◆4-135 姉弟
第三者視点
「出てきなさい!」
突然、アデリンは外階段の方を向いて怒鳴った。
強風の防音を貫いて、彼女の声は周囲に響き渡る。
階段には灯りが無い。
テラス付近は廊下から漏れ出る光で上段の踏み面も見えるが、螺旋状の下の方は一寸先も見えない真闇。
彼女の要求は闇の中に吸い込まれる様に消えていった。
返答は無い。
「…私には、貴方の隠形が効かないのは知っているでしょう?」
彼女は威圧を込めて、低く声を発した。
小さな声だったが、波形魔術式に声を乗せる事で、減衰すること無く闇の中を反響した。
彼女の意思は、周囲一帯に確実に届いた。
「無駄な事は止めなさい!
姉として命ずる!
姿を見せろ!クリオシタス!」
アデリンはコピディタスとして、再び大声で命令した。
オマリーに己の声を聞かれる事に関しては、全く気にしていない様だった。
当然オマリーも彼女の声を聞いていたが、彼は彼女の声を無視して救助活動を続けた。
何故か、彼女達の現況を見に来なかった。
…カツン…カツン…
真闇の底から小さな溜息が聞こえた後、響く足音がゆっくりと螺旋階段を上がって来た。
憂鬱そうな顔でテラスに上がってきたのは、先程迄アデリン達と一緒に王女の控室に居たカーティだった。
「クリオ…説明はして貰えるのかしら?」
アデリンとしてではなく、子供達の長女としての冷たい瞳でカーティを睨めつけた。
「ん〜とね…コピ姉、困ってそうだったじゃん?
俺はコピ姉を逃がす為のお手伝いを…」
カーティから発せられた声は、いつもの姦しい女性のものではなかった。
それは少し年若い男性、青年と少年の間の様な声を発した。
「嘘は要らない!」
コピディタスは大声でカーティの言葉を遮った。
「……」
カーティはバツの悪そうな顔で視線を逸らした。
「貴方への命令には、王女達の足止め・撹乱と、可能なら誘拐も含まれていたわよね?
今迄一体何をしていたの?」
彼女は、テラス入口で監視している第二王子達を無視して、カーティを叱りつけた。
彼女の威圧はカーティにのみ向けられ、それ以外は蚊帳の外だった。
コピディタスは既に警戒を解いていたので、攻撃するには一遇の機会だった。
しかし、リヘザレータ姿の『協力者』は、一切動かずにカーティの様子だけをただ眺めている。
ゼーレベカルトルは、カーティ教授がこの場に現れた時には目を見開いて驚き、話の途中でカーティを攻撃しようとしたが、隣の『協力者』に止められて武器から手を離した。
二人は傍観者に徹して、成り行きを見守った。
「無理無理。
ガード硬すぎるもん。
侍女達の動きを見たでしょ?
細くてか弱い、運動不足のこの身体でどうしろと?
それにエレノア…彼女怖すぎだし…」
カーティがワタワタと言い訳している時、アデリンはふと、中庭方面に視線を向けた。
しかし、すぐにカーティの方へと向き直り、再び強く威圧を掛けた。
「それで…?」
「だから、此処まで逃げてきてね…」
「嘘は要らないと言ったでしょう?
貴方は、逃げる時は一人で逃げる。
…此処に居る時点で、貴方は彼女達に寝返ったと考えても良いのね?」
「……」
カーティは頭をぐしゃぐしゃと掻き毟り、息を吐き出した後、顔を上げてコピディタスを正面から見据えた。
「…そーだね。…裏切り者だね」
後悔も恐怖も懺悔も無い、スッキリとした瞳で彼女と視線を合わせる。
その様子を見て、コピディタスは軽く頷き、威圧を弱めた。
カーティは全身の緊張を解き、身体を動かした。
「わざわざ此処に来た理由は?」
「俺は…まだ信用されてなくてねぇ…」
自分のドレスの裾に付いた汚れを払いながら返答するクリオシタス。
「私を直接殺す様に命令された?」
「言われた事は一つだけ。この場で待て…と。
多分…様子見かな。
コピ姉では無く、クリオシタスとしての俺を観察してる。今も。
この場に俺を立ち会わせる事が目的だった様だね」
スカートを鬱陶しそうに引き上げて、動きやすい様に軽く纏める。
「これだからスカートは嫌なんだ…」
ブツブツと呟きながら飾りのリボンを解いて、纏めたスカートを縛って腰周りで固定した。
「…取引したのね?」
コピディタスは既に戦闘態勢を取っていない。
威圧も潜めて、穏やかな声音で会話していた。
「…そう。
彼等はコピ姉の情報を欲しがっていたから。
売る事が『近道』になると考えた」
「……」
「教えたのは名前と得意な魔術式、そして固有波長。
誰がコピ姉かは既に知ってた。
そして、どういう行動をとるかは…彼等が予想して推測した事。
此処に誘導される事に、俺は関わっていない」
クリオシタスの発言に対して、コピディタスは数秒間沈黙する。
「そして、件の魔導具は…俺も初めて知った。
作ったのは俺じゃない」
「……まさか、そこまでとはね…」
コピディタスは空を見上げて目を瞑った。
「固有波長を聞いてきた時、何を作りたいのか理解した。
作れるのかは半信半疑だったけどね…」
あれだけ激しかった風はピタリと静まり、降るかと思われた雷雨も鳴りを潜めた。
周囲から音が消えた。
「…クリオ。
対価は本に関する事?
