◆4-57 深夜の図書館 訪問者達
ジェシカ視点
トーン、トーン…
図書館の玄関方向から、微かなノッカー音が響く。
応対の為に誰かが外廊下を走る音がした後、玄関扉が軋みながら開く重低音が、私達が潜んでいる閲覧室内にまで響いて来た。
虫の音も草葉の擦れる音もしない、静寂に包まれたこの場所。
加えて筒状建築、且つ、巨大な吹き抜けが音を増幅させているのか、僅かな物音でも結構響く。
一階外廊下の音が、閲覧室の最上階の回廊にまで反響して来た。
しばらくして、複数名の人間の歩く足音が聞こえた。
何かを話しながら歩いている様子だが、彼等の声は閲覧室の重い扉に阻まれて、内容までは聞き取れない。
硬い石と金属をぶつけた時に出る高音を、羽毛で覆い吸収した後の残響の様な、ゴン…ゴンという低音の音。
外廊下にも厚手の絨毯が敷かれている様だ。
硬い石畳と、踵から爪先まで金属に覆われた硬く重い靴がぶつかって響いた音を、絨毯の毛が消しているのだろう。
一階廊下を歩く人の足音が少しずつ大きくなる。
どうやら閲覧室に向かって来ている様だ。
…う〜ん…。
歩き方は一定。重い音に混じって軽い音があるわね…。
くそ…。絨毯のせいで音がこもって数が分かりにくい。
全員軍人?いや、素人が混ざってる…逆にかなりの手練れも居る。
木靴音が素人、金属音は全て軍人…かしらね。
同じ軍人でも練度はバラバラ。
行軍訓練の癖かしら?連中、足音を合わせて歩いてる。
でも、響き方で判る。強さにばらつきがあるわね。
数人は金属音が他の連中に比べて僅かに小さい…。
…元々消して歩ける足音を、わざと周りの人に合わせて響かせている様なカンジ…?
普段から足音を消して動く事が癖になっている人の足音。
軍に紛れ込んでいる諜報員?内部監査かな?
若しくは、仲間にも身分を隠した偵察軍人…。
どちらにしろ、見つかると厄介ね…。
ガチャガチャ…ガコン
閲覧室の扉の鍵が回り、扉内部の閂の外れる重い音が、深夜の図書館内に反響した。
ギギギギィィ…ゴオン…
閲覧室の重い扉が押し開かれて、繋がる廊下から漏れる魔導灯の光が、真っ暗な部屋の本棚達と館内の内壁をゆっくりと照らし出した。
カチ…カチ…
扉を開けた人物が連動式魔導灯のスイッチを入れて、魔石に手を当てた。
魔石に魔力を充填する時の青白い光が、ほのかに輝き上階にまで漏れてくる。
しばらくすると、閲覧室内は昼の様な明るさになった。
図書館の中心、そして大きな吹き抜けの中心にある大黒柱。
ドーム状の屋根と、柱を中心に東西にのびる最上階の渡り廊下。
それらを一心に支えるこの柱の上部にも魔導灯が設置されていた。
丁度、身体を半身にして下階の様子を伺っていた私の目に、強い光が飛び込んで来た。
くっ…魔導灯の光が!
闇に慣れた眼が痛い!
こういう時だけは、魔導灯を発明したクラウを恨みたくなるわね。
パックが能力を発動しているので、私達の姿は光の中にあっても凄く見えにくい。
今でも、すぐ側に居るお互いの姿すらぼやけて見える。
だが、闇の中に居る時より格段に性能は落ちる。
注視すれば、風景の歪みに気付けるくらいには。
だが、強い光のお陰で柱の影も濃くなってる。
私は、闇が深くなった柱の裏に音を立てない様に潜り込んだ。
この位置なら、たとえ柱の裏に回り込まれて覗かれても、パックのお陰で私達の姿は見えないだろう。
音を立てなければ私の能力を使う必要も無いしね。
…改めて考えると、パックの魔術式は凄いのよね…?
