◆2-13 ルーナとサリーと推しと
ルナメリア視点
私達は、春祭りに行った日の翌日に高級宿を引き払い、来た時と同じ様に『高位貴族御一行様』の格好をして、高級馬車に乗り込んだ。
数日前と同じ様に、私は、馬車の中で手早く着替えさせてもらって、派手な高位貴族衣装から地味な修道服に着替えた。
…ふぅ、ジェシカじゃないけど、修道服の方が楽ね。
北方教会区に入り、教会正門前で馬車を降りた。
たった数日だったのに、凄く久しぶりな気がした。
…『お家』に帰って来た気分だわ。本当の家よりも、わたしの『お家』という感じがする。
そういえば、実家のお父様とお母様は元気かしら?もう、何ヶ月もお会いしてないわ。お顔も忘れてしまいそう…
不思議ね。肉親なのに、サリーよりも遠い存在に感じるなんて。
貴族の家庭では実親であっても、マナーを覚えるまでは一緒に食事も出来ないし、一緒に寝る事なんてもっと無い。
だから、肉親でも、親とは思えない。
…わたしにとっての『本当の母親』はメリッサだった。
確か…メリッサ=ブラウ…
ハダシュト王国のブラウ男爵家当主の妹だって言ってたっけ。
彼女は、聖教国の下位貴族に嫁いだけれど、私が産まれる前に御主人と産まれたばかりの赤子を事故で亡くしたらしい。
その為に彼女は、夫の家を義弟に取られ、別宅とは名ばかりの、使用人用の小さな家に住まわされていたと使用人達の噂で聞いた。
その事を哀れに思ったお父様が、メリッサを、産まれたばかりの私の乳母として雇ったそうだ。
…メリッサは、『子供が帰って来た』と、とても喜び、愛情深くわたしを育ててくれた。
わたしが物心付いた後、彼女は毎日、一時も離れず、わたしの世話をしてくれていたのを覚えている。
わたしは長い事、彼女が本当の母親だと思っていたわ。
…いけない…メリッサを思い出すと、あの夜を思い出して涙が出そうになる。
貴族女性として、涙を見せるのはとても良くない事。
メリッサが口を酸っぱくして言っていたわね…
私は、ゆっくりと彼女の記憶に蓋をした。
◆◆◆
サンクタム・レリジオの寄宿舎で生活する為に必要な物を準備していく。
下着、靴下に靴を数種類。
…サリーが、わたしの為にドレスを何種類も用意しているけれど…こんなに要るかしら…?わたし、クラウディアやジェシカ以外とお茶会なんてする気は無いのだけれど…
化粧や香水はわかるけれど、装飾品も、こんなにあっても着ける機会が無いわよ…
「サリー、こういうお茶会でしか着る機会の無い様なドレスよりも、授業で着れる程度の、控え目なドレスを多くして頂戴。あと、動きやすい服も多めに欲しいわ」
「…お嬢様…せっかくのお嬢様の可愛らしさを、世の無知蒙昧な者達に披露出来る数少ない機会です。
侯爵家令嬢が侮られない為にも、お茶会に出て、世の愚か者共に誰が本当の主人か教えて差し上げるの事も必要ではないでしょうか?」
…サリー、わたしが教会から出る機会が増えてから、段々とおかしくなってきている様な気がする。言動が危なくないかしら?
「それは、他の貴族令嬢達を、お茶会で宙に放り投げろという意味かしら…?私の『悪癖』を知っていて言う事?」と言うと、サリーは言葉に詰まった。
「…せっかく、せっかくの…私の可愛らしいお嬢様を、皆に自慢出来る機会…なのに…」本気で悔しそうに、頭を下げて床を叩く。
「私には、クラウディアやジェシカ、それに横にサリーが居てくれれば、他に何も要らないわよ」と言って、私はサリーの頭をギュッと抱きしめた。
…サリーがいきなり鼻血を吹き出し、のけ反って倒れた…
…やっぱり、サリーが変!…いきなり鼻血を出すなんて、病気かしら…修道服が血塗れになっちゃった…どうしよう…着替えなきゃ。
…心配だわ…サリー、大丈夫かしら…
◆◆◆
「それで、いきなりこうなっちゃったの…」
一人で着替えて、すぐに同じ階に部屋のある、ジェシカとクラウディアを呼びに行った私は、サリーが倒れた状況を説明した。サリーは二人にベッドまで運んでもらった。
…この2年で、わたし、自分一人でほとんどの事が出来るようになったのよ。わたし、成長した。お洗濯やお料理は出来ないけれど、貴族女性はやらないのが普通だから覚えなくて良いってサリーに止められたのよね。
「あー…ルーナはサリーの『推し』だからね。いきなり抱き着かれて嬉しくて鼻血出しただけだから病気じゃないよ。安心して」と、クラウディアが教えてくれた。
「それは一種の病気よ。そもそも『推し』って何?」と、ジェシカが聞いた。
…わたしも初めて聞く言葉だわ。それよりも、『嬉しい』と鼻血って出るの?
時々クラウディアが鼻血を出していたけれど、エレノア様が見ない振りをしなさいと言っていた。だから大丈夫だと思っていたわ。
でも病気なの?病気じゃないの?本当に大丈夫なの?
「『推し』って一番大好きな人の事を言う言葉らしいわ。大好きな人を見て鼻血くらい、皆、出るでしょう?
因みに私の『推し』はデミちゃん!」
…わたし、クラウディアやジェシカを見ても鼻血出ないけど…わたしの大好きと、皆の大好きって違うものなの?
「それは皆知ってるわ…そして、普通の人は鼻血なんて出ないわよ…」とジェシカ。
「…そ、そうよね。鼻血は出なくて良いのよね?でも、そうするとサリーは病気なの?」と私が聞くと、
「病気じゃないわ」「病気よ」と、二人同時に返ってきた。
…どっちなの?
◆◆◆
結局、説明されても良く分からなかったけど…身体に心配は無いらしい。良かった。
他の汚らわしい男達が粉々になっても、全然気にならないけど、わたしの周りの仲間達に傷がつくのは、想像するだけで怖いわ。
「う〜ん…ここは…?」
…サリーが目を覚ましたわ。
「そこは、貴女の敬愛する御主人様のベッドの上よ」とクラウディアが言うと、
「…?」状況が良く分からなかったらしく、ぼーっとした目でこちらを見ていた。
しばらくしたら、サリーの顔が段々と青くなって、
「もももも…申し訳ございません。お嬢様!」とベッドシーツに頭を擦りつけて謝罪してきた。
「いいのよ。大好きな貴女が無事で本当に良かったわ」
ニッコリして、私が本心からそう言うと…
ブパッ!
…また鼻血を出して倒れちゃった。本当に大丈夫なの?
再び目を覚ましたサリーが、何故か嬉しそうに、血塗れになった私の服とベッドシーツを洗っていた。
…貴族の淑女は自分でお洗濯しないと言っていたのに、わたしの物だけは自分で洗うのよね…
他の物は洗濯担当の修道女にお金を払ってやらせているのに…なんで?
…サリーが洗ってくれたシーツはサリーの香りがする。
メリッサの洗ってくれたシーツはメリッサの香りがしていたわね…もう、あまり覚えていないけれど…
私は大好きなサリーの匂いに包まれて、ゆっくりと眠りについた。
サリーも、かなり変な人というのが書きたくて。
プロットの段階では、名前しか設定無かったのになぁ…
まさかこんなに掘り下げるなんて。




