◆4-161 試しの儀
ジェシカ視点
『貴様の望みを叶え、試しを行う。雪帽子、首を…』
クサントスと呼ばれている馬の声が私の頭の中で反響する。
…試し…何?首をどうするって…?
未だにクラクラする頭を抱えながら顔を上げた。
クラウディアはクサントスの言葉に応じ、髪の毛を掻き上げて首筋を露わにした。
彼は徐ろに口を開くと、背後から勢い良く彼女の首に噛み付いた。
「…っ!」
反射的に息を呑む。
周りからは短い悲鳴が聴こえた。
…クラウディア様に何を!?
いくら裂肉歯が無いとはいえ、馬の咬合力は人の数倍。
折れはしなくとも致命傷になりかねない。
一瞬で頭の中が真っ白になり、眼の前が真っ赤に染まった。
私は袖の中に隠していたペーパーナイフを手に取り、反射的に立ち上がる。
飛び出そうとした瞬間、いつの間にか背後に居たエレノアに肩を抑えられ、椅子に押し戻された。
「黙って見ていなさい」
彼女の腕から伸びた端切れが蛇の様に私の身体に纏わりつき、私の口と脚を絡め取った。
「大丈夫よ。害はないから」
彼女は私を落ち着かせようと優しく声を掛けてきた。
「ふーっ!ふーっ!!」
…大丈夫なワケがないだろう!馬の分際でよくも!
クラウディア様に対する上から目線!
無礼な言い回しのみならず、御方の玉の肌に噛み付くなんて!
これで御方に何かあれば、キサマを殺す!
私は再度立ち上がる為、端切れを引き千切ろうと藻掻いた。
口を塞ぐ布に指をかけて思いっきり引っ張る。
自分と椅子の脚を繋ぎ止めた布を引き千切る勢いで太腿に力を込める。
だが、口を覆う端切れは緩むこと無く、脚に絡まった布切れに千切れそうな感触はなかった。
ほんのりと輝くエレノアの薄い布切れは、その見た目とは裏腹に奇妙な硬さをもっていた。
まるで柔らかい鋼。
絡まった箇所は石の様に動かない。
引こうが捻ろうが、力を吸い取られる様な感触があるだけで、1ミリも動く様子が無い。
…クソが!邪魔をするなエレノア!
ほどけ!キサマから殺してやる!
「うーっ!うーっ!」
私は怒声を上げるが、口に纏わりついた布が空気の振動を遮断する。
漏れ出る音は、犬の様な唸り声だけだった。
隣にいる私の養父は、オロオロしながら私とエレノアを見比べていた。
「今はガラティア様への畏敬にあてられているだけ。
いつもの貴女はもっと冷静。
静かに…ゆっくりと思い出しなさい…。
アレはクラウディア。ガラティア様ではないわ」
…何を言って…クラウディア…様に…
様?
そうだ…クラウは親友だけれど、様…ではない。
緩い繋がりの親友。縛り合う主従ではない…
「息を吐いて。…そう。
…ゆっくりと顔を上げて、私の目を見て…」
私の耳元でエレノアが囁いた。
…何だ、この感情は!?
クラウに対する親愛に、敬愛と崇敬と畏怖が浸透している。
こんなでは無い!これは違う!
アレは親友であって、神様じゃない!
エレノア様こそ尊敬する人。
何故、彼女に殺意など…?
私は混乱する思考を落ち着かせ、エレノアの言う通りに息を吐いて顔を上げた。
真っ赤になった視界の色は薄らぎ、いつもの灰色の世界へと落ち着いていった。
同時に、クラウディアへの敬愛や崇敬で満たされていた脳は冷えていき、その異常な感情を抑え込み始めた。
…くそ…感情の制御が難しい!
親愛と心配が、いきなり狂信に変わる。
忌避と厭悪が、殺意に変わった!
なんて…嫌な気分っ!!
「落ち着いたかしら…?
