◆4-132 怖い何か
アデリン視点
テラスに出た私はいきなり後ろから押されて、トトト…とよろめいた。
振り返ると、右手を前に突き出したリヘザレータが静かに私を見つめていた。
自分よりもずっと背の小さな女の子。
今は何故か、とても大きく見える。
…えっ?何?
何故私を突き飛ばした?
ん?…熱い…?
押された自分の背中を見ると、右腰の後ろ側から小さな柄が生えていた。
…何…これは?
己の体内に硬い異物を感じた。
………
何なの?これは…?
えっ…刺された…?
この娘に?ただの人間に?
子供達である私が!?
小娘に!?
私は混乱し、もう一度リヘザレータの目を覗き込んだ。
それは人間の瞳では無かった。
彼女の目は、まるで巣に掛かった虫を見る蜘蛛の様。
全く思考の読めない冷めた虹彩。
一瞬だが、瞳孔が縦長に見えた。
右側の後背筋の下辺りには、『何か』が深く突き刺さっていた。
服の上からは、布を巻きつけたその持ち手だけが見えた。
それが押しピンの様に服と腰を縫い止どめて、血が噴き出すのを抑えている。
柄を握る私の手に、ぬるりとした熱い液体が拡がった。
…有り得ない!
傀儡化は浸透していた。
間違いなく洗脳は成功している!
私に敵意を向けられる筈が無い!
◆
誰でも、他者の行使した波形魔術式に抵抗する事は出来る。
ただ、それを決めるのは各々の魔力の強弱。
強弱は、潜在魔力量、表層魔力量、回路、出力等の総合値。
体内を巡る自己に染まった魔素と、侵入して来る他者の魔素との押し合い。
当然、魔力の弱い者が、自分より魔力の強い者に攻撃しても弾かれる。
そして『子供達』は、単独でギフテッドに匹敵する魔力保持者の集団。
同じギフテッドを除いて彼等の魔術式に抵抗出来る者は、特異な才能の持ち主か、魔人・魔女・精霊・神獣など、桁外れの魔力を持つ人外のみ。
ただ、物質化魔術式とは違い、波形魔術式は目に見えない。
当然、魔素の流れや押し合いの勝ち負けを判別する事は出来ない。
なので、己の発した魔術式が弾かれたかどうかを判断する方法は無い。
…魔人達や神獣、高位精霊等の魔素の本質に近い存在や、特別な才能を持った者達を除いてだが。
そのギフトの所持者の一人がコピディタス。
彼女は己の発した波長や魔素が『視える』。
彼女は自分の魔術式が弾かれた場合、その干渉反射の色合いで洗脳の浸透程度を確認出来る。
だから、相手に魔術式が効いたかどうかを、目で見て判断する事が出来る。
彼女の目には、魔術式反射が強い程、相手が明るく光輝いて視える。
逆に弱いと薄く光るか、変化は見えない。
彼女の視界では、オマリーやエレノアの時とは違い、リヘザレータの周囲には抵抗跡も反射膜も判断不能な色合いも無かった。
控室で操った者達と同様に、しっかりと波長が流れ込んでいる様に見えた。
…私の経験上、この観測結果で効いていなかった事は一度も無い…!
少しでもリヘザレータから距離を取りたくて、彼女から視線は外さないまま後退った。
ヨロヨロとした覚束無い足取りでテーブルまで辿り着き、金属製の冷たい天板に手をついた。
片手でテーブルの縁を掴みながら、浅く細かい息を吐く。
その時、廊下の方から声が聴こえた。
「良くやってくれた。協力者殿。
これで、害虫の親玉は駆除出来たな」
ゆっくりとガラス扉を抜けてテラスに出てきたのは、ゼーレベカルトル第2王子。
…コイツにも効いていない?
私の魔術式が?
そんなっ!?
「待て…少し失敗…。
僅かにズレた…
多分…まだ…死なない…」
間違い無くリヘザレータの声だが、喋り方は似ても似つかない。
先程迄と違い、声を出す事が億劫な様にたどたどしい。
彼女は自分の手に目を落としながら、小さくボソボソと喋った。
…協力者?レータが?
この子の事は洗礼式前から知っている…
家族ぐるみの付き合いだったのだから…。
この娘に帝国との繋がりは無い…筈。
一体…?
「…あまり近付くな…。
護りが…壊れる…」
「分かっている。
子供達は、どいつもこいつも化け物だからな。
容量にはまだ余裕はあるが、制限超えると保たない…と、注意されている。
不用意には近付かんよ」
…違う…
目、鼻、唇、髪、匂い、身長、体格、感じる魔力波長…全て完璧に私のレータ。
だけど…違う…!
これは何か…とても怖いモノだ…
この小さな娘の顔を見て、私は全身に鳥肌が立った。
◆
私は彼女達に視線を固定したまま、テーブルに左手をかけ、右手で刺さったナイフの柄を握り締めた。
熱くなる頭を冷静に保ち、呼吸を整える。
…これは…抜くと失血する…治癒は間に合わない可能性が高い。
腰に感じる違和感から、それ程太くは無い刃物。
ただ、刺された時の痛みの軽さから、かなりの鋭さがあるモノだと判る。
下手に動けば、内臓が傷付くのは間違い無い。
刃物はかなり深くまで入っている様だった。
しかも、片側の臓器に触れる急所の位置。
運良く、その硬い物は動脈と内臓を外している。
…金属の刃物?
防御膜を展開していて助かったわ…
磁場に阻まれて、僅かにズレたのね。
だが、それ以外の血管を傷付けていて、内出血は激しい。
刺された場所の周囲と、刃物の握り手部分は、血でべっとりと濡れていた。
…凝固の治癒魔術…臓器周辺と傷口を、筋肉・脂肪ごと血漿凝固因子で固定…。
カルシウムを集めて刃物を覆う。
それを魔素で強力に固化。
刃物と身体を一体化させて、傷を拡げない様に。
私は、急いで治癒魔術式を展開した。




