◆4-86 地階に咲く彼岸花1
ドノヴァン視点
黒髪を見つけたドノヴァンは、忙しそうに動き回っている人混みを掻き分けながら、クラウディアと思しき少女の影を追い掛けた。
地階で働く多くの使用人達の為に配られた地味な色味の制服群の隙間から、時折、目立つ赤い布地がチラチラと顔を覗かせる。
ドノヴァンは、ヨーク姉弟は王国から帝国に派遣された間者である、と聞かされていた。なので…
「くっ、早い…なるほどな…」
彼は、自分が追い掛けている相手が、クラウディアであり、且つ、敵である事に間違いないとの確信を強めた。
帝国と聖教国との手切れ目的で殺される可哀想なただの少女では無く、殺さなければ危険な王国の駒である…と。
追い掛けられている少女は、動き回る人達にはかすりもせずに、風の様に人と人の隙間を駆け抜ける。
対して、ドノヴァンは…
「きゃあ!」「うわ!」「何だ!ふざけるな!」
身体の大きな彼に押し倒された使用人達は、運んでいた食材を落とし、水をぶち撒け、炭を宙に放り投げながらドミノの様に倒れ込んだ。
彼が押し通った後は、人が折り重なり、床中に油や水、道具や食材が散らかった。
更には、騒ぎを聞き付けた野次馬が集り出し、通路には人が溢れ、誰も通れなくなった。
その様な状況だったから、ドノヴァンを追い掛けていた兵士が彼の足跡を辿る事自体は容易だった。
しかし、人集りに阻まれて、追い付く事は不可能だった。
別の通路に迂回しようにも、地階には詳しくない。
仕方なく、彼は応援を呼びに引き返して行った。
ドノヴァンは赤いドレスの少女を追い掛けながら、通路を幾度も曲がり、小部屋を幾つも駆け抜けた。
しかしその為に、自分が今、どの辺りに居るのかの検討がつかなくなってしまった。
「部下は…流石に付いて来れなかったか…仕方ない。
訓練どおり、応援を連れて戻って来る事を期待しよう。
今は…アレを見失わない様に集中せねばな…」
相変わらず少女は、人と人との間を上手くすり抜けながら逃げていた。
なので、人を押し退けながら追い掛けていたドノヴァンよりは早かった。…これまでは。
彼女が逃げ続けているうち、段々と人が疎らになってきた。
人が少なくなれば、歩幅の大きなドノヴァンが優勢になってくる。
なかなか縮まらなかった距離も、少しずつ縮んできた。
二人はとうとう、離宮地階の北側にある倉庫群に辿り着いた。
この北側倉庫には、戦争用の武具や防衛用の資材、果ては攻城兵器等の大型器械類も多数保管されている。
これらは、式典や晩餐会には全く必要の無い物なので、出番は無い。
なので当然、この辺りには人が居ない。
此処まで追い掛けられて来た赤いドレスの少女と、追い掛けて来たドノヴァンの二人以外は、周辺に人の気配は無かった。
追い掛けられていた赤いドレスの少女は、黒髪をなびかせたまま、脇目も振らずに近くの倉庫に飛び込んだ。
ドノヴァンも躊躇せずに後を追った。
彼等が飛び込んだ倉庫は、暗くて広くて深かった。
恐らくは1階、若しくは2階の部分にまで、一部、吹き抜けになっているのだろう。
倉庫の天井はかなり高かった。
広過ぎて、廊下から差し込む明かりだけでは、中に何があるかハッキリとはわからない。
帝国の機密が詰まっている武器倉庫なので、当然窓は無い。
月の明りも星の明りも一切入らないこの倉庫は、真の闇に包まれていた。
ただ、廊下から漏れる僅かな光によって、倉庫の中に出来る巨大な影。
その影の大きさから、この中に保管されている物が、折り畳まれた攻城兵器だと解った。
入口付近から中程に向けて、幾つもの攻城兵器が並んでいるのは分かるが、更に奥に何があるかまでは全く判らない。
廊下の明かりだけでは、光量が足りない。
赤いドレスの少女は、既に倉庫の奥の闇の中に逃げ込んだらしく、ドノヴァンの目には彼女の影すら映らなかった。
ドノヴァンは部屋の奥の方向を警戒しながら、扉付近の魔導灯の魔石を探した。
手探りで壁を触る彼の手に、丸い何かが触れた。
「お…これか?」
扉脇にあった魔石に手を当てて魔力を流し込むと、扉上部に付いていた魔導灯だけが、仄かに薄暗く点灯した。
「…ちっ…
此処には連動式魔導灯が設置されてないのか?