貴女の瞳の色がクラウディアと同じ赤色に成っていたから警戒していたのだけれど…やはり深化しかけていたわね…」
エレノアはまじまじと私の瞳を覗き込むと、私を絡め取っていた布を解いた。
「…ご…ごめんなさい…エレノア様…
…ありがとう…ございます…」
私はエレノアに礼を言い、冷静に成った頭と眼で再びクラウディアを見た。
「…え?」
私は目を瞬かせた。
クサントスの口はクラウディアの首を貫通していた。
首が噛み千切られた様子は無い。
切れた肉の盛り上がりも、削られた際の歪な切断面も無い。
流血の惨事は何処にも無かった。
ただ、同じ空間上にクラウディアの首とクサントスの口が重なっていた。
「何…?どうなっているの?」
私は目を瞬いた。
「クサントス様はこの位相にはいらっしゃらない。
アレは、在る様に見せているだけ。
直接、肉体的な害は及ぼせないから安心して」
エレノアが説明してくれるが、私には解らない。
取り敢えず、クラウディアに害の無い事だけは分かった。
クサントスは暫く噛み付いた姿勢のままじっとしていたが、徐ろに首を動かし始めた。
彼が首を持ち上げると、咥えられているクラウディアの身体は、まるで体重が消えたかの様にフワリと浮き上がった。
そのまま首を後の方へと曲げ、人形の様に抵抗しない彼女を、ゆっくりと自分の背中に座らせた。
クサントスが口を開くと、クラウディアは今起きたかの様に目を開けて身体を解し始めた。
「如何でしょうか?」
『多少不足しておる。ガラティアのせいだろうな。
足りない分は彼女に請求するからな…そなたは気に掛けずとも善い』
二人の会話は、相変わらず良く解らなかった。
『では、お主の血を我が鬣に…』
クラウディアは懐からゆっくりとナイフを取り出した。
そして銀色に輝く切っ先を掌で握り締めて、ナイフを引き抜く。
開いた彼女の掌から、真っ赤な液体がどろりと垂れた。
…うっ…また、あの気持ち悪い感情が波のように…
違う…アレはあの娘の意思だ。
私が邪魔する事じゃない!
私は深く息を吐いて心臓の高鳴りを抑えつけた。
その間に、クラウディアは掌の溢れる血をクサントスの鬣に擦り付ける。
鬣が彼女の血を吸い込むと、クサントスの動きがピタリと止まり、呼吸やまばたきをしなくなった。
それどころか、鬣や尻尾の毛の揺れまでが、時間が止まったかの様に空中で固まった。
『テッセラクトアーカイブ…マキナNo.3ガラティアム・ダンティス管理者血統。
フレイスティナ=ディーヴァ=ホーエンハイム…登録確認』
クサントスの動かない口から、今迄の彼の声とは違う、全く血の通わない平坦な声色が発せられた。
『…こちら側の扉は開かれた。次だ。
貴様が訪ひ求め、重なり望む者。
その者の扉の鍵名を述べよ。
貴様とその者との繋がりを明示せよ』
再び彼は尊大な言い回しで彼女に命じた。
「わたくしが面会を乞い求める者の真名を示します。
彼女の真名は…デリア=デーメーテール=シモバナ。
繋がりは『血縁』」
部屋の中が一斉にざわついた。
それはガラティア様が呟いた名前。デリア。
クラウディアが探していた本の著者でもある。
そして、デーメーテール。
正教国でも帝国でも有名な魔女の名前。
二国の国境を跨ぐ黒の森の管理人。
クラウディアが遭いたがっていた、魔導具を作る魔女。
…私がサムエルから貰った魔導具の製作者でもある…
『血縁………検索を開始します…』
再び聞こえる平坦な声。
『検索終了。
フレイスティナ=ディーヴァ=ホーエンハイム…
デリア=デーメーテール=シモバナの登録遺伝子より血縁を確認。
キーを複製。使用可能となりました』
『ほぉ…かの魔女はお主の血縁であったか…成る程…
ふむ…遠縁だが確かに繋がっておる。
別々のマキナ管理権限者が同じ血縁の素体を使用しているとはな…これは想定外か?』
…素体…?使用…?
それより、魔女デーメーテールとクラウディアが血縁ってどういう事!?
「お見事です。良く調べましたね。
ガラティアから聴いたのかな?」
メンダクスが会話に割り込んで来た。




