◆4-150 エレノアの奉納
クラウディア視点
「そう…イルルカはそれを選択したの。物好きね…」
ふぁ…と大きな欠伸をしながら、私はエレノアからの報告を受ける。
目を覚ました時には、イルルカだけでなく、ヴァネッサもデミトリクスも居なかった。
部屋の隅で本を読んでいる侍女を除けば、此処には私達二人だけだった。
「デミちゃんまで?ヴァネッサの付き添い?」
「デミトリクスはね…」
部屋の主は、仕事だか悪巧みだかの為、彼を連れて何処かへ行ったそうだ。
居ない間は、この部屋を好きに使って良いと言い残して。
私は遅めの朝食を摂る為、部屋の隅で待機している侍女に声を掛けた。
彼女に案内されて、王女の私室の中にある食事用の部屋へと向かった。
私はこれ迄の経緯を聞きながら、ダラダラと食卓に着く。
すぐに、簡単な昼食が運ばれて来た。
向かいには既に本当の昼食まで済ませたエレノアが着席し、優雅にカップを傾けていた。
私は詳しい経緯を聴きながら、カトラリーに手を伸ばした。
◆
イルルカは日が昇る頃には目覚め、ヴァネッサも、それから暫くの後に目覚めたらしい。
アレだけの事があったのに二人とも朝が早い。
エレノアとエリシュバが目覚めた二人と少し話をして、謝罪と謝辞を述べたそう。
朝食前には医療班がやって来て、二人を医務室に連行して行ったとのこと。
酷い魔素酔で歩けなかったから、簀巻きにされて大勢に囲まれて出荷されたとか。
「結構な人数が出入りしてたのに、貴女だけ全然起きなくて…ふふ…」
「立てた作戦が上手くいくか、緊張であまり良く寝られなかったの。寝不足でね…ふぁ…」
「貴女にも細い神経があったのねぇ…」
エレノアは本気っぽい顔で大袈裟に驚いてみせた。
私は頬を膨らませながらそっぽを向いた。
その後間もなく、王女はデミトリクスと話があると言って立ち上がった。
彼は首を傾げた後、何度かクラウディアの方へと視線を送ったそうだ。
しかし、頼りの姉はエレノアの太ももに顔を擦り付け、涎を垂らしたまま目を開かない。
彼が困って逡巡していると、それまで人形の様に黙って座っていたファーディア第四王子が立ち上がり、突然彼の手を取った。
王子は、背伸びしてデミトリクスの耳元に口を近づけると、何かを囁いたそうだ。
デミトリクスは相変わらずの無表情だったが、エレノアには、彼が驚いている様に見えたとのこと。
ファーディア王子はエレノアの方を向き直り、彼女に向けて退室の挨拶を行なった。
その姿勢は、洗礼式前の子供とは思えないくらい大人びていたそうだ。
その後デミトリクスは抵抗すること無く、彼と手を繋いだまま、エリシュバ王女の後について部屋を出ていった。
「…成る程。
デミちゃん…無事だといいけど…。
アイツ、性格悪いから…虐められないかしら?」
「仮にも王女様をアイツ呼ばわりは止めなさい。絡まれると面倒だから。アイツに」
侍女から飛んでくる批判めいた視線を、エレノアは鉄面皮で弾き落とす。
「ところでヴァネッサは何を望んだの?…報酬」
「彼女は全て持ってる娘だからね。物欲は皆無。
やっぱり予想通りのお願いが一つだけ。
…見捨てれば楽なのにねぇ。お陰で面倒な仕事が増えたわ」
「私達にとっての不倶戴天。目的の一人だったけれど…。
…アレでもお父様の友達だったのよねぇ。信じられないけど」
「操られていた事を考えると情状酌量。
でも、欲を利用されていたのだから自業自得」
「わだかまりや憎しみをぶつける当てが無くなって、何だか苦しいのよ。お姉ちゃん…」
「そういうのを呑み込んで大人に成るのよ」
「大人になんて成りたくないわね…。
感情の解放もままならないなんて…」
「ヴァネッサにとっての彼は、私達にとってのルキナなのよ…」
「…それを言われると拒絶出来ないじゃない…。
はい…これ」
私は懐から折り畳まれた紙を取り出して、エレノアに手渡した。
エレノアは紙を見つめながら小声で聴いてきた。
「これは?」
「手順書だって。カーティ…クリオシタスの方かな?から聴き取りした」
「ふ〜ん…結構細かいわね」
「停止手順が必要だとは思っていたけれど、こんなに面倒だとはね」
黙り込んで内容を頭に叩き込んでいたエレノアが、ふと顔を上げて口を開いた。
「…信用度は?」
「100は無いにしても、80程度はあるかな?」
「結構信用してるのね?」
「信用ではなく打算よ。
信用が欲しいのは向こうだから」
エレノアは再び紙に目を落とす。
暫く逡巡していた様子だったが、意を決して口を開いた。
「クリオシタスとは…何を取引したの?」
