◆4-123 侍医長の診察
第三者視点
侍女が扉を開けると、そこには二人の人物が立っていた。
「お待ちしておりましたフーリエ侍医長」
エリシュバが立ち上がり、恭しく彼を迎え入れた。
フーリエと呼ばれた眼鏡の男性と、革製の大きな鞄を抱えた助手と思しき女性が部屋に入って来た。
侍女は音を立てない様に気を付けながら扉を閉め、すぐに施錠をした。
「帝国の紫宝殿を立たせて出迎えさせるなど…恐悦至極で私の心臓がもちませぬ」
「ふふ…相変わらずですね」
「ワシは変わりませぬが、お姫様は日々美しく変わられますなぁ」
「まぁ…本当の事は世辞にならないのですよ?」
短い茶髪と綺麗に切り揃えられた顎髭、そこに僅かに白髪が混じる初老手前の男性は戯けたように挨拶して、エリシュバに着席を促した。
会話から、気の置けない間柄と判る。
フーリエ医師は、美しく滑らかに研磨されたレンズの入った高価な眼鏡の位置を中指で直しつつ、部屋の中を素早く見渡した。
部屋の真ん中にある豪華なソファに寝かされているリヘザレータに目を留めると、早足で近寄った。
「…遅くなって申し訳ない。
言い訳すると、今日は何故か患者が多くてなぁ…。皆てんてこ舞いでなぁ…」
そう言いながら、リヘザレータの額にそっと手を乗せた。
「お嬢ちゃん。もう少し頑張ってなぁ…」
フーリエ医師が助手に視線を移すと、彼女は何も言われない内にサイドテーブルを運んで並べ、持っていた鞄を置いた。
鞄の中から、鏡の様な盆と、複数種類の器具を取り出し、手際良く盆の上に並べ始める。
そして、取り出した綺麗な綿に小瓶に入ったアルコールを含ませて、一つ一つを素早く丁寧に拭って消毒を完了させた。
言葉を交わさず、全ての準備を手際良く仕上げる彼女の手つきは、熟練者のそれだった。
助手が道具の準備をしている間にフーリエ医師は、おろおろしているフローレンスの隣に屈んで彼女に視線を合わせた。
「この子のお友達かな?」
「…え、ええ…親友よ…です」
彼はフローレンスにニコリと優しく微笑みかけて、彼女を落ち着かせた。
「親友か!素晴らしい!
少し質問をさせてもらえるかな?
君の助けが必要なんだ。
彼女に持病は…」
フローレンスからの一通りの問診を終えたフーリエ医師は、助手が用意した器具を手に取り、気を失っているリヘザレータの脇にしゃがみ込んだ。
聴診器を耳に当て、服の上から彼女の心音と呼吸音を確認する。
ブツブツと呟きながら鼓動のリズムを確認し、小さな声で助手に伝える。
彼女は、待っていた携帯黒板に素早く数値を書き込んだ。
次に、リヘザレータの瞼を上げて瞳孔を確認し、器具を使って彼女の口や鼻の中、耳の奥まで覗き込む。
小さな声で交わされる専門用語を、助手の彼女は次々と記録した。
二人のやり取りの速さから、医術に関する高い能力がある事が判る。
フーリエ医師は、板書された内容と数字を見比べながら助手の女性と相談した。
彼の指示を受けた彼女は、鞄の中から両手で持つ位の大きな機械を丁寧に取り出し、机の上にそっと置いた。
それはクラウディア達が貴族学校の入学時に使用した、魔力量を測る魔導具と似た様な物だった。
しかし、構造の複雑さは段違いだった。
機械の中央には、数本の真空管の様なクリスタルガラス製の筒が入っており、中芯に細い銀線が張ってある。
検査機械の様に幾つものメーターが付いており、機械の箱内部へと繋がる導線の配線は複雑。
箱の端からは3本の線が出ていて、先端付近まで厚めの革で被覆してある。
先端の線は糸のように細くてクルクルと巻いてあるので、小さな綿の塊に見える。
しかし白綿とは違い、それはキラキラと金色に美しく輝き、王女殿下の装飾品よりも人目を引いた。
その高価そうな魔導具を一目見て、無遠慮に、且つ、素早く近寄る者が居た。
「…ほうほうほう…!これは!
随分と貴重な検査用魔導具ですね。
学校で使われている様な使い捨ての安物とは次元が違う!
この線の艶と気品は…フラメルコットンですね!?スンバラシイ!
超希少な貴重素材をこんなに!?
ウマー!スゴー!」
機械にかぶり付くように見ていたカーティは、突然グリンと首だけを回した。
そして大きく見開いた目をギラつかせながら、フーリエ医師の顔をじっと見た。
「ほ…ほぉ…流石は…噂のカーティ教授ですな…。
一目で素材を見抜きますか」
魔道具に手を伸ばそうとするカーティの手をはたきながら、彼は頷いた。
戯けた彼の笑顔も、少し引き攣っている。
「…これが、ああで…こうなると…成程。
これは受動的な魔力検査機…ですね?
ほう…!このメーターは…光量を数値に置き換えると…。曖昧な目視検査より遥かに精度は高そうね。
ほうほう…!種別検査も同時に出来るのかな?いいな!コレ!
ほうほうほう…!このメーターは抵抗検査?