しかも、暗い…」
聖教国で発明された連動式魔導灯は、まだそれ程、世間に拡がっていない。
何故なら、とても高価だから。
必要度や、使用頻度の高い場所を優先して、取付け工事が進められている。
なので普段使わない離宮の倉庫、しかも、何年も使ってない武器倉庫は後回しにされていた。
そして、明るさが段違いに高いミランドラ式魔導灯ではなく旧式の魔導灯なので、点灯しても薄暗かった。
明るさは、蝋燭よりはマシと言える程度だった。
「クラウディア様!クラウディア=ヨーク様!」
ドノヴァンは入口を背にして、倉庫奥の暗闇に向けて大声で呼び掛けた。
しかし、返事は無かった。
彼は諦めずに、再び口を開いた。
「リオネリウス殿下が探しておりましたぞ!
どうか、御返答下さいませ!」
ドノヴァンは、再び大声を倉庫内に響かせた。
暫くの間、何かを躊躇する様な空気があったが、少女の声で返答があった。
「リオネリウス殿下が?なぜですの?」
暗闇の奥の方から、薄く、か細い声が響いてきた。
…やはり、クラウディア嬢で間違いなかった!
やっと追い詰めたぞ…手間を掛けさせおって…。
このまま、言葉で引きずり出せれば手間も掛からんのだが…。さて…
「何故…って?
大切な人の事を心配をするのに、何の不思議が御座いましょう!
晩餐会では、お二人の顔見せが御座います。
早く準備をして頂かなければ間に合いませんぞ!」
ドノヴァンの声が、闇の中に吸い込まれていく。
「殿下がわたくしを…?
婚約の話はどこまで…?」
狼狽えるような少女の声が倉庫の奥から響いてきた。
…婚約の噂は本当だったのか…?
尚更都合が良い!
「晩餐会で発表される予定でございます!
皆が祝福しながら、お待ちです!
衣装の用意が御座いますので、お早く!」
…早く出て来い、くそガキが!
手間を掛けさせおって!
「………」
暫く続く沈黙。そして…
「…っく…アハハハハハ…!!」
突然、甲高い笑い声が倉庫内にこだました。
「ああ、馬鹿馬鹿しい…。
そんな嘘に引っ掛かると思われているなんて…
わたくし、とても悲しいですわ…」
その声と共に、倉庫の奥の方の高い場所で魔導灯が点灯した。
旧式魔導灯の薄暗い光が、漆黒の髪に真っ赤なドレスの少女を暗闇の中に浮かび上がらせる。
…ちっ!少し遠い…
「何が嘘ですか!
私は帝国の少将ドノヴァン。ドノヴァン=グラドゥスと申します。
我が家名に掛けて、嘘など申しません!
どうぞ、早くこちらにお越し下さい!」
ドノヴァンは、クラウディアに話し掛けながら少しずつ前に進み出た。
そして、身体の左側が自分の点けた魔導灯の光の範囲から出るように調整した。
身体の左側が陰に隠れると、素早く左手を懐に入れた。
懐に仕舞ってある回転弾倉式魔道銃に指を掛け、弾の装填具合を確認した。
そして、すぐに魔道銃を抜ける様に左手を懐に入れたまま、連続圧縮魔術式の準備を始めた。
「…手を…どうされましたの?」
「…え?」
少女はゆっくりと横に移動しながら闇に紛れ、暫くの後、離れた場所の魔導灯を点灯させ、再び姿を現した。
「何故、左手を隠しておいでですの?」
話しながらも歩みを止めず、点けた魔導灯の範囲外に出て姿を隠す。
暫く後に別の場所の魔導灯が点灯して、三度、薄暗い光の中に自分の姿を浮かび上がらせた。
…この暗さで?
この距離で?
懐に入れた左手に気付いただと!?
「こ…これは…、人混みを避けようとした時に、左腕を酷くぶつけてしまいました。
今でも痺れてうまく動かないので、邪魔にならぬ様、懐に入れているのです!」
「まぁまぁ…それはそれは…大変でしたわね…?」
クラウディアは、三度暗闇に姿を隠すと、更に別の場所の魔導灯が点灯した。
そして、同じ様に赤いドレスを着た自分を薄暗い光の中に浮かび上がらせると、ゆっくりと口を開いた。
「てっきり、その懐の魔道銃を、私に向けて撃つのかと思いましたわ」
言葉と共に、少女は口角を鋭く上げて、ゾッとする様な邪悪な笑みを浮かべた。
口は三日月の様に割れて、紅い唇と舌が蛇の様に蠱惑的に蠢く。
細めた瞼の間から覗く彼女の瞳は、赤く爛々と輝き、見た人間の魂を鷲掴みにする力があった。
魔導灯の灯りを背景に仄かに照らし出される漆黒の髪は、周囲の闇よりなお暗く、拡がる毛先が悪魔の翼の様に思えた。
そして、彼女の着るドレスの裾が大きく拡がり、暗闇に浮かびあがる巨大な彼岸花の様相となり、見る者を恐怖させた。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
背筋に冷たい物を挿し込まれた感覚を強く味わったドノヴァンは、反射的に魔道銃を取り出していた。
息をつく暇もなく、数瞬の躊躇いもなく、彼女に向けて連続で発砲した。