これで本人が間抜けで無ければ、素直に称賛出来るのにねぇ…。
明かりを点けた人物が、複数の人達を引き連れて閲覧室に入って来た。
真っ直ぐに、閉架書庫に繋がる中央螺旋階段に向かっている。
「……ええ?……まぁまぁ…、まさかリオネリウス殿下でしたのね…」
案内する女性の声が閲覧室に響いた。
一階で話す人達の声が、吹き抜けを通して最上階にいる私達にまで届く。
話し声を聞いたリオネリウスは、一瞬ピクリと動く。
私は、静かにしろと言う意味を込めて、彼の口を手で塞いだ。
…遮る物が無いから良く聞こえるわね。
逆に言うと、私達の僅かな物音も相手に聞こえてしまう…。
気を付けないと。
「ええ…ゼーレベカルトル殿下のご英断により、リオネリウス殿下は隔離されています。
私は、明日の午前の会議までに正確な被害報告書を提出せねばならなくなりましてね…。
突然、こんな夜中に押し掛けて…大変申し訳ない」
螺旋階段を昇りながら話す女性達の声が館内に響く。
…ああ、成る程ね…。
案内している木靴の女性が此処の司書か。
司書と並んで歩く女騎士の後ろ…目深にフードを被っている騎士数人。
こいつ等は強いわね…。気を付けないと。
…その後ろを歩くフードを外している連中は…ああ…弱そう。
立派なのは筋骨隆々の体躯だけか。
足音を隠そうともしないし、頭も悪そう。
視線も、まるで警戒していない。
力自慢のただの馬鹿ね。
身体強化込みなら、未成年のマクスウェルの方がまだ強い。
昼の警護の連中もそうだったけれど、帝国軍人は質より量なのかしら…?
先頭を歩く女性とすぐ後ろの数人は騎士団の制服をかっちりと着込み、フード付きの皮のマントを着て、室内なのにフードを頭からすっぽりと被っている。
フードの陰になっていて、顔が見えない。
「いえいえ…お仕事とはいえ、大変で御座いますね。
確かに、リオネリウス殿下は何度かいらっしゃいましたわ。
命じられましたので、閉架書庫も解錠致しました。
側近も付けずにお一人でいらしていたので、少々様子がおかしいな…とは思っておりましたが。…そうでしたの…。
わたくしは今でも信じられませんわ…」
「持ち出される様子には気付きませんでしたか?」
「手ぶらに見えましたものでして…。
わたくし如きが、殿下のお身体を検める訳にも参りませんでしたし…。
申し訳御座いません。わたくしの落ち度で御座います…」
「いえ。仕方の無い事です。我々が王族の身体に触れる訳にはいきません。
しかし、困りました。
殿下が横領していたとしても、王宮図書館の本の所有権は王族にあります。
果たして、これを犯罪と呼ぶべきなのか、否か…」
「そうですわね…。
断罪出来る御方は少ないですわ。
下手をすれば王族内に亀裂が入りますものね。
出来るだけ穏便に事が済むと善いですわね」
「その通りです。
なので、報告書の記載の仕方にも気を遣います。
胃の痛くなる事なのです…」
案内する女性と並んで歩く女性騎士は、雑談をしながら螺旋階段を昇って来た。
話す内容は、リオネリウスがいつから通っているか、何回くらい入ったのか、他に入った黒鍵の所有者は誰か…等、事情聴取の様な雑談だった。
司書と騎士達は螺旋階段を昇りきって、私が侵入時に着地した空中廊下に辿り着いた。
私達が隠れている事も、私達の斜め上方にある天窓の一つが開いている事にも気付いていない。
彼等は閉架書庫の方へ歩いて行き、立派な扉の前で立ち止まった。
「では、中佐…王族の黒鍵をお貸し下さいませ」
司書の女性が口を開くと、女性騎士が懐から掌に納まる位の大きさの黒い鍵束を取り出した。
一つだけ、魔石を削って作られた凝った装飾の鍵がある。
「こちらは、リオネリウス殿下が所持していた黒鍵です。
ゼーレべカルトル殿下よりお預かりして参りました。
解錠を宜しくお願い致します」
「畏まりました。少し離れていて下さいませ…」
黒鍵の束を受け取った女性は、扉の方を向きながら自分の懐に手を入れる。
懐から司書の銀鍵の束を取り出して、解錠作業に入った。
黒と銀、両方の鍵束に付いている魔導鍵。
彼女が、それらを鍵穴に挿して手順通りに操作すると、閉架書庫の魔導機構が動き出し、扉は音を立てて解錠される。
鍵の外れた閉架書庫の扉は、ゆっくりと開いた。
…両方の鍵が必要なのか。結構面倒くさそうな仕掛けね。
クラウはこういうの好きそうだけど、私は興味無いわねぇ…。
私が考え事をしながら解錠作業を覗いていると、すぐ横に居たリオネリウスが目を見開いた。
「な!?…一体、どういう事だ!?」
館内に、リオネリウスの声が響いた。
扉を良く見ようとしていたのか、彼の身体がパックの魔術式の範囲内から出てしまっている。
…はぁ!?いきなり何やってんの、コイツは!
静かにする様に言ってあったのに!
塔から出ているところを誰かに見られるのはマズイと言ったのは自分でしょうが!
止める暇も無かった。
見えてない筈なのに、クラウディアが私に向ける視線を感じる。
…あ、クラウは見えなくても、視えるんだった。
呆れているみたいな…?
…これって、私の所為なの?
深夜残業に、王子のお守りは入っていない筈よ?




