◆4-157 ソルガ原書・詰め込み式学習法
ジェシカ視点
ぷしゅ〜…
頭蓋骨の隙間から空気の抜ける音が聴こえた。
その空いた隙間を、私の脳がグワングワンと音を立てて転がっている。
魔導灯の光が目に刺さり、景色が回る。
頭を上げると転びそうで、うつ伏せのままで必死に机にしがみつく。
「…い…生きているか?ジェシカ…」
「と…父ちゃんこそ大丈夫?理解…出来た?神様のお話し…」
「う…うむ…。
と…当然…女神様のお言葉だ。子細漏らさず理解…は…無理。…難し過ぎる…。
頭が痛い…目が…回る」
「話を聴いてただけなのに…う…気持ち悪い…
…頭がいっぱい…もう食べられない…」
クラウディアがいきなり神様に成った。
私達が戸惑っている間に、彼女は本に加筆し始めた。
彼女の呟く言葉は私の脳に直接響き、狭い領域を無理矢理拡げるかの如く侵入して来た。
酷い目眩に襲われ、お陰様で今の恋人は冷たい机。
◆
初め、神様の言葉には人間味があった。
…本を拡げるまでは。
全ての本を拡げて並べ直し、手にペンを構えた途端に人が変わった。
…いや、神が変わった。
「立体コード…修正…修正…訂正…加筆…、……、……」
延々と同じ言葉を繰り返す。
「欠損部位ヲ補填シテ、再度読ミ取リマス。
…失敗…。再度修正…修正…」
暫くペンを動かした後、口調が変わった。
「読ミ取リ成功…口述開始シマス…」
〜以後、不明な言語での発声〜
何を言っているのか判らない。けど、変な図形が頭に浮かぶ。
暫くして現代語で発話しだした。
「翻訳…現代標準言語修正。
大陸南西言語形態。居住可能地域。
アルカ中心国家、及び周辺で最も使用されている言語を検索。…変換します」
暫く天井を見つめて黙り込む。
「一部発声不可音声・翻訳不可言語に該当。
近似言語使用による補完。
コード…テルティアス・テッセラクト・アーカイブ003―1…解放。言語領域拡大。精神感応言語使用許可。
サード記憶ロック解錠。
サルベージ許可申請…認可。
同室内、ヒト思考精査開始……」
口を閉じて周囲を見渡す。
…ん?
感触は無いのに触られた気がした。
…これはクラウの『虚無の糸』?
蜘蛛の巣をくぐった時の様に絡みつく。
身体にではなく心に。
私はバディを組む度に繋げていたから判ったけど、慣れてないと気付けない。霞に触れるような感覚。
…ああ…解る。糸を介して走査してる…彼女が私のなかを…
神様が部屋中に糸を張り巡らせると同時に、セルペンスに刻まれた刻印が一斉に弱い光を放った。
彼女はそれを確認すると糸を切り、視線を本に戻した。
「同室内、全ヒトを信者と確認。機密保持機構作動。
ミーム補完。高位クリアランス情報開示許可。
内容を口述…
…高次元場での強制励起による低次元場粒子干渉方の論文再生…
…低次元場での恣意的ボソン・フェルミオン相互干渉の発現、及び確立現象固定法の解説…」
その言葉はちんぷんかんぷん。
その内容もちんぷんかんぷん。
全てちんぷんかんぷん。
なのに何故か理解出来る。出来てないのに。
「…ひ…久しぶり頭使ったから…痛むだけよ…。きっと…多分…う…気持ち悪い」
「流石は女神様…。理解出来ない図形が…瞼の裏側で踊って……痛たたた……」
目を瞑ると、星空の中を漂う自分が目の前に。
縦・横・高さ・時空・場・境界・次元…
理解出来ない空間の、中と外と境に居る。
自分の後頭部・頭頂部・靴底・頭蓋の内側から外を覗き視て、聴く。
全ての内外世界を同時視聴。
自己のみならず、世界と私との関係性の抽象的概念までが具象的に視えていた。
理解出来ないのに、私を含めたそれが『世界』なのだと解ってしまう。
その矛盾が私の脳みそを掻き回す。
…非常に気持ち悪い。
目を開けると周囲の景色と図形が自分と混ざり合い、立っているのか座っているのかも判らない。
目を瞑れば情報で脳が圧迫され、…酷く痛む。
◆
神様の講義を受けている最中、皆の様子は様々。
変態や性悪王女、小さな王子は目を輝かせながら本を覗き込み、恍惚とした表情で彼女の話に耳を傾けている。
デミトリクスは相変わらずの無表情。
だけれど何やらイライラしている雰囲気。
…珍しい。初めて見た。
ヴァネッサも平気な顔をしている。
…むしろ、周囲の様子に困惑している…?