まさか魔力器まで測定出来るのか?
たった1台にコレだけの機能を込めるなんて!
はふぅ…素晴らしい!!流石は帝国の魔導技術」
カーティがワキワキさせながら魔導具に手を伸ばす度、フーリエと助手が彼女の手をはたき落とす。
何度も叩かれた彼女の手の甲は真っ赤になっていた。
「ああ…中の回路を見てみたい。
欲しい…箱開けたい…!
……少し分解しても宜しいですか?良いよね?やったー!」
そう言うとカーティは、フーリエを無視して魔導具に飛び掛かった。
フーリエ医師は慌てて動き、カーティの頭を拳で思いっ切り叩いて動きを止めた。
ほぼ同時に、検査機に手を伸ばしたカーティの腕に助手が飛び掛かり、関節を極める。
二人は、カーティを検査機から引き離して組み伏せた。
「本当に…ハァハァ…貴女は…お噂通りで…」
フーリエは息も絶え絶え。
「触らないで下さいませ。
近付かないで下さいませ。
帝国に於いても稀少な魔導具です。とても高価なのですの。
貴賓と言えど、ぶち転がしますわよ?」
助手の女性は初めて口を開いた。
その口から発せられた言葉は乱暴そのもの。
「購入したければ、父上に直接請願して下さいませ。
帝国兌換紙幣で50枚もあれば購入も許されるでしょう。
製作に1年程掛かりますが、自分の物にした後、好きなだけ分解するなり破壊するなりして下さいませ」
エリシュバ王女は長椅子に背を預けたまま、呆れた様にカーティに告げた。
「ぐはぁ…。
高すぎぃ…時間掛かり過ぎぃ…
待てないぃ…少しだから…
後生だからぁぁ…!」
カーティは床に押さえ込まれた姿勢のまま芋虫の様に悶えていた。
その時、アデリン先生が溜息を吐きながらカーティに近寄り、フーリエ医師達を宥め、悶えている彼女を引き摺り立たせた。
「アデリン…ありが…ぐぇ!」
「アンタが馬鹿やると、レータちゃんの治療が進まないのよ!!」
背後から彼女の首に腕を回し、そのまま部屋の隅へと引きずって行った。
「ぐぇぇ…しまっ……くる…」
カーティは、蛙が潰される様な声を発しながら、泡を吹いた。
首を絞めているアデリンの腕には血管が浮き上がる。
彼女はニコニコしながら、フーリエ医師達に謝罪した。
カーティを警戒しながら、二人は作業を再開した。
「申し訳御座いません。
少し離れて頂けますか?」
助手はぶっきらぼうに、リヘザレータの隣に居たフローレンスに話しかけた。
先程の彼女の口調を思い出し、フローレンスはビクリと身を震わせ、その場を離れた。
「ウチの助手は口が悪くて申し訳無い。
優秀ではあるのだが…。
この魔導具は精度が良すぎるせいで、側に居る貴女の魔力の影響も受けてしまうのだよ…
ちゃんと説明すれば良いのに…。
ごめんねぇ…。怖かったねぇ…」
フーリエはフローレンスに対し、無愛想な助手の行動を謝罪した。
フローレンスは黙ったまま軽く頷き、リヘザレータから距離を置いて壁際に移動した。
「失礼致します」
助手はリヘザレータの隣にしゃがみ込むと、手際良くドレスの首後のボタンを外し、首周りの衣服を下ろして肩口まではだけさせた。
そして、魔導具から出ている三本の線を引き伸ばし、それぞれの先端を彼女の首の付け根と両鎖骨下の窪みに当て、固定具で導線を固定した。
作業が終わると、助手はフーリエ医師の方を向いて軽く頷き、その場を離れた。
全員が彼女から離れた事を確認すると、彼は魔導具のツマミをゆっくりと回し始めた。
検査機が動き出すと、箱の中央の魔導灯に仄かな光が灯り、周囲のガラス管が淡く明滅した。
各種メーターが小さく反応し、針が微妙に振動する。
フーリエ医師は針の指し示す数値を見ながら、助手に記録をさせた。
カーティは、アデリンに羽交い絞めにされたままの姿勢で魔導具の動きを観察した。
血走った目を皿の様にしてじっと見つめている。
手を空中でしきりに動かして、機械の動作の様子を頭の中に焼き付けていた。
一通りの診断と検査を終えると、フーリエ医師は助手に魔導具を片付けさせた。
「ああ…仕舞われちゃうぅ…ヒドイ…」
カーティの呟きをわざと無視して、彼女はテキパキと素早く片付けていく。
その間、フーリエ医師は襟を正しながらエリシュバ王女に近寄った。
静かにゆっくりと彼女に近付くと、すぐ横に跪き、周囲に聴こえない様に彼女の耳元で検査結果を報告した。
身分
エリシュバ王女>フーリエ医師
力関係
エリシュバ王女=フーリエ医師
フーリエ侍医長は高位貴族出身
助手の女性は下位貴族出身の医師補助技能士兼、検査工学技師。
魔力が低いので、魔力の影響を抑えたい各種検査機の扱いを主任務としている。
王宮医師団の中でも優秀なので、身分や魔力量に関係無く重宝されている。
無愛想で口が悪い。