それとも母様の件?」
「情報の対価は本の真実。
裏切りの対価は好奇心を満たす知識。
俺は…結果的に母様の為になると判断した」
「…本物だったのね?」
「その証拠はコピ姉も見たモノ。
離宮を覆った『光のカーテン』。
あれは、俺への先払いも兼ねた実物の提示証明だった。
アレが無ければ…俺は既に王女を連れて国を出ていた」
クリオシタスの声音に先程の様な飄々とした巫山戯た様子は無く、誘拐の実行は可能だったと感じさせられた。
「アレを見た後も迷っていたのは本当。
詳しく聞きたくて彼女を探したけれど見つからなくてね。
仕方ないから、契約通りに此処に来て潜んでいたら、コピ姉達が争っている声が聞こえて、身を隠した」
「貴方が私に手を貸したら、取引は中止となっていた訳ね」
「多分。
ただ、今も履行中かは判らない。
不履行にされて、後で殺される可能性も高い。
しかし、裏切りの対価を考えると…手は貸せない」
「私も貴方も初めから袋小路だったのね…欲張らないで晩餐会に出なければ良かったわ」
コピディタスは視線を落して、軽く首を振った。
「…それで、貴方の試算で何年位?」
「少なく見積もって、数百年…もしかしたら千年以上の価値」
コピディタスはクリオシタスの答えに、目を見開いた。
「それには、貴方の推しが鍵なのね?」
ふっ…と、コピディタスは厳しかった表情を緩めて、微笑みながらカーティに尋ねた。
二人の様子は、此処が敵地の只中である事を感じさせず、まるで自分の部屋でくつろぎながらお喋りする様な気楽な雰囲気だった。
「そうなのよ!
彼女は初めから分かってた。
今、私達がこうして話している場面まで。
あの娘は取引を持ち掛けて来て、協力を約束し、前払いを果たしたのよ」
興奮し出したクリオシタスの声は、カーティの様な女性声に変わる。
「彼女は…きっと、時を司る魔女か…それに近しいモノに成る」
今度は少年の声に変化して聞こえる。
「「多分…母様の助けになる」」
男女二人の声が重なって響き渡った。
元々カーティの思想が彼等に近かったのか、興奮しているクリオシタスに同調している様だった。
マリアベル達と同じ様に別々の人格なのだろうが、ハッキリと別れている訳ではなく、性格も意識も混ざり合っている様に見える。
今の表情は、普段のカーティが強く出ている。
「あの本の鍵が彼女だというのは?」
「本当!
本だけじゃない…と考えている」
「アルダライアの関係者?」
「分かんない!
けど、ミランドラ本人か関係者なのは間違いない」
クリオシタスの受け答えには、カーティの幼さが表出していた。
「妹達は?」
「知らない筈!」
「なら、貴方は今後…」
「狙われるねぇ。
チャンネルは開いてるのでしょう?」
「ええ、カーテンも消えたから…とても良好よ」
「それは残念!」
「怖くはないの?」
「僕達にそれを言う?」
「確かに…貴方なら、そうよねぇ…」
二人と一人は仲の良い姉弟の如く笑い合った。
◆
「はぁ……」
コピディタスは一つ大きな溜息を吐き出し、頭を掻いた。
整えた髪型は崩れてバラバラになった。
「あ〜スッキリした」
彼女は晴れ晴れとした表情で空を見上げる。
曇り空からは、薄衣を透かした様な朧月の光がテラスに落ちて、彼女の顔を照らした。
「雨が降るかと思ったのだけれどねぇ…」
そう言いながら、テラスの手摺に両手を掛けて中庭を眺める。
「気持ちの良い夜ね」
そう言いながら、向かいの建物の屋根を見つめた。
「裏切る事で得られる彼女の知識に対して…恐怖は無いの?」
振り向きながら、クリオシタスに最期の問を投げかけた。
「「無い!
知らないで生きる位なら、知って死ぬ事を選ぶね!」」
ハッキリとした返答に、コピディタスは思わず吹き出した。
「ぶれないわねぇ…。
…妹達は敵対するでしょうけど…。
貴方の信念、最期まで貫き通しなさい!」
そう言って、彼女は手摺の上に立った。
不安定な足場の上でクルリと回り、両手を拡げて向かいの建物の屋根を見た。
彼女が両目を瞑ると同時に、薄曇りの空に雷鳴が鳴り響いた。
轟音と同時にコピディタスは宙を舞った。
一瞬が数刻にも感じられる瞬間だった。
彼女は、ゆっくりと仰向けにクリオシタスの方へと飛ばされた。
アデリンは、テラスにあったテーブルや椅子を弾き飛ばし、カーティの目の前に滑り落ちた。
動かなくなった彼女の身体は、カーティの手に届く距離に帰って来た。
その喉元にはポッカリと大きな穴が空き、テラスの床には大きな血溜まりが拡がっていった。
「お疲れ様…後は任せて」
カーティは血溜まりの中で座り込み、彼女の頭を膝に乗せた。
そして、アデリンの頭をゆっくりと撫でた。
その光景は、愛おしい娘を寝かし付ける母親の様だった。
ふぅ…
コピ姉喪失の為、1週間程度休み下さい…
…単に、話の修正の為に以降の話の書き直しに時間が掛かる為だとは、口が裂けても言えない…。




