◆4-87 地階に咲く彼岸花2
ドノヴァン視点
クラウディアの威圧を目の当たりにしたドノヴァンの脳内に警報が鳴り響いた。
ドンドンドンドンドンドン!!
くそっ…思わず撃ち尽くしてしまった…!
…だが、こいつは宰相の娘と同じ匂いがする。子供だとは考えない方がいい。
生きたままの捕獲は却下。
殺した場合の計画に移行。
心を落ち着かせろ…目標の抹殺だけを考えろ…
ドノヴァンは長い戦場での経験から、瞬時にクラウディアを危険なモノだと判断した。
彼は反射的に魔道銃を構え、連続圧縮魔術式を発動させた。
この魔道銃は圧縮魔術式の発動の反動で弾倉が連続して回転する機構をもつ。
装填数は6。
あらかじめ全弾倉に装填しておけば、いちいち弾丸を込め直す必要は無い。
他の魔道銃と同じで、弾倉に入る大きさなら石礫でも鉄くずでも発射出来るので、とても重宝する兵器。
しかし、魔術式を等間隔に連続して起動させられないと、弾倉内で弾丸が引っ掛かる欠陥品でもある。
安定して発砲する為には、かなりの練習が必要な難しい魔道銃だ。
この欠陥品をドノヴァンは好んで使用していた。
若い頃に王帝の護衛をしていた時、一人で多数の刺客を相手にした事があった。
命からがら退けたが、その際に顔に深い傷を負った。
それを屈辱と感じ、その後、一対多数でも戦い抜ける様に様々な方法を熟考し、訓練して身につけた。
この連続発砲魔道銃も、その対策の一つだった。
「…素早い。想定を上方修正だ」
ドノヴァンが、懐から魔道銃を取り出して発砲した時には、既にクラウディアは闇の中に消えていた。
彼が発射した弾丸は、彼女を追う様に闇の中へと吸い込まれ、硬い何かに当たった音だけが響いて返って来た。
ドノヴァンは素早く弾倉を開き、クラウディアの消えた先から目を逸らさずに、手探りで弾を込め直した。
彼女が消えた辺りを中心に、周囲の灯りにまで視野を拡げて警戒する。
「そこだ」
ドンドン!ドンドン!ドンドン…
彼は、目の端に僅かに動いた影を捉えて、暗闇に向けて連続発砲した。
ゴムを擦った様な耳障りな鳴き声と共に、三匹のネズミが壁から落ちて、床に血溜まりを作った。
「ちっ…」
舌打ちをしながら、再び装填し直す為に空になった弾倉を開いた。
腰の弾帯から弾丸を取り出し、弾を込め直そうとした時、銃を持つ左腕に違和感を感じた。
反射的に、クラウディアの居る暗闇から腕に視線を移した。
「なあっ!?」
彼は思わず悲鳴をあげた。
彼の左袖の先で火が立ち上がり、その火が素早く腕を駆け上がって来ていたのだった。
ドノヴァンはすぐに魔道銃を投げ捨て、慌てて着ていた鉄糸入りの制服を脱ぎ始めた。
「くそっ!あの時の油か!」
ドノヴァンは地階に入ってすぐの時、貧民の下女に油をかけられた事を思い出した。
地階を駆け回っていた時にかいた汗と混じっていたので、すっかり忘れていた。
魔道銃を使用した際の圧縮魔術式での急激な温度上昇と、連続発砲時の弾丸の摩擦熱が瞬間的な高温を生み出し、油が染み込んでいた服に火が点いたのだった。
「賤民のくせに!俺の制服が!殺してやる!頭から油を掛けて燃やしてやる!」
彼は地団駄を踏みながら制服のボタンを引き千切り、なんとか燃え盛る袖から手を引き抜いた。
引き抜いた際に、手から立ち上がっていた炎は消えたが、腕の毛が黒く縮れてポロポロとこぼれ落ちていく。
手の甲から左肘辺りは既に赤くなっており、引き攣るように痛んだ。
四苦八苦しながらも何とか制服を脱ぎ捨て、燃えている部分を踏んで消そうとした。しかし、全く鎮火する様子は無かった。
仕方なく、燃え続けている制服は床の上に捨て置いて、再び顔を上げた。
だが既に、彼女は更に深い暗闇に紛れた様で、どの辺りに居るかの検討もつかなかった。
…クソっ!左手が攣る…!
