◆4-96 ルコックの罠
フィングリッド視点
フィングリッド達が汚い路地裏を進み薄暗い角を曲がると、大量の空木箱が積んである広場があった。
南に面して建つ大きな商会の建物が、建物の北側に広がる広場に射し込む光を遮り、全体が薄暗くジメジメとしていた。
空木箱の山の間には商会の裏口があり、時折、その扉から下男が木箱を運び出し、山を高く積み上げて戻って行く。
その様子を陰から伺っていたフィングリッドの一行は、下男の立ち去るタイミングを見計らって広場に入り込んだ。
「こんな所で何を…?」
護衛騎士の隊長が口を開くが、フィングリッドは彼を無視をしたまま木箱の山の一つに向かってスタスタと歩いて行った。
彼は積んである木箱をいくつか退かして、見た目は他の物と区別のつかない箱に手を掛けた。
その木箱の角に手を掛けて、もう片方の手で側板を押し込むと、小さな音を立てて側板が外れた。
「ああ…それが例の…って…ここで何を!?危険では!?」
隊長は声を潜めながら、彼に声を掛けた。
フィングリッドは露骨に顔をしかめてから、馬鹿にした様にゆっくりと口を開いた。
「私が設計した物だ。危険な事をする訳が無いだろう…?」
彼は隊長に対して、わざとらしく溜息を吐いて呆れて見せる。
隊長は眉根をひそめたが、何も言わずに口を閉じた。
「君たちは…そうだな…
誰も来ないように周辺を見張っていてくれたまえ」
フィングリッドが命令すると、隊長は黙ったまま首肯して、一緒に来ていた4人の部下達に指示を出し始めた。
部下達は見晴らしの悪い枝分かれした路地が見える位置に、隊長は彼から少し離れた広場の入口に陣取った。
彼等は気難しいフィングリッドから目を逸らす様にして、周囲の通りを見張った。
護衛としては失格だが、それがフィングリッドの希望だったので従った。
…無能な人間に見られていると私の気が散るのだ。
暴発が怖いか?何処に居ても結果は変わらんがな。
…注意も説明も面倒だし、貴様ら如きに言っても理解などは出来まい。それに時間の無駄だしな…。
護衛騎士達がフィングリッドの周囲から離れると、彼はそっと木箱の側板を外して中を覗き込んだ。
中は、それぞれの機構毎に幾つかの区画に仕切られていた。
魔石から取り出した魔素を一時的に蓄積させる機構区画や、設定された時間を測る機構区画、遠隔からの特定の波長を受け取る為の機構区画等など…。
複雑な構造が整理されて詰め込まれていた。
彼は、その各区画のカバーを1箇所ずつ剥がしながら、中の構造体に故障が無いかを確認していった。
…ふむ…。
検査機器の数値は…?内核の温度…。
ハシュマリムの特殊爆弾に目立った変化は無し…。
湿度や温度変化、衝撃に強いと言うのは確かなようだな。
…圧縮魔術式を同時発動させる為の区画は……密閉容器に亀裂や変化は無い。…良し。
彼は間違っても起動させないように、慎重に目視で確認をしていった。
酷く不安定な、膨大な魔素を圧縮して固めた特殊な魔導爆弾。
そして同時に、とても安定している爆弾でもある。
密閉容器の外殻内で、一定圧力以上の小爆発が完璧に、且つ、同時に起きないと本体が起動しない仕組み。
…この私がコレの原理を理解するまで、数ヶ月要したからな…。
一体…どの様に開発出来るのだ?
この様な悪魔的な発想が出来る者が居るとは信じられん。
ハシュマリムは遅れた国だと信じられていたが…。
外殻自体を直接触っても何も問題が無い事を、彼は知っている。
だが、計算によりコレの威力を知った彼は、製造中に恐怖で手が震え、何度も落としそうになった。
…死ぬのは怖くない筈なのだがな…。
いや…何も成せずに死ぬのが嫌なのだ…。
内核中央に設置された特殊爆弾は、うずらの卵程度の大きさ。
そして、宝石の様に美しい虹色の魔石。
しかし彼は、これ一つで、この1区画が消滅する事を知っていた。
そして彼は、これと同じ爆弾を王宮を含めて主要な全ての区画に設置した。
…奴は……、メロニウスとか名乗ったかな?
どうせ、偽名だろうが…。
『魔石アマル…』が、どう…とか口にしたが…。
結局、どの様に開発したのか迄は教えてくれなかったな。
…魔石をどうにかすると良いのか?
…まぁ良いさ…。
魔導科学者としては大変興味のある物だが、今回は私の目的を優先させて貰おう。
それに…、ハシュマリムに協力していれば、そのうちに製造方法を知る事も出来よう…。
…おっと…8の鐘の前には私も逃げ出さないとな…。
帝国の消滅を…この目で見ることが出来なくなる。
彼は、爆弾の心臓部に慎重にカバーをかけ直した。
そして、すぐ隣にある同時爆発を安定させる為の制御装置の入った区画のカバーを開いた。
彼はそこで、信じられない物を見た。
目を見開いたまま立ち尽くした。
数秒間何も考えられず、ただただ、立ち尽くした。
…そんな…どうやって!?
