◆4-127 肉の壁
第三者視点
この部屋の本来の用途は待合室。
患者の付き添いで来た貴族達が、落ち着いて待機するべき静謐な筈の空間。
そこが今は、怒号飛び交う戦場となっていた。
「おおおお!」
近くに座っていた騎士が突然立ち上がり、オマリーに向けて飛び掛かって来た。
彼は素早く抜刀して上段に構え、飛び込みと同時に振り下ろして来る。
「ふん!」
オマリーはその騎士に向けて、座っていた椅子を投げ付けた。
ゴガンッ!
重量のある椅子が彼の振り上げた剣に当たり、その剣が跳ねて天井に深く突き刺さる。
「ぐうっ!!」
その時の衝撃で彼の両手首は、あらぬ方向に曲がってしまった。
オマリーは、蹲って苦しむ彼の後ろ襟を片手で掴み、軽々と持ち上げ、ぐるりと一回転した。
まるで軽い荷物を扱うかの様に、大の男が空中で振り回される。
大きく振り回して勢いを付けると、壁際まで逃げていたアデリンに向けて投げ付けた。
「護れ!!」
アデリンの号令に対して瞬時に反応した侍女が二人、飛んで来る騎士とアデリンの間に飛び込んだ。
「ぎぃ!」「がっ!」
彼女達二人は、自分の身体を盾にして、騎士の衝突からアデリンを護った。
ぶつかった衝撃で、一人は両腕を骨折して壁まで吹き飛び、もう一人は脚を反対方向に曲げて倒れ、そのまま気絶した。
「武器を構え!!」
部屋中に強力な波動を発しながら、アデリンは再び命令を下した。
部屋の中の騎士達は魔道銃や剣を抜いて構え、侍女達は手近にあったケーキナイフを手に取った。
しかし、先程の騎士の様に突然飛び掛かるのではなく、テーブルや椅子の陰に身を潜めて、距離を取りつつ警戒している。
「…酷い事をなさいますのね」
口を開いたその女は、いつも気の抜けた表情のものぐさ教師、アデリン=メロウビットでは無かった。
人を支配して操る事に何の感慨も罪悪も持たない『欠けた化け物』が、人の振りをしながら侍女達の陰に潜んでいた。
「まさか、躊躇無く人を物の様に投げるなんて。
英雄の名が泣きますわよ?」
「私は聖人君子ではないし、ましてや善人でも無い。
勝手に勘違いして頂くのは、とても助かりますがね」
「…司祭の言って良いセリフでは御座いませんわね。
しかし、計算が狂いました。
単純な筋肉馬鹿なら、使い捨ての護衛用に連れて帰ろうと思ってましたのに。
こんなに魅力的な男性でしたのね…。
本気で欲しくなりそうです」
ドオン!
会話の隙を狙って、騎士の一人が魔道銃を発砲した。
オマリーは発砲を予想していたらしく、目にも留まらぬ速さで机を掴んで持ち上げた。
ギンッ!カシャン…
金属同士がぶつかったかの様な音が響きわたる。
魔道銃の弾丸は堅木の机に弾かれ、窓に孔を開けて飛び出して行った。
「魔術式が使えないというより、使う必要が無いだけでは御座いませんの?
まさに化け物ですわね」
「子供達にだけは言われたくないセリフですな」
そう言って、二人はフフフ…と笑った。
「アデリン先生は、何時から『子供達』に?」
「さあねぇ…随分と昔の事だった気もするし、つい先日の事の様な気もします。
正教国の犬、オマリー司祭様」
「はて…?何の事でしょう?」
此処に居る騎士達や侍女では相手にならないと判断したアデリンは、操っている人達を使って自分の周囲を固め始めた。
「肉の壁…と、呼んでいます。
貴方にとっては紙の壁でしょうけど」
何が可笑しいのか、クスクスと笑うアデリン。
「無駄だと分かっているならば、彼等を解放して投降したらどうですか?
逃げ場は無いですよ…」
「そうですわね。
外に『カーテン』がある限り、わたくしに逃げ場は御座いませんわね」
「…やはりご存知でしたか」
「わたくしの弟妹は優秀なのですよ。
既に調べて、報告してくれましたの」
「ならば…」
オマリーが口を開こうとすると、彼女はそれを抑えて続けた。
「加えて、あのカーテンは長くても四半刻程度しか保たない事も判っております」
「……」
「そろそろ消えそうですわ。
ご覧になったら?」
アデリンは立ち上がり、窓の外に目を遣った。
「レータちゃんが倒れるくらいに、周囲の人間の魔素を吸収して発現させた古代魔術式ですよね?
今此処で、再び発動させるのは無理でしょう?」
とても面白い催しでした…と言って話し続けた。
「複数の楽器と歌による共振で、空中に見えない波形魔術式を描いて…ですか。
波形魔術式の得意な者にしか、感じ取る事すら難しい現象でしたわね。」
彼女は惜しい物を失う様な気持ちで、ほとんど消え掛けている『カーテン』を見つめている。
しかし、オマリーは彼女の視線の先を無視し、彼女を凝視したまま口をつぐんだ。
「反応しないと言う事は、ほぼ正解ですわね?