彼女の目は紙に向けられていたが、意識は私に向けられている。
僅かに手が震えていた。
…嘘をつくことも出来るけれど…
「知識。…そして私の見る光景」
…ここで嘘はつかない。
エレノアへの裏切り行為になる気がして、私は真実で応えた。…出来るだけ曖昧に。
「それって…」
「大丈夫。…監視はちゃんとするから」
「そういう事じゃなくて…!」
エレノアの声が大きくなる。
部屋の端に居た侍女達が、少し驚いた様にこちらを覗っている。
エレノアが手で合図を出すと、彼女達は一礼をした後、静かに部屋を出て行った。
「貴女の柱はガラティア=ディーヴァだったわよね?」
「うん…流石は司教様。
ちゃんと正式な名前で呼ぶのね」
「当たり前でしょ…は、どうでも良いの」
エレノアはゆっくりと息を吐いた後、意を決した様に口を開いた。
「ガラティア様は…目覚めているのね?貴女は器?」
「目覚め?器?…何のこと?」
私は無表情を装った。
エレノアは私の瞳をじっと見つめる。
「やはり…そうなのね…」
瞳孔の僅かな揺らぎから察したようだ。
彼女は溜息をつきながら両手で顔を覆い、天井を見上げた。
私も一つ溜息をついて、口を開く。
「お姉ちゃん、『目覚め』に関して知ってたの?」
「ええ…『目覚め』は『呪い』。
出来れば『封印』して欲しい…」
「それは…無理。
私には成すべき事がある。彼女の力は必須。
身命を賭して成さなければならない事があるから」
「それこそが……呪いよ」
エレノアは小さく呟いてカップを置いた。
「フレイスティナ…貴女はこれから何を求める?」
「今は『片割れ』を…かな?」
私の言葉を聴いて、エレノアの手が震える。
「リーヴバルトルには…?」
「…これから」
「メンダクスが許すとでも?」
「…どうだろう?本心では望んでいるのでは?」
「…はぁ………そうかもね…」
エレノアは、再び両手で顔を押さえた。
「鍵が此処にある以上…貴女が行かなければならない。
彼の地の者達にとっては僥倖…。
しかし、貴女には災厄以外の何ものでもない」
エレノアは机に肘をつき、顔を押さえたまま口を開く。
「そう言わないで。ガラティアは良い娘よ」
「分かってる。神様に『悪』は居ない…。
でも、神様の『善』が人を殺すのよ!」
「…司教様が口にしてはいけない言葉じゃない?」
「誰かがやらなければならない事…だけれど…
…貴女達以外であって欲しかった」
私から彼女の瞳は見えないけれど、どうやら泣いているらしかった。
暫くの沈黙が続く。
「大好きなお姉ちゃんの忘れ形見…」
エレノアは小さく呟いて涙を拭き、私を見つめる。
「貴女に私の加護と真名を捧げる」
私は一瞬たじろいだ。止めるように言おうとした。
しかし、エレノアの真剣な眼差しが、私の言葉を押し留めた。
彼女は震える手を胸に当てて目を瞑る。
「…我が不動の知識を。
正教国司教エレノアより真名を一つ。
導き手・トゥールベールより知識を一つ。
聖家・メディナより血を一つ。
我が柱ルクサス=クストゥスより加護を一つ。
今此処に奉納させて頂きます」
一度言葉を区切ると、彼女が薄い金色の光に包まれた。
「我が真名はエレノア=ルクサス=メディナ。
我が魂に刻まれし『神織布プロテウス』。
フレイスティナ=ディーヴァ=ホーエンハイムへ」
エレノアが真っ直ぐに私を見つめる。
赤い瞳が金色と混ざり、宝石の様に輝いた。
彼女の周囲に光るカーテンが浮かび上がる。
突然それが勢い良く動き出し、私の周囲に移動した。
暫く周囲を漂っていた『神織布プロテウス』は、急に私の身体に巻き付き、強い力で締め始めた。
「くっ…!」
苦しさに思わず声が漏れる。
巻き付いていた『プロテウス』は、ゆっくりと私の身体の中に沈み込んで行く。
息の出来ない苦しさと、神経を撫でられる様な不快感が続いた。
「うぐ…ハァハァ…」
身体の中に完全に沈み込んだ所で、ようやく息を吐けた。
エレノアは立ち上がり、後ろを向いた。
「私達の準備が整うまでに、貴女もやるべき事をやっておきなさい」
彼女の足元には一粒の涙。
「…ありがとう。大好きなエレノアお姉ちゃん。
必ずやり遂げるわ」
彼女の魔術式を胸の奥に感じながら、志を口に出す。
思い、口にして、私は彼女を己の魂の奥に刻み込んだ。
『奉納』…身捧げ
相手に自分固有の魔術式を刻み付ける。
有利に成るか不利に成るかは相性しだい。
相手が死ぬまで再度の奉納は不可能。
一度奉納すると、己の固有魔術式の効果が弱まる。
悪い使い方をすると、『呪い』になる。