この一言だけが、何度も頭を駆け巡った。
ど…どうして…?
設計ミス!?そ…そんな筈は…!
…この焼け焦げ方はあり得ない!
制御区画のカバーを開けた時に見えたのは、一部分が黒く変色した制御装置だった。
制御装置上の特定の場所にだけ、強烈な魔素が一点に集中したかの様に焦げていた。
そして、その周囲の配線が千切れていた。
…魔素の短絡…?いや…そんな初歩的な失敗を?
この私がするわけがない…!
それに…例え魔石の魔素が漏れ出たとしても制御装置が焦げたりする筈はない。
そんな安物は使用してない!!
回路から繋がる魔石には、まだ未使用の魔素が大量に残っていた。
魔石から漏れ出た魔素ではない。
制御装置の回路に過剰な魔素が流れた様子は無かった。
だが、外殻の爆発をコントロールする為の場所だけが壊れていた。
…外部からの何らかの衝撃で壊れた?
いや…木箱に損傷は無かった。カバーにも…。
…誰かが意図的に破壊したのだ…!それしか無い。
…どうやって!?
焦げていたのは、この箱の中では一番脆い部分。
…この焦げ方は圧縮魔術式の極小爆発に似ている…。
下手くそな魔術式で、暴発した時になるヤツだ…。
強烈な何かで焼く解除方法。
逆に言えば、焼いた人間は構造を理解出来ている事を示している。
…偶然?
数多の木箱の中から?あるか、そんな事!
…この構造を知っている者が犯人…。
私が仕上げて、手配した者が各所に設置したのが一週間程前のこと…。
発見して…コレを解析して…正確な解除方法を導き出すには…?
…どう考えても短すぎる!
構造を理解するだけでも相当な時間を要する!
ありえん!
…だが、これが出来ている時点で、箱の開け方から回路の意味までもを知っている者の行い…だな…?
…えっ?えっ?どうやって?
箱の開け方ですら、一度でも失敗すれば固定される様に作ったというのに!?
頭の中では、取り留めもなくグルグルと思考が迷走し続けていた。
…それに、ハシュマリムの新型爆弾だぞ?
魔導科学技術研究所の上級研究員である私も知らなかった事を…?
いや…そもそも、これが新型爆弾だと知っていた者が私とメロニウス以外に居たと?
…正教国のカーティなら…?
私に匹敵すると言われる彼女なら?
…いやいやいや…
外国に来て?いきなり爆弾を見つけて解除…?
不自然過ぎる!ありえない!…なら、誰が?
立ち尽くしていた数秒間に、幾つもの可能性が浮かんでは消えていった。
可能性の描かれた頭の中の映像が、凄まじい勢いのまま、終わる事なく何度も再生された。
だが結局、誰が、どの様に破壊したのか?
その結論に至る事は出来無かった。
…答えの出ない事を考えている場合では無い!
…少なくとも、爆弾の事と設置場所を知っているスパイが我々の中に潜んでいた…という事実!
では…誰が?
カートスの陰険オヤジか?
それともまさか…ドノヴァン!?
あいつは昔、王帝の親友だったそうだし…。
誰がどうやって等の原因は判らなくとも、最低限必要な事の認識は出来た。
…賛同者の中にスパイが紛れていた。これは間違いない。
そして…、そいつが次に考える事は?
フィングリッドは思考の視野を、過去のスパイに対してでは無く、未来に起きる脅威に対して向けた。
彼はすぐに顔を上げて、区画の一つである魔素の波長を送受信する場所のカバーに手をかけた。
ゆっくりではなく、引き千切る様に覆いを引き剥がした。
バギィ!
細い木で固定されていたカバーは、大きな音を立てて折れた。
折れたカバーの隙間から、自分の設置した物ではない送信用魔導具が顔を出した。
「まずいっ!!」
フィングリッドはすぐに立ち上がると、大声で護衛騎士達を呼んだ。
広場の入口で路地の方向を見張っていた護衛隊長は、困惑した表情で駆け寄って来た。
「こ…此処でそんな大声を出されては困る…!」
駆け寄って来た隊長は、声を潜めながら注意した。
ドサッ…ガラガラ…
その隊長の後ろから付いてきた騎士の一人が、広場に入った所でいきなり転んだ。
転んだ拍子に傍にあった空木箱に引っ掛かり、木箱の山を崩した。
「こらっ…!静かに…」
隊長は転んだ部下を叱咤しようと振り返った。
転んだ騎士に、すぐ側に居た騎士が駆け寄る。
「ぐっ…」
今度は、駆け寄った別の騎士が変な格好で倒れ込んだ。
彼の脇腹には、細くて黒い矢が刺さっていた。
「っ!!敵襲!」
隊長は大声を上げて、フィングリッドと共に木箱の陰に逃げ込んだ。
短絡=ショートして回路が遮断される事