魔道銃の弾込めは…難しいか…
ドノヴァンは魔道銃を拾いに行く事を諦めて、右手で剣を抜いて構えた。
彼は動揺した気持ちを落ち着かせて、耳を澄ませた。
…情報では、彼女は圧縮魔術式を使えない。
魔道銃の警戒をしなくて済むのは良いが、そういう奴は大抵、投げ物が得意だったりするからな。
風切音に警戒していれば、大概の物は剣で叩き落とせる。
彼が耳をそばだてていると、何処からか何かを引きずる音が聴こえてきた。
ガリリ…ガリ…
石畳の石を何かで引っ掻く様な音が、倉庫内に響く。
ドノヴァンは、警戒しながら音の元を探った。
ガリリ…
仄暗い魔導灯が倉庫内を数カ所だけ照らしているせいで、逆に照らされていない場所の闇が濃くなり目が利かない。
そして、反響する音のせいで音源も分かり辛い。
しかし、彼女が居るであろう方向の検討はついた。
ドノヴァンは、足元で燃えている制服を拾い上げ、検討をつけた方向に投げ込んだ。
制服は奥の方に飛んで行き、落ちた周囲を明るく照らした。
その光が反射して、僅かに少女のシルエットが浮かんだが、それは、またすぐに闇に紛れてしまった。
ドノヴァンはそちらから目を逸らさずに数歩下がり、倉庫の入口を後ろ手で閉じた。
彼は、彼女に隙を突かれて、倉庫から逃げ出される事を警戒した。
かいた汗が顎から滴り、足元にゆっくりと落ちていく様子が、見ていなくても感じられる位に集中していた。
一瞬の音を聞き逃さない様に、神経を尖らせた。
ガリ…ガリ…
制服から立ち上がる炎のうねりで、少女のシルエットが浮かび上がる。
しかし、姿のほとんどは未だに暗闇に隠れていて見えない。
何かを引きずっている様だが、暗すぎて確認は不可能。
相手もそれを理解しているらしく、彼女はこちらから視認し辛い位置でピタリと立ち止まり、こちらの様子を静かに伺っていた。
…何だ?何を持っている?
不意を突かれない為に、彼女の一挙手一投足を見逃さない様に集中する。
この警戒姿勢なら、たとえ彼女が弓矢で攻撃してきたとしても、切り落とせる自信があった。
もう少し近付いてこい…!
間合いに入ったら、一足飛びでその細い首を断ち切ってやろう…。
ドノヴァンは摺り足で、少しずつ彼女の方へ近付く。
突然、クラウディアのシルエットが小さくなった。
ドノヴァンは目を剥いて彼女を凝視した。
彼女は小さくなったのではなく、身体全体を沈み込ませて、上半身を低くして屈んでいた。
視認は出来ないが、屈んだ少女の全身に強い力が込められていくのが空気を伝って感じらた。
ドノヴァンは何とも言えない緊張感を感じていた。
何かを投げる気か!?
…こちらから飛び込むのが正解か?
警戒して、切り落とす事に専念するのが正解か?
……く…待つ方が危険だ!!
ドノヴァンは意を決し、彼女に向けて駆け出した。
ブォン!
突然、物凄い風切り音がして、ドノヴァンは駆け出した脚を無理矢理引き止めた。
この音は…ロック・スリングか!?
ロック・スリングとは、投石用の網のついた紐。
石を乗せて振り回して投げる武器。
投げる物の重さにも依るが、直撃すると鉄板すらひしゃげる威力が出せる。
軽い石等を振り回して飛ばす程度の紐や革製スリングの他に、硬質ゴムで作られた、重い鉄球を乗せて振り回せる物もある。
上手く使うと、力の弱い女性でも全身鎧の騎士を骨折させる事が可能。
まずい!…今は鉄糸入りの制服を着ていない。
直撃すれば軽傷では済まない…!
ブォン!!
再び強い風切り音が鳴り響いた。
ドノヴァンは剣を両手で構えて腰を落とし、飛んでくる物を警戒した。
…音の強さからして、かなりの重さ!
当たりどころによっては死ぬかもしれん!
何としても切り落とす!
弾いた動きのまま、ヤツの懐に飛び込む!
ブォン!!!