ああ…そうか…
目が見えず、常に音と魔素の反射で世界を視ているから、視界と脳のズレに惑わされないのか。
王帝含めた多くの人達は、強制的に叩き込まれる情報を我慢して受け止めている様子。
体を強張らせたまま目をつむり、苦い顔で必死に耐えている。
組んでいる腕をしきりに擦ったり、脚や顔を軽く叩いたりして、意識を失わない様にしているみたい。
…私達の様に、貴族としての誇りも我慢もかなぐり捨て、机に頭を擦り付けている人もちらほら。
部屋の隅の護衛騎士や侍従達は、両手をついて床にへたり込んでいる。
横を見ると、ルーナはクラウディアを見つめたまま気絶していて、サリーはルーナを見つめたまま、同じ様に気絶していた。
サリーの鼻血はいつも通りの軌跡を辿ったらしく、ルーナの顔と服とテーブルクロスに赤い水玉模様を描いていた。
「…うん、私達はまだマシだ。…安心した」
意外なことに、平然とした顔で聴いていたのはパックとエインセル。
「今更、こんな当たり前の事をいちいち話さなくてもねぇ…」
「✕✕□◯◯✕…って言えば、短くて良いのにね?何でだろ?」
「そこは、◯△▼□の方が分かり易くない?」
「でもそれだと、✕✕□……が……」
…と、聴き取れない音でお喋りしていたのが、何故かとても腹立たしかった。
◆
神様が主に加筆・修正していたのは、内部に書かれていた中世・古代・神代語で書かれた部位の内容では無く、各頁の周囲を装飾していた小さな絵。
それと全頁の中央に描かれていた、奇妙な模様を内包した多角形の何か。
古い2冊を中心に、図鑑みたいな本、日記みたいな本をぐるりと並べて同時に開く。
素早くめくり、各頁の装飾を相互に見比べながら、次々と加筆・修正していった。
彼女は加筆しながら独り言を呟き、読み取った暗号をクラウディアの口から出して、私達の頭に次々投げ入れていった。
一通り喋り終わると別の紙を引っ張り出し、全ての頁に描かれている図形を何重にも束ねる様にしながら描き写していった。
多方面から描いた図を複雑に組み立て、斑模様の立体図面を描き上げた。
「…モディフィカティオマキナ起動キー…入手…
…起動コード…修復システム補填データ…ダウンロード…」
その発言を聴いた時、デミトリクスとエレノアの顔が僅かに曇った。
表情は変わらなかったが、そう感じた。
ヴァネッサも眉間に皺を寄せていたので、多分、私と同じ様な異変を感じたのだと思う。
凄く悲しそうな空気を二人から感じた。
絵の意図は解らない。
装飾の意味も解らない。
講義の内容もちんぷんかんぷん。
ただ、本の中に書かれている文字の情報量は極僅かで、ただの偽物だったのだと判る。
中央と周囲の絵の中にある情報こそが真実。
そして、絵に含まれている情報量が想像を絶する程多いのだと、頭の悪い私にも理解出来た。
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神様からの説明が終わると、カーティとエリシュバが勢い良く手を挙げながら質問しだした。
彼女は、二人を無視して簡単な挨拶だけを残して目を伏せる。
次に彼女が顔を上げた時には、既にいつものクラウディアに戻っていた。
姿形は変わらないのに、神様から親友に戻った事が判った。
…私は無意識に安堵の息を吐いた。
頭は変わらずグラグラ。
目はグルグル。
これだけ酷い目に遭わされたのに、何故は気分が高揚。
いつもに増した万能感。
引き上げられた優越感。
今なら完璧な仕事を成し遂げられると感じる自信。
…ただ、以前の私には無かった筈の物も加わった。
恐らくは、周りの人達も同様なのだろう。
瞳孔の開き方が違う。
目の潤み方が違う。
頬の血色が違う。
あれだけ傍若無人だったカーティとエリシュバさえ、クラウディアの事を見つめる目が違う。
歓喜の表情で泣いている者まで居る。
…ああ…嫌だ。
親友に抱く感情じゃない。
情報過多による目眩よりも気持ちが悪い。
きっとこれは、神様が植え付けた悪意。
情報の中に紛れさせたのか、魂に植えられていた自然発生的な何かなのか判らない。
これだけの…世界を変える情報だもの。自己保身の為には当然の行為。
もし、私にその力があれば、彼女と同じ事をしただろう。
非難出来る行動じゃない。
だけど…嫌だ。
私の中に、彼女に対する強烈な信仰心と深い共感が芽生えていた。
心の底から沸騰する様に湧き上がる信心が、私を塗り替えていく様で…。
私には…それがとても…とても気持ちが悪かった。




