたいな似非貴族。どうせ表に出る機会なんて御座いませんわ…」

 「言い訳はしない!常に身綺麗になさいませ!

 臭うとエレノア様達に嫌われてしまいますよ?」

 「お姉様達に嫌われるのは流石に嫌です…。

 …はぁ…戻りましょうか…」

 色々と言い訳をして滞在時間を延ばそうとする彼女を叱咤し、何とか動く気にさせる。


 …流石に、嫌がる主を小脇に抱えて運ぶ姿を他の者に見せるのは遠慮したいわ。

 何とか、ご自分の脚で動いてもらわないと。


 ブツブツと呟きながらも、少女は重い腰を上げた。


 …他のお客様の時は、色々と言い訳して立ち上がろうとすらしません。

 相変わらず、年相応には感じられませんね。


 私は、少女の小さな手を引きながら図書館を出て、彼女の自室へと急いだ。



◆◆◆



 私は急いで湯浴みをさせた後、先日届いたばかりの服を取り出した。


 「お嬢様、申し訳御座いませんが御髪(おぐし)を…」


 私が声を掛けると、彼女は自身の長い黒髪を持ち上げた。

 その隙に、素早く背部にあるドレスの留め具をはめ、装飾のリボンでそれを隠す。

 彼女の手が疲れて下がり始める前に、手早く服全体のシワを伸ばして、綺麗に整えた。


 彼女には側仕えが非常に少ない。

 私と、交代要員としての数人しか居ない。

 今、他の者達は来客を迎える準備の為に走り回っているので、彼女の世話をするのは私ひとり。


 「次は御髪(おぐし)を整えますね。

 装飾品を強調出来る見栄えに致しましょうか?

 衣装のリボンとも合わせましょう。

 お手を煩わせて申し訳御座いませんが、再度、お願い致します」


 …どうしても手が足りない。

 主人であるお嬢様に手伝わせてしまうのは…とても心苦しい。


 「ごめんなさい…。私に人望が無くて…」

 突然少女が小声で呟いた。


 …え…?私がご主人様に謝られた?


 顔にも声にも出して無いのに、私が彼女に対して抱いた負い目を、彼女は敏感に感じ取ったらしい。


 …時折、彼女は人の心を読む様に話します。

 まるで大人の様な気遣い。高知能の所為?

 …とても子供らしくない。


 「謝罪するのはお嬢様の仕事では御座いません。

 主たる者は、ふんぞり返って命じれば良いのですよ」

 私は美しい黒髪を束ねながら、軽く笑って見せた。

 「『迷わず惑わず、ただ其処に泰然と』…それが主としての基本であり極意…なのですよ?お嬢様」

 私が注意すると、彼女は困った様に眉尻を下げた。


 彼女は髪が結上がると、前屈みだった背筋を伸ばして顎を上げた。

 「わたくしの態度、行動、言葉の一つ一つが、貴女の評価にも影響するという事ですよね。

 カーラの為にも、わたくし…頑張ります」

 彼女は力強く頷いて立ち上がった。


 …本当に頭の良い子だこと。

 心構えの一文で、本当に言いたいこと…全てを理解してくれる。

 教えられる事があって良かったわ。

 本に書かれていない事ならば、私でもお役に立てそうね。


 小さく微笑み、まだまだ小さな少女の頭を軽く撫でた。


 続けて、私は棚に在る宝石箱を手に取った。

 それを少女に差し出すと、彼女はお気に入りの装飾品を幾つか手に取った。


 桃珊瑚の髪留め。

 紅珊瑚の耳飾り。

 真珠とルビーのブローチ。

 どれも、彼女の実母から贈られた装飾品達。

 彼女の瞳に合うように、赤い色が多め。


 彼女は私にそれらを差し出すと、厳かに口を開いた。

 「…カーラ。貴女に任せます」

 主らしく振る舞おうと頑張る少女の様子に、私は思わず相好を崩した。


 「畏まりました。お任せ下さい、お嬢様」

 私はハンカチを広げて、(うやうや)しく彼女の宝物を受け取った。


 手早く彼女を飾り付け、全体のバランスを整える。

 「とても良くお似合いです。お嬢様」

 私は彼女を鏡の前に立たせて、肩を軽く押す。

 彼女は少し嬉しそうな笑みを零し、鏡の前でクルリと回った。


 「ありがとう、カーラ。

 これからも色々と教えてね。

 本だけでは分からない経験を積みたいわ」

 そう言って、彼女は少女らしい顔で微笑んだ。


 …初めて…かもしれないわ…


 この大人びた少女が子供らしい顔で微笑んだのを見た。

 それは年相応の、幼くて可愛らしい、つぼみの様な笑みだった。


 「承りました。お嬢様のお望みのままに」

 私は深く頭を下げ、少女の頑張りに態度で応じた。


 …まだまだ、歳だなんて言ってられないわ。

 この娘がお嫁に行くまで頑張らないとね!


 私は心の中で、エイヤッと気合を入れた。




 

頑張れカーラお婆ちゃん!

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