ドノヴァンが防御姿勢をとった直後に、暗闇の中で何かが光った。
「んなぁ!!!?剣んん!???」
投げられた物は石や鉄球等ではなかった。
子供の大きさ程もある大剣が、ドノヴァン目掛けて飛んで来た。
当たりどころ云々の話では無く、どこに当たっても死ぬ。
クラウディアは、全身を使って大剣を振り回し、遠心力に乗せて投擲したのだった。
放り投げられた剣は投槍の様な勢いだった。
切っ先は寸分違わず、ドノヴァンの首元を狙っていた。
ギィ゙ィ゙ィィィン!!
耳障りな金属音が倉庫内にこだまする。
刹那の時、ドノヴァンは自分の剣の腹で、飛んで来た大剣を受け止めていた。
ドノヴァンは、遠心力が乗った状態で放たれた大人にとっても重い大剣を、正面から受け止めてしまった。
その重さは、今迄、どの戦場で受けて来た剣戟よりも重かった。
両の手の力だけでは衝撃を受け止めきれず、盾にした剣の腹が自分の顔面に勢い良くぶつかった。
「ぶっ!!」
鼻が潰れて身体が仰け反る。
…剣だと!剣を振り回して投げたのか?
しかし、こんなに正確に真っ直ぐ投げられる物か?
どういう訓練をすればこんな事が出来る!?
普通、剣は投げ物に向かない。
回転させたまま投げる事は出来るが、速度も遅くて避けやすい。
何より、狙いが定まらない。
槍を投げる道具はあるが、子供が使える様なものでは無い。
クラウディアは、自分の身長程もある大剣を、道具も使わずに槍のように投擲し、正確に命中させたのだった。
顔面に巨大な鉄の玉をぶつけられた様な衝撃を受けて仰け反った拍子に、思わず、持っていた剣から手を離した。
盾にした自分の剣は、投げつけられた剣と共に暗闇の中に消えて行った。
…俺の剣が…!
潰れた鼻を抑えながら、飛んでいった剣を目で追った。
大切な剣が飛んでいった方向に視線を移した瞬間、首の付け根に強い衝撃を受け、息が止まった。
「………ヵハ!!!」
反射的に両手で喉を抑えた。
…声が…!息も…!何が!?
苦しさで思わず下を向く。
そこにあった真っ赤な瞳が、自分の眼を覗き込んでいた。
ひぃっ…!
悲鳴を上げる為の息が通らなかった。
防御姿勢をとる暇も無かった。
その目が誰の目か理解した瞬間、顎の正面に強い衝撃を受けた。
喉を抑えて前屈みになった下顎の中央に、下から上に向けて、強烈な頭突きを受けた。
身体ごと浮き上がる感覚と共に、床を見ていた筈の視界が天井を向いた。
気持ちの悪い浮遊感。
顎の急所に強烈な一撃を加えられたせいで、脳みそが上下に揺れた。
上と下が分からなくなり、強烈な目眩を感じた。
身体が、成すすべ無く直立した。
その刹那…
パキンッ!ゴリ!
…鈍い音が、身体の骨を伝って鼓膜に直接届けられた。
一瞬、何の音だか理解出来なかった。
それから僅かに遅れて、凄まじい激痛が、右膝から背骨を通って脳に辿って来るのを感じた。
本能ではマズイと感じながらも、やって来る激痛を止められない。
脳が揺れていて、身体が上手く動かない。
覚悟で心が満たされぬまま、脳まで恐怖が届くのを待つ事しか出来なかった。
「ぐぅっ!!」
痛みに耐える為に、反射的に全身に力を込めた。
込めた力そのままに、ドノヴァンは手を振り回し、相手の居ると思える場所を殴りつけた。
喉を穿たれた時に、反射的に溢れた涙のせいで景色がボヤけ、周囲が見えない。
目は見えなかったが、痛みの直ぐ側に相手が居ると考えて思いっきり腕を振りぬいた。
脚に激痛が走ったせいで踏ん張れず、身体が腕に引かれて倒れ込んだ。
ドノヴァンは、すぐに顔を上げて周囲を確認した。
涙でボヤけた彼の視界に飛び込んだのは、暗闇に浮かぶ大きな花だった。
彼はそれを見て、自分に何をされたかを理解した。
頭突きをしたクラウディアは、直後、全体重をかけて両足で彼の右膝を蹴り抜いた。
蹴り抜いた反動で後ろ向きに飛んで逃げ、ドノヴァンの反撃を回避していた。
赤いドレスの袖や裾が大きく左右に拡がり、両膝を抱え込みながら空中で回転する彼女の姿は、不吉を暗示する彼岸花の様だった。
下顎正面の急所
…下昆と呼ばれる場所です。




