◆4-163 冷たい別れ
第三者視点
クラウディア視点
『いつでも出発出来るぞ』
クサントスの言葉が皆の頭の中に響く。
「…ねぇねぇ、待って!!出発って…なんの事?」
今迄ただ黙って見ているだけだったルーナが、クサントスの言葉を聞いて声を上げた。
「今迄メンダ…クスさん…?達の話している事の意味が、私…よく分からなかったのだけれど…。
今、出発って…頭の中に聴こえたの。馬さんの声で。
誰か、何処かに出掛けるの?
…クラウじゃ…無いよね?」
オロオロしながら、誰にともなく尋ねた。
彼女の視線は、クサントスの背に跨るクラウディアに注がれている。
テーブルの上のグラスが、ルーナから吹き出す風でカタカタと音を立てて揺れ始めた。
サリーが横からそっと、ルーナの肩に手を置いた。
「…お…お嬢さま、ゆっくりと息を吐いて下さい…。
いけません…抑えて…落ち着いて下さいませ…」
呼吸の荒くなっているルーナを優しく宥め、吹き出し始めている彼女の暴風の影響を抑えようとしている。
「会話からは、クラウディアが黒の森の魔女様に会いに行くという意味だと受け取れますが…
それは以前から話していた彼女の目的ですし、今更驚く事ではありません」
滔々と、そしてゆっくりと。
サリーは、優しい声音で話すように意識して話し掛けた。
下手な刺激で主の心が荒れない様に注意しながら。
「さっき話していた『試し』…って何?
マキナとか管理権限者とかって、一体どういう意味なの?
ねぇ…クラウディア…?」
ルーナは潤んだ瞳でクラウディアを見つめながら尋ねた。
しかし、彼女は黙ったまま目を伏せる。
二人の間の短い沈黙が、再びルーナの暴走を誘引し、机の上の磁器がガチャガチャと音を立て始めた。
見かねたサリーが咄嗟に間に飛び込んで視線を遮り、ルーナの瞳を見つめながら口を開いた。
「お嬢様!…落ち着いて下さい!
お…恐らくですが、『試し』とは…魔女様にお逢いする資格を得る為の試験だったのでしょう…」
…たぶん…と小さく付け加える。
サリーはルーナに顔を近づけ、彼女の意識を自分に向かわせる。
そして、どの様に話せば彼女の心が荒れないかを考えながら言葉を選んだ。
しかし、サリー自身も彼等の話していた内容がよく分かっていない。
なので誤魔化す言葉が見つからない。
加えて、肝心のクラウディアは何も喋らない。
「メンダクスさんは『お見事』って言った…
逢って良いという意味じゃないの…?
やっぱり…クラウは行っちゃうの?今すぐに?」
上目遣いに見つめるルーナの瞳には、零れそうなくらいに涙が溜まっていた。
彼女の大きな瞳にじっと見つめられて、サリーは息を呑んだ。
「いえ…まさか…
いくらなんでも、今すぐは無理じゃないでしょうか…。
黒の森は高濃度の魔素が行く手を阻みますし…
また魔素酔いで倒れてしまうのでは…?」
サリーはオロオロとしながら、今にも泣き出しそうなルーナを必死に宥めている。
「そ…それに、カーティ様も同行するみたいですし…
…あの森までは、到着するだけで此処からは何日も掛かります。
いくらなんでも準備が必要でしょう…?まだ…」
嘘を言わず、そして主を傷つけずに話そうと努力した。
しかし、自分の言っている内容が希望的観測でしかない事は、サリー自身がよく分かっていた。
クラウディアが、経過の障害を想定しないで計画を立てる様な人ではない事は、皆がよく知っている。
彼女が皆に公開する時は、全ての準備が整っている時だけ。
涙を零すルーナから、強い風が吹き出し始めた。
風はサリーの髪の毛を巻き上げ、食器を床に叩き落として盛大に割った。
その時…
「えっ!?そうなの!?」
暴風が吹き荒れそうになる部屋の中で、突拍子も無い大声が響いた。
◆
「えっ!?
『扉』だとか『試し』だとか『植物』だとか…
アンタら何話してんの?何のこっちゃ?だったんだけど…
えっ!?えっ!?…私、どっかに出掛けるの?
クラウディアちゃんと?まさか!愛の逃避行!?
これから今すぐ!?」
カーティの素っ頓狂な叫び声が響いて、今にも泣き出しそうだったルーナも、半分諦めていたサリーも、びっくりして彼女に注目した。
「相変わらず魔導具関連以外の話には無能だな!お前は。
奴等の話しの流れから分かるだろうが!
昨日、俺が契約を履行しただろう?
今日クラウディアが、その対価の支払いをしようって話だろうが!」
カーティの声に続いて、同じ口からクリオシタスの声で怒鳴り声が響きわたる。
「ん?どゆこと?
対価の支払が同行?
黒の森の魔女とは、魔導理論に関して討論したいとは思っていたけどさぁ…」
「討論じゃねぇ!それは、お前が勝手にやれ!
俺が求めた対価は、クラウディアの知識だろう?