消える時間は、ただの予想でしたのに…ありがとう御座います」
「…」
「本当に可愛い人ですわね…」
アデリンはクスクスと笑った。
オマリーは机を構えたまま、僅かににじり寄る。
その瞬間、身を屈めていた侍女が、前にしゃがんでいた騎士を踏み台にして高く跳び上がり、オマリーに向けて飛び掛かった。
オマリーは反射的に殴り飛ばそうとした腕を、既の所で止めた。
もし彼の腕で直接殴れば、鍛えた騎士なら骨折程度で済むが、華奢な女性では間違いなく死ぬ。
だから躊躇した。
彼女が体重を乗せて振り下ろしたケーキナイフを、オマリーは咄嗟に腕で受け止めた。
ナイフは彼の皮膚に傷をつけたが、大して鋭くない刃先では、筋肉の間に深く刺し込むまでには至らなかった。
浅い位置に先端だけ突き刺さったまま止まり、筋肉の絞め付けで抜けなくなる。
侍女は必死に抜こうとするが、ナイフは外れなかった。
「あらあらあら…殺さないなんて。
やはり、本当はお優しい…」
「部屋を汚したくないだけです」
「侍女とはいえ、一応は帝国の貴族子女ですからねぇ…。
殺すと後が大変ですもの」
「なら、止めさせてはくれませんか?」
「ふふ…善処致します」
オマリーの片腕には、刺さったナイフと、それを両手で握り締めたままの姿勢で固まっている侍女がぶら下がっていた。
効果的だと判断した侍女達は、次々と壁役の騎士達を踏み台にして、同じ要領で一斉に飛び掛ってきた。
「…軽いな。羽根の様だ…」
一言そう言うと、オマリーは軽く腕を振る。
彼の腕にぶら下がっていた侍女は、勢いに負けてナイフから手を離した。
ナイフは彼の腕に刺さったまま。
彼女は軽々と投げ飛ばされた。
飛び掛かろうとして跳んだ侍女達と、投げられた彼女が空中でぶつかり、その場に落ちた。
彼女達は絡み合ったままの姿勢で、床に叩きつけられた、
オマリーは、腕に刺さったナイフを抜き取り指先で掴むと、刃先を軽く圧し折った。
「あらぁ!?
…まるでグレンデルの様ですわね!素敵です!」
「なかなかに失礼な事をおっしゃる。
子供達の前での態度とは大違いですな」
「子供は良い目眩ましですから…。そうですわ…!」
そう言うと、何かを思いついた様に手を打った。
彼女は、すぐに波形魔術式を発動させ、建物が振動する様な強い波動を発した。
「何を…!おっと!?」
時折、思い出した様に魔道銃が発射され、オマリーの机が弾丸を軽く弾く。
オマリーは、手近にある皿を拾い上げて投擲で応戦した。
風を切って飛ぶ皿は、人に当たれば深い裂傷を負わせ、壁に当たれば深い孔を開けて砕け散った。
対して、魔道銃の得意な騎士が飛ぶ皿を狙って撃ち落とす。
初めの頃の派手な近接攻撃は鳴りを潜め、地味な遠距離攻撃に終始した。
「これでは埒が明きません。
わたくし、そろそろお暇致したく存じます」
「上司からの指示ですので、お帰り下さい…と言う訳にはいかんのです」
「エレノア様の命令には逆らえませんものね」
「…」
「エレノア様麾下に数名居る事も把握済みですのよ?」
「…」
「エレノア様が可愛がっているお嬢様達の中にも、いらっしゃる様ですね?」
「…我々が、子供達を巻き込む様な人間に見えますか?」
「才能があれば子供でも赤子でも使う。
当然でしょう?」
「…普通では無いでしょう」
「帝国でも、セタンタと言う化け物を飼っているではありませんか。
青年という年齢ですけれど、大人達から見れば、まだ子供です」
「…」
「ジェシカお嬢様とデミトリクス御令息は、魔力量的にも能力的にも利用しない事は、まずありえない…」
「…」
オマリーは、これ以上の情報を彼女に渡さない為に口を閉じた。
眉一つ動かさない様に気を付けている。
「…クラウディアお嬢様は…何か秘密がありそうですわね?如何?」
「…」
「エレノア様との気の置けない間柄に見えました…もしかして親族ですか?」
「…」
「となると…ヨーク家は偽宿。
彼女、節々で高位貴族特有の癖が出てました。野生児の振りをしてましたけれど。
…元高位貴族で、ヨーク家に貸しのある立場…かしら?」
「…何も言ってないのだが?」
「…沈黙は肯定でしょう?」
「都合の良い解釈だな…」
「オマリー様は隠し事に向かない性格ですわね」
「…」
「このまま情報を頂き続けるのも有益ですが、流石に長居し過ぎました。
こう長々と対話させて頂きましたのは、準備を待っていたからでして…。
そろそろわたくしも、戦闘を開始させて頂きますね」
アデリンは口笛を吹いた。
彼女の口笛を合図に、部屋の扉が勢い良く開いた。