正確には、ガラティアの持つ太古の知識だがな。
ただ、今のガラティアはポンコツだから、デーメーテールの協力を仰ごうって事だろ?
一緒に遭いに行こうって事よ。
俺達を、その場に立ち会わせてくれるって話だ!」
「えっ!マジ!?
スッゲー事なんじゃないの!?」
「スッゲー事なんだよ!それが彼女流の対価の支払だ!」
「大盤振る舞い!?
クラウディアちゃん!愛してる!」
「…大盤振る舞いだけじゃぁねぇんだがな…
ちっ…嫌な奴だな、クラウディア…」
「ん?彼女は性格が悪いだけで嫌な娘じゃないよ?」
カーティによる一人二役の漫才の様なやり取りが、突然行われた。
大声の言い合いを見ていた者達は皆呆気にとられ、ルーナの膨れ上がった感情は行き場を失い萎んでしまった。
彼女の涙はすっかり引っ込み、魔力の放出はピタリと止まった。
「でもさ!でもさ!どうやって黒の森入るん?
いくら子供達のアンタでも、魔素酔いで死ぬんじゃない?
…てか、まずアタシが死ぬわ!ヤベーじゃん!」
「そこを、クサントスとやらが解決するんだろ?」
「どうやって?」
「知るか!俺に聞くな!
その馬か、馬の上で偉そうにしている奴に聞け!」
周囲の空気を無視して話し続けるカーティ達だったが、会話の内容を聞いていた者達も同じ様な疑問を持ち、各々が小声で話しだした。
黒の森を抜ける間、ずっと息を止めるのか?
途中途中に生息する魔獣や魔物に殺されるのでは?
そもそも、魔女に会うまで何日掛かるのだ…等など。
その時…
「クサントス様の能力は…」
ファーディア王子とは違う少年の声が聞こえ、ざわめく室内の視線は彼に向けられた。
「騎乗者、及び同行者を連れての時空を超えた移動です」
普段ほとんど喋らない彼が、はっきりとした声で皆の耳目を集めた。
「…時空とは何だ?」
誰かが皆の疑問を代弁した。
「時空とは、僕達の世界の理。
クサントス様はそれを超越します。
通り道にどの様な障害があっても関係なく、必ず目的の場まで到達します。
距離がどれだけ離れていようが、砦が行く手を阻もうが、クサントス様は意に介しません」
信じ難い内容ではあったが、淡々と話す彼の言葉には説得力があり、嘘で無い事が皆に伝わった。
『雷小僧は良く理解しておるの。概ねその通り。
道の開放には面倒な条件があるし、何処へでも…と言うわけにはいかん。
それに相応の対価もいただくしの…誰でも良い訳ではないな』
彼の説明をクサントスが補足した。
「行ける事は分かったわ。
原理も手法も分からなかったけど」
それまで黙って聞いていたジェシカが、初めて口を開いた。
いつもの彼女とは違う、ひりつく空気を纏っている。
張り詰めた緊張が伝染し、皆は口を閉じた。
「それで貴女は、いつ戻るのかしら?」
ジェシカの声音は刺さる様に冷たかった。
表情を押し殺した様な彼女の顔からは、やり場の無い怒りが滲み出ていた。
「…納得したらかな…」
初めてクラウディアが質問に答えた。
「何よそれ!
私達と別れてまで逢いたい相手なの?
そこまでして逢う意味があるの!?」
怒鳴りながら、ジェシカは力任せに机を叩いた。
硬質の木材で作られた机に一筋のヒビが入り、パックとエインセルが驚いて転げ落ちた。
◆
…デーメーテール様に逢う意味か…
初めの頃は、ガラティアに頼らない魔導具の改良や自分の知識の更新。それと純粋な好奇心。
知識による新兵器の開発によって、故郷に残してきた神代の魔導具への再訪。そして再起動。
…お父様のやり残した仕事の完遂。
私はそれを全部一人でやるつもり…だった。
けれど今は、ガラティア本人がデーメーテールと逢う事を希望している。
今なら解る気がする。
ガラティアが私の中に来た理由。
魔導具の管理者である二人が交わる事で、神代の魔導具への到達はより容易くなるという確信がある。
加えてクリオシタスの情報から、再起動にはコルヌアルヴァの排除が不可欠である事を知った。
たった一晩で正教国の東方教会区を壊滅させた魔女と交渉して、彼女の力を借りる必要がある。
説得が私の『納得』。
ジェシカとルーナ、二人の視線が私に刺さる。
痛い沈黙はカーティやメンダクス、帝国の魔女さえも黙らせた。
私は口を噤んだまま、彼女達の視線から目を逸らした。
もし話せば、彼女達は無理矢理にでも協力しようとするだろう。
それは、今よりも死に近づくという意味。
一緒に行くのは、死んでも構わない者だけで良い。
何分経ったかも分からない静寂。
私に説明する気が無いと分かり、ジェシカは一つ息を吐いて矛を収めた。
皆は何も言わずに私を見つめている。
ジェシカの目には怒気が混じっていて、エレノアには諦観。
ルーナとヴァネッサは悲嘆し、デミトリクスには逡巡。
部屋には形容し難い沈黙が満ちていた。




